第二十一話 最果ての村ラシェアンII 『ユリーカ(幼)』
「……戦闘音が聞こえる。結構大規模だぁね」
「っ! じゃ、じゃあ……!」
木々を跳躍し森の中を駆けるイブキの呟きに、一人空を飛ぶユリーカが慌てて振り向いた。一号の姿は既に無い。四人での作戦開始時に、既にシャノアールの捜索に回っているからだ。
「そんな訳で、現場のシュテンでーっす。シャノアール救出作戦を成功させるべく走ってる次第ですが、ぶっちゃけ間に合うか怪しいでーっす」
「余裕そうな口調の割に、ずいぶん表情かってえなおい」
「しゃあねえだろオカン、俺たちが過去に来た理由の半分がこの事件だ」
いつも通り気の抜けたコーラのような台詞を吐くシュテンの隣に寄りながら、イブキは呆れたような瞳を向けた。彼女の言う通り、今のシュテンの表情には余裕がない。
「オカン、もしグラスパーアイの野郎が出てきたらあんたは逃げろ。相性が悪すぎる。俺ぁ着流しがあるから良いが、下手を打てば洗脳されたっておかしかぁねえんだ」
「把握したよ、まあ任せな」
不敵に笑うイブキにひとまずの安心を得たシュテンは、そのまま上空に目をやった。
空を舞うことが出来ないシュテンたちよりも幾ばくか前方を行く少女の表情も、固いなどというものではない。
シュテンがそんな彼女を見ていることをイブキは悟ってか、小声で彼に耳打ちした。
「あたいのことはいい。それより、あの子を気にかけてやりな。……あんたじゃなくて、あの子にあるんだろ? 過去に来た理由とやらは」
「まあ、分かるか」
「堕天使の村に堕天使が行くんだ、何かあるに決まってる。聞きゃしないが……あたいはラシェアンの側につけばいいんだね? そいつだけ確認させな」
「ああ、頼んだぜ」
「うし」
一つ軽く頷くと、イブキは先ほどまでと同じようにシュテンと距離を取り直した。
それとあわせるように、シュテンは一際力強く木の枝を踏み込んで跳躍する。空中で並んだ少女は、一瞬彼を見てからすぐに目を正面に戻した。
「急がないと……」
「若干焦げた臭いもしやがるしな……間に合わせようぜ」
「助けられないのは、もうイヤだから」
「親父さんとお袋さんに会うのは、後回しでいいのか?」
「それも大事……だけど、あたしやっぱり目の前で殺戮なんかが起きていたら……じっとしていられないもん」
「そか」
ユリーカの瞳はどこまでもまっすぐだった。
聞く方が野暮だったかと、シュテンは小さく笑って。
「よし……そんじゃ。作戦決行と行きますか」
「うん! 集落のみんなを……あたし自身を。この手で守る。きっとパパもママも、気付いてくれると思うからッ……!」
「オカンと背中合わせで戦うか。奇遇だな、俺もそうなりそうだ」
「えへへ、そうだった」
緊張すらも、余裕に変えて。
「あんたら、見えたよ!! あれがラシェアンだ!!」
気力十分な彼らは、そのままラシェアンへと突入する。
既に戦闘は激化していた。烈火の如くラシェアンへと突撃する魔王軍と、それを迎え撃つラシェアンの堕天使たち。流石は高等種族の堕天使というべきか、それとも統率が取れているからか、少数ながらも魔王軍をくい止めることに一旦成功は出来ていた。
だが、戦場は坂道だ。下る勢いに乗せて突っ込んでくる魔王軍は、人数も遙かに上回っている状態だ。堰を切った濁流のような怒濤に対し、やはり圧倒的に物量が足りていなかった。
「村には入れるな!! 絶対に子供たちを……大切な奴らを、守るんだ!!」
「分かってんだよ!! クソ、アッシュ!! 魔導撃つからどけ!」
「おうよ! こっちシールド張ってる! 被弾したくなけりゃみんな来い!」
