水纏う花弁を探しに
夏休みになったら合宿をしましょうと初雪様は言っていた。
なんだかんだ中途半端になってしまっていたお屋敷のプール掃除は私も水浴びしたいという森さんの協力の下なんとか合宿を行う夏休み第二週目月曜日には間に合った。
流しそうめん同様にベロニカさん達がいない日にこのプールを使って遊びもとい涼みながら休憩を取ろうという計画が聞こえてきた気がしたけれども聞こえないふりをしておいた。
僕も元々は泳ぎたかったというか水に浸かりたかったから、このプールを綺麗にしたわけなんだけど、森さんたちと一緒に入ったんじゃまたいろいろ気をつけなくてはならなくなって、逆に気がめいってしまいそうだ。
現に、今僕は自分の女性用水着を選ぶという避けたくても避けられない道にげんなりとしている。
「どうしたんだ?鬼灯せっかく君の水着を選んでやっているというのに、無理です。着られませんとは」
桜月様が持ってくる水着がどれも際どい布少なめみたいなのを持ってくるからでしょうが。
「もうちょっと、いろいろ隠せるようなのがあれば即決できなくもないんですが」
「では、こちらなどどうですか?」
ベロニカさんが背中がガッツリ開いているタイプの競泳水着を持ってきて僕に言った。
「それじゃ体のラインがですぎるじゃないですか。胸なんて真っ平らですよ」
「胸ならパッドを入れることを加味してこちらの胸周りも隠せるものをと思ったのですが、それとも胸のところがフリフリしたようなビキニの方がお好みでしたか?」
胸にフリフリがついているようなビキニって勝手なイメージだけど胸が小さいのを隠しているような人が着ているやつだろ?
「そういうわけでもないんですが」
「なんだ、全く注文が多いな。ではいったいどのような水着ならいいというんだ?」
「それは、あの全身覆うようなものなんかを」
自分で言って水泳の選手が着ていたような全身覆っているやつをイメージしてみたが、ベロニカさんが僕に持ってきた競泳水着となんら変わらないことに気がついた。
「君はサーフィンかダイビングにでも行くつもりか」
どうやらイメージされたのはウエットスーツだったらしい。
「もう水着にならないという選択肢はないんですかね?」
「何を言っているんだ君は、初雪がうちのプールを使いたいといっているんだぞ。もちろん使わせることになるだろうし、私もプールで遊ぶよう誘われるなら全力で抵抗して、部屋で君らでも見ながら紅茶でも飲みたい。それとも何か?布をまとわずに水に浸かるか?」
「そんなぁ。じゃあ、私は」
桜月様がそれをゆるされるのなら僕だっていいじゃないか、訴えるように目を見たのに目をそらされた。
「残念ながら私は屋敷の主として来客をもてなす義務がある。君が初雪らと遊ぶことによって初雪らは楽しめるだろ?さらに何かあった場合君がいたほうがすぐに対応できる。音姫と面識がない従者が近くにいたのでははしゃげないかもしれないからな。それに私とて初雪への抵抗むなしく、日にさらされてしまう可能性を否定できないからこうして君と私の水着を探しているというんだ」
桜月様は昔から初雪様と交流があるそうだ。初雪様はおっとりとした包容力のあるお嬢様然としているように見える。実際の中身はみんなにやさしく気配りもできる人ではあるが、気になることが出てくると意外と行動力があり一度始まったらなかなか止まらないため、桜月様は昔から初雪様の言うことには逆らえないというか強引に引っ張られてしまうらしい。
とはいえそれこそ日光があまり得意ではないうえに、水泳の授業でさえ休んでいる桜月様のことを知っているのだから無理には誘われないと思う。
なのに初雪様に誘われるからとかなんだかんだいいながら自分の水着を選んでいるのは初雪様にプールに誘われることをまんざらでもないと思っているからなのだろう。得意ではないと言っているだけで本当に駄目という訳ではないのだから。
ただ、日焼け止めやら紫外線対策やらはしっかりしなければならないだろうし、ビーチパラソルなんかで日陰は必要だろう。ビーチパラソルとか屋敷にあるとも思えないけど。
「そういえば、桜月様の水着ってどういうの選んだんですか?」
