第1話
その日春希は美容室で生まれて初めて髪を染めた。
「いかがですか〜?」
美容師の女性が三面鏡を使って目の前の大きな鏡にバックスタイルを映し、出来上がったヘアスタイルを見せてくれた。
生まれて初めての茶髪だが特に違和感もなく、髪型もきれいに纏まっている様に思われたのでお礼を言おうと鏡越しに美容師の女性を見た。
「すみません! 気に入らなかったですかね!? 店長を呼んできますので少々お待ちくださいね!!!」
「いえ! これで大丈夫ですから!」
顔を青くして慌てて店長を呼ぼうとする女性を静止し、春希はため息を吐いた。
女性が慌てる理由は分かっている。
春希は昔から顔が恐いのだ。
目つきが鋭く、本人はそんなつもりはないのに睨んでいるように見えるらしい。
生まれてすぐ助産師さんに『迫力がありますね』と言われ、幼稚園では保育士さんに『人を睨んじゃダメよ』と注意され、小学校では『先生のこと嫌いなのかな?』と訊ねられ、中学校では告白しようとして相手に『許してください』と泣かれ、これではいけないと意気込んで入学した高校の入学式、一所懸命練習した渾身の笑顔で『須藤春希です。よろしくお願いします。』と一言言っただけでクラスの皆が青ざめて固まった。
周りの反応がなんかだんだん酷くなって行ってる気がして、そこからはなるべく人と関わらない様に過ごしてきた。
将来人と接する仕事は無理と践んでプログラマーを目指し、大学は情報系の学部に入った。
就職活動は大変苦戦したがどうにかこうにか希望の職種に就職でき、小さな会社てはあるが頑張ろうと意気込んでいたが入社してすぐ落とし穴にはまる。
プログラマーとしてではなく、まさかのシステムエンジニアとして採用されていたのだ。
決まった仕様に対してプログラミングを行うプログラマーとは違い、システムエンジニアはその仕様を決定する為にお客様にヒアリングを行いながら設計を行っていく。
つまり技術職ではある反面、人と接する事は避けられないサービス業でもあるのだ。
取引先の担当者には基本目を合せてもらえず、ひどければ何もしてないはずなのに生意気だと怒鳴られた。
その為少しでも柔らかい雰囲気になればと、烏の濡羽色の髪を茶色に染めに来たのだ。
美容室は昔から苦手だった。
髪を切ってもらっている間、何をしていればいいのか分からない。
共通の話題がありそうにも思えない美容師さんと弾むような会話はできそうにないので置かれた雑誌を読んでみるもののそもそも雑誌にあまり興味はなく、ずっと雑誌を見ているのも感じが悪いだろうかと顔を上げても鏡越しに目が合うと確実に目をそらされしまう。
今担当してくれている美容師さんも最初の方は
「髪綺麗ですね〜」
「こういう水を弾く髪質を撥水毛と言うんですよ〜」
と気を使って話しかけてくれたが、段々口数が少なくなり、最後の方は涙目になっていた。
因みに今まで染髪をしなかったのは黒髪に拘りがあったからではない。
染髪をするとそれだけ時間がかかりお互いにストレスである事が容易に想像できるからので、髪はパッと切ってもらってサッと帰る事を信条としていた。
が、今回は仕事の為と割り切り、カット、カラーに加えてなんと一番高いトリートメントまでしてもらったのだ。
染髪やパーマなどダメージになるメニューは避けていた為、春希の髪は元々艶のある綺麗な髪だったが、トリートメントの効果かより艶々になった。
仕上がりには充分満足しているのにそれを上手く伝えられない事にもどかしさを感じながら、春希は美容室を後にした。
「ハル〜!」
「ユウ、久しぶり」
美容室を後にした春希は駅前で幼馴染と待ち合わせていた。
笑顔で手を振りながら春希の元へ走る、昔から変わらない人懐っこい笑顔に思わずホッと肩の力が抜ける。
「髪なんか染めちゃって、色気づいた?」
もう長い付き合いだ。
色気づくとかそう言う事じゃない事を分かっているので、ニヤニヤしながら訊ねた。
「どう、かな?」
この場合の『どう』は似合うかどうかではない。
春希にとって似合うかどうかより恐いか恐くないかが重要だからだ。
「ん〜? 分からん! オレ、ハルの事恐いと思った事ないし!」
「そんなの家族とユウくらいだからね」
周りをもれなく怯えさせる春希だが、流石に家族は春希の目つきも平気な様でとても可愛がってくれた。
母など未だに春希のことを『ハルちゃん』と呼ぶ。
もうそんな年齢ではないと思うのだが、それを言うと悲しそうな顔をされたのでやめてとは言えなくなった。
というか父も母もほんわか人畜無害タイプの人間なのに、何故春希だけこうなのか。
祖母に言わせると亡くなった祖父にそっくりらしいので隔世遺伝と言うやつかもしれない。
まぁその祖母も半ボケなのでどこまで本当か分からないが。
幼馴染の前田 勇太とはなんと同じ病院で同じ日に数時間差で生まれ、新生児室でお隣りさんだったらしい。
家も近所だった事もあり母親同士が仲良くなり、こそから高校までずっと同じ学校だった。
因みに入学式の日にクラス全員を固まらせた時、勇太だけは肩を震わせながら笑いを堪えていた。
「ま、とりあえず結構似合ってるよ! それより腹減った」
「だね。何か食べよう。何がいい?」
「寒くなってきたから鍋だな! 久しぶりにモツ食いたい」
「いいね!」
丁度青信号になった横断歩道を渡ろうと勇太が足を踏みだ出した時だった。
キキーっとタイヤが擦れる音と共にトラックが横断歩道に突っ込んで来たのだ。
「ユウ! 危ない!!!」
春希は危険を顧みず勇太の肩を掴み引き寄せる。
身体に衝撃が走り、春希は意識を失った。