10.彼女をなぐさめる
「相手との釣り合いという意味では、式守君の方が、天原君よりも上なのかもですね」
萩月はうっすらと微笑みながら意味深なことを言う。
「えっ……、何それ。デレ?」
思わずそう尋ねると、萩月はしばらくきょとんとしていたが、
「……は? いやいや、どこがですか」
と大げさに首を振って否定する。
「でも、なんか心を開いてくれた感が……」
「ちゃんと聞いてました? あたしみたいな地味女と釣り合う相手って言ったんですよ。明らかに貶してるじゃないですか」
「えっ、あ、そう……、貶されたのか僕は……」
さっきの萩月は、かすかに、だけど確かに微笑んでいたんだけどな。
そこを指摘してもどうせ否定されるだけだ――と引き下がるのと同時に、ガラリと戸が開いた。
ここは図書室なのでもちろん誰が来てもかまわないのだが、今は僕たちにとって都合が悪い。テーブルの上にはまだ弁当箱やサンドイッチの包装袋がそのままになっているのだ。
あわててそれらを片づけつつ、突然の来訪者に目をやる。
クラスメイトの女子だった。
髪の色は茶髪で、制服のスカートは短い。
ひと言でいうならばギャルっぽい子だ。
名前は確か、椿井礼美。
教師でも図書委員でもなかったことに安心し、僕たちは顔を見合わせてホッとため息をつく。
椿井はこちらを見てかすかに顔をしかめると、図書室の奥へ行ってしまった。
「今なんか睨まれてなかった?」
「あたしたちがここでお昼ご飯を食べてたからですよ、たぶん。椿井さんはああ見えてルールを守る人なので」
「その割に服装は校則から外れてる気がするけど」
「スカートも短いですし」
「けしからんね」
それはぜんぜん問題ないんだけど。
椿井は本を何冊か持って戻ってくると、机に座って読書を始めた。
表紙はよく見えないが、大きめのハードカバーで、少なくともマンガ本ではなさそうだった。
「ああ見えて読書家なのかな」
「教室ではスマホばかり触ってますけど」
「普通の女子高生だ」
「はい、普通です」
「今は一人だけど友達は?」
「いつもは4人組でつるんでますよ」
「友達には秘密の行動ってことなのかな」
そんな風に噂話をしているのが聞こえたのか椿井が本を置いてこっちを睨んだ。
「おい」
「ひっ」
と反射的に声が出てしまったのは僕だ。
萩月は平然としている。
「図書室では静かにしろ」
威嚇ではなく、純粋なる注意だった。
「ごめん」
「ごめんなさい」
僕たちはそろって頭を下げる。
「チッ」
椿井は舌打ちを残して読書を再開した。
小声で話していたのにそれでも聞こえてしまうとなると、もう図書室から出た方がいいかもしれない。そう提案しようと萩月を見ると、何やらスマホを操作していた。
僕のスマホが振動した。
萩月からのメッセージだ。
つぐみん > 陰キャの数少ない長所である静かさすら失ってしまったわたしたちに
価値はあるのでしょうか
しきもり > 卑下が過ぎるよ
つぐみん > しかもあちらはギャル。騒いでなんぼの存在です。
それに負けるなんて。
しきもり > じゃあこっちは陽キャにでもなる?
