第一話 666ばんすいどうI 『久々に全力で闘えてるー!』
帝国は中枢、帝都グランシルの中心にある帝国最高機関帝国書院。
その最上階の会議室には、三つの影があった。
「今、なんと?」
会議室に置かれた長テーブルに、一人は腰掛けていて。その傍に佇む童女と共に、最後の一人を見据えていた。相対するは長身の青年だった。青髪をオールバックにし、片目にかけたモノクルの奥の眸から、腰掛けた人間を見据える。
彼、とも彼女とも呼べるであろう中性的な風貌の、性別不詳の人物。その人物が現在青年――デジレ・マクレインと向き合っている人間であった。
帝国書院でも最も重要な拠点の一つであるこの会議室を、たった三人で貸し切れるほど。そして傍らに控えさせた童女はまさしく帝国書院書陵部魔導司書の第三席ヤタノ・フソウ・アークライト。そんな肩書きを持つ彼女を傍らに置くことが許される人物など、そうは居ない。
「まさか、二度も言わせるのか?」
「……デジレ。キミは自分で今何を言っているのか分かっているのか」
「ああ」
「……ふむ」
その人物は両手を顔の前で組むと、一つ頷いた。
長髪を背に流し、その少年のような少女のような相貌をデジレに向ける。
「任務での長旅は少し疲れただろう。事情は分かった、少し休むといいさ」
「……そうさせてもらう。この話は無かったことにしろ……アスタルテ」
「もちろん、無理強いはしない。これからもよろしく頼むよ、第五席」
「ああ」
アスタルテと呼ばれたその人物は、踵を返すデジレに軽くほほえみかける。デジレはそれを鼻であしらうと、そのまま一度も振り返らずに部屋から出ていった。
一瞬の沈黙が、室内に降りる。
「あらあら、振られちゃいましたね」
「致し方無いことではあった。デジレはアイゼンハルトに対して負い目があるからね」
「それ、あなたが言えることですか?」
「さて、な」
軽く茶化すようなヤタノの言葉に、アスタルテは振り向いた。その背には、Iの文字が刻まれている。帝国書院書陵部魔導司書の第一席。帝国書院の事実上のトップであり、現帝国書院では最強とされる、アスタルテ・ヴェルダナーヴァ。
デジレがこの場に居た理由は、ひどく単純だ。
先ほどアスタルテの口から出た"アイゼンハルト"という男。帝国書院の第二席であった元最強の彼の生存がほぼ可能性として否定された今、デジレは新たな第二席としての最有力候補であった。第三席であるヤタノと、そしてお飾りとはいえトップである帝国皇太子のグレセレスとの協議の結果、新第二席にデジレを着任させる予定であった。
だが。
『その席は、オレなどが座っていい場所ではない』
他の者なら喜んで飛びつくであろうその昇進を、デジレは打診を受けた瞬間に断った。まるで思考時間などいらなかった。どこか暗い影を落としてのデジレのその台詞は、アスタルテとしても理解くらいは出来るもの。
「では、相変わらず第二席は空席に?」
「デジレ以外に、ある程度の域に達した者は……居るには居るが性格に難有りだ。帝国書院の席順は決して強さのみで図れるものではないのだから考慮に値しない」
「お仕事減らないじゃないですか」
「……一応、デジレには第二席の座を断ったという負い目があるだろう。有る程度仕事が増えることには目を瞑ってもらう。いや、リーダーというのは大変だ」
「思ってもないことを。でも、デジレが頑張ってくれるならわたしはいつも通りでいいですね」
「ヤタノ・フソウ・アークライト。きみは仕事をしなさ過ぎる。もう少しきみにも業務を負担してもらおう」
目に見えてヤタノの機嫌が降下した。
有る程度予想していたとはいえ、こうも推測通りの反応をする分かりやすい部下にアスタルテは嘆息する。自分もそこそこに性格のひねくれた人間だという自負はあるが、その元に集う者たちも相応かそれ以上に個性の強すぎる者ばかりであった。