しかしその中でも堕天使たちは優秀であった。
懸命に、集落の門前で敵軍を制圧する。
村の背後で燃え盛る日輪は恐怖だが、かえってそれが背水の陣として機能していた。
風向きも良好だ、あの炎が村に入るようなことはない。
じりじりと痛む翼を羽ばたかせ、歯を食いしばって戦いに身を投じる。
百鬼夜行さながら襲いかかってくる魔王軍を、決死の覚悟で打ち払っていた。
「クソ、キリがねえ!!」
「相手の兵力は数倍だ……だが、数倍でしかない! 全員が五人を狩れば勝てる話だ、気張れ!!」
「がああああああああああああ!!」
「ヴィラン!?」
剣と弓、そして魔導。耐久にも優れる堕天使たちだが、それでも限界というものは存在する。五倍近い兵力差。不利な地形。厳しい敗北条件。
守るべきものの為背後を庇いながらの戦闘は、しかしじわじわと気骨ある戦士たちを死地に追いやっていく。
一人が五人を狩らねばならない状況から、味方が一人減る度に負担はどんどんと嵩んでいく。体力の限界と、魔力の枯渇。そして翼の疲労から、空の魔法を防ぐことができなくなって、負のスパイラルが形成されていく。
そしてとうとう。
「ギャゴアアアアアアアアア!!」
「しまったっ……!! レイガン、頼む!!」
「む、無理だ!! があああああああああああ!!」
森の中の死闘。
ガーゴイルの放った業火球が、まっすぐ村へと向かっていく。打ち落とそうとして魔力が無いことに気づき顔を青ざめさせた戦士の叫びに、他の兵士が慌てて事を仕損じる。
「アッシュ!! レイガン!!」
「空からの攻撃に気づけなかったらしい……これでは村が!!」
村への火球の直撃。
戦士たちの焦燥が、動揺となって波紋する。
家族は無事だったろうか。鎮火はできるだろうか。帰る場所はあるだろうか。
不安という毒が、堕天使隊という体をどんどんと蝕んでいく。
「おい!! よそ見をしている暇はないんだぞ!?」
「っ!? があああああああ!?」
「クレル!!」
地上からのウォルフの跳躍。村にばかり注意を取られていたせいで疎かになった前方。家族を失うかもしれない、そういった恐怖や焦燥が、だんだんと彼らの統率を乱していく。
そして、最悪のタイミングでそれは訪れた。
「ふむ、動揺しているな。ちょうどいい……」
突如空中に現れた一人の男に、堕天使たちの警戒が強くなる。
「貴様が主犯か!!」
「……主犯? 罪は貴様等堕天使が魔王軍につかなかったことにあるだろうに。……人間と交わった者でも居たのか? そうでもなければ敵対する理由もない」
「っ……!?」
「図星か。なるほど、人間と堕天使の子供……交わった人間……共々殺してやろう」
「……貴様ァ!!」
男の言ったことは、果たして正解であった。
この村には、人間と堕天使の夫妻が居た。そしてその子供は今もこの村で生きている。それが露見した瞬間子供が殺されることくらい、堕天使たちは分かっていた。
だから魔王軍にはつかなかった。
そしてそれが、仇となった。
「大人しく人間を差し出せばいいものを」
空を斬り裂くようにして突っ込んできた堕天使。
男は焦ることもなく眼前に手をかざすと、す、とその瞳を赤く染めた。
瞬間。
「がっ……!?」
「ブレッド!!」
「おいブレッド!?」
ブレッドと呼ばれたその堕天使は、一瞬なにが起きたのか理解ができなかったようだった。だが口から盛大に吐血して、そっと腹部に手を触れる。べっとりと付いた真っ赤な液体が、自らの体になにが起こったのかを教えてくれた。
「魔素の流れも読めない半人前が、我々に勝てると思うな」
