従者の日常 中
そういえばこの屋敷に来てから宮前さんと二人で事務的なこと以外をするのは初めてかもしれない。
なんだかんだで、森さんはマンガを借りに勝手に入ってくるし葵さんとは,,,
「鬼灯さん大丈夫ですか?お顔が少し赤くなっているようですけど、確か本日は外で清掃していたのですよね。」
まずい、少しあの日の事を思い出しただけで顔が赤くなってきてしまったようだ。葵さんと二人になる状況はあの日以来ないしそもそもあまり会っていないからあまり意識をしていなかったけど、やっぱり僕の中に良くか悪くかは自分でもわからないけど強く残っていた。
「いえ、体調は大丈夫です。顔が赤くなってきたのは日に焼けてしまったのかもしれません。」
「それだけならいいんですけど。鬼灯さんは体が弱いと聞いていますのであまり無理をせずに休憩してくださいね。」
「体自体は弱くないですよ。風邪とかもあまりひきませんし。皮膚が弱いだけなんですよ。」
肌が弱く夏の日光なんかにもやられてしまうという設定です。この設定のおかげで年中肌の露出がない格好でも説明できている。
「そうだったんですか。皮膚が弱いのにこういったお仕事はつらいんじゃないですか?」
「それほど多くを経験していないので、つらいかどうかを一般的なお仕事とは比べられないんですけど、間違いなく楽しいですよ。学校でもこちらでも。」
「年も変わらない私が言うのもなんですが、それはよいことですね。」
「宮前さんはこの仕事楽しいですか?」
「どうなんでしょうか。私はこのお屋敷以外でのお仕事は経験がないので鬼灯さんと同じで比較対象がありませんから。ですが、きっとここは楽しいのだと思いますよ。」
宮前さんは桜月様を除いて僕に最も近い年齢の人だ。これはバイトで務められるようなものではないし宮前さんはたぶん高卒で就職をしたのだろう。
「ここの人たち優しいですし間違いなく先輩に恵まれていますよね。」
「それは間違いないですね。」
僕たちは厨房に着いたがそこには誰もいなかった。
「森さんはいないかもしれないと思っていましたが、姉崎さんまでいないとは思いませんでした。いつもならこの時間には厨房にいるはずなんですが。」
「二人ともどこに行ったんですかね?森さんだけでなく葵さんまでいないのはちょっとおかしいですよね。」
森さんはいいとして、葵さんまで仕事を投げ出しているなんて何かある。なんだかちょっと面白くなりそうだぞ。
「ええ、てっきり今日は飽きるのが早くてつまみ食いをしに行ったものと思っていましたから。ここにいないとするとどこにいるんですかね?」
「残念ながら私にも見当がつきません。森さんは厨房か私の部屋ぐらいにしか行きそうなところが思い浮かびませんから。」
森さんには悪いが、僕の森さんに対するイメージがつまみ食いとマンガだからここか僕の部屋にいるイメージしかない。
葵さんはどこにいるというイメージはない。料理の担当が多いからか少し厨房にいるイメージがあるけど、今日は担当なのにいない。
もしかしたら、二人で行動しているのかもしれない。
「森さんが鬼灯さんの部屋に行きそうなのであれば一度行ってみましょうか。」
「え?私の部屋にですか?」
「残念なことに私も二人ともここ以外によくいるところが思いつきませんでしたから。」
いつ部屋に来られても僕の正体がばれるようなものを置いていないはずだから大丈夫のはずなんだけど、急に行きますと言われるとやっぱり戸惑ってしまう。
「あ、すいません。そうですよね。急にあなたの部屋に行きますと言われても困ってしまいますよね。」
「あ、いえ、森さんなんかは勝手に入ってくることがあるので大丈夫です。」
本当に前ぶれなく事前の連絡なく部屋に入ってくるから驚かされる。人間の怖いところは本来であればバレる危険性があるからやめさせるか常に気をつけるかしなければいけないんだけど、僕は勝手に部屋に入ってくる森さんに対して今ではすんなりと受け入れてしまっているということだ。それも一ヶ月経たずに。ノックも声がけもせずに部屋に入ってくる度に注意とお願いをしていたにも関わらず現状直る気配はない。困ったものだ。
そんな事を思い出していたら宮前さんがため息をついていた。
「私は中までは入りませんので鬼灯さんの部屋確認お願いします。」
