19.彼女は子供の扱いがうまい
しばらく人混みに流されるように歩いていたが、不意に萩月の動きが変わった。
通行の妨げならないよう、通路の脇へ寄って立ち止まる。
「どうしたの」
「式守君は、もう大丈夫ですよね」
萩月は絆創膏をはがすように、静かに尋ねてくる。
「おかげさまで」
「ひとりでも生きていけますよね?」
「確認が重い」
「別の〝善行〟をしてもいいですか?」
「そりゃ大丈夫だけど、何をするの」
「あの子――」
萩月の視線の先には、きょろきょろと不安そうにあたりを見回している女の子がいた。
年の頃は4~5歳くらいだろうか。
「迷子だと思うのでちょっと声をかけてきます」
「ちょっと待った」
一歩踏み出そうとした萩月を呼び止める。
「なんですか」
「こいつを持っていくといい」
僕はポケットからアメ玉を取り出した。
小さな子供は甘いお菓子で釣る。これは世界の常識だ。
「……何のために常備してるのかは、聞かないでおきます」
汚物を見るような視線を残して、萩月は女の子のところへ向かった。
僕はアメ玉をそっとポケットに戻すと、萩月と女の子のやり取りを見守ることにする。
「お嬢ちゃん、どうしたの? パパとママは?」
萩月は声をかけつつ、女の子の目の前でしゃがみ込んだ。
目線の高さを合わせて身長差をなくし、警戒心をやわらげるテクニックである。
萩月め、なかなか子供の相手に慣れているな。
女の子は声をかけられた瞬間こそビクついていたが、萩月の落ち着いた雰囲気のおかげか、すぐに心を開いていったようだ。
「はぐれちゃったの?」
女の子はぶんぶんと左右に首を振った。
「ううん。いつかね、パパとママをふたりきりにしてあげたの」
「そっか、やさしいんだね」
「おやすみの日におもうぞんぶんラブラブするといいの」
「パパとママ、なかよしなんだ」
「うんっ」
女の子はこくりと縦に首を振る。
「いつか、きがきいてる?」
こてんと首をかしげて、つぐみお姉ちゃんに甘えるような問いかけ。
さっきから話の中に何度か〝いつか〟という単語が出てきて哲学かなと思っていたが、どうやらあの子の名前らしい。
「利いてる利いてる」
萩月は楽しげにうなずきを返す。
なんてやさしい笑顔なんだ。
ニセ彼氏の僕はニセ彼女のあんな表情を見たことがない。
「いつか、えらい?」
「うん、とっても偉いよ」
「――いいや、偉くない!」
ユートピアのようなゆるみ切った空気を引きしめるべく、僕は二人の間に踏み入った。
「ひゃっ!」
いつかちゃんは素早い動きで萩月の後ろに回り込んでしまう。
「式守君、このバカ!」
萩月はこちらを睨みつけてストレートな罵倒。
「いつかちゃんが怖がってるでしょ? 余計なことしないで」
「お、おねーちゃんもこわいよぉ……」
いつかちゃんは萩月のスカートをつかんでプルプルと震えている。
「あっ、ごめんね? 大丈夫よ、この変質者は口だけの軟弱者だから」
萩月はしゃがみこんで、よしよし、といつかちゃんの頭を撫でながら、やさしい声音でえぐいことを言う。それ安心させるために言ってるだけだよね? 本心じゃないよね?
