それゆけ帝国学院高等部っ!
帝国学院高等部は、初等部、中等部とは別の校舎として建てられている。小中と同じ学び舎だったせいか一年生にとっては新しい校舎が新鮮で、楽しく感じられることだろう。校庭にクレーターが出来ていたり、壁に上半身埋め込まれている生徒が居ても、ああ高等部はこんな場所なのだと目をぐるぐるさせながら幸せそうに未来に思いを馳せることだろう。
二、三年生になるともう慣れたものである。
やれまたデジレが教室一つをぶち壊しただの、やれブラウレメントが授業中に突然壊れただの、そんなことを一個一個気にしていては平穏な生活は送れないというものだ。
だからせいぜい、一限も終わりにさしかかる時間にようやく登校してきた青年が遅刻にもかかわらず悠々と廊下を歩いているくらいでは、もう誰も驚きはしないのである。
三年生の教室は全部で八つ。だいたいどこの高校でも平均的なクラス数で、人数も同じく四十人程度。彼らに割り振られたのは、校舎の三階フロア全てで、三階に生徒が居ればほぼ三年生であると考えられるほどに定着していた。
今現在、盛大に遅刻してきたシュテンという青年も、帝国学院高等部の三年生だ。
同居している義妹がなかなか目覚めず、世界崩壊の危機が迫っていると耳元で脅しかけて起こしたところパニックになりシュテンの首もとにかみついて、何故か快感を覚えてしまったシュテンがほっと一息。我に返れば義妹の登校時間ぎりぎり。
「おにいさまのせいなんです! おにいさまのせいなんです!」
と涙目でぽかぽか背中を叩く彼女を荷台に乗せて二人乗りで自転車を爆走させ彼女を中等部の校舎まで送り届け、送り届けたところでなんかもう疲れ果て、近くのなじみのお茶屋さんで一服。しかし店主のマチルダに今日が創立記念日ではないことがバレて叩き出され、家に帰っても義妹がいるはずもなくつまらないので仕方なく登校してきたという展開であった。
ちなみにシュテンと義妹は同じく長い黒髪のため本物の兄妹だと思われることも多いが、よく見れば髪色の深さが違うことが分かる。あと、少々妹の方が肌が青白い。もっとも、それを初見で見抜いたのはグリンドルただ一人だが。
帝国学院高等部には、"三馬鹿"と呼ばれる仲の良い三人組が居る。
ただ仲が良いだけならば教師陣もとやかく言うことはないのだが、悲しい哉"三馬鹿"の名称に相応しいどうしようもない問題児の集まりであった。
学院でも一二を争うイケメンとしても有名な実行犯、グリンドル。
救いようがないほど好き放題する教唆犯ヴェローチェ。
そして従犯としてこれ以上無いほどに仕事をしちゃうシュテン。
この三人が同じクラスになってしまったのは、担任であるヤタノ・フソウ・アークライトが希望したからではあるのだが。更正を期待した教師陣の願いかなわず、案の定というべきか、彼らの問題児っぷりは三年になっても全くと言っていいほど矯正された様子はなかった。
さて、そんな三馬鹿のうちの一人であるシュテンであるが、遅刻まっしぐらの廊下を歩きつつくだらないことに思考を割いていた。
義理とはいえ妹に首もとを噛まれて快感を覚えるなど、ひょっとしたら自分はマゾなのかもしれない。いやしかし、自分は煽られるより煽る方が好きだ。もしかしたら妹限定でマゾなのか、そんな背徳的というか退廃的な話があってたまるか。
窓から差し込む日差しは心地の良い午前のもの。何で出来ているかよく分からない変な弾力を返してくる白い床は、学校ならではと言ったところか。
それはともかくとして自分のクラスである三年B組にたどり着き、シュテンは扉の前ではたと足を止めて。
「……」
「……」
気のせいかと扉に手をかけた。
「待ってくださいー」
「いや、なんかもう知り合いだと思われたくないです」
「相変わらずつれないですねー」
教室の壁を背にして立っていたのは、いつも仲のいい一人の少女。
