腕に咲くアネモネ 前
学校での生活、屋敷での仕事にある程度慣れてきた頃、まだまだ梅雨は先だというはずなのに雨ばかりが続いていた。
木々の葉が落ちなくなってきた時期というのもあって雨の日は僕自身の仕事も屋敷全体の仕事も減って助かる。
屋敷の主である十六夜桜月様は日課のガーデニングが出来なくて少し不満気味のようだ。
こういう日はわけあって高校二年生だった僕が高校一年生をしているが成績上位に入り続けなくてはならないため勉強をするのだが、先輩メイドに誘われて料理のお勉強をしている。
「よおし、それじゃあ火を弱めて灰汁とって缶のトマトと大豆水煮いれて。そしたら十分ぐらい放置ね。」
「はい。」
「鬼灯あんた手際いいわね。ここ来る前自分で料理とかしてた?」
「いえ、本当に簡単なものぐらいですよ。それもお茶漬けをちょっといじったお昼ご飯程度の、手際よく見えるのならそれはきっと姉崎さんの教え方がいいからですよ。それに他の料理も作りながらなんて本当に私なんて姉崎さんに比べるとまだまだですよ。」
僕は先輩メイドの姉崎さんに今日の夕食に出す予定のミネストローネを教わりながら作っていた。姉崎さん曰くそろそろ僕にも料理当番に加わってほしいから教えるんだそうだ。
「そ?お姉さんをほめても何も出ないぞ~。ところで、次の日曜日暇?」
「はい?特に何の予定もないですけど。」
「そう、じゃああたしとお出かけいきましょう!あたしここだと仕事歴でみると真ん中ぐらいの感じなんだけどさ、年で見ると下の方なんだよね。今度の日曜日久しぶりに休みの日で晴れるっていうじゃない。だから若い者たちで懇親会っていうの?をやろうと思ったわけよ。どう?」
「どう?って明後日じゃないですか。今のところ何人ぐらい参加の予定なんですか?そんなに都合よく休みが重なっている人いましたっけ?」
「四人ぐらいいればいいかなぁ。今のところ誘ったのはあんただけよ。後もりーとみゃーにはこれから言う予定。」
比較的年が近いということもあってこの屋敷での仕事のことや他の先輩メイドの方々との付き合い方をたびたび教えてもらっていたから、頼りになる人だなぁとは思っていたけど案外思い付きで動く人なのかな。明後日仕事が休みでかつ予定がないことを確認しているわけじゃないのに参加してもらえるのかなぁ。
「それって懇親会の幹事として大丈夫なんですか。」
「ぶっちゃけ怪しいよね~天気予報で確認したのが昨日の夜だもん。」
「思いっきり思い付きじゃないですか。」
「なにそれおやじギャグ?笑えないよ。」
「そんなつもり全くありませんでしたから。」
そもそもこれっておやじギャグなのだろうかと少し考えないでもなかったがそのことはスルーしてもうそろそろ十分経つきがした。
「そろそろ十分経ちますかね。」
「ちょっと見せてみ。んー後一、二分ってところかな。」
ギっと厨房の扉が開く音がした。先ほど姉崎さんが誘うと言っていたまんまだけどもりーこと森さんが匂いに誘われたかのように厨房に入ってきていた。
「お、もりーちょうどいいところに来た。明後日暇?」
「ん?明後日なら休みだし録りためてるドラマ消化しようと思ってたんだけどなんで?」
「いやぁ、新入りの歓迎会を若い方の連中でやろうと思ったわけさ昨日。」
「何それただの思い付きじゃん。あぁ私ならOKよ。ところで鬼灯も作っている今日のメニューは何かな?」
「私が教わりながら作っているのはミネストローネです。」
「姉御の方は?」
「チーズリゾットとサラダあと豚肉のローストだよ。ああ、塩コショウと醤油を一匙程度入れて。」
「醤油もですか?」
僕は塩コショウを振り、醬油を大匙一杯入れた。心なしか赤いミネストローネの色が少し黒っぽくなった気がした。
「そそ、これ入れるだけでちょっと違うんだなこれが。ほれ一口。」
そういうと姉崎さんはスプーンでミネストローネを僕の口に運んでくる。僕があーんされている状況に戸惑っているとすぐ目の前に横から別の顔が出てきてそのスプーンを口に入れた。
