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一粒の種を夏へ向けて

 葵さんの告白の後、何も会話がないまま葵さんは僕を屋敷まで乗せていき、僕が車を降りるのを確認すると何も言わずに行ってしまった。

 僕は僕で気まずさから何も話しかけることはできなかったし、葵さんの方を見ることさえためらわれた。これではまた、今日の朝のようなままになる。

 僕の歓迎会が終わって、まだ半日ほどしかたっていないのに僕と葵さんとの間でいろいろ処理に困ることが多すぎた。僕は何度思考停止になっただろうか。

 僕が葵さんと付き合う、冷静に考えてそれは浅利鬼灯(あさりほずき)としてなのかそれとも朝霧秋梅(あさぎりしゅうめい)としてなのかわからない。言葉の端々に僕が男だと気づいているような、知っているようなことが含まれていた。

 一応女の子、ちゃんと男だったら、この言葉に含まれた意味を考えてしまうと僕がゲームオーバーになったのだと思わされる。やはりトイレで見られてしまったのか。恥ずかしさとかいろいろで死にたい。

 なら、いっそ付き合うことで葵さんを共犯にしてしまうのも手だろうか。いや葵さんから僕に惚れたと言ってきたのだからそういうことも込みだったのだろう。

 そうなると、これは桜月様に相談した方がいいのか、ベロニカさんに相談した方がいいのか、自分のこと、それもそんなに人に言っていいことでもない、なのに一人で決めていいのかもわからない。心の隅で人に決めてもらいたいと思っている恋愛経験ゼロの自分が情けない。

そんな考えを頭の中でループさせながら扉の前に突っ立っていた。

「あら、昨夜連絡がなくて心配していたんですよ。歓迎会の後、姉崎さんといちや、一泊するならするで連絡を入れてくださいね。」

 背後から字面は優しいのに氷のような冷たさを感じる言葉がかけられて背筋にぞわりとなぞられるような感覚が来た。

「は、はい。もちろん連絡をする気はありましたが、残念なことに私のスマートフォンは電池切れ葵さんは泥酔状態でして連絡の手段がありませんでした。」

 ベロニカさんは僕を足から頭まで一瞥すると

「今回はそういうことで不問といたしましょう。」

「はい、ありがとうございます。」

 ベロニカさんが屋敷の中に入ると僕もそれに続く。一度自分の部屋に戻ろうとすると、ついてきなさいと自分の部屋に戻ることはできなかった。

 ついて行った先には、主に面談や相談に使われる部屋に連れていかれ嫌な予感がした。

「ところで、姉崎さんと何かありましたか?」

 僕を部屋に先に入れると、ベロニカさんは後ろ手にガシャンと扉を閉めた。ついでに鍵もかけられたような音が聞こえた気がするけど聞かなかったことにした。

「はい?」

 思わず声が上ずってしまった。その話は今の僕が抱える問題にドンピシャすぎる。

「なぜそのようなことを思われたのでしょうか?」

「そうですね、先週あたりから姉崎さんがあなたに対する態度が少し変わりましたよね。」

「そうだったんですか。」

「まあ、それは姉崎さんの彼氏があなたを怪我させたことによるものだと思っていたのですが、先ほど何やら気まずい空気をまといながら車を降りる人を見かけまして、これは何かあったなと思ったわけですよ。」

 誰もいないと思っていたけれど、どこかからか見られてしまっていたようだ。いえいえ、僕は葵さんに車で送ってもらっただけでやましい気持ちなんてないですよ。なんていえば自爆、何かありましたと言っているようなものだ。

 直接質問されたから自分から言わずに済むというのは、精神的には優しいけど、僕はまだ相談するしないすら決めることが出来ていない。

「ただ単に、葵さんに車で送っていただいただけですよ。そのように感じられたのは葵さんが二日酔いで気分がすぐれなかったからだと思います。それに、秘密がばれてしまったら、そんな相手を車で送らないと思いますよ。」

「それもそうですね。ですが、それが恋愛となれば別です。姉崎さんにとって恋心が芽生えてしまえばあなたが男である方がなにかと都合がいい。彼氏として紹介することはできませんが、自分だけが持っている秘密というのは大きなポイントです。わざわざ彼氏を追い込むようなことをしないでしょう。」

 なんというか、だいたいあっていそうで怖い。ベロニカさんってほんとうにすごいなー。

「なぜそのようなことになったのかは、大方泥酔した姉崎さんをあなたが姉崎さんの家へと連れていくと、玄関で眠ろうとする姉崎さん。そこで理性を働かせてなんとかベッドまで運ぶ。」

