第六話 ネグリ山廃坑II 『吸血鬼ハンター』
ヴァンパイアレディ。
読んで字の如く吸血鬼の少女であるフレアリールは、自らの住んでいた地から突然遠く異国のダンジョンにまで飛ばされて、混乱と恐怖の極致にあった。
彼女はこの真っ暗なダンジョンがいったいどこにあるのかなど分かる由も無かったが、実はこのダンジョンはユニークモンスターをランダムに様々な場所から召喚する術式を組み込んだ場所だったのだ。
ユニークモンスターを必ずダンジョン内に一匹放り込んでおく。
それが売りで、そして存在意義だった。
魔獣、魔族からしてみればたまったものではないが、そういう風に人間が人工的に作ったダンジョンなのだから仕方がない。
吸血鬼の少女フレアリールが知らないこと二つ目として、今回彼女がダンジョンに呼び出されたのにはもう一つの理由があった。
それが、今彼女を追いかけている二人の男。ヴァンパイアハンター。
彼らはダンジョンの術式に特殊な符号を打ち込み、次のユニークモンスターを"吸血鬼"に固定していたのである。
斯くして彼女は呼び出され、右も左も分からないままダンジョン内で狩られるという憂き目に遭っていたのだ。
「た……たすけて゛ぇ……!!」
彼女は上位種族のヴァンパイアだ。魔人だ。だが、あまりに幼すぎた。
だから、ヴァンパイアが得意とする魔導も、その怪力も持ち合わせていない。
それがヴァンパイアハンターたちにとっては逆に都合がよく、彼女にとっては悪夢だった。
さっきまで、平和に吸血鬼の父母と暮らしていたのだ。森に囲まれた、湖に面した美しい場所で。何の不自由もなく、日々を過ごしていたのだ。
なのに、気がついたら暗闇と土の臭い。血走った目で追いつめてくる、凶器を持った男たち。
何度も呼んだ父と母の名に、彼らは応えてくれやしない。
悪い夢だ、そう、これは夢なんだ。
そうは思っても、転んだ時に感じた痛覚は間違いなく現実のもので。
幼い彼女はもう何がなんだか分からなかった。
「っしゃあ!!」
「ひぅっ!?」
アンカーのようなものが射出され、彼女の足首に掠る。すかした場所から盛大に飛び散る血飛沫は、信じたくなくても自分のものだ。
「ああああ゛ぁあ!!」
脳内を一瞬で埋め尽くす紅と、その激痛。局部を溶岩にでもつっこんだかと錯覚するような衝撃に、たまらずフレアリールはでこぼこした土の地面を転がった。
だが、そこは吸血鬼。
再生力にかけては幼い頃から強く、そう簡単に死ぬことはない。
じゅうじゅうと、肉を焼くような音を立てて彼女の傷は癒されていく。それは彼女に元から備わっている種族としての防衛反応。
ヴァンパイアハンターたちもそれを承知で、攻撃を仕掛けてきている。
「ぃゃ……い゛や゛ぁ゛!!」
長く伸ばした黒髪は、父母に誉められたその艶やかさを既に失っていた。何度となく転げ、起きあがっては逃げ、攻撃に穿たれて地面に伏しているうちに、泥だらけになってしまっていた。
まだ人が走る速度と同じくらいでしか飛行できない自分の非力な翼を必死で羽ばたかせ、彼女はもうどこに向かっているのか分からないくらいに滅茶苦茶に逃げ回っていた。
助けてと、叫んだ言葉は誰の耳にも届かずに。
「もういい加減観念しやがれ!!」
「うあ゛あああ゛ああ!!」
片方の男は魔法使いだったらしい。拳大もあるようなつららの矢が、彼女めがけて放たれていた。撤退戦のなんたるかなど知る由もないフレアリールがそれを避けられるはずもなく、両手足に突き刺さった氷の激痛にもんどり打って転げ回る。
「くそしぶてえガキだな」
「逃げ一辺倒の吸血鬼も面倒なもんだ」
それでも彼女は、泣きはらして真っ赤にした顔と、激痛、恐怖に苛まれたその中で逃走を選んだ。氷の矢もすぐに溶け、傷口が埋まり、そうすれば痛みさえ我慢すれば動けるのだ。
「翼を狙え!」
蝙蝠のように黒くしなやかな翼を、男は指さした。彼女が必死に動かして、逃げているその"足"ともいえる部位。
「ぱぱ……助けてぇ゛!!」
泣きじゃくる彼女の慟哭は、しかして当然ながら届くことはない。それどころか喉も嗄れて、もうだんだんと声すらでなくなってきていた。
フレアリールは必死だった。
どこに向かっているのかも、どこに逃げればいいのかも、思考が危うくなって久しい。むしろ助かる可能性すら、精神の磨耗とともに擦り潰されていく。
まだ、10にも満たない童女なのだ。吸血鬼とはいえ、とても親の庇護なしで生きられる年齢ではない。
この突然で苛烈な運命を呪うことさえ、幼い彼女は知らないのだ。
「いい加減弱ってんだから捕獲できねぇか?」
「そろそろ潮時か」
男たちの会話が、耳に触れた。
捕獲。
どうなってしまうのか想像もつかないが、それでもあの二人が纏う狂気の先に、まともな未来は見えなかった。
「ぃ……や……!」
「アイスランサー!」
氷の槍は鋭く長く。巨大化した針のようなそれは、フレアリールが逃げる速度よりも遙かに速く土の洞窟を駆け抜ける。