「うん、OK美味しいわ。これならこれからアシスタントにありね。」
「全く急に横から盗み食いして、ほら見てみな固まっちゃってるだろ。口あけな。」
「い、いえ自分で。」
「何遠慮してるのさ、いいから、いいから。」
「は、はい。」
今度はスプーンが僕の口に入ってきた。あれ?同じスプーンってことは間接キスなんじゃ・・・
「あら、顔赤くしちゃって味見で食べさせてもらうことぐらい普通の事よ?」
「もりーの場合は私の知る限り他の人の三倍くらい味見に現れるのは普通なのかい?」
「姉御の気のせいなんじゃないのかな。」
「今度から数えておいて報告するから覚えておきな。それと厨房来たついでだもうすぐ夕食の時間だから配膳手伝いな。」
「はーい。」
そう言って森さんがお皿の準備を始める。時計を見るとあと十分ほどで夕食の予定時間だ。
「鬼灯茹でてたファルファレッツも入れてよそっちゃって。もりーはよそったの運んで。」
「今日こっちで食べるの何人だっけ?」
食器を出してきながら森さんは姉崎さんに聞いた。そういえば指示されるまま料理していただけで何人分作っているのかまったく気にしていなかった。
「えーと、ここに三人と他に確か一人で後はお嬢様とベロニカさんで六人だったかな。」
それを聞くと森さんはトレイを三つ持って来てそこに二人分の使う食器を詰めて載せる。名案が浮かんだかのように
「じゃあ何回か行ったり来たりするよりも三人で一回で運んじゃおう。」
と言ったが姉崎さんがそのトレイを見て
「グラスはどうする気だい?」
「あ、仕方ないなぁ、私が往復しますよ。」
森さんが拗ねたようにそういうと姉崎さんは少し笑っていた。
十六夜家ではお客さんが来ない限り昼食と夕食は使用人である僕たちも一緒の席で桜月様と食事をする。この食事の時間に限っては無礼講とまではいかないが割と砕けた感じで会話することが多い。今日はさっき厨房で話していた僕の懇親会だったり歓迎会だったりする名前の会の話題になった。
「で、みゃーは明後日どう?暇?」
「はい、そうですね。特に予定はなかったと思いますが今はマナーとしてよくないので後で手帳を確認してから返答させていただきます。」
「ほら、鬼灯どうだい私の予定通り四人になっただろ?」
姉崎さんがどうだと言わんばかりの顔でこっちを見て言ってきた。いや、実際言ってるけど。
「面白い話をしていますが私たちにも声をかけるぐらいしてもいいんじゃありませんか?姉崎さん」
「いやぁ、ベロニカさん今回は都市の比較的近い若い人たちでー」
「私はまだ若いです。」
姉崎先輩の言葉を途中で遮るようにベロニカさんは自分はまだ若いと大きな声で主張してきた。それでいて心なしか冷たいような温度が感じられないようなそんな声だった。
「それにベロニカさん明後日もお仕事でしょう?」
姉崎さんが少し怯えて窺うように尋ねた。
「それはそうですが。」
自分で思いのほか大きな声を出してしまったこと、年にこだわったかのような態度に気づいてベロニカさんが少し申し訳なさそうに言った。
「まさかそこまで年齢を気にしているとは思わなかったな。」
桜月様が面白そうにベロニカさんの方を見た。
「女性としては常に若くありたいと思うのは自然なことと思いますよ。残念ながらまだ桜月様には早かったようですが。」
「確かに私はまだベロニカの半分ほども生きていないしまだ成長しているからな。あまり気にしたことはなかったよ。」
「桜月様一つよろしいでしょうか。」
ベロニカさんは微笑んでいる。顔は。目が笑っていない全く笑っていない。
「なんだ?」
「私はまだ二十代です。」
この場にいた人間が一様に嘘だろという顔をした。言われてみなくても見た目は綺麗だし肌に張りがある。ただ、メイド長というポジションと桜月様が幼少のころから仕えていたという話から三十代後半であると勝手な推測をしていた。
「なんですかこの空気。」
「だってベロニカさんあたしがここに来るときにはもうメイド長でしたよね。」
「はい。そうですね。あと何年かで十年になります。」
「十代からメイド長だったんですか。」
