第5話
その日の夜アナスタシアは鏡台の前に座り、従者のマリアンヌに髪を梳いてもらっていた。
「マリアンヌ、貴方はハルキ様についてどう思う?」
「素敵な方でしたね」
「やっぱりそう思うよね!?」
マリアンヌはアナスタシアとら乳母兄弟で殆ど姉妹のように育ち、そのまま幼い頃からずっと仕えている従者だ。
会食の席にも修練場でもアナスタシアの脇にずっと控えていた。
なので『どう』とは勇者かどうかではなく、男性として『どう』かだと言う意図をすぐ汲む事ができた。
「こちらの男性にはいないタイプですね。中性的で憂いがある感じで」
「そうね、そうよね! 勇者って言うからもっと筋肉隆々の脳筋が来るかと思ってたら! 物腰は柔らかいし! テーブルマナーもきちんとしていて所作がキレイだったわ!」
「髪はサラサラ艶々でしたね! どういったケアをすればああなるのか知りたいです!」
「あれは凄いわよね〜私の髪もああならないかしら」
「アナスタシア様の髪もお綺麗ですが…それ以上お綺麗になられると殿方が余計にうるさくなるのではないですか?」
「あぁ、まぁ確かにそれはあるかもね」
美貌について、マリアンヌ相手には謙遜しない。
その美貌とスタイルと地位を目当てにアナスタシアに言い寄って来る男は非常に多いが、皆下心が見え見えでアナスタシアは正直辟易していた。
「その点ハルキ様はあまり下心が見えないわね」
「そうなのですか?」
「顔も胸も見てないわけじゃないけど、他の殿方みたいに厭らしい感じはしなかったわね。ジロジロ見るてくる事もないし」
「そうは言っても『殿方は皆獣だと心得よ』とよく言いますのでお気をつけ下さいまし!」
「やだマリアンヌったらっ」
真剣な顔で言い迫ってくるマリアンヌにアナスタシアは思わず吹き出した。
マリアンヌは自分の幸せを心から願ってくれているのだ。
その気持ちが嬉しかった。
「あとね、名前も家名持ちのようよ」
「家名があると言う事は貴族でしょうか?」
ここロマノイノフ王国では平民には家名がない。
貴族は名前の後に父方の家名か夫の家名を名乗ることになっている。
つまり家名があると言う事は貴族だという印なのだ。
「こちらと向こうじゃしきたりが違うだろうから一概には言えないけど、少なくとも『家』という概念はある筈ね。言葉遣いや所作から教養が感じられるから貧しい家の出ではないのでしょう」
「アナスタシア様、まさか結構本気ですか?」
「だって勇者様と結婚なんて小説みたいで素敵じゃない?」
ロマノイノフ王国は男系継承で過去に女王はいたにはいたが王子がまだ幼い場合など他に王位を継承できる者がいない場合に一時的なものにすぎない。
さらにアナスタシアには四人の兄と二人の弟がいる上に姉も三人いる。
つまりアナスタシアが王位を継承する可能性は限りなくゼロに等しいのだ。
アナスタシアは将来外交の駒としてどこかの国の王子と結婚させられるか、この国の有力貴族と結婚させられるかだろうがどちらにせよ相手がどんな人物であっても本人の希望は加味してもらえない。
もしかしたら凄く年上かもしれないし、ガマガエルの様な醜い容姿かもしれない。
ちょっとくらい素敵なロマンスを想像しても罰は当たらないと思う。
それに勇者が魔王を討伐したあとこの国に留まってくれたら外交にも非常に有利だろうし敵国への抑止力にもなる筈だ。
「でも今回の勇者様は今までの勇者様と様子が違うようですが、本当に大丈夫なのでしょうか? 勇者じゃないと仰ってたのですよね?」
「そうね。伝承では勇者は神からこの世界の知識と大いなる力と与えられて遣わされると言われているけど、ハルキ様はこちらの世界の常識には疎いようだし、特別な力はまだ見受けられないわ。でも初期値も高かったし、ちょっとレベリングしただけでステータスも大きく伸びたわ。あれで勇者じゃなかったら逆に何? って事になるわね」
「無理に召喚した弊害でしょうか?」
「そのようね。神を通さず召喚したわけだから、神からのギフトを受け取れなかったのも不思議ではないわ」
「その…それだと…勇者様が魔王討伐に失敗するという事はないのでしょうか?」
マリアンヌが恐る恐る訊ねるとアナスタシアはフッと黒い笑みを浮かべた。
「そうなったら教会と多くの貴族の反対を押切って召喚を決定したお父様と、召喚を実行したコンスタンチンの責任問題になるわね。それはそれで面白いわ」
「アナスタシア様、実のお父上と従兄弟様に酷くないですか?」
コンスタンチンの父はアナスタシアの母の兄なのでコンスタンチンはアナスタシアの従兄弟にあたる。
ニコラエヴナ侯爵家は代々魔力の高い者か多く高名な魔法使いを何名も排出してきた。
コンスタンチンは王室筆頭魔導師であるし、アナスタシア自身も非常に優れた魔法使いだ。
「それを願ってるわけじゃないのよ。ただ二人が青い顔してるところを想像したら面白いじゃない。でもその可能性は低いんじゃないかしら? あれ程の潜在能力と成長速度があれば、この調子でレベルを上げていけば失敗すると言う事はないでしょう」
「それもそうですね。」
「とにかく今のうちにハルキ様と親しくなっておいて損はないわね」
「魔王討伐後に勇者様と結婚すればこの国にとってプラスなわけですから誰も反対できませんし、アナスタシア様にとっては好みの殿方と結婚できるというわけですね」
「勇者様と結婚したらきっとこの国にずっといられるわ。そうすればマリアンヌとも離れずに済むしね!」
「私はアナスタシア様が他国へ嫁いでもお供致しますわ」
他国に嫁いた場合希望があれば嫁ぎ先の国に自身に仕えていた侍女を連れて行く事はできるが、その侍女は嫁ぎ先でコネが少ないので婚姻できる可能性が低くなる。
その為連れて行くなら年配で既に夫を無くして未亡人になっている侍女を連れて行く事が多い。
だがマリアンヌは例え一生婚姻出来なかったとしてもアナスタシアに付いて行くつもりだった。
それを分かっていて、アナスタシア自身はマリアンヌ自身の幸せも手に入れて欲しいと願っている。
なので他国に嫁ぐのではなくできればこの国で婚姻ができればいいな、と考えていた。
「大丈夫よマリアンヌ、私正直失敗する気がしないもの!」
「そうでございますね。アナスタシア様ほどの女性に言い寄られて無下にできる殿方などいるはずがありません!」
「燃えてきたわ! マリアンヌ! 今日はいつも以上に念入りにお願いね!!」
「お任せ下さい!アナスタシア様!!」
マリアンヌはアナスタシアに毎晩行っている顔面マッサージに加え、泥のパックに薬草を練り込んで顔に塗り付けて行く。
今まで美しすぎて下衆な視線に晒されてきたり、好きでもない男に言い寄られたり、謂れもない妬みをかったり苦労の方が多かったが、ようやくこの美貌の正当な使い道ができた。
二人共アナスタシアの美貌には絶対的な自信を持っていたので、春希がアナスタシアからの本気の色仕掛けに引っかからないと言う可能性をまったく考慮していなかった。
〜次回プチ予告〜
春希の秘密