 すごい本当に当たってる。

「ベッドに寝かせると仰向けでそれも衣服がはだけて思春期男子のリビドーを掻き立てるようなエロティックな姿にあなたは欲情して、ベッドインして姉崎さんを落としたんですね。結構攻めた服着てますし、男性経験少なそうですし即落ちだったでしょ。」

 あれ、途中までその通りだったけど最後の方とか全然違うなぁ。

「ベロニカさんは僕が寝込みを襲うような鬼畜野郎とでもお思いでしたか。」

「そうですね、あなたにそんなことできると思いませんし、そもそも女だらけの職場と学校に三月ほどいるにも関わらず誰にも手を出せないヘタレでしたね。」

 なんか傷ついた!

「では姉崎さんの方から誘い、とうとう理性という鎖から解き放たれたあなたが姉崎さんに飛び込み即落ち。」

「言っていること大して変わってませんよ。」

「あら、失礼しました。では、姉崎さんの方からあなたを襲い即落ち。」

「則落ちはもういいですよ。ってそれじゃ葵さんが百合の人で、僕を女の子と認識したままじゃないですか。」

「どこでばれたのかしらね?もしかしたら意外と他の子たちも知っていて暗黙の了解になっているのかもしれませんね。職が職ですから出会いって本当に少ないですし。そんな貴重な男の子をみんなで共有するとかあるかもしれませんね。」

「その場合僕ってどうなるんですかね?」

「みんなでまわされるんじゃないですか?女装しても違和感ないほどのルックスですし。」

「そっち方面ばかりですか・・・」

「女性って男性の方が思うよりもいろんな欲が深いんです。よかったですね、男の子の夢、ハーレムですよ。」

 今まで僕の前でそういう話は全くなかったけど、そういうことはやっぱり知りたくなかった。じゃあ、話題にあげられていなかったのは僕が男だと知っていたからなのか・・・?

「願わくばもっと清くありたいですよ。そんなに多くの人と同時にお付き合いする器用さも気がいもありませんし。」

「せっかく朝霧ハーレムを築ける環境にあるのにもったいないですね。それとも既に心に決めたお人でいらっしゃるんですか?」

「いえ、そんなことは。ただ僕も祖父のようにただ一人の女性を愛し続けていられたら素敵だなと思っていましたから、やっぱりハーレムのようなものはよくないと感じてしまうだけでして。」

「素敵なおじい様なのですね。それを聞いて安心しました。どうか、他の人との恋に現を抜かさずにあの子に寄り添ってあげてくださいね。」

 さっきからのベロニカさんが僕に対して意地悪して楽しんでいる時に比べてとても優しさを感じる目になった。この人は本当に桜月様が好きなのだと少し名前が出ただけで分かる。

「桜月様は僕がいなくても大丈夫だと思いますけどね。」

 ベロニカさんの肩が少し下がり、短い溜息をついた。それはがっかりというよりもアメリカなんかのホームドラマで両手を顔のあたりまで持ち上げてやれやれと言っている感じに思えた。

「なぜ見ず知らずの人間をいきなり自分付きの従者にしたとお思いですか?朝霧秋梅さん。」

「そんなこと急に言われても、ちょうど同じくらいの年齢ということしかわかりませんよ。」

「あなたに心当たりがないのなら仕方がないかもしれませんね。」

「それってどういう」

「これ以上私の口からでは無粋というものですのであしからず。」

「そうそう鬼灯さん、本日お休みのところ悪いのですが連絡を入れなかったことと無事帰宅したことについてお嬢様に言いに行くついでにお茶を持って行っていただけませんか。」

「それは着替えるべきでしょうか。」

「むしろ、あえてその服装の方がいいと思いますよ。」

「そうですか。珍しいですね午前中にお茶を飲まれるのは。」

「本日はお客様がいらっしゃいましたので。」

「それってやっぱりちゃんとした服装に着替えるべきなのではないでしょうか?」

「お客様といってもお友達の方なのでメイド服よりは接しやすいと思いまして。」

「そうなんですか。わかりました。準備ってされているんですか?」

 お友達って、僕の知っているところ初雪様と朝香さんぐらいしか知らないんだけど。もしかしたら入学祝で初雪様が来て以来なのではないだろうか。

 お金持ちの社会はよくわからないし、想像としてみても今まで読んだことのあるマンガがベースになっているからいまいち想像の方向があっているのかもわからない。

 マンガだとしょっちゅう主人公周辺に人が集まってるし。

「私は庭の方から来たんですよ。お茶菓子などの準備をしてそのまま外に行ったと思いますか?」

「では、私が準備して持って行けばいいんですね?」

「はい、お茶菓子は先日購入したマカロン、お茶はマリアージュフレールのフレーバーティーを茶葉のままお嬢様の部屋までお願いしますね。もしよかったら鬼灯さんも会話を楽しんできてください。」

