従者の日常 後
広いお屋敷の狭い僕の部屋(といっても僕が住んでいた寮の部屋と大して変わらないどころか広い)でしばらく休憩をして時計を確認するともう時刻は半を完全に回っていた。
「もう半ですね。そろそろ行きましょうか。真面目な話葵さんから連絡がなければお昼ご飯をどうすればいいのかわかりませんし。」
「せめて連絡でもしてくれれば私たちでお昼をすませることも考えるんですが。姉崎さんが当番ということは確実なので連絡がないうちはお昼に私たちだけというわけではないと思いますし。」
「一度厨房の方へ戻ってみますか、もしかしたら戻ってきてお昼の準備をしているかもしれません。」
「ええ、そうですね。」
僕たちはまた厨房に向かった。
途中何と無く窓の外を見ると空に浮かぶ雲が魚に見えた。そういえばあの魚直射日光が当たるようなところの水槽に入れっぱなしだけど大丈夫かな。もともと水抜きの仕方聞いてちょっと水分補給して戻る予定だったから心配だ。いくらよくわからないけどいつの間にかいた魚だって水槽に入れて気がついたら死んでいたなんて気分が悪くなる。
宮前さんには悪いけどちょっと様子を見てこよう。
「宮前さんすいません。先ほどすぐに戻るつもりで水槽に移した魚が直射日光の当たる場所なのを思い出しました。どこからきたかわからない魚とはいえ、この強い日差しに晒したままなのは気になってしまいますので私はそちらの方を見てきてもいいでしょうか。」
「その水槽は日陰に移すことになりそうですから、私も手伝います。」
「そんな、この炎天下にわざわざ私を手伝う必要もありませんよ。」
「こんな炎天下だからです。鬼灯さんは夏でもそんな暑そうな格好をしているんですから、それに魚が入った水槽って重いでしょう?」
「いえ、私だけでも大丈夫ですので。」
手伝ってもらった方が僕としても楽だけど何かの拍子に水を浴びて服が透けちゃうと暑くて色々付けていなから困ってしまうな。そうそう透けるようなものじゃないんだけど、服が濡れて体に張り付くだけでも胸が膨らんでいないとバレてしまう。
もしも疑われても胸がないのでパッド詰めてます、で誤魔化されてくれればいいんだけど。
「そう言うなら、では軽く厨房を見たらそちらにお手伝いに行きますね。」
「はい、ありがとうございます。場所はわかりますよね?」
「ええ大丈夫です。問題ありません。」
宮前さんに見られる前に水槽を動かしておきたい。一応浅利鬼灯は女子なのだからあの魚入り水槽を持ち上げて動かしているのはおかしく思われるかもしれない。自分で言うのもなんだが僕は線が細い。この屋敷で働いている人の中で非力な方だと思われている。
実際葵さんの拘束抜け出せなかったし、あながち間違っていないかもしれない。森さんと腕相撲しても勝てないんじゃないかな、あれ?本当に僕って女性並み?