「まだ選んでいない。君の方が使う可能性が高いからな、そちらから選ぶのが自然だろう?君のを見繕いつつ自分のも探していたから何着か候補はある」
「お嬢様、候補がおありでしたらぜひ、試着をお願いします。お譲様のセンスを疑うわけではありませんが、やはり一度着てみなくては本当に似合っているかわかりませんからね」
僕らの話が聞こえたのか他の水着を探しに離れていたベロニカさんがどこか楽しそうにこちらに戻ってきた。
ベロニカさん桜月様のこと好きだからなぁ。
「い、いやそれはいい。それなら自分でさっき確かめた。問題ない。よし、これだ。これに決めた」
桜月様がベロニカさんの様子にうろたえながら手を少し伸ばしたところにあるひらひらとした胸の部分を隠す布に肩紐がついた水着を手に取った。
「フレアビキニですか。大変かわいらしくていいと思います」
「そうか、なら鬼灯の水着を選んでやれ」
「ですが、こちらの水着なんかも大変かわいらしいと思うのですよ。一度こちらも試着してみてからでもよいではないですか。さあ、私にベロニカに見せてください」
他の人からみたらこの光景はどう写っているのだろうか金髪碧眼で色白の肌をした少女と浅黒の肌に茶色の髪をしたこの主従はどのような関係に見えるだろうか。僕には人形のような少女に迫っているお姉さん(姉妹という意味ではない)というようにしか見えない。
桜月様が無口で逃げるようなまねでもすれば、完全に日本観光に来た外国人の少女に無理やり迫っているお姉さんは警備の人や警察なんかに言えば注意ぐらいされるぐらいのことにはなるのではないか?そんなことを思いながら他人の振りをして、自分の水着を選んでいる女子高校生になりきった。
うわー最近の水着ってすごいなー。男物の水着はトランクスタイプしか穿いたことなかたからそれと比較するしかないけど、実際に触ってみるとだいぶ薄くすべすべしているように感じられる。これで大丈夫なのか本当に不安だ。水で張り付いたりすけたりするだろこんなの。
「おい、鬼灯こっちに来い」
他人の振りをしようと決め込んだけれど呼ばれてしまい反射的にそちらをむいてしまった。試着室の辺りから声がしたが本人は見えない。桜月様に気がついたことにばれていなければできればそのまま知らなかったですというスタンスでいきたい。ベロニカさんも近くに見えないけど、まさか二人で試着室に入っているのではと思って念のためどこにいるのか辺りを軽く見渡してみると両手いっぱいに水着を持ったベロニカさんを見つけてしまった。
僕がベロニカさんから見えないように隠れようとすると突然後ろの試着室から金色の頭が出てきた。
「うあっ」
突然出てきた頭に僕は思わず声を上げてしまった。
「声を出すな静かにしてろ。君は今ベロニカの手先か?」
「い、いえその手先とかわからないんですけど」
「では、聞き方を変えよう。君はベロニカから私の監視および試着に関することで命令を受けているか?」
「いえ、そういったことは何も」
「ならいい。では、君はベロニカをしばらく止めていてくれ。着せ替え人形になるのはもうごめんだ。私は君がベロニカを止めている間にここから脱出する。私が逃げればベロニカは私を探すために君と手分けして探すと言い出すだろう。そうなったならば私にメールか何か送れ、いいな?では、頼んだぞ」
桜月様はそう言い、白い腕をあらわにして僕をベロニカさんの方へ押した。
「え?いや、止めるって」
「適当に話でもして注意をそらしてこい」
僕がさっき見かけたときよりも多い量の水着を持ってベロニカさんが試着室のあるこっちへ歩いて来るのが鏡で反射してチラッと見える。
僕が試着室付近にいること、桜月様と話していたことはわからないだろう。
並べられている水着で姿が見えないようにしてベロニカさんの後ろから声をかける。
ベロニカさんの足止めをしてもベロニカさんから桜月様が試着室から出て行く姿が見えれば意味がないだろう。
「ベロニカさんそんなに水着を持ってどうしたんですか?」
ベロニカさんが予想通りこちらを振り返った。
「これはもちろんお嬢様に試着してもらうものですよ。せっかく水着でお友達と遊ぶのですからこの中で一番似合うものを選びたいじゃないですか」