「お嬢様方のお邪魔にならないようでしたらそうさせていただきます。」

 本当は長居して昨日の事聞かれたくないけど。

 厨房上段の棚を開けると小さな缶が並んでいる。茶葉で購入すると一応賞味期限は1~2年となっているが、特に風味なんかは大体二ヶ月前後で落ちてきてしまう。そのため多くのお客様を迎えるとき以外はこうやって小さい缶にそれぞれの種類少しずつ保管していく。

 桜月様はその時々で銘柄まで指定してくることがあるので常にストックを切らさないようにしている。小さな缶の裏には購入日がわかるように書いておき、二ヶ月過ぎた茶葉はお嬢様やお客様に出せないものとして、中くらいの缶に移し替えられ使用人たちが休憩時間に自由に飲んでいいことになっている。

 正直僕にはその違いはさほどわからない。僕にわかるのはまったく別の茶葉で淹れられた紅茶が違うものだと判別する程度で、例えば純粋なダージリンとダージリン、アッサムのブレンドだったりすると自信をもって違う味や香りだと断言はできなくなる。

 だから、他のわかる先輩は使用人用の茶葉をいれる缶を増やしてほしいと言っているけど、僕は今のまま多少ごちゃまぜで保管されていても気にしない。ごくまれにいい感じにブレンドされて逆においしくなったりもするらしいから缶追加は大した手間ではないけど保留にされているらしい。

「えーとマリアージュ、マリアージュ。M、M。」

 缶はたいてい買ったブランドのものなので缶に名前が書いてあるのだが、日本語で書かれていないため最初のころは言われても分からなかった。幸いなことに紛らわしいような名前のものがないためニュアンスで分かるようになってきた。あ、まだ完全に覚えてません、ごめんなさい。

 心の中で誰にかわからないけど謝りながらMの缶を探す。

 やっとマリアージュフレールの缶を見つけた。缶を開け中身を確認するともうそろそろ底が見えてきそうだ。ちょっと少なくなってきたかな、後で報告しておこう。

 茶葉の入った缶と冷蔵庫のマカロンそれにティーセットをトレイに乗せる。

 ところで人数を聞いてなかったような。

 今更だけど誰が来ているとか何人きているだとかを聞き忘れていた。

 マカロンには限りがあるマカロンの数は八ということは多くても四人ほどだろうと当たりを付けてそれぞれ四人分準備して持って行くことにした。部屋に呼んでいるのだから初雪様だけだろうと思うけど。むしろ初雪様しかそういう間柄の人がいないからそれで通じるようになっているのかな。僕も最初そう思ったし。

「桜月様お茶をお持ちしました。」

 部屋をノックしながら言うと

「その声は鬼灯か、いいぞ入れ。」

「失礼いたします。」

 大体わかってはいたけど中には初雪様がいた。

「おはようございます。桜月様、初雪様。」

「おはようございます。鬼灯ちゃん。」

「ああ、おはよう。ところで、なんだ後からベロニカでも来るのか?」

「確実にこないとは言い切れませんけどなぜでしょうか。」

「明らかに持ってくるものの量が多いからな。」

 桜月様はトレイを乗せたカートを見ながら言った。

「人数がわからなかったものですから、マカロンの個数から多くても四人程度だろうと思いまして、四人分持ってきました。」

「少し考えればわかるだろう。私の部屋に持ってきたということはそれほど私と親しい人間ということになる。となれば初雪しかいないと推測できないか?」

「まあまあ、落ち着いて、せっかく持ってきていただいたんだから鬼灯ちゃんも一緒にお茶にしましょう、ね。」

「それもそうだな。」

 なんというかこのままいくと桜月様が自ら友達が少ないと言っていくような雰囲気を察してか初雪様が桜月様を落ち着かせた。

 桜月様は親しい人には自分で紅茶を淹れて振舞うらしい。らしいというのは、初雪様以外に紅茶を淹れる相手を見たことがなかったためだったが、先ほどの言葉からそこまでの人が現在初雪様しかいないということで納得しておく。朝香さんとも仲良くなればいいなと、きっと親の気持ちってこうだったんだろうなと感じた。