「がひゃっ……!?」
見えない何かに斬り裂かれ、ブレッドは地上へと落下していく。その降下には意志がなく、まもなくして地上にぶつかったような嫌な音が響いた。
「次は、誰だ」
「っ……この、化け物がっ……!!」
この男は、ただ手をかざしただけだ。なのに、見えないなにかにブレッドは貫かれ、そして斬り裂かれた。得体の知れない攻撃に戦々恐々とする堕天使たち。
だが警戒をその男に集めてしまえば。
「ゴギャルガアアアアア!!」
「グゴァアアアアアア!!」
「しまっ……!?」
一瞬の隙。
地上で戦う堕天使たちに任された、空の戦場に立ちこめる暗雲。
ワイバーンやデビルといった空を飛ぶ種族たちが、男の登場にこれ幸いと村の方へと飛び込んでしまう。
このままでは、村が。
男の口角が不気味なまでにつり上がる。
ワイバーンの炎は微量に日輪属性を含んでいた。ここまで行けば、詰みだ。
と。
「ヒャッハアアアアア!! やぁってやるさね、このトカゲ共があああああああ!!」
一瞬見えた銀閃。
その勢いたるや尋常ではなく、瞬く間にワイバーンとデビルを駆逐していく一人の妖鬼。彼女を、堕天使たちは見たことがあった。
「姉御!! イブキの姉御!!」
「マジかよ!? 助かった!!」
「姉御おおおお!!」
ぎゃりぎゃりと地面を駆り突き抜けたその鎖が、持ち主の元へと帰っていく。
美しい所作で鎖鎌を握った女妖鬼が見せた笑み。地上に在りながら、空中の堕天使たちもはっとするほどの美貌。
彼女はいつものように不敵な笑みを浮かべながら、叫んだ。
「あんたら、安心しな!! あたいが、戻ってきた!!」
「姉御おおおおお!!」
「助かったぜ!! 村を……家族を頼む!!」
口々に叫びながら、さりとて余裕はない。急襲する魔族たちを防ぐ為、堕天使たちは剣を振るう。しかし先ほどまでの悲壮感にあふれた表情は消えた。
なぜならば、数日ほど前までこの村に逗留していた、一人の女妖鬼が来たからだ。
イブキ。
身分証もなにもなく、ふらりと現れた一人の女妖鬼。どこでこの村の存在を聞いたか、風来坊さながらに訪れた彼女を当然堕天使たちは歓迎しなかった。
だが、追い払おうとするや否や、彼女は堕天使相手に鎖鎌での百人抜き。村の猛者百人を見張り台より高く積み上げるという偉業を成し、宿泊料を無料にして二週間ほどこの村でグダついた女傑だ。
彼女の強さは、誰もが知っている。
故にこのタイミングでの帰還は大歓迎であった。
「……ほう、妖鬼か」
だが、当然歓迎しない男が一人。
「あっ……!!」
「まずっ……!!」
先ほどまでほくそ笑んでいた男の姿が消える。
まずいと思った堕天使たちだが、時既に遅し。
既に戦火に晒されつつあるラシェアンの村で、最後に残っている兵たちに願いを託しながら、彼らは彼らで防衛戦を続行する他なかった。
「頼んだぜ……姉御……!!」
魔導に弱い妖鬼に、一抹の不安を抱きながらも。
ユリーカ・フォークロワは堕天使だ。
幼少期より才能があると誉めそやされ、しかし慢心することなく父母を探す為に懸命に修練を重ねてきた。堕天使で二百歳は、まだまだ少女の域。というよりも、一番輝く少女盛りかもしれない。だが彼女はその年齢に至るまで、研鑽を欠かしたことがなかった。
多くの種族よりも長い寿命。それを、ただただ武器を扱うことに対して捧げてきた。
なぜか。それは、父に憧れたからだった。
幼少のあの日、戦火の中で自らを守ってくれた大切な人。
彼があの大きな武器で以て彼女を庇ってくれたから、今の自分がある。
『斧は……ちょっとね』