「いえ、二十歳からです。」
「この話は長くなりそうだ、もう食事の終わりということにしたいんだが。」
そんな二人のやり取りにめんどくささを感じたのはベロニカさんの年齢という話題を生み出すきっかけを作った桜月様だった。
それもそうですね、とベロニカさん。なんだかおもしろくなってきたのに残念だといった感じのその他と僕。
残念ながら話も途中でおられてしまいそのまま片付けに入った。食器を洗うのは本当は今日料理を担当しないはずだった僕とみゃーこと宮前さんなのだが、なぜか僕は料理を教わってはいたとはいえ夕食を作っていて、料理中には分からなかったことなのだが料理を担当するはずだった森さんは味見しかしていないのに食器を洗っいない。不公平だね。
食器も洗い終わり僕のこの屋敷においてやらなくてはならないことはお風呂掃除だけとなった。今日やる予定だった英語の復習が突発的強制参加型のお料理教室によってできていないのだ。明日明後日と土日の学校の休みとお仕事の休みが重なるタイミングだったから溜まっているマンガ小説なんかを読みつつ復習にあてるのもいいのだが、おばあちゃんの『毎日欠かさず努力をするからまいた種はいつか芽吹き花開く』という言葉とそれを体現していたおばあちゃんに従い、たとえ明後日に拘束時間不明の歓迎会が行われようと今日は今日の明日は明日の努力をすることために与えられた屋敷の端の部屋へ向かう。
自分の部屋のノブを回す前に部屋の中から笑い声が聞こえた気がした。
僕が屋敷に来てから今までこの部屋に僕と部屋の案内のためにベロニカさん、桜月様以外に人が入ることはなかったはずだ。僕が男でそれも女装を隠して生活しているということは桜月様とベロニカさん以外にいない。部屋に入るような人もいない。だから僕が男である証拠主に下着や本名朝霧秋梅と記されてあるものが表面上隠してあるけどちょっと漁られたりなんかされればすぐにばれてしまう。もちろんベッドの下に大人向けの雑誌だとかゴミ箱のティッシュから独特なにおいがするということもない。
僕は少しの間息を整えてから扉を開ける。
「案外遅かったじゃーん。それにしても意外だったなぁ、こんな男の子みたいな趣味のマンガ。」
まず目に入ったのは僕のマンガを数冊積んで僕が入ってきて僕だと認識したうえでマンガに視線を戻す森さん、僕の本棚で次は何を読もうかと悩んでいる姉崎さん、ベットに座りこれまた僕のだと思われる小説を読んでいる宮前さんの姿があった。
「ここはぼ、私の部屋ですよね」
「はい、ですから私はまず森さんにせめて一冊ずつにしませんか?と提案したんですが冊数が増えました。」
どうやら宮前さんの説得むなしく無視されてしまったようだがその表情は何も感じていないようだ。というか森先輩完全にはまったんでしょうね。流石長い間日曜の早朝枠を守り続けていたアニメの原作なだけはある。最近連載おわちゃったけど。
「そもそも人の物を勝手にはよくないと思うんですが。」
「あたしも本当は別の場所であんたらを待とうと思っていたんだけどね。」
「なぜこの部屋が選ばれてしまったのでしょうか。」
「そりゃあ、歓迎会の話をするのにくつろげて座れる場所にここが最適って言ってたからね。」
「言ってたってちなみに誰が言ったんですか?」
「こいつだよ。」
姉崎さんは今もマンガに夢中になって僕に気がついていないのか無視を決め込んでいる、間違いなく勝手に部屋に侵入してきたことに関して最も悪いであろう人を指した。
「まあ、ええ、うすうすわかってました。」
僕は森さんのもとへ近づきマンガを取り上げる。
「あぁ~今いいところ。」
「気に入っていただけたようでしたらお貸ししますけど。」
「じゃあ今日あと二十冊」
「まず片付けてください。」
「はい。」
森さんはしょんぼりしたように言いマンガを元の場所に戻す。そんなにこの少年マンガ気に入ったのかな。
「歓迎会の話ですよね夜遅くなっても皆さん困るでしょうし早くしましょう。」
「あと、疑問なんですけど。」
「なんだい?」
