従者の日常 前
いい加減暑さにもうんざりしている夏真っただ中。
なんでこんなにも暑い日に僕は一人長袖でロングスカートのメイド服を着て、お屋敷にあるプールを掃除しているのか。
理由はいたって単純で、体育の授業で他のクラスメイトが泳いでいる姿を見ていて僕も泳ぎたくなったからだ。
そう思うならそうすればいいだろ?本当は僕もいろいろなしがらみがなければ長袖長ズボンのジャージなんて着ずに一緒に泳いでいたい。
それができないのは僕のご主人十六夜桜月様が泳がないということ、女子校である才華女学校に男の僕が女装をして桜月様の付き人として通っているという事情があるからだ。
もしも、胸にある疑乳パットの秘密がばれたら貧乳にしても平らすぎるからその場を乗り切れるとも思わないし、女性だけの生活に慣れてきたとはいえ僕の男としての本能が反応しないとも限らない。そんなことになればごまかしきれなくなるのは目に見えている。
だから僕は、泣く泣く汗をかいて肌が弱いふりをして楽しそうに水と戯れるクラスメイトの女子たちを眺めていた。
ちなみに僕が水着の女生徒を涼しげだなと眺めている間、桜月様はというと僕と同じ条件のはずなのに涼しげな顔で授業中にもかかわらずよくわからない厚い本を読んでいた。
さて、今僕がプール清掃よろしく掃除しているのはお屋敷にあるプールだ。大きさは流石に学校のものよりは小さく、大きく見積もって目測15メートル×10メートルといったところだろう。
お屋敷にあったプールは桜月様が使わないこともあり、長年使われてこなかった。そしてどういう経緯かは予想できないが観賞用と思われる魚がプールにいた。
ここに来た頃にもプールと思われるこれのことをベロニカさんに聞いたことがあったけど、ベロニカさんにもこの魚たちがどこから来たものなのかわからないらしい。
「ベロニカさんから許可は貰ってるからごめんね、お引越しだよ。」
僕は網でプールの中にいた魚を用意しておいた水槽へ移した。あとはモンドがいたずらしたりしなければ、この魚たちはどうするのか決まるまでしばらくの間体にしては狭い水槽だけど元気に暮らしていけるだろう。
プールの中にいた魚を全て水槽に移し替え終わった。魚は思いのほか重く、しかも網の中で暴れたりするから炎天下の中で僕の体力はがっつりと削られていった。つらい。
そういえば、このプールの水ってどうやって抜くんだろう?
疲れてきたしちょうどいいや、一回中断してプールの水の抜く方法聞きつつ休憩にしよう。
そう思いベロニカさんを探してみるが見当たらない。今日は外に行くような用事があるとか言ってなかった気がするけど。
そう思いながら廊下を歩いていると後ろから急に両肩にパンと手が置かれた感覚がした。
「鬼灯―休憩?」
声を掛けられ振り向くと森さんだった。この人いつも人の不意を突いてこようとする。
「森さんは休憩ですか?私はベロニカさんを探しているんですけど。」
「メイド長?それなら確かさっき出てったよ。なんかしたの?」
森さんに簡単に今まで外のプールを掃除していたことを伝えた。
「それで、魚を水槽に移したんですけど、そもそもあそこの水抜きの方法がわからなかったもので」
「あぁ、それでメイド長を探してたのかー。ごめんねー、知らないわー、あたしにゃ力になれないわー」
「はい、もともと期待してなかったですから」
「なにっ、ちょっと最近鬼灯あたしに対して軽すぎないか?」
「最近、森さんマンガ読んでばかりみたいですからね。お仕事も雑ですし」
「鬼灯ぃ、確かにあたしは最近マンガを借りまくってる。そして家で読みまくってる。そこは認める。でも、仕事は雑じゃない」
この前森さん、宮前さん、それに葵さんの三人で僕の部屋に勝手に入っていたことがあった。その時に森さんは僕の持っているマンガを勝手に読んで勝手にはまったらしい。
それからというものの毎日のように仕事終わりに僕の部屋によっては僕の本棚からマンガを持って行く。それも10冊以上一気に借りていくものだからそろそろ僕の本棚のマンガもなくなりそうだ。ちなみに今は姉の遺品を妖怪が狙って主人公によって来るといった趣旨のマンガを気に入っているらしい。
「森さん家に帰ってからあの量のマンガ読んでますよね?」
「もちろん。それ以外にゆっくり読む時間もないからね」
「毎日のように私の部屋に追加で借りに来てますけど、全部読んでるんですか?」
「読み始めると止まらないよね」
「夜、ちゃんと睡眠時間取れてます?」
マンガを1冊読むのに大体20~30分はかかると思う。毎日10冊近く読んでたらそれだけで3~4時間はかかるだろう。この屋敷から森さんの家までどのくらいあるのか知らないけど、この仕事は普通の会社員だとかよりも時間に関してだいぶ黒いところがある。