シュテンに問いかけられて答えたその言葉の裏にあった事情。
それは実は簡単で。
助けてくれた父が振るった斧の美しさに、自分では追いつけるような気がしなかったからだった。
けど、それでも。それでも斧以外の多くの武器を、彼女は長い間懸命に極めてきたつもりだ。自分を守る為、もう誰かに助けてもらわなくてもいいように。いつか出来る子供を守る為、誰かを頼らなくてもいいように。そして……守りたいものを守る為、自分にも出来るのだと父母に認めてもらえるように。
「――古代呪法・車輪転装――」
両手にはカトラスの二刀。バスターソードは、村の中では取り回しがよくない。
守る為の剣。誰かを、仲間を。すう、と息を吸って空を見上げれば、懸命に戦う堕天使たちの姿。
「懐かしいなぁ……。グリーズと……アスベルだ……」
まさか、過去に来ることになるとは思わなかった。
けれどこれは、悪くない。
大切だった人たちを、この手で守れるということだから。
幼い頃、ユリーカが高台に登ると危ないからとさっさと飛んで下ろしに来るグリーズ。自由に飛べるのが羨ましくて、毎度毎度だっこされるのがうれしくて、何度も何度も高台にのぼった。困った顔が、ちょっと楽しかった。
誠実な青年として周囲から人気だったアスベル。どうしようもないベジタリアンで、よくユリーカが村の畑から抜いた野菜を洗って持っていくと、喜んでむしゃむしゃ食べていた。あまりそういう姿を見られたくないのだと、照れくさそうに言っていた。
みんな、みんな死んじゃった。
けれど今こうしてまた、生きている。生きようとしている。
そして今自分には、守れる力がある。
ぶん、と勢いよくカトラスを振るった。風を切る音が心地良い。
長らくの相棒は、今日も絶好調。
「あたしが、守る」
「親父さんとお袋さんを探さなくていいのか?」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
ふらりと、隣に立った男が一人。
父を思い出すような、巨大な斧を担いだ青年。
出会った頃も相当だったが、ドラキュリアの軍勢を追い払った時からはさらに強くなった頼もしい相方。強いだけでもうれしいのに、訳の分からない突拍子もない行動と言動で、一緒にいる人を幸せにしてくれる頼れる青年。
こうしてこの場に立っているのも、彼のおかげ。
過去に来られたことだけではない。
いつも彼の励ましや、おちゃらけた言動があったから立ち直れた。
悩んで、うじうじして、弱虫で。そんな自分が今から誰かを助けられるのは、彼に助けられたから。
だから、負けられない。
だから、一緒に居られるようにしたい。
父母を探すのも大事だが、それ以上に今胸のうちをたぎらせるのは、過去を変えたいという思い。大切だったみんなを助けたいという、偽らざる熱意。
「背中……任せたからね!」
「へっ、あいよ!」
合図だった。
森から飛び出す。既に村へは魔族たちが侵入していた。
このままでは皆殺しにされる。それはいつの日かの焼き回し。
そんなことに……してたまるか。
「はあああああああああ!!」
低空を突き抜ける。女子供を襲おうとしていたデーモンたちの群を八つ裂き。
彼女が通り抜けた後でバタバタと倒れる彼らと、呆然とする堕天使たちを横目に、周囲の状況を一瞬で見極める。
上空。
一人の堕天使の背後から、襲いかかろうとするワイバーンの影。
まずい、このままでは間に合わない。
「ユリーカ」
声が聞こえた。
気付けばユリーカは走っていた。
すくいあげるように振るわれる斧の柄に着地、勢いよく振るわれた大斧に合わせて跳躍。
