02.彼女との契約
先に降りていった萩月は、校舎の外、校庭の片隅で僕を待っていた。
「えーと……、なんであんな嘘を?」
こちらに背を向けている萩月へ、僕は率直にたずねた。
そう、嘘である。
僕と萩月は付き合っていない。
友達とも呼べないような、ただのクラスメイトなのだ。
だから、さっきのあれは彼女のでまかせ。
萩月つぐみは遼の告白を断るために、僕の名前を使って嘘をついたのである。
「――ごめんなさいっ!」
萩月は振り向きざまに頭を下げた。
顔を上げたらメガネがズレていて、それほどに素早いおじぎだった。
「あの、や、やっぱり迷惑でしたよね、あたしみたいな陰キャ地味女に、付き合ってるなんて名前を出されるの、ごめんなさい本当に――」
萩月はやたらと早口だ。動揺するにもほどがある。
告白されていたときの方がまだ冷静だったんじゃないだろうか。
「まあまあ、ちょっと落ち着いて」
とネガティブで自虐的な話に割り込む。
「迷惑とかじゃなくて、理由が知りたいんだけど」
「り、理由ですか。それは……、実はあたし、式守君が――」
萩月はうつむきながらボソボソと言葉を紡ぐ。
まさかとは思ったが、やはりそういうことなのだろうか。
ああいう状況で名前を出してしまうのは、普段から意識している相手だから。
つまり、萩月は僕のことを――
そういう風に思われるのは悪い気はしない。
だが、僕はいま女の子と付き合うつもりなんてなかった。
人づきあいが増えるのは面倒くさい。
あと女子が苦手だ。
しかし、断り方がわからない。
自分、今まで告白とかされたことないんですよ。
「――見えたので」
「見えたので?」
「はい、天原君の告白をどうやって断ろうか考えてたら、入口からのぞき見してる式守君が見えたので、ついうっかり名前が出ちゃったんです」
「あそう……」
平静を装って短く返事をしたが、内心ではクッソ恥ずかしかった。
いま女の子と付き合うつもりなんてない?
人づきあいが増えるのは面倒くさい?
いったい何様のつもりなのか。
孤高を気取る中二のごときニヒリズムは、的外れの勘違いだった。
高二にもなって中二病、三年遅れの自意識過剰野郎、それが僕だ。
恥ずかしいやつめ。
「式守君? どこか痛いんですか? そんな苦しそうな表情を浮かべて……」
「いや、大丈夫。身体はどこも悪くないから」
「そうですか」
僕は胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。
そのうちに萩月の方も落ち着くことができたようだった。
「それで、さっきの話ですけど、しばらく口裏合わせを……」
お願いできませんか? と萩月は顔の前で両手を合わせる。
勘違いに気づいて冷静になったものの、面倒ごとが片付いたわけじゃない。
「やっぱり、嫌、ですよね」
返事に迷っていると、萩月は表情を曇らせた。
「偽装とはいえ、あたしみたいな地味女と付き合うなんて、式守君のプライドが傷つきますよね」
「いやそこまで言ってねえよ……」
「でも嫌そうな顔になりました」
「嫌っていうか、放課後はあまり時間がないんだ。付き合うふりに付き合うヒマがない」
「あっ、それなら大丈夫です。学校の中でだけ、そういう関係を装ってくれたら」
「……そう?」
提示された条件のゆるさに、少し気が軽くなる。
「はい、だって放課後デートなんて、あたしたちみたいな陰キャぼっちには似合わないですし」
陰キャぼっちという自虐ワードだが、サラッと僕も含まれていた。
「あ、ああ、なるほどね?」
「なので、お願い……できませんか?」
自称陰キャぼっちの萩月は、ちょこんと首をかしげつつ、上目遣いでこちらを見つめてくる。
そんなかわいらしい仕草でお願いされると、はっきりとは断りづらい。
「まあ、校内だけってことなら」
「本当ですか?」
「それに、偽装してみせる対象は遼だけなんだよね。他の連中に向けて、おおっぴらに付き合ってるアピールする必要はない」
「はい、もちろんです。目立ちたくないので」
陰キャぼっちであることに誇りがあるのか、萩月は堂々とうなずいた。
「それくらいなら、まあ……」
「――ありがとうございますっ」
萩月は感極まったのか、一歩踏み込んできて僕の手を取る。
そして両手で包み込むようにして手を握った。
なにこれやわらかい。
陰キャぼっちを自称していても、その手はしっかり女の子のやわらかさだった。陰キャはボディタッチなんてしないものだと思っていたが、女子はそうでもないんだろうか。あと近い。陰キャの距離感じゃねえよこれ。
「ちょ、手、近……」
と僕が陰キャのリアクションのお手本を見せると、
「あっ、ごめんなさい」
萩月はあわてて手を離して後ろに下がる。
「うれしくて、つい……」
そう言って下を向く萩月。顔が少し赤くなっている。
かわいい。
うっかりそう思ってしまった。
おかっぱ頭に黒縁メガネという、こけしのごとく地味な外見なのに、仕草がいちいち小動物めいていて、庇護欲を刺激されるタイプのかわいさだ。
クラス委員長という記号めいた存在とは違う。
ひとりの女子として、僕が萩月つぐみを認識した瞬間だった。
「あの、お互いを知るためにも、今日だけ、どこかへ寄り道していきませんか? ニセの恋人として、話を合わせないといけないですし」
そんな彼女が勇気を振り絞って、ちょっと大胆な提案――否、〝お願い〟をしてくる。
健気な姿に心が揺れた。
面倒ごとにしか思えなかったニセ恋人が、ひょっとしたらそれほど悪いものではないのかもしれないと考え直してしまうくらいには。
しかし僕にはそのお願いを受けられない事情があった。
「あー、ごめん、放課後は本当に時間がないんだ」
そうはっきり断りを入れると、萩月は目を丸くして、またうつむいてしまった。
「……ですよね調子に乗っちゃってごめんなさい。あたしみたいな地味女と放課後を共になんてしたくないですよね」
さっきまでのかわいさはどこへやら。早口で自虐するネガティブガールへと急転直下である。
なんだこれ、やりづらいな……。
どうフォローすればいいのか戸惑っているうちに、萩月はもう心の整理がついたのか、ゆっくりと顔を上げた。その表情はいつもの平坦なものに戻っている。ただし、
「じゃあ、せめて連絡先を交換してくれませんか?」
という声はまだトーンが低い気がした。
その落ち込んだ様子には心が痛むが、こっちに時間がないというのは本当だ。
なぜならさっきからポケットの中のスマホが十数秒おきに振動して、メッセージの着信を伝えている。
ポケットの中で1分おきに震えるスマホに着信するメッセージたち
まなか > 授業終わった?
まなか > 用事があるの?
まなか > 寄り道してるの?
まなか > 友達と一緒なの? 別にいいけど
まなか > 来ないなら来ないって連絡くらいして
まなか がメッセージを取り消しました
まなか がメッセージを取り消しました
まなか がメッセージを取り消しました
まなか がメッセージを取り消しました