33.幼なじみの罠は二段構えではない
放課後の陰キャぼっちはまっすぐ帰る確率100%。
昼休みのこともあって萩月の反応が気になったが、特に何も言われることなく、僕はいつもどおり家路についた。
そして日課である真名佳の部屋へ。
階段を上がっている途中で、ふと違和感を覚えた。
足元がすこし冷たい気がする。
その理由はすぐに明らかになった。
真名佳の部屋のドアが開いており、中の冷気がもれ出ていたのだ。
一応、開いているドアを5回ノックをしてから中へ入る。
薄暗い部屋の中、真名佳はベッドの上で横になっていた。
僕が入ってきたのに無反応。眠っているようだ。
めずらしいな、と思う。
真名佳は引きこもりではあるが、生活のリズムは規則正しい。朝は学校へ行くくらいの時間には起きているし、夜も日付が変わる前にはきちんと寝ている。
それに、これはちょっとした自慢なのだが、真名佳はなんだかんだ言いながらも、僕が来るのを待ってくれている。だから、今くらいの時間帯に寝ているのはちょっと記憶になかった。
ここ数日でいろいろあったし、疲れているのかもしれない。
今日のところは明かりをつけずにそっとしておこう。
そんな穏やかな気持ちでいると、真名佳は廊下の明かりに反応したのか、
「んぅ……」
と寝息をひとつ。
そして、ころりと、こちら向きに寝返りを打った。
そのせいで、かけていた毛布が乱れてしまう。
直してやろうかと一歩近づいて、大変なことに気づいた。
いつもは閉じているファスナーが、この日に限って開いている。
真名佳のジャージの話だ。
部屋のドアだけでなくジャージまで開けっ放しとは。無防備だし、だらしがない。中のシャツだけではなく、その下の何かの肩紐まで見えている。
僕は真名佳の胸元から目を逸らした。
見たいか見たくないかで言えばもちろん見たかったが、それ以上に、無防備な姿をなんのリスクもなく凝視することの罪悪感が勝った。
なるべく真名佳の首から下を見ないようにしながらベッドへ近づく。
そして毛布をつかんで、全身が隠れるように引っ張り上げた。
はあ、とため息をひとつ。
「これで、よかったんだよな……」
紳士的行為の達成感のあとには、一抹の寂しさが残る……。
来たばかりなのにどっと疲れてしまった。
さて、これからどうしよう。
黙って帰るか、それとも真名佳が目覚めるまで待つか。
考えながら部屋を見回すと、テーブル上の一冊の本が目についた。
また少女マンガだったが、前に読んだシリーズものとは別の作品だ。
これを読み終えるまでに真名佳が起きなかったらそのまま帰ろう。
そう予定を決めた。
窓辺に移動して少しだけカーテンを開ける。
差し込む外光を明かりにしてマンガを読み始めた。
「……これは」
読み進めていくと、一話の時点で性交渉のシーンがあった。
気の早いやつめ。
この少女マンガ、ちょっとエッチなやつらしい。
モザイクや年齢制限をかけるほどではないが、いたすシーンはある。
ちょっと背伸びしたい中学生向けみたいな内容だ。
この手のマンガを幼なじみが持っている。
それを知ってしまったことの、気まずいこと気まずいこと。
家族でテレビを見ていてラブシーンが始まったらちょっとソワソワしてしまう、あの気分を何十倍にも強めたような心境である。
おかげで続きを読む気が失せてしまった。
マンガを閉じて元の場所に戻す。
「読まないの?」
「――ほぁ!?」
いきなりの問いかけに飛び上がりつつ、声の出どころを振り向いた。
といってもこの部屋には僕のほかに真名佳しかいない。
ベッドで横になったまま、じっとこちらを見つめている。
「もっと食い入るように読み耽ってもいいのよ」
形の良い唇をにゅっとつり上げて、挑発するような笑い。
「……その言い方、まさか……」
冷静に考えてみると、最初から違和感だらけだった。
このマンガは僕の知るかぎり、真名佳の趣味ではない。仮に僕の知らない一面があったのだとしても、この手の作品は紙の本ではなく電子書籍で買うのが普通だ。手間がかからないし、何より誰かに見つかって気まずい思いをすることもない。
そんなデメリットを無視して紙の本を買っていた。
さらに、テーブルの上なんていう目立つ場所に置いていた。
しかも、よりによって僕が来るとわかっているタイミングで。
つまり、これは罠だったのだ。
寝たふりをして僕が罠にはまるのを待っていたのだ。
ちょっとエッチな本を手に取るタイミングを狙っていたのだ。
なんて非道な幼なじみだ。しかし――
「……ふ、残念だったね。僕はもうこのレベルの性では興奮しないんだよ」
「何よ偉そうに。変態自慢しないで」
真名佳はむすっとした顔で身体を起こした。
すると当然、かかっていた毛布がずり落ちる。
開きっぱなしのジャージと、その中のシャツと、さらにその下の何かの肩紐があらわになる。
人がせっかく紳士的に隠したものが、また見えるようになってしまった。
僕はそっと目を逸らそうとして――思いとどまる。
今の真名佳は無防備だが、彼女はしっかり目を覚ました状態でこの格好をしているのだ。
つまり、これは真名佳の選択。
ジャージの前が開いていようが、そこから白いシャツが見えていようが、さらにその下のなにかの肩紐があらわになっていようが、真名佳本人が自覚しているのであれば、何も問題はない。
僕は開き直って真名佳の方を向いた。
もちろん余計なことは言わない。
「……恭ちゃん? 変態って言ったの怒ってる?」
「いいかい、真名佳。多くの男子高校生にとって、少女マンガは性的興奮を得るためのコンテンツではないんだよ」
「いきなり悟ったような顔で何言いだすのよ」
「だいたい少女マンガで描かれる女体は線が細すぎるんだ。女子の多くはやせ型の体型を理想としているから、そういう描き方になってしまうんだろうね。しかし、男子はもっと肉付きの良い、起伏のある身体を欲している。この男女の考え方の違いが、『もっとやせたい』とボヤく女子と、それに『十分細いよ』と応じる男子という、悲しいすれ違いを生んでしまう……」
「どうしよう、恭ちゃんが本物の変態になっちゃうなんて……、やっぱりわたしのせい?」
はじめは不満そうに反論していた真名佳も、だんだんこちらを心配するような不安げな顔になる。これはこれで凹む反応だな……。
「……というか、僕が本当にマンガを熟読し始めたらどうする気だったのさ」
「えっ? ええと……、まず、恭ちゃんが興奮するでしょ?」
「仮定の話ね」
「そしたら次に獲物を探すでしょ?」
「肉食系と思われていたとは意外だな」
「獲物と言ったらこの部屋にはわたししかいないでしょ?」
「――えっ? ちょ、じゃあ何? その格好も罠だったわけ?」
と僕は話に割って入る。
さすがにこの流れは聞き捨てならなかった。
わざとジャージの前をはだけて、僕がそういう気分になるように誘っていた――と言っているように聞こえる。
「その格好って?」
真名佳はきょとんと首をかしげる。
そこで初めて自分の姿に気づいたらしい。
「……~~ッ!?」
真名佳は声にならない悲鳴を上げて、毛布を頭からかぶった。
この反応からして、ジャージが開いていたのは罠でも誘いでもなく、単にうっかりしていただけのようだ。よかった、乱心してハニートラップを仕掛ける幼なじみは居なかったんだな……。
「仕方ないよ、自分の全身って自分ではなかなか見えないからね。いつの間にか靴ひもがほどけていても気づかなかったりするし」
「うるさい! やっぱり変態!」
「嫌な再評価だな……」




