第三話 666ばんすいどうIII 『余韻と笑顔』
熱狂の中に、ユリーカのライブは幕を閉じた。
なんだかんだで俺も結構楽しんでいたように思う。日本人であった頃には一度も行ったことが無かったライブというものに、まさか鬼になってから行くことになるとは思ってはいなかったが。
熱気冷め切らぬままに、ユリーカは三度のアンコールに応えて登場した。
そして有り余る元気でずっと楽しそうな笑顔を絶やさぬまま、ライブ合計で20曲以上を歌いきったのである。
録音や口パクと言ったこすいことは一切していない。
演出に使った大量の魔法もそうだが、彼女のもっているマイクは拡散性のある魔導具であるだけでそんな機能は備えていない。それは隣に居たバーガー屋から要らんところまで解説された。
それだけに、凄いと思う。
凄いとは、思うんだが……
「今日も素晴らしかった!! ユリーカちゃんは本当に可愛い!」
「そーな、うん。落ち着けバーガー屋」
「だからバーガー屋じゃねえっつってんだろ!!」
これが魔王軍統率のスキルかと思うとなんかこういろいろと間違ってる気がするんだ。
ライブ終了からしばらく時間が経過すれば、ようやく余韻に浸っていた者たちもぞろぞろと会場を出始める。ユリーカの名を譫言のようにつぶやき続け、大柄な魔族たちに連行される者たちも居るが大半はもう各々思い思いに帰宅する頃だろう。
夜行性の魔族はこれから仕事があるだろうし、昼行性の魔族は帰宅して睡眠を取るはずだ。
そんな中で、俺とレックルスはただただぼうっと席に座ったままだった。
「そろそろ行くか」
「どうだ、最高だったろうユリーカちゃんのライブは」
「まあ、バーガー屋がはまる理由は分かった」
「だからテメエバーガー屋じゃねえっつってんのにほんとこりねえなこの野郎!!」
おお怖い怖い。威嚇さながらに牙をむき出しブチ切れるバーガー屋。
だが、一瞬の間をおいて一つため息ついでにぽっかり開いた空を見上げると。
「まぁ、ユリーカちゃんの魅力が理解できたのなら、いい。魔界観光なんて暢気なことしてる奴にもう一度会えるかどうかってのは微妙なとこだが……名前、なんつーんだ?」
「おう、シュテンだ。よろしくな」
「シュテン……? お前、もしかして伝説の妖鬼か? 確かに凄まじい覇気は感じるが……まだ若ぇだろテメエ」
「いやぁ、自分の名前が思い出せなくてよ。遭遇したハンターどもに勘違いされてそのまま名乗ってるんだ」
「そぉか。それならまあしゃあねえわな。伝説の妖鬼シュテンは死んだって話だしよ、その名を継ぐならそれなりに振る舞えよ」
ぐっ、と膝に力を入れて立ち上がると、そのままバーガー屋は悠々と会場の外に向かって歩き始める。
後ろ手をぱらぱらと振りながら、緩慢な動作で去っていく。
「ライブ後の余韻は最高だが、清掃の邪魔をしちゃあいけねえ。とっととお前も帰れよ。……帰る場所がなければ、またどっか旅に出るこった。じゃあな」
「おう、さんきゅーバーガー屋。なんだかんだ楽しかったぜ」
「バーガー屋じゃねえっての……おう、またライブに来るならしごいてやらぁ」
呆れたように、振っていた手をだらんと下げて。これ見よがしに肩を落としつつ、それでも楽しそうな声色でそう言って、バーガー屋は会場の外に消えていった。
いや、愉快な奴だったなほんと。四天王として出てきた時にはあんなアイドルオタクだとは思わなかったし、そもそもユリーカ共々キャラがあまり分からなかったしな。
この世界に来れて、意外なところも覗けて、本当に楽しいことばかりだ。
白い息が夜空に消えていく。
寒い訳じゃあないが、それなりに気温は低いんだろう。
赤い月が輝く天をぼんやり見ていると、本当にここが地下なのかどうか分からなくなる。どうなってんだろうなこれ。
「さってと」
ユリーカには見に来いと言われただけだし、帰宅はご自由にってことだろうか。
周りを見ればほとんどの魔族が残っていない。あれだけの人数が詰めていた場所だけに、ずいぶんと寂しいものを感じる。