「――古代呪法・車輪転装――」
武器をバスターソードに切り替える。ぐんぐんと迫る堕天使の青年とワイバーン。
あと少しで背後からかみ殺される直前、ユリーカがワイバーンを貫いた。
「ギャゴアアアアアアアア……!」
「へっ!?」
落下していくワイバーンの断末魔に、慌てて振り返る青年。
「アスベル、無事?」
「え? だ、誰?」
「……あ、そっか。ごめん何でもない。助けてあげるっ」
「うぇ、あ、ああ……」
――古代呪法・車輪転装――
バスターソードから切り替え、巨大な豪弓を取り出すと勢いよく十の矢を放つ。
アスベルの周囲を囲んでいた魔族たちの体を貫き、どさどさと地上へ落ちていく魔族たち。
「あと、任せた!」
「や、あ、あの、名前はっ――」
心なしか顔を赤くした青年の声を背に、ユリーカは地上へと舞い戻る。
まだまだ魔王軍の侵攻は止まっていないのだ、呼吸をする暇さえ惜しい。
「シュテン、助かった」
「タイミング良かったのはお前だろ」
一言だけ交わす。
先ほど彼が打ち上げてくれなかったら間に合っていなかっただろうから。
だがシュテンは素っ気なく、周囲を見渡しながら戦っていく。
いつものように飄々とする振りをして、きっとユリーカの両親を探しながら戦ってくれているのだろう。それが分かってしまうから、一瞬言葉に詰まる。
「……頼もしいんだから」
思わず口角をあげて、ユリーカは呟いた。
周囲の魔素を散らして弓を打ち消し、元のカトラス二刀を繰り出す。
その瞬間、大量の火炎弾がユリーカを襲った。
「はあああああああ!!」
二刀の剣撃でその全てを打ち払い、あまつさえその弾幕の中ユリーカはワイバーンに突撃する。一瞬臆したワイバーンが怯んだ隙を逃さずに切り伏せ、そのまま周囲のワイバーンを徹底的に潰していく。
「村を燃やされるのは困るのよッ……!!」
血の滴るカトラスを一振り。元の銀の光沢を取り戻した剣を両手に、さらに跳躍。
焦げ臭い村の中を、敵を見つけては打ち払う。
「大丈夫っ!?」
「あ、貴女……!」
「今は気にしないで。みんなは!?」
「え、あ、あっちにまだ……っ!」
「あっちって……嘘、まっただ中じゃない!」
オーガの群から助けた堕天使の女性に聞き出した、助けるべき堕天使たちの居場所。
震える指で彼女が指した箇所は、先ほどまでユリーカたちが戦っていたその中心地。
あそこにはまだ魔族たちが多く徘徊している。
「っ!」
慌てて身を翻し、駆ける。
周囲には倒れ伏した堕天使たちの姿。既に事切れてしまっている者たちは仕方がない。仲間の死はやはり慣れないが、それでも生きている者を守ろうとする意志は揺るがない。
「誰か居るッ――!?」
広場。
昔はよく交流に使っていた村の中心にまで飛んできたユリーカは、そのタイミングで思わず息を飲んだ。視界に入ったのは、焦げた地面と燃える家屋と、そしてその中で一人佇む童女。
幼き日の自分だと、本能で理解した。
「っ、あ……!」
だから叫ぶのが一瞬遅くなった。自分の名前を呼ぶ、そんなイレギュラーな状況に言葉が詰まったからだった。さらに言うなれば、彼女の目の前に立つ男は。
「随分優秀な個体だ……ふむ、このガキだけは持ち帰るのも悪くない」
「っ……ぁ……ぁ……」
彼女の瞳は恐怖に染まり、震える手足で一歩一歩後ずさるばかり。
揺れる目からあふれ出す涙は間違いなく怯えから来るもので、助けなければいけないと理解していたのにユリーカは出遅れた。
グラスパーアイ。
"理"の四天王の名を冠するその男は、ユリーカにとってはただの故人。だが、今現在を動かす黒幕には違いなく、まずいと思っているのに。