眉尻を下げるヤタノに、アスタルテは呆れを隠すこともない。
「しばらくの間きみには帝国書院本部周辺の警戒にあたってもらおう。きみの大好きな白銀の街道も含め、少しばかり今の帝国内部はきな臭い。おそらくは元共和国のレジスタンスどもだろうが……それだけとも限らないからな」
「アスタルテがやればいいことじゃないですか。政治絡みとか、わたし苦手ですし」
「苦手、ではなく嫌、だろう? 僕は少し出ることにするから、本部を頼みたいんだ」
「えっ。聞いてないですよ。アスタルテが居なくなったら本格的にわたしがお仕事しなきゃいけないじゃないですか。どこに行くつもりですか」
席を立ち上がったアスタルテの後ろから、ややひきつった笑みを携えてヤタノが問いかける。どこまで仕事が嫌なのかと半ば諦念に似た感情を抱きつつ、アスタルテは彼女に振り返る。
アスタルテが出かける理由は、相応のものがあるのだから。
「僕が居ても仕事はして欲しいものだけど。先日、きみは導師と交戦したろう?」
「逃げられちゃいましたけど」
「そうだ。ほぼ最高戦力であるきみが、一人で封じ込めない相手。それが魔王軍のナンバー3である導師。先代の導師に比べて、尋常ではなく強いと考えていいだろう」
「それは、まあそうですが」
「そのため、魔王軍を討伐するにあたってヤタノだけでは心許ない。しかし、僕とヤタノとデジレの三人などで魔王軍に突貫を仕掛ける訳にはいかない。なら、答えは簡単だ」
「……え、アスタルテが導師を殺るのですか?」
「いや、きみの神蝕現象十割で狩れなかった相手を僕が殺せるとは思っていないよ。要は、魔王軍側の敵を削ればいいんだ。魔王軍はそこそこに強い大勢よりも、尋常でないトップ3の方が危険だ」
「ああ、そういうことですか」
納得がいったように頷くヤタノに、アスタルテは微笑み返し、会議室の扉を開けた。
会議室に入ってきた時よりも少し暗くなったようで、傾ききった赤い日が部屋に差し込む。
「ああ……"車輪"を狩る。二年前の交戦から察するに、僕と奴の相性は悪くない。少なくとも、ヤタノよりは」
「"車輪"は私は相手にしたくないですね。え、でもちょっと」
「ん?」
話は終わったとばかりに外へ出ようとしたアスタルテを引き留める声。
何用かと首を傾げたアスタルテの耳に、ヤタノの呟きがするりと入り込む。
「本当に行ってしまったら、私の仕事が――」
「知らん」
ヤタノが全て言い切る前に、アスタルテは勢いよく扉を閉めた。
「……全く。僕が居ない時の方がしっかり仕事をやってくれるなど、本当に困った部下を持ったものだ」
ため息を吐き、アスタルテは廊下を歩む。
こうして半ば強引にでも押しつけないと、彼女は動かないのだ。
動きさえすれば、誰よりも有能だというのに。
「さぁ、僕も久しぶりの戦場だ。……せいぜい楽しませてくれよ、魔界の者よ」
世界最強の戦闘者集団、その頂点に立つ者の力を見せてやろう。
「ほらもういっちょー!!」
「にぎゃー」
拝啓。愉快ですてきだった、鬼になってからの方の母上さま、天国でも楽しく毎日がパーリナイしていますでしょうか。いつもいつも酔った勢いで親父殿たちを片手でその辺に積み上げていた母上さまのことですから、おそらく天国でも天使をビッグバーガーの如く積み上げていることでしょう。
不肖、貴女の息子として、僕もそれ相応にはパーリナイな鬼生を送ってきたと自負しています。鬼の中の鬼であれ。誰よりも愉快な理不尽を。貴女が常日頃言っていたその言葉は、僕の心にいつも刻み込まれています。
ですが、申し訳ありません。
僕は今自らの胸丈ほどの身長しかない少女に投げ飛ばされています。
「あはは! こんな楽しい手合わせひっさびさー!!」
