चंद्र讚歌 -La L'inno per il Candra-
悪魔の酒と天使の分け前
キルヤリンタ家の所有している酒蔵には悪魔が棲み付いているという噂だった。南の大陸にも似た伝説があり、周囲に住む民衆はその伝説の悪魔の存在は嘘だと知っていたから、キルヤリンタも自分の家の酒蔵の酒を盗人から守ろうとしているのだろうと考えていた。噂の出所を調べると、案の定、キルヤリンタ本人が流したものらしいということもわかった。
ところが、キルヤリンタは、盗人を除けるために悪魔の噂を流したのではなかった――実際に出会ったのである。キルヤリンタは自分の酒が何者かに盗まれているようで、樽の中身が減っているのを発見し、定期的に酒蔵の番をしていた。真夜中のことである。酒蔵から物音がしたのを聞きつけ、キルヤリンタは早速急行した。明かりはついていなかった。
「誰かいるのかね?」
キルヤリンタは蔵の中へ呼び掛けた。何も返事をする者はいなかった。聞こえた音は空耳か、あるいは隙間風のいたずらか、と思い直し、蔵の扉を閉めようとした。と、その時、奥にランプの灯りがちらと見え、キルヤリンタは再び扉を開けた。明かりがふっと消えた。
「誰かいるのだろう。姿を現したまえ!」
先ほどよりも大きな声で呼び掛けた。やはり返事はなかった。キルヤリンタは奥まで進んだ。蔵の奥に何かが動く気配を感じ、酒泥棒か、と警戒し、傍にあった棒を掴み、ゆっくりと酒樽へ歩を進めた。
急にランプが明るく輝き、キルヤリンタは思わず目を覆った。次に目を開けたとき、目の前に、角を生やした小柄な影が樽に腰掛けていた。蹄は床に届かずぶらぶらしていた。
「人間か」
影は充血した目をキルヤリンタに向けた。彼は少し怯んだが、持ちこたえてこう返した。
「私はこの蔵の所有者のキルヤリンタだ。お前は悪魔だな」
「いかにも。おれは悪魔だ」
「酒泥棒はお前か」
「酒泥棒? いやいや、むしろその逆さ。おれはこの蔵を盗人から守っている」
「何だと。しかし、樽の中身は間違いなく減っているぞ。守り切れていないのではないか」
キルヤリンタは樽を指さした。悪魔はやれやれと頭を振った。
「お前は酒造りなのに知らんのか。酒をな、こういう風に樽に入れて熟成させると、中の酒が揮発して仕込み時よりも減ってしまうのさ。この減った分を『天使の分け前』と呼ぶ」
「はあ、知らなんだ」
「というわけで、泥棒は一人として入っておらぬ。安心するが良い」
キルヤリンタは納得して蔵を出ていった。その後姿を見送って、悪魔はほくそ笑んだ。
「はん、馬鹿なやつだ。天使の分け前と言ったって、そんなに減るかい」
独り言を呟き、樽の栓を抜き、さかずきに酒を汲み取った。さて飲もうとしたとき、突然明るい光が煌めいた。悪魔が振り返ると、背中に翼の生えた、白い装束をした神々しい姿が立っていた。
「お前はなんだ」
「何に見える」
「天使か」
「いかにも」
「天使さまが下界に何用だ」
「お前が盗みを働いているのを聞きつけ、神の遣いで罰を与えに来た。許してほしければ、即刻、酒泥棒をやめることだ」
悪魔は舌打ちをして悔しがったが、神罰を下されては生きていられないので、仕方なくさかずきを置いて逃げ出した。
その後姿を見送って、白装束は意地悪く鼻を鳴らした。
「馬鹿め、見掛けに騙されおって」
そう言って、衣裳を脱ぎ捨て、悪魔が姿を現した。悪魔は、置き去りにされたさかずきを手に取り、まさに飲もうとしたとき、強い光が閃いた。悪魔が振り返ると、頭に金色の輪を載せた、美しい者が立っていた。悪魔は訊ねた。
「お前は天使か」
「いかにも」
「嘘を言うな。お前も悪魔が化けたものだろう」
そう言って悪魔は美しい者に掴みかかり、装束を剥ぎ取った。しかし、その者の光は衰えることなく、辺りに輝き渡った。
「さては、本物の天使か」
「そう言っておろう。よくも無礼な真似を」
美しい者の顔が怒りに歪んだのを見て、悪魔はさかずきを置き、慌てて逃げ出した。その後姿を見送って、その者は高笑いした。
「はは、くだらんな。おれも悪魔だが、もともとこういう姿で生まれてきたのだ」
そう言って、さかずきを手に取り、さあ飲もうとしたとき、どこからか強烈な光が溢れ出し、讃美歌が聞こえてきた。悪魔が振り返ると、光り輝く天使が剣を携えて立っていた。
「ははん、お前もおれと同じで、酒を騙し取ろうというのだな。そうはさせんぞ」
悪魔はさかずきを置き、その光り輝く姿に突進した。その者は、無表情のままで剣を構え、振り下ろした。悪魔はその場に倒れ、煙となって掻き消えた。天使は残されたさかずきを手に取り、一口飲んだ。天使は微笑み、音もなく飛び去ってしまった。
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