ツインドリルの金髪が映える、学院でも人気の問題児。
今日は何故か、お気に入りのフリルアンブレラを横の壁にたてかけていて。その代わりに彼女の両手に握られていたのは、たっぷり水が入ったバケツ。
「……何やらかした」
「やー、ちょっと好奇心がうずきましてー」
この女、廊下に立たされていた。
「どうせシュテンも遅刻なんですしー、一緒に立ってません?」
「やだよなんでバケツ突き出してんだよあんたのだろちゃんと持ってろ」
「仕方ないですねー」
「んで? 好奇心がうずいて何やった? ヤタノちゃんの着物の帯でもぐるぐる解いたのか?」
「それやってたらここに居るのはわたくしじゃなくて墓標になってますねー」
「お前さんだったらなんだかんだで逃げられそうなところが怖い」
そんなことないですよー、と笑うヴェローチェの前に、シュテンはあぐらをかいた。
持ってきたバッグには、どうせ殆ど中身は入っていないのだ。適当にその辺に投げ捨てて、他に誰もいない廊下で二人。
「まー、あれです。グリンドルが結構な量のラブレター貰ってるじゃないですかー」
「そうだな」
「で、あいつその手紙を無造作に机の上に放置するじゃないですかー」
「何とも思ってないからな」
「さすがにあんまりじゃないかと思って聞いたんですよー。ラブレター読んでやれってー」
「ほうほう」
「そしたら、『ファンレターだと思っていた。そうか、僕は人気があるだけじゃなくて、愛の告白も受け取っていたのか!』……気づいてなかったみたいですあのやろー」
「……あり得そうな話だなおい」
「まあそれが昨日の放課後の話でしてー。今朝来たらグリンドルの机に案の定結構な量のラブレターが積んであったんでー」
「で?」
「ちょっとした好奇心から、全部のラブレターの差出人名を全部『ブラウレメント』に書き換えてやったんですよー」
「鬼か貴様」
「それで満足しとけばよかったんですけどー、なんか中身もぜんぜんおもしろくないのでおもしろい内容に書き換えてましてー」
ぴらり、とヴェローチェの懐から手紙が落ちた。意図的に落としたのだろうその可愛らしい便せんには、可愛らしい丸文字で"グリンドルさまへ"と書いてある。
シュテンはそれを手にとって、何の気なしに裏を見た。
"『ブラウレメント』より"
明らかにブラウレメントの筆跡だけ別物だった。"より"が可愛らしいせいで余計に浮いている。消しゴムで消されたであろう少女の名前がシャ……ィ? もうほぼ読みとれない。かわいそうに。あとでトイレに流しておこう。
「で? 面白味がないっつったな」
言いながらシュテンはかさかさとその便せんを開き、手紙を取り出した。
"グリンドルさまへ
えっと、はじめまして!わたし、シャクティって言います!
はじめましてっていうのは、ほんとは嘘で。わたし、ずっとグリンドルさまにあこがれていて、ずっとずっと、好きでした!
たまにグリンドルさまを見かけるとつい目で追いかけてしまって、「おはようございます!」って声をかけるのが精一杯で……。
だからわたし、勇気を出してグリンドルさまとお話をするために、こうしてお手紙を出しました! 今日の放課後、第二学年職員室裏にある方の視聴覚室前で待っています。よろしくお願いします!"
可愛らしいラブレターではないか。
読み終えたシュテンが顔をあげると、ヴェローチェがぽい、と同じような手紙をまた足下に落とした。手も使わずに器用なことだと思いつつ、シュテンはそれを拾う。
「複写してみましたー」
「こっちが地獄への片道切符なわけだな」
把握した。
この女、名前を変えるだけに飽きたらず内容をすり替えようとしていたのである。
さあ、どんなことが書いてあるやらとシュテンはその三つ折りにされた手紙を開いた。
"グリンドルさまへ
えっと、はじめまして!わたし、『ブラウレメントォ!!』って言います!
