28.彼女は謝罪する
「確かに従うって言いましたけど……、本当に行くんですか」
衝撃の『式守君の言うことに従いますから』発言のあと。
僕と萩月は公園から移動して、変わり映えのしない一軒家が並ぶ、平凡な住宅街へとやってきた。
目の前の家門には『柊』という表札がある。
そう。
僕にはよく見知った真名佳の家の前だ。
『真名佳と顔を合わせるのが無理なら、まずはその家族に会ってみない?』
という僕の提案に、萩月はイエスともノーとも明言できずに、ずるずるとここまでついてきたのだ。
「もちろん。僕は本気だよ」
「でも、急にお邪魔したら迷惑なんじゃ」
萩月はここへ来るまでに何度もこぼした弱音をまた口にする。
「大丈夫だって、さっき連絡しといたから」
「今さら柊さんのお母さんに、あたしなんかがどんな顔をして会えばいいのか……」
まだ萩月は腰が引けている。
無理もない。急な話なのは百も承知だ。
しかし、この機を逃せば萩月の気持ちはまた年単位で硬直してしまうだろう。
「昨日のことはおばさんだって知ってるんだから、タイミングとしては悪くないと思うよ」
「でも、今までずっと……、一年半も何もしなかったのに」
「少し時間をおいて落ち着かせた方がいい?」
「それは」
ここでホッとした顔にはならない萩月。
このままではいけないという自覚はあるのだ。
「そうやって先延ばしにしてきたせいで、いろんなものが増えていったんじゃないの? 顔を合わせづらいっていう気持ちとか、行かないための言い訳とか、自分を責める時間とか」
萩月の眉がハの字になる。
痛いところを突かれた顔。
「時間を置いたら、またどんどん動けなくなるよ」
「柊さんのお母さん……、やっぱり怒ってますよね」
「じゃあ、それが罰だと思えばいい。今まで萩月が自分にしてきたことを、おばさんに代わってもらうだけだよ」
「……なんか、すごい理屈ですね」
そこでようやく、萩月は少しだけ笑った。
心の準備ができたのだと判断して、インターホンを押そうとする。
――その直前で指を止めた。
「式守君?」
心臓の鼓動が自覚できるくらいに激しくなっていた。
なるほど。
心の準備が必要なのは萩月だけじゃなかったらしい。
長い深呼吸をしてから、萩月に笑いかける。
「行こうか」
改めてインターホンを押した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
おばさんはいつものように、玄関を開けて出迎えてくれた。
「わざわざありがとう恭治君。だけどごめんなさい、真名佳は今は眠っていると思うわ」
ちらりと後ろを向いて、二階へ続く階段を見るおばさん。
昨日のこともあってか少し疲れているみたいだ。
「ところで……、学校はどうしたの?」
「理由あって早退です」
適当に答えるとおばさんはきょとんとした顔になる。
が、萩月の存在に気づいてそちらを見た。
「そう……。ところで、あなたは……」
「萩月つぐみといいます」
萩月は硬い表情で、真名佳との関係性を告げる。
「真名佳さんの同級生でした。……中学3年のときの」
何をしに来たのか伝えるには、それだけで十分だった。
〝娘の友達を歓迎する母親〟だったおばさんの顔つきが変わる。
それは敵意とか後悔といった険しさじゃなく――
萩月の言葉を受け止めようという、穏やかな雰囲気だった。
「あたしは……」
萩月は言い淀んだ。続きがすぐに出てこない。
一年半もの間、積もりに積もった後悔の念は、万年雪のように凝り固まってしまっている。それを溶かして言葉にするのは、簡単なことじゃない。
しかも相手は被害者の家族だ。
自分を加害者と思い込んでいる萩月には酷な対面だっただろうか。
真名佳が被害者で、萩月が加害者。
周りはそう思っていなくても、萩月が信じ込んでいる限り、それが彼女にとっての現実だ。
その意識を変えてやりたい。
この場を用意した理由のひとつがそれだ。
本来なら萩月だけの言葉で語ってほしいが――
目だけで隣を見ると、萩月は小さく首を振った。
大丈夫、と唇が動いた気がした。
「あのときあたしは、真名佳さんを助けられませんでした」
顔を上げて前を向き、そう告げる。
「あたしがもっと早く手伝っていたら、真名佳さんが文化祭の直前で体調を崩すこともなかったし、最初からクラスメイトに協力を働き掛けていたら、あんな風に孤立することもなかった」
当時の出来事を振り返りながら、ゆっくりとしゃべる萩月。
淡々とした口調なのは、そうしないと感情を抑えられなくなるから、だろうか。
「ずっと後悔してて、でも直接謝るのは怖くて……、式守君に言われなかったら、きっと、ここに来ることはできなかったと思います。遅くなってしまって、すいませんでした」
最後はそう締めて、萩月は静かに頭を下げた。
おばさんは膝をついて、萩月の頭をそっと撫でる。
びくん、と萩月の肩が震えた。
「萩月さん、今日は来てくれてありがとう」
萩月は恐るおそる顔を上げる。
「ずっと一人で抱え込んで、大変だったわね。大丈夫、私も娘も、あなたを責めたりしない」
怯えて硬直していた萩月の表情が少しずつほぐれていく。
「あなたは悪くないわ」
「ぁ……、ありがとうございます」
萩月はまた頭を下げる――途中、くしゃくしゃになった横顔が見えた。
うつむいて顔を隠す萩月を、おばさんは優しく見つめている。
今日の柊家訪問。
萩月にとっては清水の舞台から飛び降りるような決心だったと思う。
だけど僕は十中八九、こういう結末になるだろうとわかっていた。
おばさんには昨日のうちに萩月のことを話していたし、真名佳からも中学時代の親友ということは伝わっていたはずだ。おばさんが萩月に感謝することはあっても、責めることはない。
そこまで把握していてもなお、僕は心の底からホッとしていた。
いくら予想ができても、実際にたどり着くまでは安心できないのだ。
僕のような小心者は、特に。
「今日は、ありがとうございました」
やがて泣き止んだ萩月は、すっきりした顔で礼を言う。
「いいえ、こちらこそ。また遊びに来てね」
「はい、また……」
せっかく晴れやかだったのに、すぐにトーンダウンしてしまう。
真名佳と会うことを考えたらやはり不安があるのだろう。
さすがに今日はそこまで解決はできなかった。
また次だ。萩月は一歩踏み出したのだから、いくらでも機会はある。
「どうも、お邪魔しました」
二階へ続く階段をちらりと見てから、軽く頭を下げる。
帰ろうとドアノブに手をかけたところで、
「……って」
遠くから声が聞こえた。
「え?」
萩月にも聞こえたらしい。足が止まる。
「……待って」
ふたたび声。
今度はよりはっきりと。
声の出処はすぐにわかった。
「――行かないで、恭ちゃん、つぐみん!」
階段と天井の境目あたりから顔だけ出して、真名佳がこちらを見ていた。