「俺は楽しくねえ!! おのれ、何故当たらんのだ……!!」
「ふっ、それはこのユリーカちゃんがスゴいからなのよ!」
「な、なんだってー」
真っ赤な月と、黒い太陽。黒いのに明るく、薄暗く感じない不思議な場所地下魔界。
俺は今、その地下魔界の端っこにある海岸、666ばんすいどうの小島に来ていた。何でもここは彼女の別荘であったらしく、休暇を兼ねてたまたま訪れていたらしい。
怪我が治るまで、療養の為にしばらく置いてくれるというありがたい彼女の申し出に乗ったはずなんだが……
「えいやー!」
「みぎゃー」
どうして、こうなったんだったか。
地面に背中から墜落しながら、今日の午前中のことを思い出していた。
「ねぇ、手合わせしない?」
「は?」
唐突に持ちかけられた話に、瞬間フリーズした。そして一度左腕に巻かれた包帯を見てから、目の前でトーストにかぶりつく少女に目を戻す。
「いやいやいやいや」
「え、もうほとんど治ってるじゃない」
俺が目を覚まして四日、打ち上げられてからはたぶん七日。今俺は、魔王軍のナンバー2の別荘にお邪魔している。お邪魔しているというか、療養が終わるまで滞在許可をもらったというか。いずれにしてもそんな感じだ。
そんな風によくしてもらうのも気が引けたんだが、彼女いわく、「こんなに強い奴久々だから」らしい。思考回路は謎だったが、有り難い話ではあった。
「ほとんど、のところを逆戻りさせたくないと、シュテンさんは思うんだがどうかね?」
「逆戻りしない程度の加減は出来るんじゃないかと、ユリーカちゃんは思うわ!」
「……何故だ」
額に左手を当てて、しかし俺の右手は遠慮なく目の前のスクランブルエッグ(何の卵かは不明)に伸びていた。フォークを刺して、一口。美味い。
大きくはないテーブルに二人対面で、朝食までご相伴に預かるだけでも有り難いのだが、なんとこれ、ユリーカのお手製である。なんか焼いただけっぽいのに美味い肉(何の肉かは不明)と、しゃきしゃきとしたサラダ(何故魔界でこんなものが採れるのかは不明)。ずいぶん家庭的な魔王軍ナンバー2である。美味い。
「何故って、強いから?」
「よし、仮にだ。仮に俺がそこそこ強いと仮定しよう。そこでどうして強いイコール戦うという図式ができあがるんだ」
「だって、強い奴とは戦いたいじゃない。妖鬼ならこすい魔法とかもつかわなそうだし」
きょとん、とアイスブルーの大きな瞳をぱちくりさせるユリーカ。何かにつけて「ノーメイクなのよ、すっぴん美少女ユリーカちゃんなのよ!」と口にする彼女の容貌は、確かに可愛らしいものであった。
ほっぺにぱんくずついてるけど。
「もちろん無手よ。武器なんて使ったらこの辺焦土になる方が早そーだし」
「や、無手にする理由はもっとほら、互いに危ないからとかそういうのじゃないんですかねぇ」
「死なないわよ別に。あたし強いし、あんたも頑丈そうだし」
「そーじゃねぇよ」
堕天使は耐久もそこそこあるのよ! そうでなくてもあたし自身強いから問題ないし! とばさりと三対の黒翼をさらけ出す彼女だが、俺が言いたいのはそこじゃねえ。
何というかずれているなあと思いつつ、薄切りの肉をぱくつく。
「それにしてもさー」
「あん?」
ティーカップに自分で注いだ紅茶を飲みながら、ユリーカはぽつりと呟いた。
ナチュラルボブの桃色髪を耳にかけながら、ほっと一息。
「こんなタイミングで、すっごく強い妖鬼に会えるなんてね。地上も地底も、だいたいは強い奴見つけ尽くしたと思ってたんだけどな」
「まー、諸事情あるからな俺ぁ」
「そーぉ? 何でもいいや。でも、会えて嬉しかったわ」
「ってのは?」
「だって、魔界もあんまり強い奴いないしつまんないもん。それにシュテンは、まだまだまだまだうーんと、伸びしろありそうだし」
「……そういうもんか」
「だから手合わせしよ」