「なんで私と一緒に洗い物をしていた宮前さんまで私の部屋に私より先にいて待ってたんですかね。ここで待つような話をしていなかったと思うんですけど。」
「ああ、そのことですか。私も鬼灯さんよりも鬼灯さんの部屋で待つことに疑問だったんですがこの先輩方が既にこの状況でしたので私も流されてしまい」
「すいません。その答えでは疑問は解消されないんですが。」
食事が終わってから僕と宮前さんは洗い物をしていた。その間姉崎さんや森さんは別の仕事をしていた。そして洗い物が終わってから宮前さんは帰り支度のために通いの使用人が荷物を置く部屋、使用人室へ帰り支度に行った。そして僕の方はというと少し考えながらとはいえ部屋に向かったはずだ。部屋が同じ方向で宮前さんの方が先に行ったとはいえ早い気がした。
「私も使用人室で奥の部屋、鬼灯さんの部屋までという姉崎さんの書置き見てから来ましたし、中にすでに人がいるようなので入ったらお二人だけだったので鬼灯さんがまだ来ていないことに意外と遅いなと思ってました。」
「そんな細かいことは気にすること気にしなくていいじゃん。早速歓迎会の中身を決めようよ。」
そんなことはもういいよと森さんが言い出した。確かに今の話は細かくて本筋とは違う話になるけど気になってしまった。それに勘違いであっても理由がわからないとどことなく怖いかもしれない。
「そうさね。まずは何をするかだ。どこか場所を決めての食事、遊びか目的絞らずに駅の方まで言ってショッピングなんてのもいいね。」
「やはり食事が一般的かと思います。」
「でも飲むには年が足りないからなぁ。」
「もちろん未成年には飲ませないよ。飲めるようになったらその予期はその時で祝う会を開こうじゃないか。」
「お店はどのようなお店にしますか?」
「時間は次の日に響かないように遅くても終わりが九時ぐらいになるようにお願いできますか。」
場合によってはそのお店から屋敷まで歩いて帰ることになるかもしれないから、あまり遅くまでされても正直次の日が苦しくなってくる。
「日曜だともう予約とれるところ少ないんじゃないかい?」
「そうですね。」
「でも四人ぐらいなら適当な店にすぐ入れるでしょ。」
「歓迎会ならちゃんとしたお店にしましょうよ。」
「いえそんなにお気になさらずにお願いします。あまり高いところとかだったりすると逆に緊張してしまうので。」
「それでしたら駅からちょっと行ったところに新しくビュッフェスタイルのお店が出たのでそこに行きませんか?」
「さんせーい。」
「あたしも特にないよ。」
「私もです。」
「じゃあそこに決まりですね。」
「時間は午後六時ぐらいからがちょうどいいんじゃない?そしたら九時ぐらいには解散できる。」
「そうだね。じゃあそんな感じで五時半に駅集合で決まりだよ。解散。」
「はい。ではお先失礼します。」
話が終わってすぐに宮前さんは部屋を出て行った。
「じゃあさっそくさっきのマンガの続きを貸してー。」
「何か袋のようなものありますか?二十巻は多いですよ。」
森さんは自分のバッグの中身を確認して
「じゃあこれに。中には大したもの入ってないし。借りてくよ。」
そう言って僕の本棚からごそっとマンガを抜き取り森さんは自分のバッグに押し込んでいく。マンガに変な折れとか癖がつかずに帰ってくればいいな。
「んじゃね~」
森さんが出ていくのを待っていたかのように姉崎さんが口を開く。
「鬼灯ってさ。」
「なんでしょうか?」
「もしかして男装が趣味だったりする?」
「・・・はい?」
あまりに唐突な質問に思わずたっぷりと間をあけて返答を返してしまった。それもちょっと間の抜けた感じに。
「やあ、先に許可なく勝手に入ったこっちも悪いんだけどね。さっきメンズの服っぽいのを見つけてさ気になっちゃったんだよ。」
ここに住むにあたって前の寮で使っていた男ものの服はある程度処分しておいたが、女子が来てもまだ違和感が少ないようなデザインの物は部屋着用というかすぐには女ものの服が用意できそうにないからと着ていたものはあった。きっとその服が見つかったんだろう。