と、がさりと背後の草むらがうごめいた。
なにが起きた、と振り返るよりも先に、もしかしたらという希望とともにユリーカは叫ぶ。だが、彼女が呼んだのはどうしてか、居るか居ないか分からない父母ではなく――
「シュテン!!」
「あいよおおおおおおおおおおお!!」
――行動を共にし、背中を預けた男の名前だった。
グラスパーアイが幼き日のユリーカに向けて魔法を放つその直前、ユリーカとは反対方向の家屋から飛び出してきたシュテンが童女ユリーカを庇うように立ちふさがり、グラスパーアイの魔法を斧で斬り払う。
「貴様はっ……!!」
「よう、社畜ヘッド」
「社畜ヘッド!?」
仁王立ちしてグラスパーアイを睨むシュテン。七三にぴっちりと分けたその髪型をまた要らん揶揄でコケにしているらしいことはユリーカにも理解出来た。
だが、それよりも。
「……ぁ」
「……あ」
童女ユリーカと、ユリーカの声が被る。
守られたことへの安堵で漏れた声と……驚愕に漏らしてしまった声。
だってあの光景は、いつの日かの自分とただただ被っていて。
「……無事かい?」
「あ、えと……うん……」
「そうか。……そりゃ、良かった。もう、大丈夫だ」
半顔だけ振り返って、シュテンは童女ユリーカに笑いかけた。どうしようもないほどの優しさが、彼女を暖かく包みこんで。へたり、と、彼女はその場に座り込んでしまう。
「城にも居た妖鬼だな貴様……何者だ」
「それよりテメエ、あの城に何を仕掛けた」
鬼殺しを担いで、シュテンはグラスパーアイを睨みつける。
完全に出遅れてしまったユリーカは、しかし呆然とその光景を見つめることしか出来なかった。今だけは自らの使命が脳から吹っ飛んでしまったかのように、動けない。
「……さぁな。シャノアールは良い道化だったんだが……貴様等か、変な入れ知恵をしたのは」
「入れ知恵ってぇのは……テメエが騎士長に仕掛けたあれのことじゃあねえのか?」
「ほぉう……妖鬼の分際で、魔導に気付くか」
「ほざくんじゃねぇよ。シャノアールをハメて、タリーズいたぶって……同情面してやることがこれかよ。テメエ……殺すぞ」
「やってみろ……脳筋の下等種族がッ!!」
「……はっ。策士気取りの低能が、俺の超強いパゥワーに勝てると思うなよコルァ!!」
シュテンが地面を陥没させる勢いでグラスパーアイに突貫した。
たまらず後方に回避するグラスパーアイに、シュテンの意図を知る。
きっと童女ユリーカとグラスパーアイを引き離してくれたのだろうと、そこでようやくユリーカは動き出すことが出来た。
まずは自分とはいえ、子供の救助を。
そう思い、彼女の元へと駆け寄った。
「大丈夫?」
「へっ……?」
「さ、みんなのところへ」
へたり込んだ少女に手をさしのべて、無理に作った笑顔で笑いかける。
すると童女ユリーカは、その手とユリーカ自身を交互に見て。
そして、呟いた。
「……ママ?」
今度こそ、ユリーカは。
ああ、とどこかで納得した。
「……あ、はは。そっか。そうなっちゃうか……」
「……?」
きょとん、と首を傾げるその童女に、ユリーカはもう乾いた笑いでごまかすしかなかった。
だって、自分が父と母だと思っていたものは……。
だって……自分が初めて焦がれた人は……。
「うん……ほら、手をとって」
「うん!」
とても嬉しそうに手を取る幼いユリーカ。
ゆっくりと起きあがった彼女に聞こえないように、ユリーカはぽつりと呟いた。
「あたしの初恋……あんただったみたい……」
全てが繋がって。
思わず彼女は、口にした。