第二十話 聖府首都エーデンII 『死闘の予感』
クレイン・ファーブニルは光の神子だ。
教国南方の片田舎で農家の息子として生きてきた少年は、二年と少し前に突然自らに宿った光の神子の体質を見込まれて、教国の切り札として育てられることになった。
そんな彼が旅に出てしばらく。ジュスタという少女を追いつつ久しぶりに訪れた故郷教国で、彼は多くのものを得ることになった。
冒険の途中で出会った猛者たちに負けぬよう研鑽を積む傍ら、いまや親友とも呼べるライバルとの心の絆もまた増した。
高みを目指し、競い合う者同士。
暫定的とはいえジュスタという少女も加わって、旅は至極順調だった。
「でね、あたしたちは魔王を倒す為の旅をしてるの!」
「……なんというか、壮大なのは分かったケド。できるものなのかちょっとボクにはわかんないよ」
「分からないさ、僕も。けど、僕が任された以上は頑張りたいってことだよ」
「光の神子とそのご一行、なんて言われているが。まあ、お前が恐れているようなブレイヴァーとは違う存在だ。安心するといい」
聖府首都エーデン。
メリキドから二日と少しの時間歩いて、クレインたちはこの街へとたどり着いていた。トゥントやナーサセス港よりもずっと栄えている街並みは軒並み白く染め上げられていて、整備された地面には薄く魔素が漂っていた。
それ以上に、街の中心である白亜の塔から漏れ出るエネルギーが周囲を覆っており、その力がエーデンを守っているのであろうことは法術にほとんど縁がないジュスタですらはっきり理解できることであった。
「で、クレイン。今日はどうするんだ」
人通りの多い道を行きながら、リュディウスは思いついたように問いかけた。それとほぼ同時にクレインに気づいた民衆が手を振り、彼も苦笑して振り返す。
ここは聖府首都エーデン。四神官と光の神子がおわす、教国でもっとも安全な街。
「よっ、人気者」
「やめてってば」
ハルナの茶化しを一蹴。
今日のクレインは、普段と纏う雰囲気が違っていた。
笑いもするし、会話もする。
だが、ぴりついた空気と鋭い目つきだけはどうにも隠しきることができていない。会ったばかりのジュスタも気配には敏感な少女であるし、残る二人はそこそこのつき合いだ。気づかないはずもない。
とはいえ、リュディウスはその理由を知っていた。
数日前、放浪の妖鬼シュテンに言われたこと。クレインにとっての故郷であるこの街が、魔王軍の脅威に晒されるであろうという危惧。
もしかしたらあの妖鬼はそれを察知して教国を訪れていたのかもしれない。
クレインの思いこみは強ち間違ってはいないのではないか。彼もまた魔王軍となにかしらの因縁があり、だからこそこんなタイミングで教国を訪れた上、光の神子のサポートなどをしているのではないか。
そんな思いが、リュディウスの胸のうちに渦巻いていた。
「リュディ?」
「ん? ……ああ、すまない」
気がつけば一人だけ立ち止まってしまっていたらしい。
手のひらを見つめていた視線を正面に移せば、各々の表情で三人がこちらを見据えていた。
そんな心配そうなツラすんなとばかりに大げさにハルナを鼻で笑ってやると、彼女もわりと大げさに乗ってくる。
「あー、人が心配してあげてるのにー!」
「お前に心配されるようなことは……そうだな、戦闘中だけで十分だ」
「お、なんか株上がった?」
「背中を預けることくらいは、安心してできるようにはなったかもな」
「やっふー! クレイン聞いた!? ねえ聞いた!?」
「あはは、よかったねハルナ」
ブラウレメントと戦った時も、たった一人残って回復に専念してくれていたこと。そうでなくとも、肝っ玉の強さはリュディウスも知るところ。
もう昔のように"Fランクブレイヴァー"などと小馬鹿にするつもりもない。もちろん相変わらずそのランクから変動がないハルナを弄ることはあるが、それはもはや彼女の実力とはかけ離れたものだ。
「……クレインどしたの」
「あとで話す」
おまけに聡い。