「ああ、あの服ですか確かにメンズでしたけど着ると案外女子でも似合ったりするんですよ。」
「そんなものなのかね。ちょっと興味がわいてきた着て見せてはくれないかい。それで男装かどうか判断するよ。」
「ま、まあいいですけど。着替えは見ないでくださいよ。」
学校の体育の着替えとかと違って人に紛れてさりげなくなら大丈夫だけど自分だけ着替えを見られるような状況はいろいろまずそうだ。
「恥ずかしいなら部屋の外で待っているかい?」
「お願いします。」
僕はカーキのワークシャツとデニムのパンツに着替えた。
「着替え終わりました。」
「どれどれ。」
姉崎さんは僕の頭から足の方まで軽く見て
「ああ、そうだね。似合ってるわ。あんた中性的だから胸の膨らみがわからなきゃ男でも通りそうだね。」
元が男なんでそりゃそうなんですけど。桜月様に言われた通りパットの枚数増やしておいてよかった。
「そういえばあんたの女の子らしい服ってのを見たことないね。そういうの買っているのかい?」
「あんまりファッションに明るくないので自然とシンプルなものになってくるんですよね。」
なんせ中身は男ですので
「素材はいいのにもったいないね。そうだ、歓迎会のついでだあんたの服買いに行こうか。」
「はい?」
「鬼灯どうせ足ないだろうしあたしが送り迎えしてやるよ。で、ビュッフェの前にショッピングと洒落こもうじゃないか。」
確かに自力で行くなら徒歩でバス停まで約二十分程かけて行ってから駅前で降りてから向かうことになるから送り迎えをしてくれるのはありがたい。それに私服で出かける機会も出てくるのだろうしちゃんとした外出用の服を買っておくのもいいかもしれない。
「あ、はい。じゃあお願いします。」
「午後二時くらいに迎えに来るから昼食食べておくんだよ。じゃ、そろそろ出ていくよ邪魔したね。」
「はい、日曜日はお願いします。」
姉崎さんは手を軽く左右に振って部屋を出て行った。
さて、一度着替えてしまったがどうしようか。もう一度メイド服に着替えなおして今着ているものは明日着るか、今着ているものをこのまま着ているか。このままこの服を着ていたところで、お風呂の時間までしか着ないのに洗ってしまうのは少しもったいないし、十分も着ていないし明日はこれ着ていようかな。
どうせ明日も休みになるから食事の時間以外は基本部屋から出ないしいいかな。明日着る分の服は出してしまったから椅子の上にでも置いておくか。
土曜日も雨が降っていた。雨でじめじめとしていてなんとなく不快だった。時間を確認するともうすぐ朝食の時間だ。土曜日で休みなのだから正直言ってお昼まで夢を見ていたかったけど、仕方がないから上着を羽織り食堂へ向かう。
「鬼灯さん申し訳ありませんが本日、急に風邪をひいてしまい来れない人が出てきてしまったので代わりをお願いできますか?」
「あ、はい。」
この屋敷で住み込みの者は朝の食事に出席しなければ、病気体調不良等の理由以外を除いてその日の食事が出てこなくなる。そのため土曜日にお昼まで眠っていたいという欲求に抗い朝食の席に着き食べている。そんな寝ぼけてぼやけた頭にいきなり休日も働けと言われたのになんとなくほぼ自動的に返事をしてしまった。いや、借金返済のためにここで住み込みで働いているから頭すっきりしていても拒否権無いに等しいんだけどね。
「ちなみに誰の代わりですか?」
「鬼灯さんにはお風呂の掃除と今日も食事の片づけをお願いしますね。毎日入浴後にも軽くお掃除をしてもらっていますけど最近雨が多く湿度が高いのでカビなどが決してないようにお願いしますね。」
「はい、わかりました。」
「その代わり明日はお小遣いを渡すので頑張ってくださいね。」
「はい、ありがとうございます。」
僕は十六夜家に借金をしている。その借金を返すためにこの屋敷で住み込みで働いているのだが、給料というか今回みたいにお小遣いと言ってお金がもらたりする。それもだいたい一万円札でだ。ちなみに僕は今自分の雇用形態というかそもそも雇われているのかさえ分かっていない。
