今度はそのまつげに触れたい
わたしは目の前に立つ彼女の瞳をじっと見つめた。彼女はずっと伏せ目がちで、わたしと目を合わせようとしない。そもそも彼女の目線はどこも向いていない。わたしは黙って彼女の瞳を見つめた。瞳だけを、じっと。
彼女の目は腫れぼったいまぶたに、くっきりとした細い目に黒目より白目の面積が広い。そこに長くて量の多いまつげが重く被さっている。その重みに細い目が潰されそうだ。
ふわり、と白く輪郭のないものが彼女のまつげに降りたった。雪だ。もうそんな時期か。それはすべり台のごとく、つるりと落ちていった。彼女はまつげをほったらかしにしている。薄い化粧のみで、まつげにもなにも施していない。せっかくこんなに長いのだからビューラーで上げるなどひと手間加えたらいいのに。彼女の目をみるたびにわたしはそんなことを思うのに、いつも言おうと思っているが忘れている。彼女の意図はわからないが、わたしはそんな彼女の伏せたまつげもすきだ。みていると、ふわふわした毛皮のコートを着ているような、やわらかい気持ちになるから。
ふわり、ふわりとふわふわの雪は次から次へと落ちてくる。彼女の艶のかかる胸まで伸びる長い髪の毛、つんと高い鼻すじ、白い肌によく映える薄ピンク色の唇。彼女は雪が自分の顔に落ちてきても顔色を変えない。ぴくりとも反応しない。まるで息をしていない、剥製のようだ。生きた美しい少女の剥製。そんなものはみたことないが、あるとしたら今がそのときだろう。わたしはすごく貴重な経験をしているようだった。雪の降る日の彼女はすごく、美しい。
「寒くなってきたね、帰ろうか」
そう言って彼女の同意を得ず、手をとった。彼女の手はすごく細い。余分どころか、必要な脂肪すらついていないようだった。クリーム色の薄いカーディガンを限界まで引っ張って手をぜんぶ引っ込めていたとはいえ、30分も外に立ち尽くしていればそれは冷たくなるに決まってる。わたしの手もつめたくじんじんしていたが、彼女の手を握ると不思議と安心し、手を握る力が強まる。
それと同時に彼女がぴくりと反応する。
「……ないているの」
口をちいさく開けてから3秒ほど間を開けて、掠れた声を発した。
泣いてない、と反論しようとしたときわたしの目の前をぼろぼろと大粒の雨が邪魔をした。
意思と行動が一致しないわたし自身にわたしは困惑し、焦った。
わたし、わたしは、と途切れ途切れに言葉を発した。必死に言葉を繋ぎ合わせようとしたけれど、上手くいかず、大粒の雨がわたしの視界をゆがめ続ける。
すっとやさしくわたしの手から彼女の両手が引き抜かれる。彼女の両手がわたしの両頬に添えられる。ぬるいような冷たいような気持ち悪い温度。同時に彼女の顔がぐっと近くになった。まだわたしの目からは大粒の雨が溢れていたが、彼女の瞳がくっきりと見えたとき、ほしいものが手に入ったような満足した気持ちになった。
彼女はふ、と少し微笑み、わたしのまつげにキスをした。
「あまねの味がする」
ふ、ふふっ、と彼女はうれしそうに笑った。
「なかないで、あまね。わらって、あまね。」