第十二話 スプリングヒルズII 『世界エビ反り選手権』
「ふぅ……」
大きくため息を吐いたユリーカの周囲には、大量の魔族が倒れ伏していた。
まるで屍の原に一人佇む英雄のようなその姿に見合わず、彼女の表情は暗いまま。
「おのれ……」と言葉を口にした魔族の腹に一つ蹴りを入れて、ユリーカは一人思う。
「……シュテン、見つかればいいけど。開始そうそうこれだもんなあ」
ぐるりと辺りを見回す。
黒い草が茂る草原と、さらにそれを取り囲むはおどろおどろしい雰囲気を隠そうともしない森林。
こんな誰もいない場所にレックルスは来たことがあるのだろうかと考えつつ、先に来たであろう愉快で不愉快な妖鬼を探す術を考える。
「あいつのことだから、落ちてきた場所の近くに居てくれると思ったんだけど」
倒れ伏す魔族たちの誰一人として、殺してはいない。何故ならば自分がもし人を殺してしまえば、今後の彼らと関わる者の未来を強く変えてしまうからだ。
最初くらいは、慎重に。
しかしここに突っ立っていても埒は明かない。草原の南方に一つだけ見えた小道から、少し散策してみようとおもったその時だった。
「……なに、してんの」
「死体ごっこ」
「………………」
バカだバカだとは思っていたが。
足下に一人、倒した覚えもない……その代わりもの凄く見覚えのある背中が寝転がっていた。何だろう、この沸き上がる感情は。こっちは探しに行こうと思っていたのに、あわよくばやり過ごすつもりででも居たのだろうか。
「起きろこのバカ!!」
「ぎゃらぱっ!?」
「あ、兄貴ーーーーー!!」
「は? 誰!?」
怒りのままに思い切り踏みつけ、エビぞりになったシュテン。
すると近くにもう一人倒れていたはずの豪鬼族が、何故か元気に起き出してシュテンの元へと駆け寄った。そういえば、こいつも倒した覚えはない。……何事なのか。
「お、オイラのことはどうぞ一号とお呼びください。……って兄貴無事ですか!? ものっそい背中反ってたっすけど!」
「車エビには……負けたく、なかったんだ……」
「言ってる意味わかんないっすよ兄貴!! 兄貴ーー!!」
「でも、俺はこれできっと……全国エビそり選手権優勝待ったなし。……あとは、頼んだぜ、一号」
「兄貴いいいいいいいいい!!」
なんだこれ。
右足をシュテンの背中に乗せたまま、ユリーカの脳内を占める言葉はたった五文字だった。突然の死体ごっこ。
いきなり自己紹介されて名前が一号。
まるで理解不能なこの茶番。
常人には理解しかねるいつものシュテンに安心しつつ、面倒な事態に頬をひくつかせつつ。
それでも正気を保っていられたのは、どんな突拍子もないことが起きてもシュテンだからで片づけられるからだろうか。
「ゲート通ってきた時に居なくて……周りに魔族ばっか居るから……心配したのに……」
「あー、なんかごめんな」
ユリーカの蹴りなど何でもないかのようにけろっとした顔で立ち上がると。
シュテンは軽く優しげな笑みを浮かべてそう言った。
「で……どのくらい待った?」
「こいつと一緒に三年くらいかな」
「ぇ……ぁ……ご、ごめん……すぐにあたしも一緒に行けば……そんなに……」
「嘘。さっき来た」
「……殺していいよね? シュテン、ね?」
「はっはっは。申し訳ありませんでした」
特大の槌を召喚したユリーカの笑顔。瞳にハイライトなぞ残っているものか。
流石にヤバいと察したシュテンの謝罪に、彼女は大きくため息を吐いた。
本当にこの男は。
「……それでシュテン。彼は?」
「一号」
「うっす、一号です姐さん!」
「……もう、疲れたあたし」
一号って何よ、とか。一号でいいんだ、とか。
当然のごとく言いたいことは山ほどあったし、何というかぜんぜん納得出来てはいないわけだけれど。
それでもどうせ、聞いたところで半分は理解出来ないことなのだろうとあたりをつけてユリーカは手に持った大槌を打ち消した。
「ユリーカ、この辺り見覚えあるか?」