 桜月様は普段自分で紅茶を淹れることはないがその手際は僕なんかよりも断然いい。僕がいれる時とは違い、お世辞でもなくちゃんと茶葉が舞っている、踊っているとそんな表現ができるほどだ。

 紅茶が淹れられフレーバーティーの名前のようにアールグレイのいい香りがしてくる。

「いつも桜月ちゃんの淹れてくれるお茶はいい香りがするわね。」

「そういう茶葉を選んでいるからな。」

「そういえば、今日は鬼灯ちゃん私服なのね。予想していたよりもとってもボーイッシュというか男の子みたいな恰好で驚いちゃった。もっと女の子らしい服も似合うと思うのに。」

「昔からこういった服装をしているのでもうこちらで慣れてしまいひらひらのスカートだとかはどうしても体に合わないと言いますか、違和感を感じてしまうんですよ。」

「もったいないわねぇ。そうだ、今度私のお洋服を何着かあげるわね。」

「いえいえ、そんな、お気になさらず。洋服にあまりこだわっていないので初雪様の着ていらっしゃるようないい洋服は私にはもったいないですよ。豚に真珠です。」

「私にはカワウソに真珠くらい可愛いと思うけど、でも、そうよね、私と鬼灯ちゃんじゃいろいろとサイズとか違うものね。おなかとか足とか。」

 そうですね胸とか全然違いますものね。ベロニカさんが用意したサイズが大きいであろうパットを使ってる僕よりもかなりありますしね。

「初雪様の方こそ可愛いですよ。それにおなかや足も全然気にするようなことありませんよ。」

「気にしてるなんて言ってないのに。」

 初雪様は唇を少しとがらせて私拗ねてますとわかるように言った。

「え、あ、申し訳ありません。」

「気にしてるけど。」

「ですから、全然気にするようなことじゃないですよ。初雪様もスタイルいいですよ。ちょっと目の前の方が細すぎるだけです。共学でしたら男が群がるほどです。そしてあまりの狂騒に不可侵協定が結ばれるほどです。」

 顔可愛いし、胸あるし、優しいしなんていうか母性的な感じというかお姉さん的な魅力がある。

「それはそれでなんかいやね。共学じゃなくてよかったわ。」

 そういえばさっき初雪様と桜月様自身の紅茶が淹れられてだしたのに僕の分がないな。自分で淹れろっていうことかな。まだ桜月様何かしてるけど。

「貧相な体で悪かったな。」

 桜月様が不機嫌そう言いながら、それでもお嬢様だからか丁寧に僕の前にカップが置かれた。

「そんなこと言ってませんよ。桜月様は桜月様で可愛らしいですし。」

「おう、そうか。ん?なにか初雪に言ったのとはニュアンスが違くないか?」

「桜月様の気のせいかと思いますけど。」

 桜月様は小柄ということもあってどうしても子供のような意味での可愛らしさになるということもあるが、やはりその容姿が金髪に青い目で西洋人形であるかのように整っているというのもあるだろう。人形ってだいたい子供をモチーフにしてますし。

 自分の思考をごまかすように桜月様に出されたお茶に口を付ける。少し香りが強い気がした。

「にがっ」

 思わず顔がくしゃっとなってそんな声が出てしまうほどこの紅茶は味が濃かった。

 こんな濃いのを二人とも平然と飲んでるのかと二人を見てみると、初雪様はキョトンとどうして?という顔で桜月様は笑いをかみ殺して表情がぎこちない顔でカップに口を付けていた。

 ここで、桜月様は僕の分の紅茶を淹れるのが二人よりも遅かったことを思い出すと、桜月様に何か仕込まれたんだと思った。

「桜月様何か入れました?」

「いいや、なにも入れていない。それは正真正銘のストレートティーだ。そっちが何か自分で入れたんじゃないか?」

「いえ、私は何も入れてません。」

 一応テーブルには角砂糖やレモン、ミルクをを用意したけど僕はそれらを入れずにストレートで飲んだ。だから何か入ったのなら紅茶が淹れられている時だろうと恐らく犯人であろう桜月様を見る。

「ではなんだ、私がやはり君の紅茶に何か入れたとでも?入っていたとしてもそれは私の気持ちだけだよ。」

「気持ち一つで味は変わるものなのでしょうか?」

「プロの料理人は心の在り方ひとつで味が変わると聞くわね。鬼灯ちゃんは自分の分しか飲んでないからもしかしたら勘違いかもしれないわ。そんなに変わるのか飲み比べてみましょうよ。まずは桜月ちゃん飲んでみて。」