ぴょんぴょん踊りながら、ちょろりとリュディウスの近くに寄って耳打ちする様など、随分強かになったものだと思う。リュディウスもクレインに感づかれないように早口で応対し、前へ向き直った。
「ひとまずあれか? 四神官とやらに挨拶か?」
「突然行っても迷惑だろうから、一度門番さんに挨拶してからしばらく時間は空けるよ。めぼしいものがあったら買って……戦闘準備を整えておくのがいい」
「血気盛んだな、クレイン」
「僕の故郷を侵略しようというのなら……例えぼろ布になろうともくい止めてみせる」
小さく微笑みつつ、それでも瞳は真剣に。
そんな表情をされたら、リュディウスも気合いを入れる他無い。
負けていられない。自分も強くなる余地があると、明確に分かった今なら迷う理由などどこにもない。
「お前がぼろ布にされそうになる前に、そこのFランクブレイヴァーが助けてくれるさ」
「あー! 認めたって言ったのにー!!」
「それに、俺も居る。そう易々とやられはしない……だろう?」
「ボクも手を貸すよ。総力戦ではあまり役に立てないかもしれないけど……背後から敵の利き腕を串刺しにしてやるくらいなら造作もない」
「このロリちょっとえげつないな!?」
「ロっ……これでも共和国の忍なんだ! バカにしないでよ!」
リュディウスの発破が、いつの間にか仲間内の漫才と化している。
新入りのジュスタも、相変わらずのハルナも。
なんだかとても楽しそうな光景に、一瞬クレインは呆けたが。
「大丈夫だよ。うん、みんなが居ればきっと」
根拠は無い。ついでに実力もまだ足りない自覚はある。
それなのにどうしてか、今ならあのブラウレメントにも勝てそうな気がする。
そして、それを現実にする為に戦う。
そう決めたからこそ、クレインは前を向く。
果てのない研鑽と死闘の先に、己の使命を達成する"時"があると信じることができるから。
その数時間後。
クレインをはじめとする四人は、とある荘厳な大部屋の中に居た。
白亜の間とも言うべき、広い正方形の部屋。四方を巨大な柱が貫き、その中心には銀の散りばめられた美しいカーペット。これが大量に魔素を含んだ高級品であることくらい、何度もこの部屋を訪れたことのあるクレインは知っていた。
ここは、四神官との謁見に使われる場所。
本来ならばアポイントメントを取ってから三日は待たない限り四神官への拝謁は許されないが、そこは光の神子。たった数時間、四神官の準備が整うまで待てば面会が叶うあたりに存在の大きさが窺える。
とはいえ光の神子とて四神官の部下。
下座にて、クレインたち四人ともが直立して彼ら四神官と対面していた。
四神官は上座に置かれた四つの椅子に腰掛けて、様々な表情を浮かべながらクレインたちと向き合う。しかし一つ言えるのは、誰もが悪感情を抱いてない部分であろうか。
安堵した表情、懐かしむ表情、優しげな表情、穏やかな表情。
久しいなという挨拶に始まった謁見は、あれよあれよという間に話題が進み、クレインが旅の間に得た仲間として紹介されたリュディウス・ハルナ・ジュスタの挨拶も済んだところ。
そのタイミングで、クレインはとうとう切り出した。
「四神官のみなさま。お話したき議がございます。もうしばらくお時間をいただけないでしょうか」
「なに、他ならぬクレインの頼みよ……もうしばらくは大丈夫よの。のう、皆の者」
ずっと穏やかな表情を浮かべている、豊かな白髪の老人。彼こそ四神官の纏め役として事実上のトップを勤めているカイザルハーン。彼の問いかけに、他の三人もそうじゃそうじゃと頷く。
こうしてみているだけならばただの老人会のようにしか思えない。だが、彼らは皆が皆、教国の名だたる家から排出されたエリートの中でも最も神に近いとされる法術師たち。であればこそ信心深く懐も深く、この環境で育てたことを純粋にクレインは感謝していた。
「ありがとうございますカイザルハーンさま。みなさまも。では、この街に戻ってきた理由なのですが……魔王軍がこの街に侵攻を仕掛けようとしているとの話を耳にしました」
「……魔王軍が、この半聖域と化したエーデンに? にわかには信じ難いが……」