はじめましてっていうのは、ほんとは嘘で。わたし、ずっとグリンドルさまにあこがれていて、ずっとずっと、好きでした!『本当』!
たまにグリンドルさまを見かけるとつい目で追いかけてしまって、「『あばばばばばばばばば』!」って声をかけるのが精一杯で……『懸命』。
だからわたし、勇気を出してグリンドルさまと『死合』をするために、こうして『果たし状』を出しました『本心』!今日の放課後、『地獄の底』にある方の視聴覚室前で待っています。よろしくお願いします!『本気!』"
「だから鬼か貴様!?」
「なにがですかー?」
「つっこみどころしかねーよ!! 若干ブラウレメントに寄せてんじゃねーよ語尾とか! しかも微妙にしか似てねえし!! あとあばばばばばって何だよぶっ壊れてんじゃねえかホラーだろ!! そいから地獄の底にある方の視聴覚室ってどこだよ!! 行ったことあんのかっつーかあんのかよ地獄の底によ!? 何を視聴覚すんだよそこの亡者共は!!」
「生き返った際の注意事項ムービー?」
「地獄もわりと更正に一生懸命だなご苦労なこって!!!!」
ふぅ、と息を吐く。
よくよく考えればこんなことは日常茶飯事なのだ。なまじシュテンが物事をやらかす側にいることが多いせいで、驚かされてしまうとついリアクションをとってしまう。
まだまだ自分は青いなと反省しつつ、ヴェローチェに向き直る。
「んで、書いてる途中にヤタノちゃんにでも見られたか」
「そういうことですねー」
「まあ立たされるわ。人の慕情を何だと思ってやがる」
「それはシュテンも一緒でしょー? ……気づいてないかもしれませんがー」
「あん?」
「そうとうあくどい顔してますよー?」
「なんだかんだ、俺もお前さんと同じ側の人間だからな」
「光栄ですー」
何かを思いついたらしきシュテンのにやついた表情に、ヴェローチェもにへらと笑って返す。端から見れば微笑ましい風景ではあるのだが、これはただの悪魔の密会でしかなかった。
「そういえば今だれの授業?」
「単位ちゃんの古典ですー」
「なんだかんだでフケりまくっても単位くれるからってその呼び名はやめてやれ」
「じゃあ何で教室から遠ざかっていくんですかー?」
「フケても平気だからに決まってんだろ」
さぁて、何をしてやろうか。
考えをまとめるべく、シュテンは廊下を後にした。
一人ぽつねんと残されたヴェローチェは、結局一時限目が終わるまでずっと立たされていたのだった。
グリンドル・グリフスケイルは学院の三大王子様とも呼ばれるほどの人気を誇る青年である。爽やかなスポーツ系のグリンドル、ダウナー猫系のアイゼンハルト、そしてもう一人は誰にするかと論争が起きている始末だ。
なら二大でも四大でもいいじゃねえかという話をシュテンがしていたのだが、自らもノミネートされていることを知るや隣にいた奴の頭をかきむしって発狂した。直後となりに居た奴と殺し合いに発展した。シュテンが悪い。ちなみに殺し合った相手もノミネートされている。
そんな三大王子様であるから、よく男女問わずちやほやされる。その一歩ひいた扱いをされる理由が分からず悩んでいたところに、以後の親友となるシュテンがふらりと現れたのだが、そのあたりは割愛。
そのシュテンに呼び出しを受け、グリンドルは普段使わないほうの食堂へと訪れていた。扉をくぐって呼び出した本人を探せば、そこにはいつものようにヴェローチェも居た。長いテーブルの隅を陣取った彼らの元に寄り、向かいに座っている二人の横に腰掛ける。
「どうかしたのかい? 次の授業があるんだが」
「まあそう言うなよ。ささっと終わらせるからよ」