 初雪様は僕のカップを取り桜月様の前に置く。

「いや、私は遠慮しておく。一日に取るカフェインは自分の紅茶だけにするようにしているんだ。」

 どっかの長寿刑事ドラマの細かいことが気になる人のようなセリフだ。

「これは桜月ちゃんが淹れたものよそれはあなたの紅茶と言えるわ。そうでしょう?」

 初雪様がにこりとし始めたことから、初雪様も桜月様が何かしたんだとわかってあえて飲ませるようにしてるんだと気がついた。

 優しいお姉さんは意地悪がお好きなようです。

「わかった飲めばいいんだろう。」

 桜月様はこちらをちらっと見るとカップに口を付けた。桜月様は僕が男だと知っているから抵抗があるのだろう。

 だから、眉が真ん中の方にぴくっと動いたのは紅茶のせいか僕のせいか判断が難しいところだ。

「私は飲んだぞ。次は初雪の番だな。」

 味や香りの感想など言わず少し顔を赤らめながら言った。僕以外にはわからないとはいえ本人が目の前にいるのに男女で同じカップに口を付けたんだから恥ずかしくもなるか。

 ちなみに僕は右手でカップを持って桜月様は左手でカップを持ったから同じところに口を付けてはいない。

 僕が間違えて余分にティーセット持ってきたんだからそれを使えばいいのに。

 初雪様がカップに口を付けようとして止まった。

「ねえ、これ香り強すぎないかしら。」

「そうか?飲み比べるほどだと思われたんだ、そりゃあ多少違いもあるだろう。」

 桜月様がだから気にするなと言うと初雪様は紅茶を飲んだ。すると僕ほどではないが顔が強張った。

「これ濃いわね。桜月ちゃん最後に何かしたでしょ?」

「私は紅茶を淹れていただけだ。それ以外の行動はとっていない。」

「じゃあ最後の鬼灯ちゃんの紅茶を淹れるときだけ茶葉を追加したでしょう?」

「その通りだ。茶葉が中途半端に余ってしまいそうだったから残りの茶葉をすべて入れてやった。それは濃いだけの紅茶だ。」

 そういえば僕のだけ遅いから二人分だけ淹れてそれから僕のを準備し始めたと思った。けど、実際は最初から三人分用意されていて、僕の分の一杯にだけ残りの茶葉何人分かが一人分の水の量で淹れられた。だから味が濃くなり苦く感じたということなのだろう。

「そういう意地悪はだめよ。どのくらい淹れたの?」

「だいたい3人分に少し足りないぐらいといったところだ。」

「それって三倍濃いってこと?」

「ちゃんと抽出されていたならそうなるが、恐らくそこまででもないだろう。」

「それで桜月様のお気持ちが入っているというのは?」

「そうだな、勿体ない精神といたずら心だな。」

 その二つって共存する物なのでしょうかね。

「なんともいびつなバランスを保っていそうですね。」

「より具体的に言えばもったいない精神といたずら心の割合は二対八ぐらいだな。」

「もったいない精神って後から付け足しましたよねそれ、もともとはいたずらしたいがためだけに私に濃ゆ~いお茶淹れましたよね。」

「いや、最初から濃いのを鬼灯に飲ませてどういう反応するのかを楽しもうと思ったわけじゃないさ。三人分の茶葉を出した時に残りの茶葉でもう一杯淹れるには中途半端だなとは思った。よって、完全に面白い反応をしてくれると期待しながら淹れた気持ちが百パーセントというわけではない。」

「それって、中途半端に残りそうだから鬼灯ちゃんに飲ませて楽しもうと思ったってことよね?」

「まあそうなるな。」

「それにしても、苦って言った時の鬼灯ちゃんの顔子供が背伸びして大人と同じもの飲んだみたいで可愛かったわね。」

 僕の脳内で海外のホームドラマとかにありがちな大きなリアクションの演技をしている子役が再生された。子供のころにやっていた何ハウスだったかタイトルは忘れたけど、晩御飯の時に見ていてついつい箸が止まってしまって怒られたのを覚えている。懐かしいなぁ。

