第九話 アルファン山脈II 『主人公クレイン』
クレイン・ファーブニルは光の神子だ。
農家の生まれで実家を手伝い、粉を挽き、時折森の魔獣と戦って12歳まで暮らしてきた。魔獣やモンスターが活性化していた時期に、とうとう教国の光の神子を擁する魔王討伐隊が魔王城に突入したという報を聞いた、その同時期に何故かクレインは不思議な力を得たのだった。
それが光の神子の力だと気づくまで、そんなに時間はかからなかった。
先代の光の神子は魔王討伐隊の一人として果敢に戦い、最後の最後で命を落としたのだとか。仲間であった帝国最強の魔導司書が、差し違えるようにして魔王を打倒し、一時の平和がこの世界に訪れたのだとか。
そう、魔王討伐隊は二年前に五カ国が手を取り合い、最大戦力たる人間を一人ずつ差しだし、パーティーを組ませたものだったのだ。
帝国は、自らの持つ最高の戦闘集団の中でも最も強い魔導司書を。
共和国は、突然変異で生まれた加護持ちのハルバーディアを。
王国は、宝剣エクスカリバーに選定されし最高の剣士を。
公国は、所有するギルドの中で唯一の最高ランクブレイヴァーを。
そしてこの教国からは、国でただ一人だけ神に選ばれるという、法外な霊力を所有する光の神子を。
しかしながら魔王との戦いは熾烈を極め、やっとのことで魔王を倒した代償に、この戦士たち五人は命を落としたのだった。
クレイン・ファーブニルは、教国の誇りを最期まで胸にして散った光の神子の後継だった。
「ふぅ……けれど、そんな大陸最高の五人がやっと倒したような奴を、今度は僕が倒すことになるなんて。大丈夫なのかな」
「クレインなら大丈夫だろう。何せ、この俺に認めさせたんだからな」
「そうそ、リュディの戯れ言はともかく、クレインは強いよ」
アルファン山脈の中腹までやってきた、光の神子クレインが率いる旅人一行。
ここまで一気に上ってきたせいか流石に疲れたということもあり、座れそうな岩に三人で腰掛けて小休憩を取っていたのだった。
一人は、教国の光の神子クレイン。続いて、王国の若き王子リュディウス。そして、公国のブレイヴァーハルナの三人だ。
教国を旅立ったクレインが、道中で行動を共にすることとなった大切な二人の仲間。今はこの三人で、一歩一歩魔王への手がかりを探して冒険を続けている。
「俺のどの台詞が戯れ言なのかはわからないが……まあいい。二年前は五カ国最強のメンバーが揃っていたのだろう。だがクレイン、ここには少なくとも、教国最高の魔導師と王国最強の剣士が居るんだ。安心しろ」
「ありがとう、リュディ」
「ねえちょっと! 公国一のプリーストハルナちゃんを忘れてるよ!」
「はっ、行き倒れのFランクブレイヴァーを拾ってやっただけありがたく思え」
「あはは、ハルナも頼りにしてるよ」
「なっとくいかないー!」
干し肉をかじりながら、クレインは笑う。正面に座る赤髪の剣士は、王国で出会って以来無二の親友だ。自信家でぶっきらぼうだが、剣の腕は確かに強い。王国の騎士も三人まとめて相手を出来ていたほどの実力者で、これまでの冒険でもっともっと強くなっているだろうことははっきり分かっていた。
桃色の髪を背に流した、錫杖を持った少女がハルナ。公国へと向かう途中の道で、空腹で倒れているところを見つけて以来、何度かのすれ違いを経て仲間になった頼れる回復役だった。
「はは」
「面白いことでもあったのか?」
思わずこぼれた笑みを、訝しそうに見る二人。こうして危険な旅を続けているけれど、この二人がいれば安心出来る気がした。
「しかし、占い爺さんが言ってたのは何だったんだ? アルファン山脈の頂上の花を採りにいけば、魔王への手がかりが増えるとか……」
「あとは、道中で凄まじい"力"と出会うだろう、それは敵ではない。だが味方でもない。とも言ってたよ。あたしの方が覚えてるねリュディ」