鈍く、何かを裂くような音。
「ぁ゛……か゛……!?」
「よしナイスだ!」
片翼が、ものの見事に貫かれた。
ついでと言わんばかりに、貫通した氷の槍はそのまま彼女の腕をも刺し抜いている。
先ほどまでよりも重く、強かに地面へと体を打ち付けたフレアリール。受け身がまともに取れないのだから当然だが、それでも必死に逃げようと立ち上がろうとして、気づいた。
「ぁ」
正面に、道が無いことに。
行き止まりだった。
「フゥ! 絶好のポジションで止められたんじゃねぇの?」
「まだガキだが、それでこそ需要があるというものだ。ぐふ、グフフ」
軽口をたたく二人の男は、暗がりの中で徐々に彼女との距離を詰めていく。
ヴァンパイアハンターの一人が取り出したのは、鎖。感じる魔力は尋常ではない。おそらく捕らえた者の意識を封じるものだ。
「ぃゃぁ……!!」
翼に突き刺さったままの氷は、彼女が体を捻る度に血を滴らせる。その激痛たるや凄まじいが、彼女の感覚はそれ以上に眼前の恐怖に支配されていた。
いやだ、助けて。
浮かんだ家族の顔が次々に消えていく。
誰も助けてくれないじゃない。どうしてこんなことになってしまったの。
どうして、どうして。
「じゃ、やるか」
振り上げられた鎖はまるで生きているかのように踊り狂い、標的のフレアリールを見つけて飛びかかった。
あれに捕まったら。
だめ、逃げなければ。
だというのに翼は全く動かない、足も震えて機能しない。
恐怖という呪縛に体が竦み、フレアリールは泣き叫ぶ。
「いやあああああああああ!」
鎖が、放たれた。
ヴァンパイアハンターは思う。
ここまで苦労した。散々犯罪に手を染めて、こうして非合法の仕事に就き金銭を得てきたのだ。
だが、この吸血鬼さえ捕らえれば。やっとまともな暮らしができる。借金が返せる。
魔王軍にこき使われる日々も、終わる。
だから。
だから、
だからこんなところにポップするんじゃねぇ!!
レジェンドモンスター!!
一陣の風が舞い、ヴァンパイアハンターと吸血鬼の間に割って入るように現れたのは、異常なプレッシャーを纏う魔獣……否、魔人。
煽られてはためくは群青色の着流し。
鋭くも捻れた二本角。
黒い髪は無造作に長く。
振りまくオーラは、今までヴァンパイアハンターたちが出会ってきたどの魔族よりも重く、苦しい。
「なっ……!!」
背中に背負った巨大な斧が、破魔の鎖を一撃で打ち砕いた。
高かったのに、たった一度のチャンスだったのに、それが無為にされたという怒りよりも、早くここから逃げなくてはという焦燥が全身を駆け巡る。
「お、おい……どうすんだ」
「に、にげられるか?」
ちらりと隣のヴァンパイアハンターにアイコンタクトを送る。
その間、目の前のレジェンドモンスターらしき妖鬼は静かにその場に佇んでいた。
「……だ、れ?」
ぽつり、と漏れた声は幼く、そして掠れていた。
土の洞窟に響きわたるその音に、しかして妖鬼は反応すら見せない。
ゆらり、と間に立ったまま。
まさか、と思う。
まさかこのレジェンドモンスターの妖鬼は、あの幼い吸血鬼を庇っているんじゃなかろうなと。
妖鬼が動いた。その大斧を肩に担ぐという、普遍的な動作。
だがたったそれだけの一挙手一投足が、威圧を増し続ける。恐怖を、畏怖を煽り続ける。
「……誰、だろうな」
「え……?」
喋った。
誰、だろうな? 何だそれは。
みるからに妖鬼ではないか。鬼の魔族。そのくらい、自分にも分かる。そうヴァンパイアハンターは思いかけて、止まった。
みるからに妖鬼なのに、誰だろうなと問いかけた?
「まさか……」
言葉を紡ぎかけて、妖鬼の金色の眼光がヴァンパイアハンターを穿つ。
「……っ! お、俺たちの金を返せよおおおお!」
「バカ、よせ!!」
恐怖に耐えきれなくなった相方が、サーベルを振り上げて突進した。
魔法で援護するべきか、自分は彼を見捨てて逃げるべきか。
それを考える、までもなかった。
相方がサーベル片手に妖鬼に飛びかかるより先に、妖鬼が徐に大斧を地面にたたきつけたのだ。
瞬間土が盛り上がり、まるで津波のように亀裂がこちらへと押し寄せる。
「うわっ!?」
直線上に隆起し襲いかかる怒濤。
相方は簡単に弾き飛ばされ、ヴァンパイアハンターは辛うじて道の端ぎりぎりで難を逃れた。
なんたることか。
軽く斧を振っただけでこれか。
これが、レジェンドモンスターか。
まさかとは思ったがやはり……
「伝説の妖鬼……シュテン……!?」
「なんだ?」
「……!!」
胡乱げにヴァンパイアハンターを睨み据える妖鬼。
聞いたことがあった。
数百年前に封印された、伝説にして最強の妖鬼のことを。
まさか、生きていたのか。
「っ!!」
やっていられない。
そんな奴と相対して、生きていられるわけがない。
「に、逃げろ!!」
身を翻して逃走を計ったヴァンパイアハンターに、ついぞ追手は来なかった。