25.彼女の昔話
真名佳は萩月のことを『つぐみん』と呼び、
萩月は真名佳のことを『まなてぃ』と呼んだ。
数年来の友人同士のような、深い親密さを感じる呼び方だ。
しかし、ちょっと待ってほしい。
二人はいつ知り合ったのか。
萩月を見ると、目が合うのを避けるように顔をそむけた。
真名佳を見ると、顔色が真っ青になっていた。
うつむいて胸元を押さえ、呼吸が荒くなっている。
「――真名佳?」
呼びかけには応じず。
ふらりと身体が揺れて、倒れそうになる真名佳。
つないでいた手を引いてどうにか持ちこたえた。
軟着陸させるように、ゆっくりとしゃがませる。
「ま――、柊さん……!?」
いつもは淡白な萩月が、めずらしく慌てて真名佳に歩み寄ろうとする。
だが、それはだめだ。
僕は真名佳を隠すように、萩月の前に立ちはだかった。
二人の関係や事情は何も知らないが、真名佳の反応を見ただけでわかる。
萩月の存在は真名佳に毒だ。
そばに居させることはできない。
「……頼みがある。三組の担任に、柊は都合が悪くて登校できなくなったと伝えてほしい」
自分を遠ざけるための方便だとわかっているのだろう。
萩月は悔しそうに目を細めていたが、やがてため息をついて背を向けた。
「わかっ……わかりました。伝えておきます」
「――気にしないで」
立ち去ろうとする萩月の背へ向けて、真名佳が掠れるような声で言った。
「つぐみんは、何も、悪くないから……っ」
「……ごめんなさい」
萩月は短く言い残し、振り返ることなく校内へ入っていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
真名佳のことは、迎えにきたおばさんに任せた。
学校へ戻り、まったく集中できないまま午前中の授業を終える。
萩月は一度も僕の方を向かなかった。それはもう不自然なほどに。
それでも昼休みになると、図書室への呼び出しには応じてくれた。
「遅くなってごめんなさい」
「いや、そんなに待ってない――」
声をかけられて視線を上げる。
萩月の顔を見て、一瞬、言葉に詰まった。
彼女が僕を見る目には、明らかな怯えがあった。
これまで僕たちの関係は対等なものだったと思う。
むしろ僕の方が若干、下に見られていたかもしれないが。
上下や主従はなく、互いに遠慮なく物事を言い合ってきた。
それが、今は。
「……座らないの?」
「え、いや、あたしは……」
「ははぁ、僕みたいなのは上から見下ろすくらいがちょうどいいってわけか」
「あぇ、そっ、そんなつもりじゃ」
萩月はあわてて椅子を引いて、あちこち身体をぶつけながら着席した。
今のはもちろん冗談だし、そうとわかるように笑いながら言ったつもりだ。
それでも萩月はこっちが申し訳なくなるくらい、おどおどと怯えた反応をする。
今朝の一件で気が立っているのは確かだ。
萩月にどう接したらいいのか、まだ迷っている部分はある。
それでも、こんな風にビクつかれるのはつらい。
「真名佳と僕は幼なじみなんだ」
できる限りいつもどおりの声で、そう切り出した。
「真名佳が引きこもりになってから、ときどき様子を見に行ってたんだけど、最近になって、ようやく外へ出る気になった。今朝が登校初日だった」
初日からつまずいた責任を問われているとでも思ったのか、萩月はうつむいて背中を丸める。
「真名佳と萩月はどういう関係なの? あの反応は、赤の他人じゃ有り得ない」
萩月はうつむいたまま、テーブルの表面をじっと見つめていた。
十秒、二十秒と時間が過ぎていき、三十秒を超えたあたりでやっと口を開く。
「……あたしと柊さんは、中学で同級生だった。3年の、柊さんが登校拒否になったときの」
「僕は、そうなった詳しい事情を知らないんだけど」
知らないから教えてほしい――遠回しな要求に、萩月はまた十秒ほど黙ってから、ぽつりぽつりと話を始めた。
真名佳がすり減っていく話を、僕は聞いた。
柊さんはクラス委員長だった。
真面目で頭が良くて、言うことは正しくて……。
だから、ちょっと鬱陶しがられてた部分はあると思う。
って言っても、普段から取り締まりとか注意とかしてたわけじゃない。
むしろ、そういうところはうまくスルーしてたかな。
問題が起こったのは、文化祭の準備が始まってから。
出し物でクラスの意見がまとまらなくて。
委員長をやってた柊さんが、たまりかねて実行委員の代わりをやり始めたの。
やる気のない子が多かったから、出し物の準備も不参加が多くて。
それを全部、柊さんが肩代わりした。
朝は誰よりも早く学校に来て、帰る時間はどの運動部よりも遅い。
授業中は内職をしているか、そうじゃないときは居眠りしてた。
なに必死になってるんだ、みたいな陰口も言われた。
それでも柊さんはがんばって――
当たり前なんだけど、体調を崩した。
いちばん重要な直前の数日間、学校を休んでしまった。
それでも、文化祭の準備は間に合ったの。
クオリティはともかく、出し物が中止になることはなかった。
あたしがみんなに呼びかけたの。
柊さんだけに任せてていいのかって。
いままで柊さんがやってくれた分、今度はあたしたちががんばろうって……。
――そこで萩月の言葉がいったん途切れた。
おかしな雰囲気だった。
やる気のないクラスメイトに呼びかけるなんて、すごく勇気のいる行動だ。
もっと堂々と語っていいことだと思う。
それなのに、当人である萩月は痛みをこらえるような顔をしている。
「……萩月?」
「ごめん、大丈夫だから」
萩月は弱々しく笑い、続きを語りだす。
展示のクオリティは、正直いって完成にはほど遠いものだったけど……、自分たちが完成だと主張すれば一応は完成だから。内輪のイベントだし、でき栄えなんてあまり気にしてなかった。みんなだらだら作業してたけど、それでも、なんとか形にはなったって感じ。
文化祭の当日、病み上がりで登校してきた柊さんは、泣きそうな顔をしてた。
こんな雑なものしかできなかった恥ずかしさ。
途中で抜けてしまった申し訳なさ。
そんな立場だから何も文句を言えない情けなさ。
いろいろ抱え込んだ顔だった。
それでも柊さんは、文化祭が終わったあとで、みんなに謝ったの。
すごいと思った。
あたしにはとてもできない。
本当に、真面目で律儀なんだなって。
でも、クラスの連中は最低だった。
自分たちの方こそ手伝えなくて悪かった、みたいな反省の空気は一切なくて。
それだけならまだよかったんだけど。
最低だったのはここからで。
あたしがみんなに声をかけたとき、協力を申し出てくれた女子のグループがいたの。その子たちは柊さんを嫌ってたけど、それでもクラスの緊急時だから力を貸してくれたんだって、好意的に思ってた。
あたしは鈍感だった。
あたしが振り絞った勇気は、あいつらに利用された。
女子グループのリーダーが、柊さんに言ったの。
あんたが居ない方がよかったね、って。
意地張って体調崩すとか、がんばってる子アピールしすぎ、って。
最初からあたしらでやってた方が、よっぽど早く終わってたし、って。
それを聞いて、周りの子たちが笑うのを、あたしは止められなくて――
人のプライドがぐちゃぐちゃになる瞬間の顔、一生忘れられないと思う。
次の日から、柊さんは学校に来なくなったの。