ふと見れば数人のスタッフらしき魔族がこちらを窺っていた。
「あー、すまん、出る出る」
「高位の方とお見受けします。申し訳ありませんが、お時間ですので。感謝致します」
「身分とかあっと、スタッフも大変さ増すんだろうなあ。ユリーカがトップでアイドルだから何とかなってんだろうが、これで低位魔族のアイドルとかだったら目も当てられなさそうだ」
鬼殺しを没収されなかったのも、もしかしたら俺の垂れ流してる覇気のせいだろうか。それともユリーカ自身が許可したのか。その辺はよくわからんが、まあいいか。
低頭する馬頭鬼の男に謝って、ホール状になった客席の階段を上っていく。
静まった会場内、スタッフ以外には俺しか居ない。前世が懐かしかったからか、それとも初めてのライブで感傷に浸りすぎたのかは分からないが、本当に長居をしてしまったらしかった。
ここまで誰も居ないと、俺一人の靴音でさえ結構響く。
不思議なもんだ。さっきまで、駆けだしても周囲に見向きもされないくらい人だらけだったっつうのに。こりゃもう、会場の外にさえ客は居ないに違いない。
真っ暗な夜、月明かりだけを頼りに帰るってのも乙なものだし……酒の一杯でも購入して帰るか。露店のスタッフくらいはまだ居るだろう。
と、そんなことを考えながら出口近くの最上段に上りきった時だった。
「たった一人きみだけのために歌ってあげる、逃がさないんだ、絶対にー!」
……あん?
ミュージックもなく、拡声器を使った形跡もなく。
しかしこの静かな会場に伸びやかに響くソプラノに、思わず振り返った。
するとそこには、未だ衣装のまま宙を舞い踊る少女の姿。
舞台裏から出てきたのだろう、その三対の黒翼を羽ばたかせて気持ちよさそうに飛んでいる。きらきらと若干の粒子が翼から漏れているように見えるのは、そういう独自のメイクか何かだろうか。
彼女は楽しそうに歌いながら、視界に俺を収めるとそのまままっすぐこちらに向かってきた。そして、すぐ手前で宙返りしてから、ゆっくりと着地する。
「――だけど許してねだってきみのことが好きだからー! ……なんてね?」
「いいのか? 出てきちゃって」
「第一声がそれ? みんなの憧れのアイドルユリーカちゃんが、舞台衣装にメイクも施したスーパー美少女形態で目の前に居るんだけど」
「スーパー美少女ねぇ……」
ふふん、とまた上機嫌に胸を張るユリーカ。
彼女を上から下まで見れば、確かにとても可憐だった。
ライブ中に何度か変更した衣装の中でも一番可愛らしかった、銀の上下に桃色のラインが入った2ピースのフリンジビキニのような服装。襞のついたミニスカートが、その愛らしさを引き立てていた。
化粧も入って、普段の数割ましで表情にメリハリがついたせいか、確かにやたら可愛い。ああなるほど。普段すっぴん美少女だから今はスーパー美少女って訳か。
「何よ。どこからどう見てもスーパー美少女じゃない。衣装替えてもシュテンはあんまり反応しないし、とりあえず一番気に入ってる奴にしてみましたー! ほら、可愛いと言え! ユリーカちゃん超可愛いって言え!」
「あーうん可愛い可愛い、ポチの三倍」
「やかんの三倍なんて嬉しくないんだけど!!」
やりづれえ。
認めるよ、すげえ可愛いのは。
「……ま、いいや。どう? 楽しかったでしょ?」
「そうだな。ライブってもんに来たのは初めてだったが、隣に居た奴のおかげもあってかなり楽しかったよ」
「隣……あー、"秤"のレックルスか。あいつ面白いでしょー。毎回来てくれるし、あいつのおかげでファンがまとまってるのもあるから感謝してる」
「ライブに毎回来るってすげえなおい」
「まあいつに距離は関係ないからそんなに苦労もしてないだろうけどね」
「……あ、そうか。そうだな。じゃあ凄くねえわ」
「わりとさらっと撤回するよねシュテンって」
「そうかあ?」
「そうよ」
そうかねぇ。
あまり自覚は無い訳だが、そういう風に映っているのなら仕方がない。俺は二言のある男だ。ふはは。
……じゃねえよ、なんだこの間は。