 あの頃の僕はどうやっても今を想像できなかっただろうな。桜が咲く前の僕にすら一月後の自分を想像できなかったもんな。

 どうして新聞配達のバイトがこんなことになったんだろう。

 そう、あれは暖冬の影響で春休みだというのに桜が咲き始めた頃・・・

「おい、なんか遠い目をし始めているぞ。どこにそんなスイッチがあったんだ。」

「あ、すいません昔見ていた海外のホームドラマのこと思い出してました。」

 危うく早すぎるタイミングで僕と桜月様の出会いの回想シーンに突入するところだった。

「なぜそのようなことになったかわからないが、とりあえずマカロンでも食べて現実に帰ってこい。」

「あ、はい、ではいただきます。」

 差し出されたマカロンをとり口に入れる寸前で一度桜月様を見る。

「今度は普通のですよね?」

「それに細工をくわえる余地があるか?」

「それもそうですよね。ありがたくいただきます。」

 外はサクッと中はねっとりとした甘さで口の中を満たしていく。先ほどまでの苦い感覚が一気に消えていく。が、今度はねっとりした甘さで口の中が支配されていく。

 たまらずに紅茶を飲むが今度は苦みが勝った。悲しいことにちょうどいいバランスなど存在しないらしい。

「苦いと言っていた紅茶を自らすすんで飲んでいるようだがどうした。」

 きっと桜月様も初雪様もこのお店のマカロンが甘みが強いと知っていたのか。その証拠にまだマカロンに手を付けていない。

「今度は甘いです。」

「マカロンは甘いものよ。お店によって当たりはずれ激しいけど。」

「約三倍紅茶に手が伸びるということはだいぶ甘みが強いんだろうな。次からこの店は控えるように言っておいてくれ。」

「畏まりました。ベロニカさんに伝えておきます。」

 どうやらこのお店を知っていたわけではなく、僕は味見させられていたようです。女子はこんな甘ったるいのを好むのかと驚きかけました。

「だが、まだあるからな。もったいない精神で食べてみるか。」

 それもなんか違う気がするけどあえて口にはしないでおこう。

「そうね。せっかく用意してもらったのだから一つぐらいは食べてみましょうか。」

 二人ともマカロンを食べると桜月様は早い段階で紅茶を飲んだが初雪様はそうでもない。

「確かに、これは甘すぎるな。」

「そう?私はそうでもないと思ったけど。」

 優しいお姉さんは甘いものがお好きなようで。

「お店によってはフレーバーでも違うから、きっと二人がたまたまそういうのを食べただけなのよ。」

「そういうものなんですか?」

「らしいな。」

 僕はここに来るまでそもそもマカロンを食べたこともなかった。それがいきなりこの桜月様に仕えるようになって、見たこともないような料理やお菓子も食べるようになった。

 例えばこのマカロンだけど、桜月様に買うものはもちろん有名店だとか高級店だとかのものだ。それがこの生活が終わって比較的安価なものを食べると満足できなくなるだろう。最初に食べた方が僕の中でマカロンというお菓子の基準になるから。

 それでも自分でも面白いと感じるのが、こういう環境だからこそなのか、カップラーメンやスナック菓子が無性に恋しくなる時がある。どんなに高いケーキを食べた後でもだ。

 ところでマカロンのフレーバーって何ですか?よくわからないおしゃれな横文字があるのはわかるんですけど。

「せっかくまだあるんだから他のも食べてみたら?違うかもしれないわよ。ほらこれなんかいいんじゃないかしら。」

 さあさあどうぞと初雪様にライトブラウンのマカロンをすすめられた。すすめられるままに食べてみるとほんのりとコーヒー?の香りがしてさっきよりは甘さ控えめな感じで食べられた。どれもおんなじだろうと思って食べていたけれど言われれば確かに香りや味がさっきとは違う。さっきのは甘ったるいということしか残ってないけど。

 桜月様には白いマカロンがすすめられていて、そちらの方もさっきよりはましだったようだが、それでもまだ、甘いなと言っていた。

「おかしいわね、こんなにおいしいのに。」

 初雪様は僕らとは違いザマカロンというイメージのある鮮やかな赤のマカロンを食べていた。

「もしかして初雪様は甘党ですか?」

 普段紅茶とかに砂糖を入れているところを見ないけれど。そういえば部室に用意してくれるお菓子は比較的甘いものが多い気がする。真ん中にジャムがのってるクッキーとかガトーショコラみたいチョコレート菓子とか。

「女の子は甘いものが好きな物でしょ?」

「それには同意しかねるな。まったく、そういうものを食べるからまたお肉がーとか泣くんだぞ。」

「もう、桜月ちゃんのいじわる。そんなに細い桜月ちゃんにはわからないわよね。」

 初雪様は自分のおなかを抑えるようにして桜月様を見ているが、その腕の置き方がちょうど豊満な胸を持ち上げるように強調していて、つつましい胸をしていらっしゃる桜月様に見せつけているように見えないでもない。

