第45話
春希が以前使用していた部屋は出立した日の状態のままで保存されていた。
急に帰還したと言うのに塵一つ見当たらず、主がいない間も定期的に清掃がされていた事が分かる。
「ハルキ様、お帰りなさいませ」
そう言って春希を出迎えたエレナは目に涙を浮かべていた。
「ただいまエレナ。えーっと、もしかして泣いてる?」
「だって、もしかしたらもうお会い出来ないかもと思っていたので…」
春希自身も元の世界に帰る心積もりだったので、今生の別れは覚悟していた。
でもそれが原因で泣かれてしまうと堪らないものがある。
春希はエレナを優しく抱きしめると頭を撫でた。
おずおずと戸惑い気味にエレナの手が春希の背中に届いた。
その様子を先輩侍女達が扉を少し開けて隙間から覗いていた。
『行け! エレナ! 行っちゃえ!』
侍女達は皆心の中で声援を送っていると、背後から声を掛けられた。
「何かあったんですか?」
ビクッ! と肩を震わせて振り向くと、そこにはローブを着た見た事の無い茶髪の男、もとい勇太が立っていた。
「いえ〜 なんでもございません」
執事に案内されている所を見ると客人なのだろう。
侍女達は笑顔を作ってそそくさと扉の前から後退ると、少しだけ開いていた扉が更にもう少し開いて部屋の中が見えらようになった。
「あ、ハルが女の子誑し込んでる」
「人聞きの悪い事言わないでよ」
部屋の中を見た勇太の言葉に春希はエレナから体を離して嫌そうに答えた。
「不審人物だと思われなかった?」
「その辺はアナスタシア様がちゃんと申し送りしてくれてたからね」
そうで無ければ夜中にローブに竹刀を携えた人間が城を訪ねて来たら間違いなく追い出されるだろう。
「エレナ、席を外してもらえるかな? ちょっと二人で話がしたいから」
「はい、分かりました」
春希は物腰が柔らかく、皆に丁寧に接してくれるが今までどことなく距離を置いた付き合いをしていた。
アナスタシアやコンスタンチンなどとは話す機会は多かったがそれでも一線を引いた付き合いで、それに比べて先程の客人とは随分距離が近いように見える。
第一このように人払いをされた事は初めてだ。
旅の間に知り合ったにしても、そんなに急激に親しくなるものだろうか?
客人と二人きりになりたいと言う春希の希望にそってエレナは部屋を後にしたが、二人の気安い様子を少し不思議に思った。
翌朝、国王ニコライと王妃エカテリーナの御前に春希と、合流した勇太、アナスタシア、まだ屍状態のミハイル、ヨハネス、コンスタンチンが揃った。
王族は長いテーブルの上座に、それ以外は下座にかたまって着席している。
テーブルには例のスピーカーのような魔道具も置かれていた。
『慌ただしくてすまないが、早速報告をしてもらえるか』
『はい、それに関してはハルキ様からお話させて頂きます』
席に着くやいなや、料理が運ばれる前にニコライが切り出すとアナスタシアもそれに答えた。
詳しい事情を知るのは魔王に対峙した春希だけなので、報告も春希がする事になっている。
「魔王城で魔王と対面したのですが、単刀直入に言うと魔王は人間との対立を望んでいませんでした。魔物がもたらす人間への被害は魔王の意思ではなくあくまで魔物が勝手にやっている事のようです」
『つまり、魔王を倒せば全てが収まるわけではないと言うことか。それはどの程度信憑性のある話だ?』
「少なくとも嘘を言ってる様には見えませんでした」
『討伐されるのを恐れて言っているだけではないのか?』
「いえ、それは無いと思います。と、言うか人間に討伐されるほど魔王は弱くないです」
『どう言う事だ?』
「私では倒せません。それ程に魔王は強力でした。それなのに私を無傷で返した事が魔王が対立を望んでない証です」
『倒せない』と言う言葉にニコライを始め全員が絶句した。
『たたた、倒せないだと?』
「はい。もしかしたら召喚の影響かもしれません。本来勇者の実力はこんな物ではないのかも…」