「そうですか、桜月様は自分で選んでいたものがあったんじゃないですか?」
「もちろん。お嬢様自身でお選びになったものもお嬢様に似合っていましたがまだまだお嬢様の魅力を引き出すには足りないものがありますので」
「この量、着替えるだけでも時間がかかるんじゃないですか」
両手でいくつ持ってるかぱっと見わからないけれど、少なくとも十はあるように見える。
「いつも家にいるお嬢様がせっかくお屋敷で水浴びをするためとはいえ水着になられるのですからもちろん多少時間がかかっても、このベロニカ必ずやお嬢様の魅力を十分に引き立たせる水着を選びます」
ベロニカさんの声が本気だと感じられるのと一緒に目がいつにも増していきいきと楽しんでいるように見える。
「ベロニカさん、途中から桜月様のいろいろな水着姿を見て楽しんでるだけですよね。それだけの量になると」
「え、ええ。言われるとおり私はお嬢様の水着ファッションショーを見て楽しんでいるということは認めます。それと同時に、お嬢様に似合う水着を選びたいという気持ちも確かにあるのですよ」
僕がベロニカさんと堂々巡りをしそうな会話をして時間をかせいでいるとベロニカさんの奥に見える試着室から桜月様が脱出をした。
試着室から出てくるまで少し時間がかかったように思えたのは服を着ていたからだろうか。
僕が桜月様に与えられた任務を考えると桜月様がある程度このエリアから離れるまでベロニカさんに桜月様が逃走したと気づかせないようにもうちょっと意味のない会話をするだけだ。
試着室のほうを見ているとばれてしまう恐れがあるから、ベロニカさんの目に視線を戻した。
「あら?今お嬢様が試着室から出て行ったように」
ベロニカさんは試着室のほうに振り返ろうとした。
「はい?あっちに試着室ってありましたっけ?」
あまりにもタイミングがいいその行動を止めようと僕は少しぎこちない日本語になりながら返答をした。
ベロニカさんの視界に試着室が入らないようにわざわざ気がつかれないように後ろに回りこんだのに、どうして気がついたのか。
「鬼灯さんの瞳越しにちらっと見えた気がするのですが」
僕の目に映ったものを見て桜月様の脱出が見られたなんて、予想できるはずもない。
桜月様は物の陰に隠れながら移動しているのか、ここからは姿が見えない。
ベロニカさんが向きを反転させて試着室のほうを見た。
「あら、靴が」
ベロニカさんは試着室の外に置かれているはずの桜月様のはいていた靴がなくなっていることに気がついてしまったようだ。
ベロニカさんが両手に水着を持ったまま試着室へ向かった。
「お嬢様、いらっしゃいますか?」
さっき桜月様が出て行った中身不在の状態なのだからもちろん中から返答はない。
「お嬢様開けますよ?」
ベロニカさんは後ろに僕がいるからかそっとカーテンをスライドさせ頭を中にいれ、僕に中が見えないようにして桜月様がいた試着室を覗いた。
覗いてすぐにカーテンは開けられた。おそらく試着したのであろう水着だけをその場に残した状態になっていた。
「鬼灯さんあなたからはこちらの試着室が見えたと思いますが、お嬢様がどちらに行ったか見ていませんか?」
「すいません。そこの試着室に特別注意を払っていたわけではありませんでしたので、それにベロニカさんと試着室がかぶってあまりこちらの方は見えていませんでしたし」
「そうですか。お嬢様がどちらに向かわれたのか心当たりはありますか?」
「もちろんありませんよ。ベロニカさんが何着も何着も水着を持ってきて着せ替えるようなことをしていたようなので、桜月様はこっそりと逃げ出したのでは?」
なんとなく桜月様の言い方から以前にも着せ替え人形になるような経験をしたことがありそうだったから、一応程度の気持ちで言っておく。
「いくら、不機嫌な顔をなされていたとはいえはっきりと拒否はなされませんでしたから。受け入れているものかと思っていました」
残念なことに桜月様を溺愛している姉を自称しているベロニカさんにとってこの水着選びというイベントは、拒否されるまでは構わないという認識をしているらしい。
「不機嫌な顔をされていたのなら嫌だってことを察してたわけですよね。やめてあげましょうよ」