ユリーカは唇を尖らせて視線を逸らし俯いて、つまらなそうに軽く床を小突いた。
「……凄いでしょ、あたしの人気」
「そーな」
「そんなユリーカちゃんの直属の部下って、良いと思わない? 一番の騎士、みたいな」
「騎士なんてガラじゃあねぇな、俺ぁ」
「……そっか」
残念そうに空を見上げて、ユリーカはそう言った。
「ま、俺くらい強い奴なんざ、この先どこにでも居るさ。まだまだユリーカにゃ及ばねえし……俺にはほら、やらなきゃならねえ旅がある。それに、旅の空っつーか、自由気ままが性にあってんだよ。誰かの下につくとか、向いてねえ」
……何を言い訳じみたことをしてんだかなぁ。
ヴェローチェさんに言われた時も、こうして断ってたし。
っつか、あの人の誘い断ってこっちに乗るとか道理が通らん。……や、そういう問題でもないんだが、なんつーか……こう、ああちくしょう、言語化できねえ。
……求められたことなんて、あんまし無かったしよ。
「じゃ、さ」
「あん?」
す、とユリーカが顔をあげた。先ほどまでのアイドルの表情でも、落ち込んだ少女の表情でもない、真剣な強者としての表情を携えて。
「あたしね、やっぱりシュテンの尋常じゃない覇気と、凄く強く感じる伸びしろみたいなものに惹かれてる。きみならあたしの直属の部下に相応しいってそう思う。シュテンはそういうけど、シュテンくらい強い奴なんてそうは居ない。だから……ちょっとだけ時間をくれると、嬉しいな」
「時間?」
「魔界は今、一枚岩なんかじゃない。抗争は激しいし、あたしには味方も多ければ敵も多い。別荘に一人で居るのだって、敵対勢力をおびき寄せるため。たぶん、そろそろ釣れると思う。……だから、あたしの本気を見せてあげる。可愛さの魅力でだめだったから、強さの魅力で、シュテンを虜にしてあげるんだから」
「ははっ……そうかい」
なんで、そんなに俺に固執するんだか。
「ならあれだな、その襲い来る魔族を俺が追い払えば、借りを返したことになるな」
「やれるものならやってみなさい。今のシュテンはポテンシャルの割に強くないから、たぶん出来ないけど!」
「はっはっは、なんだとちくしょう!」
楽しそうに笑うユリーカ。
「さ、帰りましょう。あたしちょっと着替えて水浴びてくる。覗いちゃだめよ?」
「あーはいはいあーはいはい」
「むぅ……美少女に興味がないの、この男?」
首を傾げながら、ユリーカはばさりと翼を羽ばたかせて楽屋のほうへ飛んでいく。
ちげえよ、興味がないんじゃない。
……有りすぎて、押さえがきかねえんだよ。ちょいと鬼って奴ぁ、その手の欲が強すぎるらしくてな。どうしたって女の子の誘惑は徹底的にはねのけねぇと……ほら、一人身じゃなくなっちまうんだ。
「……しかし、ポテンシャルの割に強くない、ねぇ」
俺にそんな伸びしろがあるとは思えないんだが……と、思いかけてはたと記憶の底から甦るものがあった。
『……あの珠片って奴は、単純にその場で力を上げるだけのもんじゃねぇんだよ』
『テメエ何個珠片取り込んでやがる』
『あん?』
『技量の上達速度がおかしいってんだよクソが……!!』
『あ、それも珠片の恩恵なのね。へー』
『知らずに生きていることがもう許せねぇ……!! 殺す!!』
『ひゃっはーテメエが死ねやー!!』
……モノクルハゲのあの言葉。
そいから、珠片一つにしてはやけに強かったあの時のデジレ。
ユリーカの言ってたことを纏めると、俺にはかなりのポテンシャルがある。
ってことは、だ。珠片ってのは単純に技量を上げるんじゃなくて、俺の潜在能力そのものを底上げしたってことか? その場で強くなるのは、上限が伸びたことによる付随物でしかないとすれば、それは――
――もしかして、俺に足らないのって……単純にレベルじゃね?
だとすれば、レベル上げの機会さえあれば俺はかなり強くなれるってことで。
『魔界は今、一枚岩なんかじゃない。抗争は激しいし、あたしには味方も多ければ敵も多い。別荘に一人で居るのだって、敵対勢力をおびき寄せるため。たぶん、そろそろ釣れると思う』
……ラッキー。