「それが謎だ」
「なんでよー……」
ぱたぱたと、ユリーカはスリッパに入った足を揺らす。どうも地面に足が届いていないらしいことは知っていたが、座る時にいちいちこいつ飛びやがるので特に不都合はないらしい。便利なことで。……や、こいつが飛ぶから階段とか梯子とか一切ないのよこの家。カルチャーショックにもほどがあったわ。
「こーんな可愛い女の子に、ご飯まで作ってもらっといてさー、お願いの一つも聞いてくれないってさー、そういうのどうなのよー」
「うっ」
「ブーブー」
「辞めろ、ブーイングすな。わかった、わかった。かけらも恩返し出来てない自覚はある。わかったやるって」
「よっしゃー! それじゃあとで外来なさいよ! 絶対だからね!」
満面の笑みでそう言われては、このままとんずらなんていう選択肢はおろか、適当にちょろまかしてからかうってことも、なんか出来そうになかった。下手を打てば首が飛ぶ。いやそれ以前にほらメンツが。今俺、ヒモだし。
「ていやー!!」
「ぶごっ」
どさり、と地面に大の字。
あー、マジで当たらねえ。拳対拳で、しかも体格差かなりあるはずなのに全く攻撃が当たらねえ。なんだこれ、強すぎるだろ"車輪"さん。
「あー! ひっさしぶりに全力で戦えてるー!!」
しゅ、しゅ、とシャドーボクシングのようなことをしながら、ユリーカはとてもご機嫌だ。ほとばしる汗がまぶしいぜ。だからそんな野暮ったいスウェット紛いのもの着てないでこう、ほら、あるじゃんほかにも。サマードレスとか。無いか。
「まだまだねシュテン! スピードとかはほかの奴とは比べものにならないけど、体の使い方がぜんぜんだわ! パワーだけで今までやってきたんじゃない?」
「何故わかるし」
「車輪さんにかかればそんなものは余裕で見抜けるのだ!」
ざ、ざ、と、寝転がっている俺の近くに来てユリーカはしゃがみこんだ。
「でもシュテン、どんどん強くなってる。このままあたしの直属の部下にしてあげてもいいくらい、なーんて。へへ」
つん、と俺の頬を人差し指でつつく。
「そこは、手をさしのべてさあ立ちなさい! ってあれじゃねえの?」
「えっ、うーん……そこまで必死にやるもんじゃないでしょ。格闘は楽しいからやるのよ!」
「……じゃあもういいすか」
「やだ! まだぜんぜん疲れてないし!」
「言ってることが前後で違ぇこいつ」
ふぅ。一つ息を吐いて立ち上がる。
実際ユリーカの言う通り、体の使い方とか全然学ばずに来たから体格差がいくらあっても吹っ飛ばされてる。こいつ小さくていざとなれば飛べるくせに、地上戦の時点で尋常じゃなく強い。……だが、もう一つ言っていたように、俺も何度か戦ううちに動きが理解出来るようになってきている。
レベルっつー数値で表せるようなものじゃなくて、こう、技術的な。スキルポイントでも上がってるのかね。そうだとしたら、そろそろ技の一つでも覚えられたら嬉しいんだが。
尻についた土を払って、ユリーカに向き直った。
「悪いが部下にはなれねえな。俺はまた放浪の旅をしなきゃいけないし、その方が性にあってるんだ」
「むっ……」
「あん?」
若干機嫌を損ねたような雰囲気で、ユリーカはポケットから何か小さな紙を取り出した。すたすたと俺の目の前にまで歩いてくると、
「魔界はさ、一枚岩じゃないから抗争とかも激しいの。だから、あたしはシュテンを離したくない。それは最初に言ったわよね?」
「そだな。んで、俺も旅を続けるっつった。しばらく滞在すんのも、俺だけの要望ってわけじゃなかったよな」
「うん。だから、はい」
「何これ」
その小さな紙を俺の胸に押し当てた。
受け取り、開くと――
「それ来て。あたしのところから離れたくなくしてあげる」
――『Eureka LIVE PARTY 1215』
……ライヴチケット?