「私は構いませんよ。ついでですし水分補給と軽い休憩もしましょうか。お屋敷の中がある程度涼しくても夏は小まめな水分補給が大切ですし。と言っても、ペットボトル飲料ぐらいしか私の部屋にはありませんが。」
長い時間外で作業していたせいでもうのどがカラカラだ。
「いえ、そんなことは、ちょうどのどが渇いていたところです。お言葉に甘えさせてもらいます。」
「そんなにかしこまらなくてもいいですよ。そしてのどが渇いたと感じた時は既に体の水分が少なからず足りていないという信号なので、水分補給はのどが渇く前をお勧めします。」
何かの作業をしているとのどが渇くのに気づかないから意識的に休憩、水分補給をしないと倒れてしまう。プールなんかで水に触れている時は発刊にも気がつかないから要注意だ。
「畏まっているつもりはないんですけどね。それよりも鬼灯さん服がだいぶ濡れているように見えますけど着替えなどはしなくてもいいんですか?」
宮前さんにそう言われて僕は自分のメイド服を見てみる
「外のプールみたいなところを掃除してた時に結構濡れちゃったみたいですね。午後からも同じことするのでこのままでも大丈夫だと思います。こんなに暑くて日が強くても意外と乾かないものですね。」
水抜きの方法がわかったら午後からはプールの中に入ってブラシなんかでこするんだろうから午前よりも濡れてしまいそうだ。だからこのタイミングで着替えても洗濯ものが増えるだけになる。
「そういえば、なぜ肌の弱い鬼灯さんがプール掃除のようなことをしているんですか?そもそもあれって何年も放置されていたようなものなんですよね。」
「今度、学校で桜月様が所属している部活動の合宿みたいなものがあるんですよ。桜月様はもちろん外出に乗り気ではないので、このお屋敷で合宿をするような流れになりました。」
「参加することもそうですけど、ここを合宿の場に提供するのも意外に感じられます。ところで、どういった部活に所属しているのですか?学校の話はそのほとんどが私たちには話されていませんので。私たちも多少気になりますから。」
「私はてっきりベロニカさんから皆さんに妹の事を話すような感じで伝わっているのだと思っていましたけど。」
「姉崎さんには伝わっているのかもしれないですけど、少なくとも私は通っている学校ぐらいしか知らないですね。」
僕は学校での出来事は基本的にベロニカさんに報告することになっている。桜月様の事を実の妹のように可愛がっているベロニカさんの事だから何かいいことがあったら他の人に話していてもおかしくはないと思うんだけど、そのあたりはベロニカさんが公私を分けているのか僕以外のメイドの人にはほとんど話していないようだ。
間違いなく桜月様自身の話をされるのは嫌がるだろう。これといって話すようなこともないだろうけど。印象が強いエピソードならいくつかあるけど、それは好んで人に話して楽しいような内容じゃない。
舞台の悲劇とは違ってそのエピソードは人を惹きつけるようなものではない。空想とは違って実際にその場面にいた登場人物がその話をして、聞いて何も感じないほど僕たちは鈍くもないし強くもない。誰であれ人の悲劇を聞くのは楽しくとも自分の悲劇を他人に語って楽しくはないだろう。
だけど、僕の話を差し障りないような程度だったらいいのかな。
「そうだったんですか。やっぱり私たちの雇い主にあたりますし桜月様の事気になりますか?」
「普段は学校でどのようなことをなされているのか全然気にはならないんです。あまり接点もないですから。今回は桜月様の部活の人が来るようですのでどのような方が来られるのかという点で気になってしまいました。」
合宿っていうことは当然泊まりになるわけだから、それだけお客様との接点が増えるかもしれない。そもそもこういうお屋敷でお嬢様のお友達にあたる客人が来た場合どの程度までしなければいけないのかいまいちわからない。何か不便があったら近くのメイドに気軽に言ってくれっていう感じなのかな。
それとは別に僕は接し方として学校でしているような接し方とお屋敷でお客様を相手にする時の接し方とどっちがいいのかな。
「では簡単にだけ。まず、私たちが所属している部活は園芸部です。今回こちらにお招きするのが顧問の先生を含めて三人です。」