日によっては朝が早いし夜も遅くなる。僕なんて毎日10時間以上働いているようなものだし。ここに来た頃はそれはとても苦しいことだったけど、今となってはそれは仕方のないことだと思ってる。
「うん、寝てる寝てる。あたし寝つきいい方だからさ」
「それならいいんですけど」
森さん最近あくび多いからなぁ。時期的にも確実に僕のマンガで夜更かしをしてるんだろうし。
「あと、読んだのであればそろそろ返してほしいんですけど」
森さんは返すのがめんどくさいのか借りてくだけ借りていって今のところ帰ってきたものはない。
「ごめんごめん。いつも忘れちゃうんだ。マンガのせいで物置くスペースなくなってきたし、ほんと次は持ってくるからまとめて」
「何冊あると思っているんですか、一度じゃなくていいですよ」
「ん、そう?」
「というか一度に持ってこられても本棚に並べるのに困るので」
「いや、あたしも置き場なくて困ってる」
「じゃあ追加で借りようとしないでくださいよ。まずは人から借りた物返してから続きを借りてください」
この人は今までそんなにルーズに物の貸し借りをしていたのだろうか?なんだか僕のマンガの扱いがとても気になってきた。
「じゃあ、とりあえず最初に借りたやつを返すよ」
「あまり雑に扱わないでくださいね」
「・・・ちなみにどのくらいから雑の範囲?」
あ、手遅れだったかもしれない。僕のマンガ達よすまない。
「森さんは自分のものが雑に扱われたと感じるのはどのあたりからだと思いますか?」
「うーんと、ジュースこぼされたり?」
「そうですね、他には?」
「ページが破られた?」
「折られるのもあまりいただけませんね」
あれ、なんだか僕が森さんを説教しているみたいな感じになってきたぞ。
「うん、きっと大丈夫だ。あっ」
急に森さんが何かを見つけたようで走って行った。僕もその方向を見てみると宮前さんが急いでいるのかこちらに早歩きでやってきた。
そして僕の前で足を止め
「あ、鬼灯さん休憩ですか?森さんと今話してましたか?」
「はい、先ほどまで森さんとちょっとしたお話と外のプールのようなところの水の抜き方を聞いてました」
「そうでしたか。森さんは先ほど自分の仕事を途中でお腹が減ってきたからとつまみ食いに厨房の方へ向かおうとしていましたからせめて午前のきりがいいところまではしていただきたく思っていたのですが」
森さんとさっきまで話していたけどそんな感じでもなかったように思えたけど、実際森さんは僕が料理当番の時とかよく味見という名のつまみ食いをしによく来るからなぁ。
「そうだったんですか、それでも森さんは最終的には自分の担当は終わらせるんですよね」
「それはそうなんですけど、なんであんな中途半端なところでなげてそこから続けられるのか不思議です。」
「きっとやめた時にやめたまま道具を軽く片付けるようなこともしないからでしょうね。」
「あんなに見た目が悪いまま放置できる神経も疑います。まるで掃除の途中に神隠しにでもあったみたいな状態でお昼ならともかくつまみ食いに行くんですから。」
僕はほとんど森さんと一緒に掃除をしたりはしないからわからなかったけど、森さんそんなことしてたのか。
僕がそんなことをしたらベロニカさんとかに見つかって叱られてしまいそうだ。
「そういえばまだ11時前ですよね、森さんはいつもこのぐらいの時間につまみ食いに行くんですか?まだ料理始めてもいないんじゃないですか?」
宮前さんはポケットから腕時計を出して確認した。
夏の間屋敷の中はそれなりに涼しいけど、外に出ると蒸されてしまうほど暑いからメイド服は一応袖が短くなっている。その格好で腕時計をしていると不格好らしく、腕時計なのに腕にするのではなくポケットの中に入れている。
「そうですね。つまみ食いができるほど料理ができているとは思いません。そのことは普段からつまみ食いをしている森さんが一番わかっていると思いますし、何をしているんでしょう?」
「宮前さんも私も今はお掃除中というわけではないですし、見に行ってみますか」
どうせあそこの水抜きの仕方わからないと進まないし、暑い中外にいたいとも思わないしちょうどいい。
「まだ少し午前の分が残っていますが、森さんにお仕事をしてもらいたいですし」
宮前さんは少し考えてからそう言った。宮前さんはまじめだから自分の持ち場をそんなに離れてもいいのか考えていたみたいだ。
普段からまじめだからこの提案は自分のところが終わってからという感じの返答だと思っていた。宮前さんもきっと気になるのだろう。
「じゃあ、まずはつまみ食いの可能性が完全に0ではないので厨房の方へ行ってみますか。」
これでつまみ食いだったら、森さんは宮前さんに連れられて掃除をさせられるんだろうなぁ。自業自得だけど。