17.彼女を重ねていた
「ま、ニセ恋人なら仕方ないけど」
どうしてそれを榎本が知っているのか。
思わぬ方向から秘密を暴かれて、返事に詰まってしまう。
こうなったら、人混みのせいで聞こえなかったフリをするしかない。
「ね、しっきー」
ところが榎本の動きは早かった。
音もなく近づいて、もういちど問いかけてくる。
「なんでニセ恋人なんてやってるの?」
僕の肩に手を置いて、顔は目と鼻の先。
瞳の大きさがはっきりわかる。
さっきの挑発的な態度から一転して、一気に距離を詰めてくる。
その近さには陰キャでなくとも挙動不審間違いなしだ。
「ちょ、ま、近いって榎本さん」
「ね、なんで?」
「なんのことやら……」
「誤魔化してもだーめ」
反対側から指で頬をつんと突かれる。
この陽キャ特有のスキンシップ……!
翻弄されている感……!
「最近、休み時間にりょーと二人でこそこそ話してるでしょ? それが気になって気になって……、近寄ったら話の内容が聞こえちゃったわけ」
ぐうぜん小耳に挟んだ、みたいな口ぶりだが、断じてそんなことはない。
× 近寄ったら聞こえた
〇 聞こえるまで近寄った
に訂正してやりたい気持ちでいっぱいだったがノーコメント。
陽キャには何も言えないのが陰キャなのだ。
僕は観念して、すぐそばのベンチに腰かけた。
飛んでくるであろう質問に答えるためだ。
萩月の個人情報を遼にリークしたり、今後の方針について話し合う、通称〝反省会〟――あれを聞かれていたのなら、言い訳のしようもない。
こちらのあきらめを見抜いてか、榎本はにこりと笑って隣に腰かける。
肩が触れそうな距離感はもうこれ逆セクハラじゃない?
「実際に見るまでは、ちょっと半信半疑だったんだけどねー」
「なな何が……?」
「さっきの別れ際」
榎本は僕の顔を指さす。
「しっきーもいいんちょも、自分のカレカノが異性と二人きりになるっていうのに、嫉妬とか不安とか、そういう感じがなかったから」
「……なるほど」
萩月の態度はちょっとどうかと思っていたが、僕も同レベルだったらしい。
人間関係が上手じゃないから、他人に見られていることを忘れて、こんな初歩的なミスをしてしまうのだろうか。
「で、さらにわかんないのは、しっきーのやってること」
問いかけの瞬間、榎本の視線が鋭くなった。
その理由はよくわかる。
遼を好きな彼女にとって、萩月と遼をくっつけようとしている僕は、恋路の邪魔者だ。敵視されても仕方ない。
「ニセ恋人の裏で、りょーといいんちょをくっつけようとしてるのはなんで?」
「そりゃあ友達の恋路に協力を」
「でも、いいんちょの気持ちには反してるでしょ?」
ありきたりな言い訳に反論をかぶせられる。
榎本の言うとおりだった。
僕の行いは、萩月の気持ちを無視している。
萩月は遼のことが嫌いなわけではないと思うが、それ以前の問題として、釣り合いの取れていない相手と付き合うつもりがないのだ。
それに何より、先ほどはっきりと釘を刺されてしまった。
『あたしと天原君の仲を取り持とう、なんて考えないでくださいね』――と。
このままでいいのだろうか。
悩んで迷って追い詰められて。
逃げるように僕は、自分でもよくわからない気持ちを言葉にしていた。
「萩月の気持ちに反することを、萩月のためにと思ってやってるんだ、僕は」
「……どーゆーこと?」
「萩月は地味な子で」
「えっ、うん、そだね」
「自分に自信がなくて、何か不都合なことがあったらそれは全部自分のせい、みたいな思考の持ち主なんだよ」
「内向きなコだよね」
「遼と自分じゃ釣り合わない、恋人なんてふさわしくないと思っている」
「……そこまでわかってて、なんで?」
「そんな萩月でも、遼みたいに誰からも認められるようなやつと付き合ったら、少しは前向きになれるんじゃないかな」
「……うーん」
榎本はあごに手を当ててしばらく考え込み、
「しっきーって付き合ってる相手を飾り物みたいに考えるタイプ?」
と言った。思ってもみなかった指摘に戸惑う。
「え? いやそんなことは――」