「園芸部ですか。桜月様が所属していても違和感があまりないですね。園芸部の合宿っていったい何をするんでしょうか?」
「表向きな理由はこのお屋敷で育てている花を見て参考にするとかそんな感じだったと思います。」
実際はただ合宿というイベントがしたいとかも言っていた気がしますが。
「確かにベロニカさんや桜月様が手入れした辺りなんかはちゃんとしたテーマパークと比べて量での華やかさは仕方ありませんけど手入れの丁寧さ、仕上がりなんかは勝っているように感じられますからね。」
真面目な宮前さんはそれだけの説明でも納得してくれたようだ。僕なんかはどう考えても園芸部に合宿はいらないだろと思っているから、なるほどそういう考え方もあるのかと納得しかけた。でもやっぱり合宿で一泊する必要ないですよね。
「あとは、活動というほどのものじゃないですかね。夏休みの課題を進めたりお話をしたりと遊びみたいな感じで。」
なんせ合宿を行う理由が合宿をしたいなのだから、そこで何をするのかはあまり大切じゃないのだろう。
初雪様もお嬢様だし、こういった理由でも作っておかないと簡単には遊べないっていうのだったら遊びたい盛り僕たちには窮屈に感じるんだろうな。残念なことに僕に関して言えばもう遊ぶとかそういうところが問題になる以前に普段の生活から気を抜けないんだけど。
「十代のうちはたくさんはしゃぎたいものですからね」
「宮前さんもまだまだお若いんですしそんなことないですよ。」
宮前さんの正確な年齢はわからないけど二十代前半だろうし今でも高校生、大学生と言っても信じられるくらいに見える。
「そうですね、鬼灯さんもお酒が飲める頃になれば嫌でも実感すると思いますよ。19と20で大きな差があるんです。」
「それは、お酒が飲めたりタバコを吸えたりと成年未成年といった法的、精神的なものですか?」
「それももちろんありますが、どうしても体力的な部分は実感してしまいますね。成年未成年では19と20の境目を超えた瞬間にできることも増えますがすぐには実感しにくいものです。ですが体力的な面は毎日向き合っていますから一昨日まで一晩でとれていた疲れが今日は抜けきった感じがしないということが度々来るようになります。」
「人の体って25歳ぐらいがピークって聞いたことがあったと思うんですけど」
「それはきっと身体能力の面なのだと思います。身体能力と回復力が1番高くなる年齢が同じなのか違うのかはわからないんですが。それに個人差もありますし。」
僕もその辺りテレビ番組でさらっと聞いたことがあるという程度だから詳しくは知らないけどもしかしたらそれは日頃から運動をしている人が基準で高校、大学卒業で運動する機会が減ったあたりが実質的に体のピークになるのかもしれない。
「なんというか大変なんですね。」
そうこう話していると僕の部屋に着いた。
「やっぱりいませんね。この部屋まで来る途中にも見かけませんでしたし。」
「こんなことは初めてです。森さんも姉崎さんも何も言わずいなくなるようなことはありませんでしたから。」
少なくとも森さんはつまみ食いをしに行くと言っていたからたぶん葵さんと一緒にいると思う。
「宮前さんは葵さんが予定していた今日のお昼のメニューはわかりますか?」
「いえ、私はわからないんですけどそれがどうかしましたか?」
「今更なんですけど葵さんと森さんで買い出しに行っているのではと思いまして。」
本当に今更感がある普通消えたよりもどこかへ出かけたと思うものだろう。今日は桜月様とベロニカさんもどこかへ出かけていったようだ。出かけると誰かには言っていたかもしれないけど、僕は知らなかったし。
「買い出しに行くときも誰かしらには言っていたんですけど今日はそれもないんですよね。」
今日この屋敷にいるのは桜月様とベロニカさん、葵さんと森さんに宮前さんと僕の6人だけだったと思う。さらに言ってしまえば、桜月様とベロニカさんは出かけているとわかっている。それに加えて葵さんと森さんが今どこにいるのかも分かっていない状態だ。
それはこの屋敷に僕と宮前さんの2人しかいない可能性を示している。この屋敷に2人きりと思うとただでさえ広いこの屋敷が更に広く感じられた。