第2話
ジーナスに拾われた少女。彼女の本名はフレンダと言い、元々は両親の愛情を一心に受けていた。
しかし、流行病によって母親が亡くなった事がきっかけで辛い人生を歩む事になる。
当時物事が付いたばかりの彼女は大好きな母が亡くなった悲しみに耐えられず、毎日毎日塞ぎ込んでしまい、見兼ねた父が後妻を娶る事になったのだが、これが悪手であった。
再婚相手は確かにフレンダの父を愛しており、またフレンダを愛そうともしていたのだが、塞ぎ込んだままの彼女へと構いっきりになる夫や母親と認めてくれないフレンダへのストレスが静かに積み重なって行った事で、少しずつ愛憎の天秤が後者へと傾いていったのである。
そんな中で、フレンダの父までもが事故に巻き込まれる形で亡くなった。
後に残ったのは血の繋がりの無い親子。今までは夫のフォローによって表面化していなかった憎しみが一気に吹きだした後妻によって、彼女は日常的に虐待を受ける事になる。
食事をしなかったら容赦なく殴られ、ほんの少しでも粗相をしたのなら熱したフライパンを押し付けられるなど、そんな生活が数年も続けば虐待はエスカレートして行き、前妻譲りの美しい顔が気に入らないと言う理由で包丁で顔を傷付けられた挙句、碌な治療を施されなかった為に一生物の傷跡を残されたり、冬場には身を切る様な冷水を浴びせられたりと、命に関わるレベルの行為を受けていた為か、この頃には声を失っていた。
そんな彼女が行き倒れていた理由––––それは虐待していた後妻が精神を病んでしまい、自ら命を絶ってしまった事で、奇しくも自由を得たからである。
しかし、長年の虐待と愛情を貰えない幼少期を過ごしてきたからか、彼女は何の宛ても無く彷徨い歩き……やがてこの地へとたどり着いた。
この地に来た理由など特に無かった。真っ直ぐ歩いていたら街道に出ただけで、何か考えがあった訳では無い。
母が死んだのも、父が死んだのも、もう一人の母から嫌われていたのも、全部自分が悪いのだと、そう考えて極度の疲労と身体の痛みに身を任せて意識を落とそうとした時、一台の馬車が通りかかり、その中から仏頂面をした少年が降りてきた。
この時、彼女から見たジーナスの印象は如何にもな高圧的な貴族で、気分一つで無礼討ちにして来そうな男だと感じており、とても人助けをする様な人間に見えなかった為か『生きたいのなら着いてこい』という言葉に面食らってしまう。
しかし、その時に感じた彼の声色や瞳に浮かぶ僅かな優しさは、彼女にとっては何年振りになるかも分からない他人からの優しさだったが故に––––限界だった体が不思議と動き、彼の後を付いて行くのだった。
▽
––––目が覚めたら、私はベッドの上へ寝かされていました。
疲労感が半端に抜けたからなのか、手足の感覚が余り無くて起き上がる事が非常に億劫なのと、それ以上に助かった安堵よりも不安の方が大きいです。
私の体は傷だらけですし、顔に大きな傷も有りますから売る事は出来ません。
更に奴隷の様に使おうにも痩せた身体では大した事が出来ませんし、人と目を合わせる事が出来ない私では何の役に立てません。やっぱり私は……産まれなければ良かったのかな?
声が出ないのに涙が出てきて止まらない、お母さんが毎日私に言っていた罵倒が耳に張り付いて取れない、私はなんで助かろうと思ったんだろう?
「無言で泣くとは中々器用な奴だな」
私のネガティブな思考を中断させる様に割り込んで来たその声は、私を拾った貴族様の声でした。
思わず顔を隠すためにシーツをかぶってしまいましたが、それが貴族様相手にする行動では無い事は明白。
背筋が凍り付き、今度こそ殺されると思って震えていたのですが、彼は特に怒りもせずに不機嫌そうに鼻を鳴らすだけでした。
「今日から貴様を俺付きの使用人として雇ってやる、体調が整い次第仕事に移れ」
その言葉は私からすれば予想外と言う他ありませんでした。
何故なら先ほども言った通り、私はダメな人間で身体中傷だらけ、顔にだって大きな傷がありますし、碌に目を合わせる事が出来ないのですから使用人など出来る訳が無いのですが、彼にはそんな事を一切気にした様子がありません。
「無論、イヤだと言うのならば無理強いはせんが……その場合、俺の目を見て自分の口からはっきりと断りを入れろ」
返事も出来ず、顔を見る事すら不可能な私にはその条件に沿う事が出来ない、貴族様にどの様なお考えがあるのか分かりませんが、私はこの人の下で働く事になるのは避けられない様です。
恐る恐るシーツをズラして様子を伺いましたが、不機嫌そうな顔で此方を睨み付けられたので再び引っ込んでしまい、一度ならず二度も粗相をしてしまいました。
きっと折檻が来る。そう身構えた私は止まらない震えと過去の折檻がフラッシュバックして、全く動けなくなったのですが––––私に向けられたのは暴力では無く、シーツ越しに頭を撫でられる感触。
ゆっくりと、優しく私の頭を撫でる彼の手つきは凄くぎこちない物でしたが、パパとママが亡くなってからは一度も撫でられた事が無かった私は、痛くも悲しくも無いのに何故か止めどなく涙が溢れて、どうにもならない。
「……粥を用意してある、気が済んだら食べておけ。俺はまだ仕事が残っているのでな、二時間ほどしたらまた来る」
少しだけ柔らかい声で、貴族様はそう言った後部屋を出て行かれました。
私は何とかして身体を起こし、ベッドの横の机の上に置かれた麦粥をゆっくりと口へと運んで行ったのですが、この麦粥も湯気が出るほど暖かくて、また泣けてしまって全然味が分かりません。
人に優しくされたのは何年ぶりだろう? 何故あの貴族様は私の様な傷物に優しくしてくれるのでしょう?
そんな疑問が頭をよぎりましたが、学の無い私ではいくら考えても貴族様のお考えは分かりません。
ですが、一つだけ……助けて下さった貴族様は少なくとも私を傷つける事は無いという事だけは感じました。
だからでしょう、私は彼の下で誠心誠意働く事に何の抵抗もなく納得出来たのは。
愚図でどうしようもない私に何が出来るのかは分かりません、しかしこの優しさに報いたいと心からそう思い––––彼の帰りを待つのでした。