「いいえ、あの姿を見ていないからそんなことが言えるんです。鬼灯さんもあの桜月様を見れば止めることなどできませんよ。そんなことよりお嬢様を探しましょう。逃げたと言っても遠くへ行く移動手段を持っていませんからこの建物内でしょうし」
「普段、桜月様が立ち寄るお店とかってわかりますか?」
「こちらのような建物はあまり利用はしないのでなじみのお店はありませんが、お嬢様でしたら書店や落ち着いてお茶ができるお店に行くと予想できますね」
「あー、想像できますね」
桜月様が服へ対する興味が皆無かと聞かれれば今回のようにしっかり選んで買おうとしていることから皆無ではないと答えることができる。だが、それ以上にお屋敷での桜月様を見ていると、本(洋書のようでどんなものかわからない)を読んでいるか、花壇の花の手入れをするか、そうでなければお茶を飲んでいるといった印象だ
「では、私は書店の方を見てきますから、鬼灯さんはティーブレイクができそうなお店から探していただけますか?」
「わかりました」
計画通りベロニカさんと別行動になれたからまずは桜月様にメッセージを送る。
『ベロニカさんと別行動になりました』
『桜月様はどこにいらっしゃいますか?』
僕はとりあえずメッセージを桜月様へ送り、試着室を出る際に散らかったと思われる水着をまとめて店員さんに返そうと声を掛けた。
「すいません。試着していたものなんですけど、ちょっとぐちゃぐちゃになってしまって」
僕の持っていた水着の量に眉を一瞬ひそませたけど、すぐに営業スマイルを浮かべて水着を受け取ろうと手を伸ばしてきた。
「いえ、別に構いませんよ。なにかお気に召したものはございましたか?」
水着を店員さんに渡す際にうまく渡せずに水着がいくつか落ちてしまった。
「あ、すいません。私が拾いますので」
店員さんが両手に水着を抱えたまま床に落ちてしまった水着を拾おうとして屈むと店員さんが抱えている水着が更に落ちそうになったから僕が拾うほうがいいだろう。
落ちた水着の一つに最初に桜月様が選んだフレアビキニがあった。ベロニカさんが桜月様に渡した水着が全てここにあるかはわからないけれど、きっと水着を何か買っておかないとまた、水着選ぶために試着という話になるかもしれない。
「あ、これ買いたいんですけど」
僕はフレアビキニを拾って店員さんに見せた。
「かしこまりました。ただいま準備をいたしますので申し訳ありませんが会計にて少々お待ちください」
両手に持った水着を何とか片腕で押さえて僕の持っていた水着を片手で受け取った。なんだか少し申し訳ないような気もする。
言われたとおりレジで待っているとスマートフォンが震えた。確認してみると桜月様からメッセージが届いていた。
『君は今一人か?』
『はい。一人です』
今送られてきたばかりのメッセージに返信したからかすぐにメッセージを見たことをあらわす既読のマークがついた。すると今度は電話が掛かってきた。
「はい、もしもし」
「確認のためだビデオ通話にして君の周りを映してくれ」
「え?あ、はい」
通話をビデオ通話に切り替えて周りが見えるようにくるくる回ってみた。
「本当にいないようだな。通常の通話に戻していいぞ」
「最初に一人だって言ったじゃないですか」
このまま店内でビデオ通話をし続けるのもなんとなく嫌だったので通常の通話に切り替えながら僕は言った。
「君を疑っているわけじゃないんだが、君がベロニカの指示に従っている可能性を否定できない」
「確かに、桜月様がいない状態ではベロニカさんの支持にしたがってしまうかもしれませんね」
「では、本題だ。私はサンク・ルージュという店にいる。確か7階だったか。ベロニカに見つかる前に来てくれ」
桜月様はそう言うと通話を切った。
僕も呼ばれたのだから速く向かわなくてはいけないと思ってはいるのだけど、店員さんがまだ来ない。このまま勝手に行ってしまうとその店員さんにも迷惑が掛かるしもう少し待つしかない。水着を買っておきたいし。
少し待っていると、さっきの店員さんがこっちにやってきた。
「お待たせいたしました。こちらの水着でお間違いありませんでしたか?」
「はい、そうです」