今は三限と四限の間の休み時間。この学校では授業ごとの休憩は二十分である為比較的余裕があるように思える。ただ、一つ一つの教室が広く校舎自体も四つ五つあるので、移動教室の時は急ぐ必要があった。
そんなグリンドルの発言を察したか、シュテンは余裕の笑みを浮かべてそう答える。
この男も同じクラスである以上は移動教室に変わりないはずなのだが、そのあたりを気にした様子はない。
三限と四限の間ということで食堂には殆ど人がいないのだが、それでも改めて辺りを見渡してから、シュテンは口を開いた。
「お前、今までにラブレター何通貰った?」
「……」
「分かった分かった三年に入ってからでいい。目がぐるぐるしてるぞ」
「す、すまない。三年に入ってからなら、まだ二桁だ」
「なるほどな。ってことは60や70はくだらないってことだ。五月だぞまだ。……んで、だ。返事はしたか?」
「それが……まさか愛の告白だと思わなくてな。昨日ヴェローチェに教えてもらって初めて気づいたんだ。これが、ファンレターではなくラブレターであると」
懐から一通の手紙を取り出したグリンドル。ちらりと裏を盗み見てきちんと女性の名前が書かれていることにほっとしてから、シュテンは正面に座るヴェローチェに目をやった。
「そういうことですー。でグリンドル、彼女らに誠意を伝えるべきではないでしょうかー?」
「誠意……?」
「せっかく好意を向けてくれていた子たちの思いを、知らぬとはいえ無視していたのですからー、誠心誠意謝罪するべきかとー」
「……そう、だな。それは、そうだ」
もっともだ、とばかりにグリンドルは頷くと、ついで眉根を寄せて呟く。
「しかし、それにはどうしたらいいんだ……?」
「馬鹿野郎グリンドル! そういう時の為に、俺たちが居るんだろう?」
「シュテン……!」
「そうですよー。友というのは、こういう時に力になってこそですー」
「ヴェローチェ……!」
にこにこと笑うシュテンとヴェローチェ。
それが悪魔の囁きであると、全く気づかぬままグリンドルの思考は加速する。
「多くの子たちに一人一人謝って回るのは、少々骨が折れるだろう。だからグリンドル、一つ確認したいんだが、告白を受けたのは全部この学校の生徒か?」
「三年になってからに限ればそうだな」
「この際しょうがない、まずは三年になってからの子に対して、謝るべきだ」
「なるほど、どうすればいい?」
「簡単だ。とっておきの方法があるんだよ」
にやりとシュテンは笑い、とんとんと机を叩いた。
「食堂に……?」
「ああ、そうだ」
いったい何が行われるのか、その時のグリンドルは全く分からなかった。
ヴェローチェとシュテンは顔を見合わせる。
ここまでは計画通り。だが、グリンドルがこの二人とずっとつるんで居られるゆえんは、二人の思惑通りに絶対物事が進まないことにあった。そして、彼らがそれを期待していることも、グリンドルは知らない。
色んな意味で、三馬鹿は三馬鹿なのである。
クレイン・ファーブニルはクラスの長だ。
初等部の頃からリーダーシップを買われ、中等部二年に至るまで懸命に委員長を務めあげてきた。故に教師たちからの信頼も篤く、またそれに応えようと彼自身も努力を重ねていた。
初等部、中等部は高等部と違い、食堂がない。よって弁当の持参か購買か、それぞれ好きなものを教室で食べることが多いのだ。クレインもその例に漏れず、いつも一緒にいるハルナ、リュディウスと共に弁当を広げることになっていた。
今日はゲストとして、ハルナの部活の後輩であるフレアリールという少女と、その同級生でリュディウスの部活の後輩であるジュスタの二人も一緒に五人で食事と相成った。二年生の教室に入ることにフレアリールは若干おどおどしていたが、ジュスタに手をひかれてそのままあれよあれよという間に席につかされた。