ただ、二度目にこの屋敷を訪れた時に桜月様に言われたことは、三年間女装をして私のメイドとしてともに学校に通い桜月様のサポートをすれば借金は帳消しにしてくれるというような内容だった。
実際勉強に関してのサポートなんかは必要なく今のところベロニカさんと連絡をとったり荷物を持ったり部活の時なんかにいいように使われているぐらいで・・・それただのパシリじゃん。こんなので本当にいいのかな。
「では、早速ですが片付けの方よろしくお願いしますね。」
どうやら僕が思考にふけっている間に食事が終了していたらしい。
まずは食器だけ流しの方に下げていったんメイド服に着替えるために自分の部屋に行く。
ああ、シャツとデニムどうしようかな流石に明日姉崎さんに見せたものを着ていくのもなぁ。まあ、明日同じ服の理由聞かれたら答えればいいか。今日も姉崎さん来る予定だしなんとなく察してくれるだろう。
食器も洗い終わり片付けてお風呂掃除に移る。まずはマスクにゴム手袋ついでに水を浴びてもいいようにレインコートを準備する。高圧洗浄機で天井、壁、床、浴槽の汚れを一気に水圧で洗い飛ばす。一気に綺麗になっていくからこれは使っていて爽快感があって楽しい。
そしてある程度伸縮できる棒にシートを取り付けて使用するお掃除道具を使って天井を綺麗にした後カビ予防の洗剤を染み込ませた雑巾をさっきの棒に取り付けて天井に塗っていく。次に壁専用の洗剤に塗っていく。
とここで昼食の時間十分前に鳴るようにしていたスマホのアラームが鳴りだした。天井と壁の洗剤がある程度染み込むまで時間がかかるからちょうどいい。
昼食を食べ終えてまたお風呂掃除に戻る。昼食前に塗った天井と壁を洗い流す。次に歯磨き粉と歯ブラシでシャワーや蛇口を磨いていく。それを洗い流して排水溝に重曹を入れその後クエン酸も入れる。すると泡ができてくるその泡が排水溝のぬめりだとかに効くらしい。歯磨き粉を洗い流し一緒に排水溝の泡も洗い流す。浴場には換気扇がなくおおよそ十メートル四方ぐらいの広さのため乾燥機を一台だけではなく三台も使って乾かす。
普段は僕が入浴後に軽く掃除もしているのだが、改めてしっかりと天井とかも掃除してみると確かに汚れというかカビが生えているようなところもあった。なんとなくベロニカさんが僕にさせた意図がわかったような気がした。普段の入浴後の掃除も手を抜かずにカビやら黒ずみが出来ないようにしっかりと掃除しなさいと言われている気がした。
時間を確認してみると午後三時をまわったところだった。他に言いつけられた仕事もないしそもそも本来僕は休日なので掃除用具を片付けいったん部屋に戻ることにした。その途中でもしもベロニカさんがいたら次の指示を仰ごう。
ああ、なんとなく察していたけどベロニカさんを見つけてしまった。仕方がないと心の中で溜息を吐きつつベロニカさんのもとに行く。
「言われた通りお風呂掃除を終わらせました。」
「そうですか。あ、そうそうちょうどおやつを作っていたのですがお嬢様の部屋まで持って行ってもらえますか。」
「はい、わかりました。運んだあとはどうすればいいですか?」
「そうですね。おやつが余っていたと思いますからアフタヌーンティーでもどうでしょうか?」
「それは休憩ということでいいんですね。」
「私とお茶することが仕事になると言いたいんですか。」
「いえ、そういうわけではないのですが、話をどうしても学校での話にするじゃないですか。」
「それはただの雑談ですよ。」
「内容が桜月様に関する調査報告みたいなものを聞かれなければですけどね。」
「あらすいません。私ったらお嬢様の事になるとつい。」
ベロニカさんは本当に桜月様の事が好きなんだなぁ。と思ったけどきっとそういう自分の娘を可愛がるようなことしているのが婚期を遅らせるんだろうなぁと思ってしまった。
「今何か、失礼なこと考えませんでしたか?」
「いえ、そんなことないですよ。それよりもおやつ作り立てなんですよねできたてのうちに持って行くので、えっと厨房ですよね。」