値段を知らずに買った水着のおかげで僕のお財布は大打撃を受けた。
「ありがとうございましたー」
僕は桜月様に指示されたとおり7階に向かいサンク・ルージュというお店を探す。
7階はどうやら飲食店街のような階になっていて、オシャレなお店が並んでいた。桜月様の言っていたお店はすぐに見つかった。店員の人に先に来ている人がいると伝えて中に入って桜月様を探す。
あの綺麗な金色の髪はすぐに見つかった。
「遅かったじゃないか」
「すいません。こちらのお店を探すのに少し時間がかかってしまいました。」
「まあ、いい。君も座れ。半ば逃げてきたようなものだから、この後のことを考えていないんだ」
「はい、では失礼して」
僕は桜月様の向かいに座って隣の席に買った水着が入っている袋を置いた。
「ここに来る前に何か買ったのか?」
紅茶を飲み、カップをお皿の上において桜月様は言った。
「ええ、水着を」
「ほう? 君はどんな水着を選んだんだ? 見せてみろ」
僕は桜月様に袋に入ったままの水着を渡した。
「それは私が着るように選んだやつじゃないか、まさか君そういうものが好みなのか?」
「あ、いや、これは私のではなく桜月様の水着でして」
「なんで君は私が着る水着を買っているんだ。私にそういった水着を着てほしいと、そういうことなのか?」
「いえいえ。そういうことではなく、桜月様がまたああいうことにならないために、水着を買っておいたんですよ。すでに水着があれば、また水着を選ぶようなことにならないと思いますから」
「ああ、そういうことか。そういう手もなくはないか。だが、君が着る分の水着はどうした?」
「結局どれも私にはいろいろと厳しいかと思いまして」
「まったく、君の水着を買いに来たのに、君が私の水着を買ってどうする。まあ、もともと君に拒否権はないんだ。最悪私が選んだものを着ることになるだけだ」
「そんなぁ」
「では、これはもらっておこう」
桜月様はそのまま自分の席の隣に置いた。
「さて、どうするか。帰りの都合どの道ベロニカと合流することは避けられない」
僕たちのいる場所はお屋敷から車で約1時間ほどの距離にある建物だ。徒歩で移動ができるような距離じゃない。
「そうですね。とりあえず必要なものを買っておけばそのまま帰ることができるんじゃないですか?」
「もちろん、それはそうだ。だが、私は財布を持って来ていない」
「え? それじゃあお金を持たずにここで紅茶を飲んでいたんですか?」
「ああ、そうだが?」
「無銭飲食ですよ」
「君が来るから問題ないだろ」
「私はお財布か何かですか」
「何を言っている? 君は私の従者だろ。私が出かけるときは基本的に手ぶらだ。試着をしていた都合もあって、荷物はすべてベロニカに任せてある。持っているのはこれぐらいなものだ」
そういって桜月様はスマートフォンを出して振って見せた。
確かに僕の立場は桜月様に仕える従者にあたるのだから役割は財布ではないけれど、財布よりも扱いはひどいものになるんじゃないか?連絡一つで来いというものに当てはまる可能性あるし。
とはいえ、このお店の値段しだいでさっき水着を買った僕は財布の役割すら果たせそうにないかもしれない。チラッとお店のメニューを確認しつつ僕のお財布の残金の記憶と照らし合わせる。
よかったこのお店は高くない。見たところこの紅茶しか注文をしていないみたいだから余裕だろう。一杯千円もしないようだから何杯か飲んでいたとしても足りる。
「これからどうしますか?」
「そうだな、必要最低限買えるだけの金があるのなら君の水着を買いに戻ることも考えるんだが、私は君のお財布事情など知らないからな。仮にだ君が買った水着をもう一着買うことになると仮定して買えるのか?」
「すいません。確実に足りないです。でも、選ぶのに時間が掛かっていたわけなので選んでおくだけでもいいのではないでしょうか?」
「君は何を言っているんだ?ベロニカは私の水着を選んでいた、もとい私を着せ替え人形にしていたのであって、君にはそうじゃないだろ?」
「たしかに」
「なら、しばらくここでベロニカを待つか」
「え、でもここに僕だけ呼んだ理由ってベロニカさんの着せ替え人形が嫌だったからですよね?」