「黙ってろ庶民。……しかし、"魔王への手がかり"。そして、"力"。おいクレイン、もしこれが本当だとすれば、この手応えのない山脈はかなりヒントが得られるかもしれないってことだよな」
リュディとハルナが港町での占い爺さんとの出来事を、思い出したように口にする。クレインも気になってはいたが、女神クルネーアの導きと関係ない予言というのを、あまり信じない方がいいのではないかとも思っていた。
「まあ、もし何もなかったら帝国に行こう。行ってない国は、あとは帝国だけなんだから」
「帝国かー……あたし行きたくないなー……」
「元共和国領にも行くべきだ。帝国に飲み込まれたとはいえ、あの辺りも魔王へのヒントはあるかもしれない」
「ああ、そうだね」
二年前、五カ国の誇る戦士が五人で出向いた魔王城。
魔王が滅びたと安心した矢先に動いたのが、帝国だった。
元々五カ国は魔王の脅威がなかったら結束などしていなかっただろう不仲であったから仕方がないとはいえ、一瞬で共和国を飲み込んだ帝国に対して、公国、王国、教国の三国は同盟を結び、帝国と対立している。
今まで光の神子であるクレインは、同盟国内だからゆったりと旅を出来ていたが、帝国内ではひっそりと行動するしかないだろう。それは、王国の王子であるリュディもそうだ。
だが、残る魔王へのヒントは帝国か、或いは第三大陸の隣にある極東の島ジャポネ……それ以外には分からないのが現状だった。
「まあとにかく、帝国に行くにせよ行かないにせよまずはこのアルファン山脈をてっぺんまで上ってみないことには結論は出ないだろう。そろそろ体力も戻ってきたが……お前等は?」
「僕は大丈夫だよ。ハルナは?」
「おっけーおっけーもんだいなーし!」
ぴょんこぴょんこと飛び跳ねるハルナに優しい目を向けるクレイン。リュディはやれやれと肩を竦め、岩から軽々と飛び降りた。
「それじゃあ、山頂までまだ少しあるけど頑張ろう」
リュディとハルナが頷くのを見て、一行は再びアルファン山脈の攻略を開始したのだった。
と、その時だった。
「っ!?」
「下がれお前等!」
「な、なにこのっ……プレッシャー……!!」
反射的に杖を構えたクレイン、仲間を庇うように前へ出たリュディ、怯えながらも索敵を開始するハルナ。
彼ら三人を取り巻くは、凄まじいプレッシャー。重圧とも呼べるほど鈍くのしかかる暴力的な威圧感に、切り立った崖に挟まれた山道の中で周囲を警戒するしかない。
「どこだっ……!!」
リュディの絞り出すようなその声に、クレインは目を見開いた。
あれだけ勇猛な彼の瞳が揺れ、口元は滓かに震えている。
クレインとてこんな強大な力をどこからともなく感じるのは恐怖でしかなかったが、前衛たる彼……ましてや王国で敵無しともうたわれるような彼にとっては、初めてのことなのかもしれない。
圧倒的強者の、空気というのは。
「お願い……発信源はどこっ……!?」
ハルナの錫杖から発せられる魔力パルス。
せめてこのプレッシャーがどこから生じているものなのかが分かれば、退却なりなんなり手の打ちようはあった。
だが、反応が遅すぎたのかもしれない。
彼女の探査魔法が効果を発揮するよりも先に、リュディの前にふわりと舞い降りる、人影。
人、ではない。黒く捻れた二本角が、強くその存在を主張している。
群青色の着流しが風圧にふわりとその姿をくゆらせて、からん、と地面を突くは下駄の音。
周囲に纏う黒きオーラはその"力"の奔流か。
こんな力を持つ化け物が、この世界にはいるのか。
「あ……ぁ……あああああ!!」
「まってリュディ!!」
震えを押さえきれなかったか、腰の鞘から抜剣したリュディが、その異形に飛びかかろうとした瞬間、悲鳴のようなハルナの声が響きわたった。
その間、魔族らしき影は微動だにしなかった。リュディの剣圧を感じてなお、全く動きを見せないその余裕に、クレインは息を飲む。
「まって……」
引っ張られるように静止したリュディの隣を、恐怖に震える足を一歩一歩踏みしめながらハルナが通り過ぎていく。