「ああ、私にはわからないかもしれないな、いかにその脂肪の塊が疎ましいものかというのは。鬼灯、価値を見出すのはボリュームがすべてじゃないだろう?」

 何をとは言ってないけど胸の事なのだろう、あと、その話を僕に振りますかね。

「ええ、そうですね。何事もバランスかと思います。」

「そういう鬼灯ちゃんって体のバランスいいからいいわよね。普段運動してるの?」

「運動という運動はこれといってしていませんが、しいて言うなら家事でしょうか。掃除やお洗濯は意外と重労働なんですよ。」

 このお屋敷広いですし。洗濯は僕が男だとベロニカさんも知っているから任せられたことないけど。いきなり任せられても困るけど。

「よし、桜月ちゃん。」

「ん?なんだそんなに意気込んだような声で。」

「私もメイドにしてください。」

「やめておけ。そんな目的だったら素直にトレーナーでも雇え。それか、そうだな何かスポーツでも始めてみたらどうだ。」

「一人で始めても楽しくないんですもの。そうね、二人も一緒に何か始めてみない?ほら、桜月ちゃんっていつも部屋にこもっているでしょう。少しは運動しないと体に悪いわよ。」

「ふむ、確かにそうだな。だが、断ろう。私は私でやることがあるからな。」

「そんなこと言わずに、ね。」

 初雪様が桜月様の手を取り言った。なぜかこの初雪様のお願いに弱い桜月様だけど今回は桜月様のやりたくないという意志が強いようだ。その眼には拒否の意がはっきりと見て取れる。

「仕方がない何をするかだけ聞いてやろう。」

 しばらく二人見合って桜月様がため息交じりに折れた。

「でも、お父様の許可が必要だから割と限られてきちゃうのよね。何かいいのないかしら?」

「決まったら、また話を聞いてやろう。」

 なんだかんだ言って次は次で断ろうとするんだろうな。結局は押されそうだけど。

「そうそう、私が来た時鬼灯ちゃんいなかったわよね。朝からお出かけでもしてたのかしら?」

「ああ、こいつか、さっき帰ってきたんだよ。昨日は使用人たちの歓迎会があったらしくてな。そのままお泊りだ。一応聞いてみるが酒は飲んでないな?」

「まあ、楽しそうね。鬼灯ちゃんってたしか一般枠じゃなくて桜月ちゃんの付き人枠なのよね?もしかして私より年上だったりするの?えっと、それともしますかと聞かなければいけない方かしら?」

「私は十代なのでもちろん飲んでいませんよ。お酒は二十歳から、です。それに私は好きで泊まったわけではなくてですね、なんというか介護していた成り行きで抜け出せなくなりまして仕方がなかったんですよ。初雪様、言葉遣いに関しては今まで通りで大丈夫ですよ。たとえ私の方が年上だとしても私は桜月様の使用人ですから、ご主人様のご友人にどういった言葉遣いで接されても私は気にしませんので。」

「じゃあ、今まで通り鬼灯ちゃんと呼んでいいのかしら?」

「はい、もちろんです。」

「ちょっと口をはさんで悪いが、今は同じ年齢だが鬼灯の方が年下になる期間がでてくるな。ついでに言えば誕生日が二月だから八月から一月いっぱいの五か月前後と言ったところだ。」

「じゃあ、鬼灯ちゃんの誕生日は二月の最初の方ってこと?」

「はい、二月一日です。」

 ということは、初雪様は八月生まれか。桜月様の時は当日まで誕生日がわからなかったから、何も準備できなくてその場しのぎみたいな事してたけど、初雪様のお誕生日にはしっかりと準備しよう。夏休み中とかじゃなければ。

「私は八月十七日よ。夏なのに初雪っておかしいわよね。」

「ええ、私はてっきり冬の時期だと思ってました。なんで夏に初雪何でしょうね?」

「実は私も知らないのよ小学校低学年生の時か幼稚園の時に発表するからって聞いた気がするんだけど、覚えていないのよね。」

 わからないのか、ちょっと知りたいと思ったのに残念だ。でもそんなものなのかな、僕も梅の字はおばあちゃんからもらったってことぐらいだし。よほど名前に愛着がわかない限り覚えていないものかもしれない。