そんな男として情けない想像を頭を振って追い出した。こんなこと漫画、ドラマぐらいでしか見たことないけど、実際にやって見ると案外髪が鬱陶しい。汗のせいでサラサラの髪が軽くベタッと肌に張り付くし、ウィッグだから頭蒸れるし、いっそ夏で暑くなってきたのでとか言ってロングからセミロングぐらいには変えてしまおうか。
実際にそれを行動に移すにはこのいくらかはわからないけど高そうなウィッグをさらに買わなければならない。それか僕の髪の毛が伸びるまで我慢するか。
最後に髪を切ったのって何月ごろだったかなぁと自分から生えているわけではない前髪を弄りながらプールに行くとそこよりちょっと行った所になぜか竹が何本も置かれていた。
なんだこれと思っていると向こうから竹がやってきた。もちろん誰かが、葵さんか森さんあたりが運んでいるのだろうけど少し見づらく、どっちなのかはわからない。
さらに竹がこっちに来るのを見ていると、運ばれていた竹が移動の揺れで一本だけ明らかに前に出てきていた。このままだとそれは確実に束から外れて落ちてしまう。運んでいる本人はどうやらそれに気がついていないようだ。
「あ、落ち」
前に出てきた竹が腕で押さえつけられているところよりも前に出てしまい、とうとう束から一本傾いて地面に引っかかり、地面に引っかかった竹が更に束の竹に引っかかるという連鎖が起きてしまった。
幸い運んでいた本人はちょっと躓いた程度だったが、腕で抑えられていた竹の束はばらけてしまい色んな方向を向いちゃっている。これは一人でどうにか立て直すのは厳しいし地面に一度置いてしまうと今度は持つのがつらい。
なら2回に分けて運べぶのが一番楽なはずなんだけど、どうにも一度で運びたいらしい。
竹を運んでいた理由はさておき、ばらけた竹を一度で運ぼうとしたあたりでなんとなく気づいていたけど、近づいたらやっぱり森さんだった。
「森さんこんな所で何をやっているんですか?」
「あっちゃ~見つかったかぁ。」
この竹を運んで何をしているのか全く見当がつかないけど、森さん的には見られたくないものだったらしい。ばれたくないなら、僕が掃除していたプールのそばに竹を置かないでほしい。
「はい?」
「いやね、本当はこれ終わってから呼ぼうと思ってたんだよ。」
竹を集めて僕たちを呼んで何をしようと思ってたんだ?こっちはこれといって何も言わずにどっか行った森さんと葵さんを軽く探していたのに。
「で、何してたんですか?」
「竹を運んでた。」
「はい、それは見ればわかります。ですので、その竹を運んで何をしようとしていたのか気になるんですけど。」
森さんは少しだけ既に運ばれている竹の方へ目をやりつられて僕もそちらを見た。
「ふんふー、それは後のお楽しみということで。てか、鬼灯〜そこで立って見てないで手伝って〜。」
視線を森さんの方へ戻して、地面に転がっている竹を拾った。
「これ、後片付け面倒なんじゃないですか?あと、どこから持ってきたんですか?」
「んー後片付けにはノーコメント。きっと楽しいからそこはプラマイゼロってことにして、これはあっちから持って来た。」
森さんはあっちと言って今歩いてきた山の方向を指さした。僕が仕えている十六夜桜月様の住むこのお屋敷は丘というか山の上にある。何人もメイドを雇っているように紛れもないお金持ちだ。なんでも十六夜家のあるこの山をまるまる所有しているらしい。本当は今よりも所有する土地は広かったらしいのだが、今では道路になりコンビニなんかもそこに建っているらしい。
それほどまでに広い土地なのだし、昔はかごやらザルやらいろいろなものに竹が使われていたりもしたのだからきっと竹林もどこかにあるのだろう。
「これを運んで何をするのかはわかりませんけど、量が必要みたいですし手伝いますよ。」
「ああ、大丈夫大丈夫。これで最後だから、じゃあこれの組み立て手伝ってよ。」
「組み立てですか?どんな風にするんですか?」
「竹をクロスさせて縛って立てて並べるだけ。あたし縛るから鬼灯は竹クロスさせて持ってて。」
「間隔ってどのくらいですか?」
「適当。スタートはこの辺でいいかな。」
適当って、僕はとりあえず竹を二本、森さんのとこに持っていき立てて交差させた。交差させて持っていると森さんが交差させたところを縛っていく。
いくつか立てると森さんは交差させて立てている竹の上を通すように竹を一本通し少しそこから離れてそれを見て最初に立てたものを指さした。