「言ってるよ、ちょー言ってるから。ブランドのバッグを見せびらかしてドヤってるウザい子とか、有名人から〝いいね〟もらったのを自慢してマウント取ってくるペラい子と同レベルだよ」
反論をはさむ隙もなく、榎本の話は続く。
「そりゃ確かにりょーは顔も性格もよくて友達も多いよ? でも、そんな表面だけ見て付き合ったって長続きしないし、何より相手をバカにしてるよ。人として見てない感じがする」
雨あられと降り注いだ榎本の言葉が、時間差でじわじわ心にしみ込んでくる。
付き合う相手を飾り物のように考えるなんて、僕が忌み嫌う安っぽい陽キャそのものじゃないか。
顔の良いやつ、勉強ができるやつ、ファッションセンスの良いやつ――それら価値ある人間の知り合いであることで、自分の価値も上がっているかのように錯覚する、打算にまみれた人間関係。
彼らの生き方を、僕は心の中であざ笑っていたはずなのに。
その連中と同レベルのことを考えていたなんて。
「……ゴメン、言いすぎちった。りょーのこととなるとつい熱くなっちゃう」
榎本がちょこんと頭を下げる。
自分の浅ましさを思い知らされた僕はそれに反応する余裕もなく、ただただ落ち込んでいた。
「で、ショックのところ申し訳ないんだけど、やっぱりしっきーは変」
「……うん」
「いいんちょの気持ちを無視してまで、いいんちょのためになると思って行動するのって、結局、自分のためでしかないと思う」
「…………うん」
「子供の将来のためって言いながら自分の見栄のために習い事を増やす教育ママみたい」
「……あ、」
教育ママ。
その言葉で思い出したのは、真名佳の母親のことだった。
真名佳のひきこもりの、きっかけのひとつを作った人だ。
小学生の頃から真名佳はいくつも習い事をしていた。学習塾に始まり、ピアノに習字、そろばんに英会話、絵画教室にスイミングスクールと、近場の習い事はすべて制覇していたのではないだろうか。
大変じゃない? と尋ねるたびに、真名佳は背筋を伸ばしてこう答えた。
わたしの将来のためだから、と。
母親に刷り込まれた言葉を、自分の言葉のように語っていた。
それでもあの頃はまだよかった。会って話すことができた。
日々の習い事で緊張しっぱなしだった真名佳も、僕と一緒にいるときだけはその雰囲気が和らいでいるようだった。彼女の素顔を見られるのは自分だけなんだと、子供じみた独占欲を満たしていた。
決定的だったのは中学進学だ。
僕はほとんどの同級生と同じように校区内の市立中学へ進学したが、真名佳は通学に一時間もかかる中高一貫の有名私立を受験させられ、見事合格してしまう。
こうして僕と真名佳は、中学進学と同時に離ればなれになった。
家が近所なのだから、会おうと思えばすぐ会える。
そう思っていたし、実際に中一の春先ごろはよく顔を合わせていた。
だけどそれも時間とともに減っていく。
会わない日が連なって、それが日常になっていった。
再会は中三の冬。
閉め切った部屋の中で、真名佳は抜け殻のようになっていた。
そこにかつての利発な女の子の面影はなかった。
記憶の中の真名佳と目が合った瞬間、気づいてしまった。
「そうか、僕は」
萩月つぐみに、柊真名佳を重ねていたのだ。
かつて助けられなかった真名佳の代わりに、萩月を助けようとしていた。
そんな余計なお世話ごときで、何が、誰が助かるというのか。
真名佳を助けられなかった、かつての無力な僕だけじゃないか。
遼のために、萩月のためにと言いながら、本当は自分のために動いていたのだ。
それを自覚してしまった。
「ちょ、しっきー? さっきから様子がおかしいけど」
めずらしく榎本が戸惑いがちに声をかけてくる。
「……穴があったら入りたい」
弱音を吐く相手は誰でもよかった。たまたま隣に榎本がいただけだ。
「お、おう、恥ずかしいことがあったんだね」
「……なければ自分で掘らないと」
「さっきの一瞬でなんでそこまで凹んでるの……」
「……できれば埋まったまま生きていきたい」
際限なく落ち込んでいく僕と、このまま二人きりでいるのは耐えられなかったのだろう。榎本は急いで立ち上がると強引に僕の腕をつかみ、引きずるようにして萩月たちのところへ戻っていった。