全員が弁当であるようで、さあじゃあ食べようかとクレインが手を合わせた時だった。
『お昼の放送を始めます』
ぽーん、という軽い音と共に、各教室に流れる放送。高等部の放送部が行っている毎日の放送は、実はクレインの一つの楽しみであったりする。野球部でバットを振る毎日も楽しいが、高等部に行ったら放送部に入ってみるのも楽しそうだと思うくらいには、クレインはこの放送が気に入っていた。
毎日リスナーからのお手紙や、二人の放送主のアドリブトーク、そこそこ堂に入っていることもあって、教師陣からの評価も高いのだ。
『今日の放送は、最初にこの曲を流すところから始めるとしましょう、聞いてください、"春の――』
『放送ジャアアアアアアアアアアアアアアック!!』
『――な、何ですか貴方たちは!?』
思わずスピーカーのほうを勢いよく振り向いた。
『放送中ですよ!? 何を勝手に入ってきてるんですくぺっ!?』
『これは許されることなのか……?』
『とりあえずじゃまなのでー、そこの人間二つ捨てといてくださいー』
しーん、と静まってしまったのはどうやらこの教室だけではないらしい。
当たり前だ、これは中等部全体、ひいては初等部や高等部にも流れている放送なのだ。突然何が起こったのかとあわてるが、クレインはふと考える。あの声、どこかで。
『ひゃっはああああ!! お昼の放送を聞いてるみんな!! こーんにーちはー!!』
『こーんにーちはー』
『あ、ヴェローチェさん併せてくれてありがとう。ってことで今日は特別放送だァ! ちゃんと先生の許可も取ってるから安心しろい!!』
いや今明らかにジャックっつったろ。放送部員オトしたろ。
そんな全校生徒のつっこみなど聞いちゃいないようだ。
あわてて中等部の教師陣が廊下を走っているあたり、やはり間違いなく許可など取っていないだろう。
ふと、食卓を囲んでいた四人のほうをみる。
唖然とした表情を崩さない面々の中で、ただ一人フレアリールちゃんだけが真っ赤な顔を両手で覆ってうつむいていた。
「なにしてるんですかおにいさまぁ……」
ああ、思い出した。
今放送ジャックしているあの男、何を隠そうフレアリールの兄である。
破天荒なことでは学校で一番有名であろうあの男のことを、クレインとて見たことがないはずがなかった。何なら彼が中等部に居た頃にクレインは初等部であのふざけた行為を大量に見ている。
教師をいすに縛り付けてそのイスの足にロケット花火を大量にくくりつけていた時は衝撃で言葉もでなかったのだから。教師はその日空を飛んだ。
中等部の卒業式でも、式後のアーチをくぐり抜けるあの伝統を何と勘違いしたかどでかい山車を持ち出して十人くらいで練り歩いたのだ。もう訳が分からない。
そんな悪ふざけ界のレジェンドが、今度はなにをしようというのか。
『まずはみんな聞いてくれ!! 紹介しよう、学院の王子様ことグリンドル・グリフスケイルだ!!』
『やあ、グリンドルだ。今日は集まってくれてありがとう』
集まってねえ。
『……で、どうすればいいんだ?』
知るか、というツッコミは当然伝わるはずもなく。
しかしどこか、ここから何が始まるのかという妙な緊迫感に周囲が包まれ出していた。怖いものに対する好奇心というのだろうか、まるで『押すな』と書かれたスイッチを目にした子供のような、そんな気持ちが胸の中で渦を巻く。
『このグリンドルくんは、貰ったラブレターを今までファンレターと勘違いしていた。そのことに気づき、申し訳ないという気持ちと誠心誠意謝罪したいという気持ちが合わさって、グリンドルくんはここに来ることに至ったのだ!』
