26.彼女は怒られたい
話を聞き終わった僕には後悔しかなかった。
真名佳が酷い目に遭ったという〝情報〟を伝え聞いて、手遅れだとわかっているのに、何も知らなかった当時の自分をぶん殴りたくなる。
「――ごめん。全部あたしが悪い」
萩月がぶっきらぼうな口調で謝った。
基本的にいつも敬語だったから新鮮に聞こえる。
こっちが本来の萩月なのだろうか。
「いや……、萩月はむしろ真名佳の味方だったと思うけど」
これはフォローではなく、話を聞いて素直にそう感じたのだ。
真名佳のがんばりが無駄にならないよう、クラスメイトに協力を頼んでくれた。
萩月は真名佳の味方だった。
……そもそも、真名佳の味方は萩月だけだった。
「この前、椿井さんの小説のことでトラブったことがあったでしょ」
萩月はまったく違う話を始める。
「え……? ああ」
「あのときもあたしは何もできなかった」
「話が見えないんだけど……」
「柊さんのときは何もできなくて、そのときはすごく落ち込んで、反省して、同じことは繰り返さないって思った。次にあんなことがあったときは、ちゃんと止めに入れるようにって。でも……」
萩月はずっと難しい顔でしゃべっていたが、ふと言葉を止めて、口元をゆるめた。わずかな希望が完全に潰えてしまったかのような、あきらめの表情。
「……そのときが来たのに、何もできなかった。怖くて身動きが取れなかったの。反省はただのフリだったみたい。あたしは何も変わってない」
「いや……、つらいことを話してくれて、助かった。ありがとう」
的外れなことを言っているなという自覚はあった。
だけど、ひどく落ち込んでいる萩月にどう声をかければいいのかわからなくて、コミュニケーション能力の低い僕には、無難な感謝の言葉くらいしか出せる手札がなかった。
「どうして――」
萩月は静かにつぶやく。唸るような低い声で。
「――なんでお礼なんて言うのよ。ここは怒るところでしょ? あたしは、あなたの大事な幼なじみに、取り返しのつかないことをしたのに」
「だから、それは萩月のせいじゃない――」
「――もういい。先、行くから」
萩月はこちらの言い訳をさえぎって席を立ち、足早に出口へ歩いていく。
椅子を引いて立ち上がる一連の動作が乱暴だったのは、やはり怒りのせいか。
萩月がどうして怒っているのかはよくわからないが、それでも怯えられるよりはずっとましだ。
怒っている人間は、やんわり相手をしていればだんだん落ち着いてくる。
しかし、おびえている人間には気を使わないと、妙な方向へ拗れてしまう。
当然、前者の方が楽だ。
萩月が図書室から出ていくと、反射的にため息が出た。
教室へ戻ってまた顔を合わせるのも気まずいので、昼休みが終わるまで時間を潰そう。ゲームでもしようかとスマホを取り出したところで、今度は本棚の方から足音がした。
他に人がいたのか。
「面白いことになってんな」
現れたのはギャル小説書きの椿井だった。
確かに昼休みはよく図書室にいるが、よりにもよってこのタイミングでなくてもいいのに。
「どこから聞いてたの」
「詳しいことはなんも。小説の参考になるかもなーって思いながら、痴話ゲンカの雰囲気だけ感じてたとこ」
「つまり僕たちが原作の小説が……?」
「ギャラはねーぞ」
軽口を叩き合っているうちに、椿井は椅子に座った。
僕と同じテーブルではなく、その隣に。背中合わせのようなかたちになる。
「椿井?」
「取材、続けてやるよ」
悩みがあったら聞いてやる、の意味だろう。
え、なんかやさしい……。
陰キャにやさしいギャルは実在したのか……?
椿井の態度への戸惑いと、相談の内容を整えるのとで、数秒ほど沈黙。
「昔の失敗ですごく落ち込んでるのをなぐさめたら、やさしくするなと逆に怒られたんだけど」
個人名を出さず、なおかつシンプルにまとめた相談。
それを聞いて、椿井はしみじみと言った。
「やさしさにもいろいろあるからなぁ」
「厳しさはやさしさの裏返し、みたいな話?」
「やさしいフリして聞き流してるだけ、とかな。お前のやさしさが上辺だけで踏み込みが足りないから、それに気づいて怒ったんじゃねえの?」
「それって、萩月はもっとかまってほしかったってこと?」
「彼氏に構ってほしくない女はいないだろ」
「そういう気分じゃないときだってあるかもしれないし……」
萩月は真名佳のことで責任を感じて自分を責めていた。あれはかまってくれるのを待っているような、そんな甘えた感じではないと思う。
「強引に来てほしいときもあるんだよ」
「わかりにくい……」
「ツンデレが廃れたのは男の読解力不足のせいだな」
はっはっは、と椿井は笑う。他人事だと思って気楽なものだ。
なんというか、解決の糸口すらつかめない相談だった。
椿井はこんな取材で何か収穫があったのだろうか。
午後の授業でも考えるのは二人のことばかりだった。
早く真名佳の様子を見に行きたいが、行って、会って、何を話せばいいのかという悩みもある。
頭の中で延々と、真名佳を傷つけずに済むような接し方のシミュレーションを繰り返した。
萩月はこちらの話を聞いてくれるだろうか。
真名佳のことは萩月のせいじゃない、気にするな――そうフォローしてもまた怒られるだけだろう。
だったら『お前のせいだ、許さない』と責めれば萩月の罪悪感は和らぐのか。
悩んでいるうちに放課後になり、萩月の席を見るとすでに彼女の姿は消えていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
真名佳とはアプリでしかやり取りができなかった。
萩月とはそもそも連絡がつかなかった。
二人への態度が定まらないまま日付が変わる。
その間に、事態は思わぬ方向へ進んでいた。
翌朝、ホームルーム前の教室はざわついていた。
活気のある騒がしさではない。
どんよりとした、重苦しいざわつきだ。
白いシャツに落ちた黒いシミが、じわじわと広がっていくみたいな。
萩月はいつもどおりすでに席についている。
窓の外を向いているせいで、どんな顔をしているのかは見えない。
ただ、教室のざわつきは明らかに萩月を取り囲んでいた。
「あっ、おはよ、しっきー」
榎本が僕を見て近づいてきた。
彼女の様子にも違和感がある。
いつもは朝陽のごとく快活な声なのに、今日はトーンを一段落として、自分の声が響かないように気を遣っていた。病院や葬儀場でそうするのと同じように。
「おはよう、榎本さん。……どうしたの」
「これ見て」
榎本は一枚のプリントを差し出す。
そこには太字の明朝体でこう記されていた。
〝萩月つぐみは犯罪者だ〟
――と。