「鬼灯そこのやつ結ぶとこもうちょい上にするからちょっと持ってて。」
「あ、はいわかりました。」
そんなことを何度か繰り返してようやく持ってきた竹がすべて組み終わった。だけど上に乗っかっている竹は交差させた組の半分だ。組んだ竹を並べた長さはおおよそ30メートルと言ったところだ。こんなのをいったいどうするんだろう。
「ふう、まずはこれでよし。じゃあ、次に移ろうか。」
「まだ続きがあったんですか?」
すると森さんはさも当然であるかのように
「あったりまえじゃん。鬼灯これ見てもまだわからないの?」
これ見てと言われてもこの屋敷には似つかわしくない竹が並んでいるだけのようにしか見えないけど。
「じゃあこれで分かるでしょ。」
森さんはそう言うとスカートをまくり、なぜか足に装着しているカバーから鉈を抜いた。
「ちょっ、森さん何してるんですかっ!」
あまりにも自然にその動作をしていたため普通に見てしまった。ついでに黒い何かも見えてしまった気がしないでもないけど、それは影だったことにしようと思う。
「どう?かっこいいでしょ」
少し得意げに鉈を振りながら森さんは僕にそう言ってきた。
「かっこいいとかそういうことではなくてですね。なんでわざわざそんなことしたんですか。」
森さんのイメージはきっと足につけたホルスターから拳銃を抜く感じなのだろうけど、拳銃に比べてそこそこサイズのある鉈でそれと似たようなことをやろうとするから鉈を抜くときにスカートがだいぶ高い位置までめくれたじゃないか。
「だって、かっこよくない?」
「そんなにスカートめくって恥ずかしくないんですか?」
「このくらいは別にいいじゃん。流石にこういうお客さんも誰もいないときぐらいしかしないけどさ。」
森さん普段こんなことしてるのか、そりゃ宮前さんも厳しくなるわけだ。そして僕は一応女子ということになっているけど同性の前でも恥じらいは持ってほしい。森さんがやってることはどう考えても中高生の男子に近い気がするけど。
「そもそも普通はそんなことやろうと思いませんよ。」
「あたしは普通じゃないからなきっと。」
「そんな開き直られても。」
「ままそのことは置いといて。」
森さんは鉈で竹を綺麗に縦に二つに割った。
「唐竹割り~っと」
そんなことを楽しそうに言いながら上に乗せる竹を全て二つに割った。半円になった竹の筒をちょうど組んだ竹の上に置くと流石に僕にも何がやりたいのか分かった。
ここが立派なお屋敷とかじゃなかったらもう少しわかるのは早かったかもしれない。でも、なんでここで流しそうめんをするような準備をしているのだろうか。桜月様は確実に乗り気にならないだろうしなりよりここに合っていない。ベロニカさんがいたらこれは許可されないんじゃないのか。
「これってもしかして今日のお昼ご飯は流しそうめんですか?」
「正解!普段ならこういうのやらないしできないんだけどね、偶然あたしが竹林見つけちゃってある少しぐらいなら切っていいって言われたのと桜月様とベロニカさんが今日はお昼を外で食べてくるっていうのが重なったからやってみたってわけ。」
僕はベロニカさんたちが今日は出るっていう話を聞いていないんだけど。
「今日って出かける予定があるって言っていましたっけ?」
「言ってたんじゃない?姉御知ってたし。」
ベロニカさんが今日葵さんに言ったのなら僕は今日葵さんとほとんど会っていないから聞いていないのも仕方がないように思う。
「んじゃ割った竹の節を綺麗にとって流しそうめんしよう!」
「そのそうめんって準備されてるんですか?」
「そっちは姉御が準備することになってるよ。」
「さっき厨房の方に行ったときは葵さんいませんでしたよ?」
「きっとあたしたちが竹取の翁している時だったんじゃない?」
森さんと葵さんで竹を取っていたから屋敷を探しても二人とも見つからなかったのか、ベロニカさんと桜月様が出かけたのはさっき聞いたからこの屋敷に四人でいるものだと思っていた。
そういえばあの時に森さんは宮前さんを見て逃げるように去っていったような気がするんだけど。
「翁はおじいさんという意味であって二人には合わないと思うんですが。あれ?そういえば森さんさっき廊下で話していた時に宮前さんを見て逃げるみたいにしてましたよね。竹を取ってくると宮前さんに言えばそんな逃げるようにしなくてもよかったんじゃないですか?」