「んー……ちょっとわかんないかも。あたしも自由に動いてたのは小さい時だけだったし、すっごく記憶が曖昧」
「そう、か。ふむ。じゃあ一号、ちょっくら近くの村やら町やらまで案内頼むわ」
「了解っす!!」
「へー。じゃあ一号は北の生まれなのね」
「はいっす! 魔大陸広しといえども、あんなに氷で覆われた場所はあすこだけっす!」
「そりゃそうよねー。でも、豪鬼族って別にそっちの種族ってわけじゃ」
「両親駆け落ちでして」
「……駆け落ち、かあ。ちょっと憧れちゃうな」
一号との交友を深めるべく、先方を歩くユリーカ。その後ろをのんびりついていく形で、ぷらぷらと魔大陸観光がてらの街道沿い。
一悶着はあったものの、何とかユリーカとも合流出来て。ついでに無事に過去にも戻ることが出来たらしく。
これならまあ、今のところは順調といえるんじゃあないだろうか。
何てことを考えつつ、ふと思う。
「兄貴……か……」
一号にそう呼ばれるのは、別に悪いことではない。正直懐かれているというよりも恐怖が先にきてごますりしているように見えないこともないが、それが問題な訳でもない。
思い返すのは、妖鬼○○としての生を受けてから前世の記憶と融合するまでの日々。
正直な話、前世も今生も大して性格が変わっている訳ではないのだが、それでもどこか人間としての自分が加わってから感傷的にはなったのではないかと思う。
未だに、思い出せてしまうから。
「……あの日の自分、ねえ」
○○の大将、○○の大将、と。
楽しそうに自分を呼んでいた彼らはもういない。集落ごと襲撃に遭ってしまったあげく、自分はあっさりと意識を奪われたのだからやるせない。
かつての集落の仲間たちが今どこに居るのか、とか。誰が死んで、誰が生きているのかとか。そういうことはまだ分からないし、そもそも理解しようとしていない。
「……逃げてんのかねえ。俺は。過去から」
ふとした時に考えてしまう。
これで正しかったのか。ほっつき歩いている場合ではなく、自分は今すぐにでもあの山に戻るべきではないのか。
けれど。
戻らなくて良い理由が見つかる度に無意識に遠ざけてしまっているような、そんな気はしていた。
しばらく前に、ヒイラギと二人で帝国に乗り込んだあの時も。
過去と決着をつけようとする彼女の強さを認めこそすれ、翻って自分はどうなのかという疑問の答えを探す気にもなれなかった。
目の前を歩く、少女の背中。
相変わらず三対の黒翼を羽ばたかせながら、楽しそうに笑う少女は。
今でこそ楽しそうではあるけれど、彼女だって村を魔王軍に襲われて周囲の仲間を殺された被害者だ。そして今も、魔王軍に付き従っている。
彼女が心の底でどんな思いをしているのかなど、俺には理解出来るよしもない。
けれども、だからといって。
自分が山に戻らない理由にはならないのだと。
「ままならないもんだ」
今度、魔界地下帝国を出て。
時間に余裕が出来たなら……その時は。
その時は一度、墓参りも兼ねて遊びに行くのも良いかもしれない。
そうだな、せっかくだから、ハブイルの塔を根城にしていたマッドウィザードガイウスぶっちめた時の証拠と……連中の好きだった酒饅頭でも持って。
「……ちょっと待てよ?」
ふと、思い出す。
ガイウスは、一人の妖鬼を捕らえる為に罠を張り、あの集落から俺を抜いた。
ここまでは良い。だが……あの時の襲撃はガイウスだけではなかった。
……三年前のあの日。
ガイウスに手を貸した、誰かが居たはずだ。
「……誰だ」
魔族が送り込まれてきたことは覚えている。
だが、その筆頭は誰だった?
思い出せないこの状況に、ヒドく悶々として。
「――テン!」
だから、ユリーカの声に気付かなかった。
「シュテンってば!」
「あん? ああ、俺には駆け落ちの浪漫は分からんが」
「……いつの話してんのよ。そんなんじゃなくて――」
――シャノアールの居場所、分かったって。
顔をあげれば、怯えた様子の通行人一人。
……おいおい、豪鬼族と堕天使で脅してんじゃねえよかわいそうに。