第二十話 最果ての村ラシェアンI 『シャノアールの選択』
ティレン城から数ウェレトの北西にある、ひっそりとした森の中。
そこには堕天使たちの隠れ住む小さな集落があった。
かつて堕天使ルシフェルが地上に舞い降りた際、森の民エルフと出会ってこの世界での暮らし方を教えられた……という伝承の通り、彼らの暮らしは森とともに生きるのんびりとしたものだった。
木々の上や、木陰や、幹の中。様々な場所に彼らの住処はあり、毎日森から必要なものを必要な分だけいただいてゆったりとした毎日を送っている。
大した規模ではない。村人の数は多くても千を数えることはないだろう。
元々堕天使というのは、ルシフェルの血統を継ぐ者たちのみで構成される希少種族だ。今やその殆どが他種族とのハーフやクォーターで、優性遺伝子である堕天使の特徴が色濃く映し出されているにすぎない。
そんな村であるから、時折りエルフやドラゴニュートの姿も見えた。少し離れた、峠からは。
「シャノアール、あれが堕天使の村……ラシェアンだ」
「なにをさせようというんだい、このボクに」
ラシェアンを含む森を見渡せる峠の上に、魔王軍はたむろしていた。
シャノアールは峠の先に呼び出され、しばらくの間その風景を目に焼き付けていたところだった。背後からかけられた声に振り向けば、自らを魔王軍に引き入れた四天王・グラスパーアイの姿。
眼下に広がる森の景色は壮観で、その中に一つある村の暖かな雰囲気といったらない。シャノアール自身も羨ましくなるようなその光景を、グラスパーアイがわざわざ見せつけてきた理由はいったい何なのか。
「魔王様よりのご命令で、いつまでも我々に従わない彼らの処分を言い渡されている。堕天使族の戦闘力が惜しいから幾ばくかは捕獲するつもりだが、それ以外は皆殺しだ」
「っ……! そんなことを、やると思うか。このボクが」
「堕天使というのは、戦闘力が高い。それこそ、我々からの誘いをたった千人弱ながら突っぱねるほどに。だが……奴らには大きな弱点がある。そこを突けるのは、シャノアールだけという話だ」
「そういう問題じゃない。あんなに平和そうに暮らしている彼らを皆殺し? 冗談にしても限度がすぎるというものだ」
「なあ、シャノアール」
グラスパーアイの口元が愉悦に歪む。
残忍さを隠そうともしないその表情に思わず顔をしかめたシャノアールだが、グラスパーアイはそれすらも関係ないとばかりに言い放った。
「我々は魔王軍なんだよ。魔界の恐怖を知らしめて、魔神を復活させ人間を滅ぼす。それが目的である我々が、弱小集落一つに手間取っているなど沽券に関わるんだ。だから速やかに皆殺しにする必要があった。今回の遠征は、きみを歓迎することと堕天使の村を滅ぼすことの二つ。……わざわざこれだけの軍をつれてきているのだから、やることは全てやらないと」
「だからといって、不意打ちで皆殺しにするのか」
「その方が楽だろう。きみの日輪系の魔法さえあれば手っとり早いんだ」
「そんな人道に反すること、するわけがないだろう。このボクが!」
「……その辺も含めて、なんだがね。シャノアール」
「……なんだって?」
憤りも露わに声を荒げるシャノアールに、グラスパーアイは飄々とした態度を崩さない。ポケットからシガレットを取り出すと、シャノアールに一本勧めた。
「吸うかい?」
「今は要らないよ」
「そうか」
指先で軽く火をつけて、グラスパーアイは大きく煙を吸い込んだ。
「シャノアール。きみは魔王軍になったんだよ」
「だからといってッ……!」
「いや、これが全てだ。きみは魔王軍になった。なれば、きみが思いやりを傾けるべきは魔王軍の仲間であって、敵ではない。そのあたりはきちんとわきまえてくれるとありがたいね」
「例え敵であったとしても、そんな非人道的な手段はとらない。このボクはね」
「そうか。それは……残念だ」
吸った煙を吐き出して、グラスパーアイはニヒルな笑みを浮かべる。
肩を竦めておどけながら、言い放った。
「タリーズと天秤にかけても、か?」
「……なに?」