分かりやすく動揺するニコライの事を春希は心の中で少し笑いながら答えた。
春希は嘘は言っていない。
偽勇者である春希には倒せないが、本物の勇者である勇太になら倒せるかもしれない。
魔王がただ平和主義だから戦闘を望んでないと言うだけでは俄には信じてもらえないかもしれないが、倒せない程強力なのに戦闘を望んでないとした方が事態を飲み込みやすいのではないかと勇太と話し合って決めたのだ。
こんな事を言ったら国からポイされてしまう可能性があるが、今は一人ではない。
勇太がいるのでどうにかなると思えてしまう。
『どういう事だ! コンスタンチン!!』
「申し訳ありません!!」
顔色が土色になったコンスタンチンを見ながら春希はこの世界に来てすぐの事を思い返していた。
あの時から色々コンスタンチンの責任にされているようで少し気の毒だ。
そんなコンスタンチンを見かねたのかアナスタシアが矛先を少し変えた。
『魔王が対立を望んでないと言いながらゴウチャンを人質に取っているのは何故でしょうか? 言動が一致してないのでは?』
「魔王本人は豪ちゃんを鍛えると言っていました。まあ、それは口実で私が人間側を説得するよう保険をかけているのではないかと思ったので『人質』と言う言い方をしたまでで。兎に角、もう一度魔王を対面して魔族の動きを抑える方策を練る方向で動こうと思うのでしばらく時間を頂けないでしょうか?」
『もう一度対面などして大丈夫なのでしょうか? こちらを油断させて一気に叩くつもりではないですか?』
エカテリーナは魔王の言動に何か裏があるのではないかと勘ぐっていた。
春希もその可能性は否定できないと考えている反面、そんな事はないだろうと思ってしまうふしがある。
理由は分からないが、魔王を信用に値する人物だと感じていた。
「その可能性も否定できないので、魔王との対面にはこちらのアレクセイさんに同行して頂こうと思っています」
「冒険者をしています、アレクセイと申します」
ニコライ達に勇太を紹介すると、勇太一度立席してニコライ達に向かって頭を下げた。
『アレクセイとやらは階級がブロンズのようだが』
ニコライは事前にアレクセイについて調べさせていたらしい。
通常ブロンズ級の冒険者に勇者に同行する程の実力はないと思われるので、実力不足を疑うのは当然の事だ。
『お父様、アレクセイさんの実力は私もこの目で見ています。ブロンズ級なのは単に冒険者になって日が浅いからです』
『なるほど。ではアレクセイも勇者一行として同行する事を許そう』
アナスタシアの進言もあってアレクセイは無事に勇者一行として認められる事になった。
その時執事がニコライの耳元で何かを囁き、ニコライは軽く頷いた。
『すまないが出立の準備がある。また何かあれば別途報告をするように』
次の予定の詰まっているニコライが解散を言い渡すと、ミハイルが突然立ち上がった。
『ミハイル、いったいどうしたのだ?』
ニコライが驚いて訊ねると、ミハイルは虚ろな瞳のまま呟いた。
『そうだ、ミレイアを助けに行こう…』
『ミハイル、気持ちはわかりますがミレイア様の事はもう諦めなさい』
『いや、ミレイアはきっと結婚を嫌がっているに違いない』
アナスタシアが窘められても、ミハイルは聞き耳を持たない。
『何言ってるんですか。あそこは円満ですよ。ややこもうまれるのですし。相手の幸せ願うのも愛ですよ』
『それこそきっと無理矢理手篭めにされたに違いありません!』
母親てあるエカテリーナに宥められてもミハイルは止まらない。
『ミハイル!? 待て!!』
だいぶ精神がヤバ目なミハイルはニコライの静止も部屋を飛び出した。
『追え! ミハイルを止めろ!!』
このままでは祝言の会場に乗り込みかねない。
ニコライはミハイルを止めるべく周りの警備兵に命令するが、国でも指折りの実力であるミハイルは止まらない。
結局暴れるミハイルを羽交い締めで止めたのは勇太だった。