「まあ、今更言わなくてもと思ったが流れだしな、私は四月九日だ。私は名前から誕生日が想像できる範囲だな。」

 それで秋なら春に舞う桜の花びらよりも月に照らされた秋桜みたいになりますからね。桜月様が生まれたのは月がきれいな夜だったのだろうか。

 満月の光に照らされて怪しい光を帯びる桜の花、子供のころの感動は忘れられない。きっと僕が花を好きになったのはあの光景を見たからなのだろう。

「今年はお誕生日プレゼント入学のお祝いと一緒みたいになってごめんね。来年はちゃんとお誕生日プレゼントを渡すわ。」

「今年は今年で嬉しかったさ。祝ってくれるだけで十分というやつだ。私は私で初雪の誕生日プレゼントを用意したいのだが希望はあるか?」

「それなら私にもぜひお誕生日プレゼントを贈らせてください。」

「そうねえ。」

 初雪様は人差し指を顎のあたりにあてて、考えていますというポーズをとった。

「そうね、夏にみんなで合宿しましょうよ。」

「合宿?なんの合宿かさっしはついたが必要性が全く分からないな。」

「いいじゃない合宿。中身はきっと単なるお泊り会になるのでしょうけど、みんなで集まって泊まることで親睦が深まるじゃない。」

 新学期始まって早々にあんなことがあったのにこういう振る舞いが出来る初雪様は本当にすごいと思う。僕には到底真似ができないようなことだ。

 初雪様だってまだ気にしているだろうに、その証拠なのかもしれないけど、これでも事件前より口数がだいぶ減ったそうだ。

 以前までは会話で自然と打ち解けてきたのだろうけど、今は親しく話している中にも透明だけどちょっと先が見にくい、そんな壁が作られている気がする。深いところまでは踏み込んではいけないように。

 それなのに誕生日に合宿を開きたいというのは、それほど桜月様を信頼しているって事なのかな。これも心のリハビリのようなものなのかな。

 人間不信になったと言われても驚かないのにそれを乗り越えようとしている初雪様を応援したい。

「私は何の合宿かと聞いたつもりなんだが。」

「もちろん園芸部の合宿よ。」

「園芸部って合宿するような部活でしたっけ?」

「だからお泊り会になるって言ったじゃない。」

「場所はどうするつもりだ?まさか、学校と言わないでくれよ。利用許可が下りるとは到底思えない。」

「場所は桜月ちゃんのお家ね。せっかくのお誕生日ですもの、自分のお家じゃなくて一度くらい、みんなでお泊りしながら迎えてみたいわ。」

「仕方がないな。それを誕生日プレゼントとリクエストされてしまえばこちらも認めざるを得ないな。私とていろいろあるのだがね。」

 桜月様がまんざらでもないという声で言った。桜月様自身も家柄そういった、純粋に親の仕事なんかとは関係なく、人を招待して泊めるというような経験はないと思う。だから、きっと、桜月様も心の中では楽しみに思っているのだろう。

 桜月様はそういった感情をたびたび隠そうとするけど、今回は僕にもわかる。

「園芸部の合宿ということは朝香さんもですよね。」

「そうね、部員の人は誘うつもり。部活の合宿というのなら先生も必要かしら?」

「場所がここなら必要ないだろ。単なる日をまたぐ初雪のお誕生会なんだろ?」

「ほら、部活の合宿とでも言わないときっと外泊を許可してくれないわ。お父様ったら過保護だから。特に私のお誕生日は嫌じゃないのだけれど毎年一日中家族一緒よ。」

「ご家族に愛されているのですね。」

 一瞬桜月様が暗い顔をした。ずっとこの広い屋敷に使用人はいるけど一人で住んでいるからか家族というものがいまいちわからないらしい。自分の最も近くにいる人間はベロニカさんとも言っていた。

「ところで、園芸部の顧問って誰なんだ?私は見たことないぞ。」

「言ってなかったかしら。顧問の先生は千柳羽(ちるは)さんよ。」

「千柳羽?」

「あの保険室の先生よ背の高い、猫島千柳羽(ねこじまちるは)さんあったことなかったかしら?」

「そもそも養護教諭を顧問においていいのか?」

「よくわからないけどいいみたい。お願いしたら引き受けてくれたわ。ふわっとしてつかみどころない人だけど安心して、私の入学前からの知り合いよ。ときどきうちに遊びに来ていたから仲もいいのよ。」

「一養護教諭がなぜときどき遊びに来るほど草間家に知り合いがいるのかは気になるが、草間家に認められているのなら大丈夫だろう。」

「お母様の親戚らしいわよ。」

「らしいって、大丈夫なのか?」

「今まで大丈夫だったもの、お母様とも仲いいし、決して悪い人じゃないわ。」

 桜月様が残りの紅茶を飲もうと自分のカップに口を付けた。

「すっかり冷めてしまったな。」

 片付けのために僕も残りの紅茶を飲みほした。冷たくなったせいで余計に苦く感じた。

 こうして約二ヶ月後の園芸部合宿の予定が決まった。

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