『そ、そういうことだ!』
クズじゃねーか。
と白い目を向けるクレインだが、どうやらハルナは違うらしい。謝れる男の人っていいよねと困り顔のジュスタに絡んでいる辺り、もしかしたらこいつも頭が末期なのかもしれない。
それはさておいて、どうやらここからお昼の放送でグリンドルは謝罪をするらしい。放送室を占拠する時点でいろいろ違うとは思うのだが、それは彼らにとってはどうでもいいことなのか、さて。
『グリンドル、どうすれば謝罪になると思う?』
『謝るのではないのか?』
『ただ謝ってもおもし、いや申し訳が今更つくとは思えない。ここは一つ、歌でも歌ってみてはどうだろう』
『歌? 歌、か』
『そうだ、歌だ。お前の思いを乗せて、一つきちんと歌いあげろ。アドリブでいい、つまってもいい、ぶ、くす……いや何でもない、とにかく思いを込めてだ』
あいつ今確実に笑いをこらえきれずに笑ったろ。さらに白い目を向けるクレインだが、グリンドルはその場に居ながら全く理解しなかったようだった。なるほどそうかと頷いて、言う。
『シュテン、きみの気持ちはよく分かったよ。ただ謝罪するだけじゃ甘いと思っていたんだ! そうだね、そういうのが大事だ!』
『お、おうそうか! じゃあ楽しみにしてるぜ!!』
ああ、完全に乗せられている。放送を聞かされているだけでも不憫な状況が浮かぶというのに、グリンドルという男は哀れ完全におもちゃではないか。
と、クレインが思った瞬間のことだった。
『じゃあ、聞いてください』
ほんとに歌うのか。
『"かもめの水兵さん"』
『違ァう!!』
シュテンが切れた。
『何故ストップをかける!! これは僕の十八番なんだぞ!!』
『歌えば何でもいいってもんじゃねえんだよ!! あと十八番ァ!? もうちっとミュージックのレパートリーをアセンブルしろよ!?』
『すてきな歌じゃないか"かもめの水兵さん"!! 何が不満なんだ!!』
『不満しかねぇよなんで童謡持ち出してきたんだよ違うだろ!! シチュエーションを考えろ!!』
『友達と三人だが。あああとそこで二人死んでるな』
『死んでねえよ気絶してるだけだろが!! そいからこの場所オンリーを場面として切り取れっつってんじゃねぇんだよ今テメエは何のために歌うんだ!? アァ!?』
『僕に思いを寄せてくれた女の子たちに――』
『――贈る歌がそれでいいの!? 本当にそれでいいの!? かーもめーのすいへいさん、でお前はいったい何を女の子たちに伝える気なの!?』
『違う!! そこはかーもめーのすぅいへぇいさん、だ!!』
『うるっせえよこのタコ!! 何で今微妙なイントネーションの違いについて論議する気満々なんだよ!! かもめが水兵してようが紛争地域でゲリラしてようが関係ねぇんだよ!!』
『かもめの傭兵さん……?』
『そこを考えるな!! 水兵だけで十分おなかいっぱいだ!!』
『かもめって食べられるのか?』
『知らねーーーよ!! かもめはもういいんだってんだ!! お前は悲恋の女の子たちに贈る歌にかもめの水兵さんをチョイスしたことに何の呵責もねえのかって聞いてんだよ!!』
『むしろシュテンは何が問題だと思うんだ!?』
『待ち合わせに思い人が現れなくて悲しい思いをしていた時に、謝罪を込めてそいつが歌ってくれる!! それが素晴らしいってのにテメエは童謡を聞かすのかそこで!!』
『真心を込めて歌えと言ったのはシュテンだろう!?』
『せめていい具合の曲を選べよ!!』
『聞いてください、"どんぐりころころ"』
『聞かねえよ!! かもめの次はどんぐりかコルァ!! 童謡から離れろってんだ!!』
『どんぐりころころどんぶりこー』
