36.彼女は遠慮する
真名佳は無事に保健室登校を果たした。
僕たちが教室で授業を受けているあいだ、真名佳は薄暗い自分の部屋ではなく、一階の保健室にいるのだ。同じ校舎の中に真名佳がいる、そう考えると少し新鮮だったが、それだけだ。授業内容が変わるわけではない。
変化があったのは昼休みの過ごし方だ。
保健室で、3人で昼ご飯を食べる約束をしていた。
4限目が終わると、萩月と一緒に教室を出る。その途中、
「見せつけやがって」「へっ、お幸せにな」「授業に遅れるんじゃねえぞ……」
などとすれ違いざまクラスメイトに冷やかされた。
先日の、二人そろって早退した一件のせいだ。
授業サボってデートしよう、とか言っちゃったし、仕方ないか。
「悪意はないみたいだし僕は平気だけど、萩月はどう?」
「あたしも別に。みんな数日で飽きるんじゃないですか」
「まあ、どうせニセ彼女だしね」
「はい、ニセ彼氏ですし」
平然と答える萩月は、本当になんとも思っていないようだ。
まあ、それはいい。
ちょっとさみしいが、今はいい。
問題は別にあるのだ。
その問題を、萩月は隠している。
あるいは僕の勘違いで、問題なんてそもそも存在しないのかもしれない。
正直言って、現状では判断できない。
だから燻り出すしかないのだが、それを実行するには少し心の準備が必要だ。
階段を下りながら深呼吸。
3階から2階へ降りたところで声をかけた。
「保健室へ行く前に、ちょっと話があるんだけど」
「なんですか?」
「ここは人目があるから、ちょっとこっちへ」
きょろきょろと周囲を見回し、口元に手を当てて小声で話す。
いかにも秘密の話です、というアピール。
空き教室へと移動するあいだ、萩月に怪しまれることはなかった。
それくらいには信用してくれているらしい。
「それで、話ってなんですか」
面倒くさそうな顔で聞いてくる萩月。
「実は……、ニセ彼女オプションについての要求なんだけど」
「はい?」
「だから、ニセ彼女オプションだよ。この前言ってたじゃないか。口調とか髪型とか、服装とか、こっちの好きなように変えてくれるって」
「好きなようにとまでは言ってません。常識的な範囲に限ります」
「それならやってくれるの」
「もうやりませんよ。だいたい、今になってそんなこと蒸し返さないでください」
萩月は目を逸らす。やはり思い出しただけで恥ずかしいらしい。
精神的に無防備な今が攻めどきだ。
「そんなに嫌がるくらいなら、どうしてあんなトンチキな提案をしたのさ」
「トンチキ……!? あ、あれは……、まなてぃが変なことを言うから」
萩月はうつむいて、ぼそぼそと力のない声でつぶやく。
ちょっと聞き捨てならないな。
「真名佳が? なんて?」
「式守君には関係ないです」
はっきり突っぱねられるとちょっとショックだが、めげてはいけない。
「じゃあ関係があるニセ彼女オプションの話をしようか」
「な……、なんでそんなに粘っこいんですか」
もうちょっとほかに言いようがあるんじゃない?
萩月の反発は僕の精神へ的確にダメージを刻んでいた。
しかし、それを表に出しているヒマはない。畳みかけるのだ。
「変更してほしいオプションがあるからに決まってるじゃないか」
「一度決定したオプションをあとから変更することはできません。あらかじめご了承ください」
「パンフレットの片隅の読みづらい注意書きみたいなことを……」
「あたしの外見なんかどうでもいいでしょ? もっとまなてぃの方を気にかけてあげてください」
萩月は一方的に会話を切り上げると、そのまま空き教室を出て行ってしまった。
真名佳の方を気にかけてあげろ、か……。
思ったとおりの反応だった。
僕がバカみたいにニセ彼女オプションをごり押ししたのは、変更を希望したからではない。スカート丈を短くしたり、髪型をポニテにしてほしかったわけではない。
萩月の反応を引き出したかったのだ。
そのための作戦は成功した。
今朝の登校中にも感じた違和感――その正体がわかった。
萩月は真名佳に遠慮している。