「紅茶も入れるので少し待ってくださいね。」
ベロニカさんが手際よく紅茶を淹れるのを見てポットも受け取り桜月様の部屋へ行く。
数週間ぶりに桜月様の部屋に入るためどことなく緊張で硬くなった体を落ち着かせながら扉をノックする。
「入れ。」
扉を開けると桜月様が厚い本が何冊か開かれている机でノートパソコンで何かの文書ファイルを見ていた。
「失礼いたします。紅茶と焼き菓子をお持ちしました。」
僕の声に気づいたからかノートパソコンを閉じ椅子を回転させてこちらを見る。
「今日は鬼灯か珍しいな。」
普段はもちろんベロニカさんがすすんで桜月様と会話するという目的も多分に含ませてお茶の準備をしている。
要は最近雨続きで少々不機嫌なお嬢様の話し相手もとい遊び相手になれということなのだろう。
「はい、廊下で先ほどベロニカさんに言われて持ってまいりました。」
「自分の持ち場は終わったのか。」
「はい、しっかりと綺麗にしてきました。」
「そうか、少しお茶に付き合え。ベロニカの事だ私の分だけ準備をしたわけではないのだろう。」
「はい。私の分まで用意していただきました。」
ベロニカさんは運んで行ったらお菓子を食べましょうみたいなことを言っていたけど、ベロニカさんに渡されたお茶、お菓子の量は2人分はあった。
「さて、おまえは鬼灯か?それとも秋梅か?」
「・・・」
桜月様はいったい何が言いたいのかわからなかった。僕が鬼灯か秋梅か、僕の正体を知るというか僕に浅利鬼灯という存在を与えた張本人と一対一なのだから、秋梅に戻りたいというのが本音だ。しかし三年間桜月様のメイド浅利鬼灯でいることを強いられているんだから恐らく鬼灯と答えるのが正しいのだろうか。
「意地悪な質問だったな。昨晩お前の部屋に三人程お前の許可なく行っていたと小耳にはさんでな。今日の様子を見て女装がばれなかったとは思う。で、まだお前は浅利鬼灯なのか?」
「私が今日もメイドとして働けているのは私が男であると発覚しなかったためです。男装趣味疑惑は生まれましたが。」
桜月様はハッと笑った。
「先入観とは面白いものだな。言われてみれば女と思っている人間の部屋に男ものの服があれば、最初に疑うのはせいぜい男の存在か男装ということになるのか。それにここに住んでいる以上男が出来たことに気づかないわけがないからな。」
何かツボを刺激したのかある程度笑ってから息を整えて紅茶を飲む。
「おかげで助かりましたよ。」
「そんな服ばかりだからそんなことを思われるんだ。そうだ私の服をくれてやろう。まあお前には着られないだろうが置いておくだけで男装疑惑が少しは晴れるんじゃないか?」
桜月様の服は僕から見ればちょっと特殊でゴスロリって程フリフリでもないけどその系統を感じる黒を基調とした服を休日に着ることが多い。
「確かに私にはデザイン的にも(身長的にも)着ることができないでしょうけど。」
「デザイン的にも着ることが出来ないとは私の服装を馬鹿にしているのか。」
メイド服を着ることにもう何の抵抗もない僕が言うのもなんですけど、ゴスロリの類は精神的ハードルが高いと言いますかなんといいますか。
「そういった装飾の多い可愛らしい服は、私のようなどっちつかずな見た目の人間が着るよりも桜月様のような西洋人形のような見た目をしている人が着ると映えるというだけですよ。」
「なっ!ん?少し考えてみたのだが西洋人形という表現は私を褒めているのか?」
もちろん西洋人形の様というのは褒め言葉の意味で使ったのだが、サイズ的に小さいという意味においては桜月様の気にしていることに触れるかもしれない。というよりもダイレクトだ。
「はいもちろん褒めていますよ。桜月様は人形のように整った容姿をしていらっしゃるのですから。」
これももちろん本当の事だ。桜月様は金髪碧眼のお嬢様で美少女というある種の金持ちのお嬢様のテンプレ的な容姿を持っている。
「そ、そうか。で、何だったかな。ああ、そうだお前が最近慣れてきて気が抜け始めて勝手に部屋に侵入された話だったか?」