何をする気だ、とクレインは彼女を止めようとして、思い出した。
町で聞いた、予言というものを。
『あとは、道中で凄まじい"力"と出会うだろう、それは敵ではない。だが味方でもない。とも言ってたよ。あたしの方が覚えてるねリュディ』
凄まじい、力。
目の前の魔族の存在は、まさに"力"そのものではないか。
「な、なにか……ご、ごようでしょう、か」
クレインは素直に彼女の勇気を賞賛した。そして、何も出来ずにいる己を恥じる。近づくだけで失神しそうな脅威に対して、彼女は敵意を出さずに話しかけている。
下手をすれば殺される、と思いクレインはせめてすぐに呪文を唱えられるように身構える。それはリュディも同じようで、構えた剣を握りしめたまま動かなかった。
「いや、ただ届け物をな」
「っ!」
喋った。
そして確かに、敵意は感じられなかった。純粋に、ハルナの言葉に返事を返し、会話を成立させている。
その男と後数歩の距離にいるハルナには、彼がどんなものに見えているのだろう。それは分からないが、一歩も引かずに言葉を交わす彼女を今は見守るしかなかった。
「届けもの……です、か?」
「本来はお前等のものだ。意図せずして俺が手に入れてしまった。だから、これを渡そう」
「え、あ……」
男が着流しから取り出したのは、どこかで見たことのある形状の物体だった。あれは、鍵だ。そして、自分たちは同じものの、色違いを持っている。
「あ、ありがとう……ございます」
金属の優しい音を立てて、その鍵はハルナの手の中に収まった。思いの外丁寧なその男に、ハルナは震えながらも頭を下げる。
下手をしなくても、今の自分たちでは戦ったら一撃で沈むだろう。
そんなことになっては、ならない。
「じゃあな」
「あ、あの!」
本当にただ届け物の為に来た、と言わんばかりに背を向けるその男。
ハルナが声をかけた理由が分からず、クレインとリュディは警戒を強めるが、彼女の言葉はなるほど確かに、自分たちの総意でもあった。
「あ、あなたはこの鍵が何の鍵か、知っているんですか……?」
「それは、頂上に行けば分かるさ」
「っ……!」
それだけ言って、男の姿は霧とともに消え去った。
とたんに重圧から解き放たれたような脱力感が三人を包み込む。
「ぷっはあ……! し、しぬかとおもったあ……!」
「いや、ハルナのおかげで助かったよ、ありがとう……」
「……」
へた、とその場に座り込んでしまったハルナの手には、橙色の鍵が握られている。クレインが持つ赤い鍵と形状は全く同じそれ。いったい何なのかという疑問がずっとあったが、どうやらそれも山頂に行けば解決する悩みのようだ。
とはいえ、そんなことを考えるよりも、あの男が何者であったのかという謎に三人の脳内は埋め尽くされていた。
「……リュディ?」
「……俺は、まだ弱いな」
「リュディがそんなこと言うなんて」
と、あれから全く言葉を発することがなかった少年に、自ずと残り二人の視線は向いた。彼は握っていた剣をようやく鞘に納めると、自らの手のひらを握り締めて呟く。
「今まで歩いていた場所が、たまたま弱い敵しか出てこない場所だったのかもしれない。あんな化け物が、これからうようよしているかもしれないんだ。……もっと強くならなければならない。俺たちが、魔王を倒す為にも」
「そう、だね……」
「一歩ずつ、がんばろ?」
この三人の強いところは、恐怖に屈することが無いという一点だった。今負けていることは、問題ではない。自分たちが成長限界に達していないからこそ、希望があった。
「さ、二人とも、行こうか。山頂にあるヒントっていうのが、今のあいつほど強い敵じゃないことを祈って、さ」
「ああ、まずは一つ一つだ」
「焦っても、いーことないもんねっ!」
まだ見ぬ山頂を見上げ、三人は決意を新たにする。
山頂で出くわした魔王の四天王に対して、気合いの入りまくった三人があっさりと勝利を飾るのは、また別の話。