「さて、式守君。どういうつもり……ですか」
いつかちゃんを落ち着かせると、萩月はゆっくりと立ち上がった。
こちらを睨んだまま腕組みをした威圧のポーズ。
小柄な萩月がいつもより大きく見える。
「……いつか、えらくない?」
萩月のスカートをぎゅっと握ったまま、瞳を潤ませてこちらを見上げてくるいつかちゃん。おびえさせてしまったようで申し訳ないが、あのまま話を進めるわけにはいかない。ここは厳しさが必要なのだ。
とはいえ、幼子の上目遣いは罪悪感がすごい。
しゃがみ込んで、いつかちゃんと視線の高さを合わせる。
「いつかちゃんがパパとママのためを思ってるのはよくわかる。それはえらい」
「……うん」
「だけど、パパとママを二人きりにしたのはえらくない」
「……ぐすっ。……なんで?」
鼻をすするいつかちゃん。
非常に心が痛むが、最後まで話せばわかってもらえるはずだ。
「パパとママが本当に二人きりでラブラブしたいときはね、公園なんかじゃなくラ――ぶほぉっ?」
頭上からの衝撃によって言葉が途切れた。
萩月が肩にかけていたポーチを僕の脳天に食らわせたのだ。
「小さな子に妙なことを教えないでください」
萩月はポーチを鎖鎌のようにひゅんひゅんと振り回し、アサシンのように冷たい目で僕を見下ろしている。余計なことを言えばもう一発食らわせますよという警告だった。
「……パパとママはね、いつかちゃんと仲良くしたいから、公園に来たんじゃないかな」
「いつかも?」
「そう。パパとママといつかちゃん、親子三人で遊びたかったんだよ」
「……いつか、よけいなおせわ?」
「大丈夫。ちゃんとお話すればわかってくれる」
口だけの軟弱者の言葉だけではまだ不安なのだろう。
いつかちゃんは背中を押してもらいたそうな顔で萩月の方を振り返った。
萩月はゆっくりとうなずいて、手を差し出す。
「パパとママを探しに行こっか?」
「……うんっ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇
その後、迷子センターへ向かっている途中でいつかちゃんのご両親を見つけて、無事に親子の再会は果たされた。
萩月も〝善行〟を二つこなして目的は達成し、もうこの場所に用はない。
しかし、歩き回った疲れのせいかすぐ帰る気にもなれず、体力が回復するまでベンチでひと休みすることになった。
「いつかちゃんのご両親、若かったですね。大学生くらい?」
「だね……」
「お母さんの方、すごい美人でしたよね……」
「そうだね……」
「でも、よかったですね、お父さんの方は見た目は普通だったので」
「どういう意味?」
「だって、式守君みたいな平凡な陰キャでも、ワンチャン美人の奥さんをゲットできるってことじゃないですか」
「いや、僕が美人とか美少女とかを敬遠したいタイプだってことはわかってもらえてると思ってたんだけど」
「……そうですね、お互い様でした」
天原遼を振ってしまうようなやつにそんなことを言われたくない、という気持ちが通じたのか、萩月はあっさり引き下がる。
「それにしても、小さな子供はすごいね」
ぽつりとつぶやくと、萩月が腰を浮かして遠ざかった。
「とうとう性癖を隠さなくなりましたか……」
「いや、そういう意味じゃなくてね?」
「じゃあどういう意味ですか」
「いつかちゃんのご両親を探しているあいだは、いつかちゃんを不安がらせないようにって、柄にもなく明るく振る舞ってたなと思って」
誰かのために自分を大きく見せるなんて、ここ最近したことがなかった。
明るいキャラを演じるのは精神的に疲れるが、その疲労感を悪くないと思っている自分がいる。
「ひきこもりなどの精神的に弱った人の治療で、子供や小さな動物と接するというプログラムがあるって知ってますか?」
萩月は急にそんな話を振ってきた。
真名佳のことがあってその手の情報は調べていたので、いくらかの知識はある。
でも、それをひけらかすのも妙な気がして、知らないふりを通すことにした。
「いや、初耳」
「その効果は式守君が身をもって経験したとおりというわけですね」
「癒しみたいなもの?」
「対人恐怖の克服、じゃないですか? 少しずつ接する相手を大きくして、慣らしていくそうですよ」
「……萩月って友達いる?」
ふと気になって尋ねると、案の定、萩月はむすっとした。
「この話の流れでどうしてそんな質問になるんですか。急に小難しい話を始める地味女に友達なんていないだろう、とでも言いたいんですか。失礼ですね。いませんけど」
やっぱりいないのか。
「ごめん、悲しいことを聞いて」
「なんのための質問ですか。あたしに恥をかかせたかった?」
「いや……、うーん、なんと言えばいいのか……、まあそのうち話すよ」
その場は言葉をにごして明言を避けた。
僕自身、質問をしたあとで自分の考えに気づいたくらいで、まだはっきりまとまっていない。
変化を好まない陰キャの主義には反するが、現状維持が正しくないことはわかっている。
わかっていても、何もせずに一年半も停滞していたのだ。
そろそろ、動き出さないと。
だけど、急な動きは負担が大きい。
少しずつ慣らしていく。
リハビリ。
その相手にちょうどいい、圧の低い人間がここにいるじゃないか。
――萩月に、真名佳の友達になってほしいと思った。