「あんときは姉御におこぼれを貰いに行こうと思ってたからちょっとね。行ってみたら今日のお昼は桜月様もベロニカさんもいないしそうめんみたいな話ししたから、あたしがそのまま流しそうめん提案したら面白いって決定したのさ。」
僕たちが厨房いくまでの間でそんなやり取りがあったのか。
そんな話をしながら節を取っているとふと思ったことがあった。
「こうやって実際にやってみると意外と綺麗にとれないんですね竹の節って、いつもテレビで見ていたのでもっと簡単だと思っていましたよ。すごいですね本当にあの人たちはアイドルなんですよね。時々疑ってしまいます。」
日曜の7時の枠を何年も一つのグループだけで番組を成り立たせているだけでもすごいのに、米作りに干潟、無人島、さらには生態系とアイドルとはとても思えないようなことを何年もしている。女子からはいまいちわからないけど、男子からの好感度がトップクラスに高いのはたしかだろうあの大手アイドル事務所所属のアイドルグループだ。
「あぁ、確かに、あたしもあの人たちライブ衣装よりも作業着とかの方が見慣れてるかも。まあ、完全に綺麗じゃなくても水がちゃんと通ってそうめんが引っ掛からなければ大丈夫でしょ。」
「じゃあ一回軽く水を流してみますか。」
「おっけー、いいねやろう。」
僕はプール掃除のために伸ばしてきたホースを引っ張ってきて水を流す。竹についていたゴミみたいなものやら節のカスやらが流れていった。
「水が流れる分には問題ないみたい。じゃあ残りもやりますか。」
僕と森さんで残りの竹の節を取っていった。
「よーし、これで最後。じゃあ、水で流そうか。」
全ての竹を水で流しているとザルを手に葵さんと宮前さんがこっちにやってきた。
「お、姉御ちょうどいタイミング。」
葵さんはこっちの様子を軽く見て
「そっちは今終わって水だけ流していたってところかい?」
「まあまあそんなとこー。さ、早く流しそうめんやろやろ。あたしもうお腹すいたぁ。」
「そう焦んなって、そうめんは逃げやしないよ。」
「流れてはいきますね。」
僕がそう言うと森さんがちょっと残念そうな顔をした。
「それに流しそうめんの性質上早い者勝ちみたいなものですからね。」
宮前さんが僕に続いてそう言うと猫のようにフシーと威嚇の様相をとった。
「まあまあもりーが食べんのは知ってるからその分多めに茹でてきてるって。」
葵さんがそう言ってザルをこちらに見せると森さんはにこっとした。食べ物でこんなにコロコロと表情が変わるなんて面白い人だ。
「姉御流石!じゃあやろう、やろう。麺は足りてもこのままだと乾いて玉みたいになっちゃうよ。」
「それもそうだね。それじゃあ始めようか。最初流し役やるから、鬼灯かみゃーどっちか後変わってちょうだいね。どうせあいつは最初から最後まで食べているだろうし。」
気がつくと既に器につゆをいれて箸を持って森さんがスタンバっていた。
「もりーあんたがそこにいたんじゃ流れてきたの片っ端から食べてくだろ。二人の方が前ね。」
「えぇー姉御、そんなことしたらあたしに回ってこないよ。」
「あんたと違ってこの子らは食い意地はってないから安心しな。」
「流れてきたのを次から次へと食べるようなことは私にはできませんので安心してください。」
「私も鬼灯さんと同じですので。」
僕と宮前さんがそう言っても森さんはどこか疑いの目でこちらを見てくるような気がした。
そんな視線を無視するように宮前さんは僕に器と箸を渡してくれた。
「宮前さんどちらがスタート付近にしますか?」
「適度に後まで流していただければ私はどちらでも構いませんよ。」
「私もどちらがいいというのもないのですが。」
ようは一番前なら三玉流れてきたら、真ん中なら二玉流れてきたら一つで均等になるようにすればいいんだから食べる量は変わらない。だったら早く決めた方がいいか。
「じゃあ、手っ取り早くじゃんけんで勝った方が前ということで。」
「どっちがどっちがと譲り合っていたりするのは無駄ですからね。」
「「じゃんけん、ポン」」
僕はグーを出して、宮前さんはチョキを出した。
「鬼灯さんが前で私は真ん中ですね。」
僕と宮前さんが位置に着いたところで気がついたけど、いくら使えるスペースがあるからと言っても三人でこの長さは長すぎる。間隔を均等に取ろうとすると10メートルも離れることになる。
結局30メートルもある水を流している竹の半分以下10何メートル程で流しそうめんをすることになった。
たまにはこんな日も悪くないか。