34.幼なじみの挑発
真名佳は亀になった。
毛布にくるまって身を隠し、転げ回ったりうめき声を上げたりした。
そんなに動いて髪の毛が絡まらないか心配になる。
やがて奇行がようやく落ち着くと、ひょこりと毛布から頭を出す真名佳。
僕をにらむその顔は、まだ耳まで赤い。
「……改めて聞くけど、どういうつもり?」
と僕はたずねる。違和感と不安を晴らしたかった。
真名佳はよく僕を罠にハメようとするし、ストレス発散の相手にされることもある。だけど、あんな風に(拙いとはいえ)性的なニュアンスのあるものを使うのは真名佳らしくない。
そういう〝いつもと違うところ〟が目についたら、注意しないといけない。
萩月とのわだかまりが解決したとしても、真名佳が長期の引きこもりであることに変わりはない。ストレス耐性の弱さは、簡単には解消されないはずだ。
真名佳は無理をしていないだろうか。
僕はサインを見落としていないだろうか。
単純に心配だった。
もし無理をしているなら、その理由を知りたいのだ。
「……つぐみんに挑発されたのよ」
こちらの真剣さが通じたのか、真名佳は渋々ながらも答えてくれた。
しかし、その内容は予想外だ。
「挑発? 萩月が? ちょっと意外なんだけど」
「何よ、疑ってるの? 幼なじみよりニセ彼女を信じるわけ?」
「その肩書きを並べるのはズルいよ」
ニセの時点で不信感しかない。
僕が意外に思ったのは、真名佳と萩月の関係性のせいだ。
萩月は真名佳を盲信――ではなく憧れているようなところがあるので、真名佳を挑発する萩月、というのがイメージできなかった。僕に対して挑発や罵倒をする萩月なら簡単にイメージできるのだが。
「……で、挑発って何を言われたのさ」
「聞きたいの?」
「そりゃ、まあ」
「聞いたらいろいろ後戻りできなくなると思うけど、それでも?」
「大げさだな……」
どうせ冗談半分の脅しだろうと軽く聞き流していたら、真名佳は毛布にくるまったまま、むくりと身体を起こした。
「『年頃の男女が一緒にいて、今まで何もなかったの?』――って。そう言われたのよ」
僕は自分の考えの浅さを呪った。
もっとも、予想できたところで対策が打てたわけでもないが。
「……それは」
それは僕たちにとって、ずっと触れてはいけない問題だった。
真名佳は性的な話題を極端に嫌がったし、僕だっていつも冗談めかして、本気でそういう対象として真名佳を見ないようにしてきた。寝た子を起こすな、というやつだ。
萩月め、余計なことを――と恨めしく思う。
だが、ここにいないやつに文句を言っても仕方がない。
今はこの、ちょっとした振動で崩れてしまいそうなジェンガみたいな空気を、これ以上刺激しないことの方が重要だ。
どうすればこの緊張を収められるのか。
いつまで引っ張れるのかわからない沈黙の中で考える。
が、真名佳の方が動きが早かった。
羽織っていた毛布が、するりと身体を滑り落ちる。
真名佳は服装の乱れを直していなかった。
さっきの、ジャージの前がはだけた姿のままだ。
「前が、開いてる」
自分がひどく間抜けなことを言っている気がした。
「知ってるわ」
真名佳は顔を赤くして、それでも言葉だけは淡々と。
視線はまっすぐこちらを見据えている。
「何もしないの?」
「……意味わかって言ってる?」
「あ……、当たり前でしょ、お子様じゃないんだから。どうってことないわ。ほら、あれよ、今までのお礼っていうか、サービスみたいなものよ。いずれ誰でも通る道なんだし」
真名佳はうわずった早口でまくし立てる。
余裕ぶっているが、無理をしているのが丸わかりだ。
だけど、余裕がないのはこちらも同じ。
いずれ誰でも通る道を、このままでは強がりの末に引き返せなくなってしまう。
それもいいかと、僕の人格の何割かは確実にGOサインを出していた。
いつの間にか真名佳の目の前に立ち、砂漠で水を求めるみたいに腕を伸ばして――
――ピロピロピロリン、と。
空気を読まない着信音が真名佳のスマホから鳴った。
それを無視して続きをするような情熱も度胸も、僕たちにはなかった。
むしろブレーキを踏むための、絶好の言い訳だった。
僕はドアのところまで後ずさりする。
真名佳は一瞬でジャージのファスナーを上げた。
続いて、階下からインターホンの呑気な音が聞こえてくる。
「……つぐみん、が、泊まりにくる、ことになってて」
真名佳はスマホを見つつ、つっかえながら話す。
「今、着いたところだって、メッセージが」
「……そうか」
萩月が泊まりにくる予定があるのに、あんなことをするなんて。
真名佳はそこまで考えたうえで誘ったのだろうか。
いや、それなら着信音と同時に我に返るのはおかしい。
そもそも、理性や理屈が通っていればこんな状況にはなっていない。
頭がくらくらしたが、鈍った頭でどうにか考えを巡らせていると、
「恭ちゃんも泊まる?」
「あ……、え……?」
駄目押しだった。考えることが面倒になる。
僕がパソコンならシャットダウンしているところだ。
「……じょ、冗談よ、冗談」
こちらの反応が薄いのを見て、真名佳はあわてて首を振った。
だったらもっと余裕のある顔で言ってほしい。
そんなやり取りをしているうちに足音が近づいてきた。
すでに開いていた戸口から、私服姿の萩月が入ってくる。
「こんにちは、まなてぃ。……あ、やっぱり式守君も」
「いらっしゃい、つぐみん……」
「ども……」
僕と真名佳のあいさつは、歓迎というにはあまりにも弱々しい。
「ええっと、何かあったの?」
当然、萩月は首をかしげて尋ねてくる。
「な何もなかったわよ!? わたしと恭ちゃんのあいだで間違いが起こるわけがないでしょ?」
とうろたえながら真名佳。
一を聞かれて十を答える、墓穴堀りのエキスパートだった。
「……式守君、まなてぃに何をしたんですか」
萩月の目は罪人を見るようだった。
こちらの些細な嘘も見逃すまいと、じっと見つめてくる。
「いや、本当に何もしてないよ。何もないんだ、あるのはそう……、無力感?」
「ちょっと凹みすぎじゃないですか?」
「アルミ缶並ね」
と真名佳の追い討ち。
「……明日も学校があるのに、なんで泊まりに?」
「だからですよ」
と萩月の返事はシンプル。
「明日、もう一度学校へ行くわ。つぐみんと一緒に登校するの」
僕の問いに答えたのは真名佳だった。
「そういうこと……。でもちょっと、急ぎ過ぎなんじゃ」
「前に言ったでしょ」
真名佳がなんのことを言っているのかは、もちろん理解している。
僕に置いていかれたくないから、多少無理をしてでも学校に行く。
初登校のときにそう打ち明けてくれた。
「それに今は、恭ちゃんだけじゃない。つぐみんもいるから」
「えっ? あたし?」
急に話題に出されて、萩月が戸惑う。
「二人と対等になるために必要だと思うから学校へ行くの。それだけよ」
そう言って真名佳は笑った。
不敵、という形容がよく似合う笑顔だ。
さっきまで毛布にくるまっていた幼なじみと同一人物とは思えない。
その落差に、また頭がくらくらした。