「いや、この作戦は魔王様直々に求められているものだ。きみのけじめとしてもね。人間との離別、魔王軍への合流。本当に味方になった証明が、ここで欲しいそうだ。もしそうでなければ……ねえ?」
「貴様……」
人質を使ったその手口に、シャノアールは鬼の形相で振り返る。
しかしグラスパーアイはどこ吹く風。気にした様子さえもなく、当たり前のようにシャノアールの視線を受け止めていた。
「筋が通っていないのはシャノアール、きみの方だろう」
「……タリーズは」
「ポッドの中だ。結構な怪我だったからな。放り出してもかまわないが」
「ツッ……」
「軍はもう突撃体勢が整っている。遠慮せずに撃つといい」
「……」
大きく、息を吐いた。
眼下に見える、堕天使の村。
片手をあげて、魔素を収束させていく。
付随属性は日輪。魔素展開は拡散。
このままぶつければ、タリーズは助かる。
天秤にかけるしかないのなら、シャノアールの答えは決まっているも同然だった。
……だが。
『ちょっとタリーズと遊んでていいかな? あたし、あまり役に立ちそうにないし』
視界に入った、堕天使の小さな童女が……数日前に知己を得た少女とダブった。
あんなにタリーズが楽しそうに笑って、あんなにうれしそうだったのはいつ以来だろうか。そう考えると胸が苦しくなるどころではない。
そして。
『お前さんが道を大事にしているのと一緒で、浪漫が大事なだけさ』
同じ時に友誼を結んだあの男の言葉を思い出す。
道。
そう、自分が一番大切にしていた信念。
今の自分は、タリーズ一人の為に他の全てを失おうとしている。
そんな自棄は、タリーズになど見せられたものではないというのに。
「第二攻性魔導――」
隣でグラスパーアイの口角がつり上がる。
だが、シャノアールも思わず笑った。
「――日輪失墜」
空に描かれた、魔界のものとは思えないほど赤赤とした太陽。
それがラシェアンめがけて降っていくのに併せて、魔王軍は動き出した。徹底的に残党狩りをするつもりであろう彼らを横目で見ながら、シャノアールはその日輪を自らの制御下から外した。
凄まじい、轟音。燃え盛る炎玉が森にぶつかったのだから仕方がない。木々に燃え移り、山火事が発生した。堕天使たちもそれに気づき、攻撃があった峠のほうへと目を向ける。
一斉に警戒態勢となった彼らと魔王軍の激戦が始まった。
「……おい」
「ん?」
「何の真似だ、シャノアール」
「いや、日輪系など久々の魔法だったからね。外してしまったよ。……このボクとしたことがね」
「このことで魔王軍に被害が出たら、それは貴様の責任だ。タリーズがどうなろうと、知ったことではないぞ」
「……いいか、グラスパーアイ」
先ほどまで愉悦に歪んでいた表情を一転させて、苛立ちを隠そうともしない彼を睨み据えて、シャノアールは。
「たとえ敵であったとしても、小さな子供やそれを守る女性が居る村を不意打ちで皆殺しにすることなど出来ない。魔王軍であったとしても、このボクはこのボクの誇りを、進むべき道を違えるようなことは絶対にしない。戦争は殺し合いだ。互いが互いを殺し殺される覚悟を持って挑む戦いだ。なれば戦死は仕方があるまいよ。だが虐殺は違う。守られるべき者を無駄に殺すようなことを、許しはしない。このボクがね」
「……シャノアール、きみには追って沙汰が下るだろう。おい、シャノアールをつれていけ! 獄に繋いでおくんだ!」
怒り心頭の様子で去っていくグラスパーアイ。シャノアールは屈強な魔族二人に両腕を取り押さえられ、ずるずると引きずられていく。
「私が出る! 魔王軍の誇りにかけて、堕天使の村を滅ぼすんだ!」
叫ぶや否や、凄まじい勢いで峠の先から跳躍したグラスパーアイがラシェアンめがけて滑空していった。
グラスパーアイ・ドラキュリア。
そういえば彼は吸血鬼であった、と思いだしてシャノアールは。
「"理"さまの命令ですので」
「よわっちいからさ、もうちょっと優しくしてくれるかな。このボクにはね」
あくまでも冷静を装って、この後タリーズをどうやって助けるかに思考を巡らせていた。