『無駄にうめぇ!! ってか何歌いだしてんだよ聞かねぇっつってんだろこのやろ!!』
真っ赤な顔を伏せたフレアリールが、もうやめて、もうやめてと譫言のように呟き続けている。兄がこんなんじゃ確かにきついなと思いつつ、クレインはこの行く末を案じた。
もうすでに昼休みの時間は終わりかけ、いい加減に教師陣の介入があっても良い頃だとは思うのだが……。
『本日のお昼の放送はー、シュテン、グリンドル、ヴェローチェの三名でお送りいたしましたー。お楽しみいただけたでしょうかー。午後の授業もがんばりましょうー』
背後でまだかもめがどうのどんぐりがどうのと言い争っているというのに、突然マイクの主役がとぼけた声に切り替わった。文面自体は毎日の放送で聞くものと全く同じであることから、おそらく台本を読んでいるのだとは考えられるが。
『楽しかったですねー。モテすぎてもろくなことがありませんー。聞いていますかC組のアイドル()さんー。そうです貴女です淫乱ピンクー。せいぜい夜の道には気をつけてくださいねー。きゃっきゃ』
訂正、台本も何もあったもんじゃなかった。
C組のアイドルと聞けば、確か現役で読者モデルをやっていることで有名な少女だったはず。名前までは聞いたことがなかったが、それは今問題ではない。いや、問題がありすぎるのが問題なのだが。
けらけらと笑う少女の声。そして背後で聞こえる論争。それをバックグラウンドに、放送終了時のミュージックが流れ出す。
嵐のようなひとときであったが、高校生とはかくも自由なものなのだろうか。
と、次の瞬間ぶつっと放送そのものが切れた。いや、切れたのは楽曲だけだ。
まだ何かあるのかとクレインが思った瞬間のことだった。
『大変楽しそうでしたね。わたしのところにも、よーく聞こえていましたよ』
その瞬間、またしても校舎が冷えきった。
『いえ、わたしも楽しかったので本意ではないのですが……校長に怒られてしまいまして。このまま奴らをのさばらすなとスゴいことを言うので、泣く泣く、わたしが出てきました。先生は優しい優しい、おふざけも許容する先生を目指しているのですが……ここまで派手なことをされてしまうと出てこざるを得ないのです。ごめんなさいね』
『あ、詰んだ』
『やべーっすねー……』
『おいけにはまってー……ん? ヤタノちゃんではないか。ヤタノちゃんも一緒に歌おう』
『おま、バカッ……』
『ふふふ……でも、生徒を叱れるのも先生の特権ですよね……』
その瞬間、パリーン、とガラスが割れる音がした。
『逃がしません!!』
『くぺっ!?』
『こっそり出ていこうとしても無駄です!』
『うわー……やーらーれーたー……』
『どじょうがでてきてこんにちはー』
『はい、グリンドルくんも反省です』
『ぐひゅっ……!?』
いったい、何だったのか。あれだけ騒いでいた三人の生徒が、一瞬にして物言わぬ体にされてしまったことくらいクレインにも察しがつく。
というか、さっきまで照れ照れしていたフレアリールがまるで仇敵を睨むような勢いで放送スピーカーを見据えているのがもの凄く怖い。
『全く……』
音声の切り忘れか、何か。
ぽつりと呟かれた教諭らしき人物の独り言を、マイクは拾っていたらしい。
『こんなにおもしろいことをやるなら、最初からわたしに言えばいいんです。そうすれば、校長なんて一撃で黙らせる準備も出来ていたじゃないですか……』
なにこのせんせいちょうこわい。
全く音を発さなくなったスピーカー。
しかし、同じように教室の誰もが、もとい校舎の誰もが何も言葉を発しない状況。
彼らの脳内は全て同じだった。
高等部超怖い(あのロリ教師絶対に許さない)。
ん、なんか一人違ったけどまあいいか。
おあとが、よろしくないようで。