「その事態を回避できる可能性はあるからな既に私の水着はあるのだから。それでも君が水着を選んでいる間にという可能性があることも否定はせんが」
「そうなった場合は即決しろとそういうことですか?」
「そうだな。その場合、私が多少そう望むだろうことは否定しない。しばらく、ここでティーブレイクといこうじゃないか。外に出ている時点で君にとっては精神的に疲れることかもしれないがね。私と同じものでいいか?」
「はい。ありがとうございます」
僕には桜月様が飲んでいるものが紅茶だろうということしかわからない。茶葉にこだわりを持っているわけじゃないけど、お屋敷で飲むものはいつも同じものだからおそらく違う種類だろうこの紅茶には少し違和感があった。渋みというか苦味のようなものと強い香りに少し顔をしかめてしまった。お屋敷で飲む紅茶はもっと甘く感じる。
「そんな顔をしかめてどうした?」
「いつも飲んでいるものより苦味が強かったので」
「それはそうだろうな。この店はディンブラティーを売りにしているようだからな。うちで普段飲んでいるダージリンやフランボワーズ、アールグレイに比べれば渋みも強いだろう」
「お屋敷で飲むものは飲みやすかったですけど」
「私の好みもあるが基本的には好みがはっきり分かれないようなものを多めに用意させているからな、ウバは世界的に有名な銘柄だが紅茶を普段飲まない人には癖が強く感じることがある」
「そうなんですか、同じ紅茶でも結構違うんですね」
「それはそうだろ。日本でのお茶の種類は煎茶、番茶など多くあるがこれは茶の分類としては緑茶に分類される。発酵していない茶葉を使うお茶を緑茶と分類されるからだ。紅茶は発酵させた茶葉を使うお茶だ。分類は同じであっても葉そのものの種類は変わってくるのだから当然、味や香りも変わってくるだろう。作られる国すら違うのだからな」
「言われてみればそうですね」
「さて、初雪の誕生日プレゼントの品を何にするか話そうじゃないか」
「はい?」
「言ってなかったか?今日は水着を買うのとともに初雪へのプレゼントをどうするのかという目的もあったんだぞ」
「初雪様って誕生日冬じゃないんですか?」
初雪という名前なのだからてっきり12月ぐらいだと思ってた。
「夏休み前に初雪の誕生日にうちの屋敷で合宿をするという話をしただろ?」
「あぁ、そういえばそういう話だった気がしますね」
合宿が夏休みってことしかおぼえていなかった。
「まったく、次からは気をつけてくれよ」
「はい、今後気をつけます」
「うふふ、何を気をつけるのかしら?」
突然隣の席に座っていた人が立ち上がってこちらを見た。座っている時は衝立でわからなかったけどベロニカさんだった。
「え、ベロニカさんいつの間に」
「鬼灯さんの紅茶が運ばれてきたあたりでしょうか」
「でも気がつきませんでしたよ」
「店員さんと一緒に来ましたからわからなかったのでしょう。そんなことより学校での予定などを把握、管理するのがあなたのお仕事なんですからそれがおろそかになっていたという内容の会話にはメイド長の立場としては見過ごせないですね。もし、大事な連絡があったときにあなたのところで止まってしまうという自体があってはなりませんから」
「まあ待て、ベロニカ。その話は帰りにでもしてくれ」
「失礼しました。あまりお店でするお話ではありませんでしたね」
「まあ一枚挟むのあれだ、ベロニカもこっちの席に来い」
ベロニカさんは座っていた席からこちらの席に移動してきて僕の隣に着いた。
「さて、初雪に何を送るかだが何かあるか?」
「去年は何を送ったんですか? それを参考に考えてみましょう」
「去年か、去年は確かバスソルトとかだったか?うちに泊まりに来たとき浴室の香りがいいと言われてな、うちで使っているものと同じものをプレゼントしたはずだ」
「バスソルトですか、となると今年も同じものをというわけにはいきませんよね。気に入ったなら自身でお買いになるでしょうし。では、桜月様は何をプレゼントされたら嬉しいですか?ご自身を参考に考えてみましょうよ」
「私か?私はそうだな」
「残念ですがお嬢様は参考になりません」
ベロニカさんがかろうじて聞き取れる程度の声で僕にそういった。