「概ねその話だったかと。」
僕が慣れ始めて気が抜けるのあたりは今言われましたが。
少しの間があり桜月様がカップに口を付けた。カップには紅茶が残されておらず飲み切ったようだ。
「さてと、言いたいことは大方言ったか。」
あたかも言いたいことが多くあったかのような雰囲気を醸し出しているが、いましがたの会話を振り返ってみてもいまいち言いたいことが気を付けろよ程度にしか感じられない。
「なんだ、私のカップは空だぞ、次淹れるのか下げるのか聞いたらどうだ?ベロニカなら私が何も言わずとももう少し飲みたい気分なのかを判断して行動に移し終わっているころだぞ。」
あれ?なんか怒ってる?怒らせるようなことをした覚えないんだけどなぁ。そういう時は原因(僕)とあまり会話を続けたいと思わないだろう。
「は、はい申し訳ありません。すぐにおさげいたします。」
「ほう、よくわかったな。私の気分が当たってよかったな、もう下がっていいぞ。」
ノーマルな僕をいじって楽しむ方の桜月様に少し戻った気がした。やっぱなんかイライラさせちゃったんじゃ。
桜月様とのお茶という名の釘指しが終わりベロニカさんが用意したおやつが待っている厨房に行った。が、やっぱりというか想像通りというかそんなものはなくなっていた。その分さっきの残りを食べたからいいか。
僕に与えられた仕事に関しては後夕食の後片付けのみとなった。次の指示も与えられていないし自分の部屋に戻って、明日のために準備しなくては、準備と言ってもバッグの中を改めたり明日の装いを決めるではなく、週明けまでにと学校から出された課題だ。一気に課題を片付けるのと毎日少しづつ進めていくのとでは頭への入り方が違う。個人的な感想にはなるけどちまちまやった方が状況とともに頭に入る気がする。
ということで、僕は学校から出された課題をやるために自分の部屋に向かう。
今回も誰かが勝手に入るんじゃないかと対策しておいたただ掃除をしただけの部屋には先客はいない。少しドキッとしてしまったが、それは昨日、少年趣味みたいなマンガのラインナップが本棚に並べてあると言われてしまったため女子にも人気の出た漫画化、アニメ化、アニメ映画化、実写映画化した小説を本棚の手前奥と縦に二冊並べられる本棚の手前に配置したり、森さんに持って行かれたもとい貸した週刊誌で連載していた死神のマンガを奥に移したりとしておいたからだ。
ところで森さんといつまでに返すとか決めるの忘れてたな。
せっかく夕食まで少し時間ができたんだ。メイド服姿のまま机に課題の冊子を出し許可書片手に冊子を進める。評価に大きな影響を与えない類の提出物であっても、桜月様が気まぐれなのか自分の課題を解く時間を短縮するためか時々僕の答えを写すことがある。本来ならばクラスメイト的にも使用人的にも止めなければいけないのだろうが、本人は内容を理解していると判断できるため今は何も言わない。さらに行ってしまうと二度目の高校一年生であるにもかかわらず。この前の数学、英語、生物の分野で桜月様より明らかに下の成績をだすことになった。
前も軽く説明した通り僕は本来桜月様の理解が遅れたところをサポート、教えることが僕の役割だったはずだ。はたして今、本当に桜月様にお付きの人はいるのだろうかと思えてしまう。
日々の勉強は本来の役割を果たせるようになるためのものでもあるのだ。と、そんな思考をしたりもしながら英語の長文問題を解くことが出来た。
今日は隅々までお風呂をピカピカにしたからか心なしかいつもよりも心地よく湯につかることが出来た。入浴時間が長くなったからかそれとも掃除にかける時間が増えたのか、多分そのどちらもだけどいつもよりも十五分も長くお風呂にいたようだ。
明日は僕の歓迎会が開かれる。今までそういったことはおろか誕生日でさえまともに家族以外から祝われたこともない僕だからか、妙な期待感というかわくわくしている自分にこんな年にもなって遠足前の幼稚園児かよとついつい思ってしまう。
その日はきっといつもより一時間は眠る時間が短くなった。