つぐみん > 嫌です
あまりの即答っぷりに、僕は思わず顔を上げた。
萩月がどんな表情をしているのか気になったからだ。
『なんですか?』とでも言いたげに首をかしげる萩月。
その様子におかしなところはない。
それでもさっき感じた違和感が気になった。
〝嫌です〟
たった三文字から、シンプルゆえに強い意志を感じたのだ。
踏み込んだ話をしても大丈夫だろうか。
迷っていると、不意に校内放送が流れた。
『2年1組椿井礼美、職員室に来なさい。2年1組椿井礼美、職員室に来なさい』
非常にシンプルな内容で、高圧的な感じすら受ける呼び出しだった。
椿井は天井を睨みつけて舌打ちし、読書を再開する。
呼び出しを無視するつもりだろうか。
「あの、椿井さん?」
萩月が恐るおそる声をかけた。
「なんだよ」
「職員室、行かないんですか」
「お前には関係ないだろ」
椿井の対応はあまりに素っ気ない。
弱腰の陰キャであれば、なけなしの勇気が引っ込んでしまうところだ。
しかし萩月は退かなかった。
「あ、あたしはクラス委員だから、椿井さんがここにいることを知ってしまった以上、先生に伝えないといけないので……」
教師に言いなりの弱気な生徒の、精一杯の反論。
――のように見えるが、そうじゃないことが僕にはわかった。
恐るおそるの反論に、椿井は再び舌打ちをして立ち上がった。
元の場所へ返却するためか、その手には本を持っている。急いでいるだろうに放置しないあたり、見た目によらず律儀だ。
「あっ、それ、あたしが片づけますから、早く行ってください」
萩月がそう申し出ると、椿井は二秒ほど迷っていたが、
「……じゃあ、頼む」
やがて本をテーブルに置いて、図書室を出ていった。
足音が遠ざかって完全に聞こえなくなると、萩月に問いかける。
「椿井にあんなこと言ったの、クラス委員としての義務感からじゃないよね」
「さて、と」
萩月は質問に答えずに立ち上がると、椿井のいた席に近づいて、残された本を手に取った。
そのまま片づけるのかと思いきや、ぱらりとページをめくり始める。
「……片づけるんじゃなかったの?」
「ギャルのくせに読書なんて、陰キャのくせに本を読まないあたしを馬鹿にしてるとしか思えません。どんな本を読んでるのかチェックしておく必要があります」
萩月はニヤリと口元をゆがめる。
「それが人に言えないような特殊な趣味の本なら、劣等感も少しは和らぎますしね……」
「えっ、なんかクズい……」
あまりに卑屈な理由を聞いて、思わずつぶやきがもれてしまう。
そのために、クラス委員という立場を言い訳にして椿井を追い出したのか。
萩月は少し凹んだようだが、すぐ気を取り直してメガネを持ち上げ、
「ふ、ふん、クズだなんてあいまいな言葉じゃなくて、もっとはっきり言えばいいじゃないですか。他人を見下して自分を慰めるなんて情けないやつだ、って」
自虐が過ぎる。どうしてそんなに自分を追い詰めるのか……。
「情けなくなんてないよ」
「でもクズって言いました」
素直じゃないのが陰キャである。
「情けなくてもいいんだよ」
とおだやかに言い直す。
「他人を見下して悦に入ってもいいんだ。それで気が楽になるのなら、心の中でくらい自由に振る舞ってもいい。常に正しく在れる人間ばかりじゃないんだからさ」
「式守君……」
萩月はあっけに取られたようにぽかんと口を開けていたが、すぐに表情を引き締め、詐欺師を警戒するようなジトッとした目を向けてくる。
「落ち込んでる女子を慰めるのが上手くないですか? 女子と接するのが苦手な陰キャ男子とは思えないんですけど……」
それは一年と半年に渡る経験のたまものだ。
引きこもりの幼なじみが落ち込んで自虐するたびに、ほめておだてて持ち上げて、どうにか立ち直らせてきたのだから。
――そんなの、他人に語ることじゃない。
「実はいつも落ち込んだら自分で自分を励ましてるからさ、フォローする言葉の引き出しは豊富なんだ」
「そうなんですか……」
「生温かい視線やめて」
などと軽口を叩きながらも、話を切り替えるために椿井が残した本を手に取った。
「――は」
そして思わずタイトルを二度見してしまう。
『もうすぐママになるあなたのために』
表紙には丸みのあるピンク色の文字でそう書かれていた。
「……椿井は、ママになるのか?」