「軽く考えてみたが今欲しいものなどは特にないな」
「なるほど理解しました」
「君は今ので何を理解したんだ?」
「桜月様の誕生日プレゼント選びは苦労するんだなと理解しました」
ベロニカさんが小さくうなずいたのが目の端でわかった。
「別に無理に贈り物を用意しなくてもいいんだがな。必要なものは大抵は自分で用意できるのだから」
僕はベロニカさんに聞こえる程度の声で
「難儀ですね」
と伝えた。
「ええ、本当に」
同じくベロニカさんは僕に聞こえる程度の声で返事をした。誕生日のたびにベロニカさんは桜月様が別に要らないと言っていても何か贈り物をしていたのだろう。それが、主人を思う気持ちなのか姉が妹に対して思う気持ちなのかは僕にはわからないけれど、桜月様を祝うためにいろいろ悩みながら毎年贈り物をしたんだろうということはなんとなくわかった。
「そうだ、君は何を貰ったら嬉しいんだ?」
「私ですか?私に聞くのは間違いかと思いますよ?初雪様といろいろと違いますし?」
まずお金持ちではないし、何より性別が違うし。僕はお菓子を貰うだけで少し嬉しくなってしまう程度にはちょろい自覚がある。極論使えないもの、使わないもの以外なら大抵嬉しいんじゃないか?
「それもそうだな」
「案外悩む必要はないかも知れないですよ? 桜月様が送るものなら喜ぶのではないですか?」
「それは私もわかっている。私がよほどひどいものを送らない限り喜んだような表情をとるだろう。だが、だからこそしっかりとしたものを送りたいと思うんだ。家の付き合いもあるが、私にとって唯一といっていい友人になるのだから。縁を大切にしたいと思うさ」
桜姫様は好んでほかのクラスメイトの人たちと仲良くしようとしないからてっきり人付き合いを好まないのだと思っていた。
そんな桜月様がおそらくは家の都合で引き合わされたのであろう初雪様を大切に思っているなんて、初雪様はどんなアプローチを桜月様にかけたんだ?
「初雪様が喜びそうなものですか・・・何かおつくりして差し上げるというのはいかがでしょうか?」
ベロニカさんが言った。
「何か作る? 私に何を作れというんだ?」
「せっかく初雪様がお屋敷にお泊りになるのですから。お料理とまでは言いませんが、お菓子を作ってお茶と一緒にいただくというのはいかがですか?」
ケーキを作ってプレゼントするなんていうのは確かにあるかもしれない。それに作って持っていくのではなく、誕生会の舞台となるお屋敷で作っておくというのだから、ケーキがいくつもあるという状況になる心配もないしいいのではないか?
「それはいい考えだと思います。そうですねお屋敷の主として小さいものではなくケーキなどの大きいものを作れば皆さんで食べることもできるしょうし」
「お前、当然料理などするはずもない私にいきなりケーキを作れというのか? いや、だめだろ私自身美味しいと思えるものを作る自身はないぞ」
桜月様は僕の提案に苦い顔をして返答してきた。料理の経験も一切ないのであればいきなりケーキを作るというのはやっぱり抵抗があるみたいだ。
「お嬢様がするというのであれば、私ベロニカは全力でお手伝いいたしますよ」
「ま、まあベロニカが付くのであれば最悪食べられるものにはなるか。当日は任せたぞ」
ベロニカさんが桜月様にそう言うと桜月様もベロニカさんがアシストに付くのなら安心なのだろう。あまり乗り気ではないがやってみようぐらいの返事にはなった。
「さて、初雪に送るものも決まったことだ、鬼灯の水着を買いに行こうじゃないか」
「では、私は桜月様の水着をお選びしますので」
「それについては大丈夫だ。私の水着は既に買ってある」
桜月様は水着が入っている袋をベロニカさんに見せながら言った。
「あら? いつお買いになられたんですか?」
「この店に来るときにな」
「そうでしたか。では、残念ですが鬼灯さんの水着を選びましょうか」
「結局私の水着は買うんですね・・・」
「そりゃあ、そうだろう。お前は確実に水浴びになったとき二人の相手をするんだから」
僕、男なのに。二人ともそれを知っているのに。なんで僕が水着で二人のお相手をすることが決まっているんですかね・・・