「実際に、魔王軍四天王の"理"、及び魔王軍重要幹部の"導師"が荷馬車無き街道に出没しています。……どうか、信じてください」
頭を下げるクレインに、面食らった四神官は顔を見合わせる。
偶然カイザルハーンと目が合ったリュディウスも頷き、同じように低頭した。その態度を見て、カイザルハーンはその豊かな白い髭に触れて唸る。
「うむむ……それが真だとすれば、大事じゃが。しかし、一個の街にして一つの陣と化したこの半霊域に彼らが仮に攻めてくるとして……それはどこから来る? そして、脅威に感じる必要はどこにある?」
「それについては、これを」
クレインは懐から二つの鍵を出した。赤のものと、橙のもの。
どちらも、"魔界地下帝国"に入る為の七つの鍵の、その一つ。
めがねをかけた神官が、そのブリッジを少しあげて前のめりになる。
カイザルハーンは相変わらず穏やかな表情を崩さぬまま、クレインに問いかけた。
「これは?」
「四天王の"力"のグルフェイル曰く、人間が"魔界地下帝国"へ入る為に必要な鍵だそうです。他にも五つの鍵を集めなければなりませんが、彼らは今魔大陸の上ではなく、その地下に居る様子。下手をすると、海から襲ってくることもあるやも」
「……なるほど。では、儂の出したもう一つの問いに対してはどう答える?」
「脅威に感じる必要があるかというカイザルハーンさまの問いにお答えするならば……正直、難しいです。しかし、今の僕たちが四人でようやく戦えるか分からない強さの四天王"理"に加え、今の僕たちでは全くかなわなかった"導師"の存在。その二つが、僕を不安にさせるのです」
「クレインをして、"全くかなわない"か。……その二人だけで侵攻するとも思えない。とすれば、魔王軍もそれなりの規模……クレインの言いたいことは分かる。じゃが……今十字軍は帝国との境界のにらみ合いと、南への派遣、それから西の魔大陸の警戒に結構な量を割いてしまっておる。弱ったのう」
腕を組むカイザルハーン。
「ちなみに、今の戦力は」
「動員できるのは法術師隊2000と、武装兵3000というところじゃの……魔王軍の規模が分からんが、半霊域では魔王軍の動きも鈍るだろうと思っておった……のじゃが……」
「何か、あったのですか?」
クレインの問いかけに、カイザルハーンは一つ頷いた。
と、そこでもう一人、めがねをかけた神官がクレインに言う。
「クレインの言うこととはいえ、理と導師なる者が同時に来るなど信じ切れないのが本来なのだよ。それに、魔王軍が来るから警戒しろというのも、辺境からの連絡が無い以上信憑性が薄い」
「ですがっ……」
「でもね、クレイン。それでも今こうして我々が悩んでいるのは、きみの言葉を信用する理由があるからなのだよ。半霊域と化したこの場所では魔族おそるるにたらず……などと考えていたのだが、どうやらそうでもないらしい」
「えっ……?」
それは、いったいどういうことなのか。
クレインが再度聞くよりも先に、カイザルハーンが頷いて答えた。
「ビタル平原も半霊域の範疇だということは知っておるな?」
「え、ええ。南の湖に至るまでビタル平原全域が半霊域と化していると。それも、全て立地条件と白亜の塔で四神官のみなさまが毎日祈りを捧げているからだとも」
「うむ……そのおかげで、あそこには魔獣の一匹もおらん長閑な場所じゃった……じゃったんじゃが……」
「……何か、問題が? まさかっ……」
「待て待て。実害はないのじゃ」
もうすでに魔王軍の兆候が……!?
そう考え思わず飛び出しそうになったクレインを、カイザルハーンが手で制した。だが、そうなると今度は分からない。
なにが起きているのか。
「見張りには重々伝えてあるし、様子見に徹しろとも言ってあるが……何でものう……」
言葉を切って、カイザルハーンは言う。
「何者かと、妖鬼の魔族が二日ほど前から延々殺し合っとるんじゃ」
「……へ?」
「近寄れないほどの規模でのう。いくつクレーターが空いたかも分からんのじゃが……しかし街に近寄るそぶりは一切見せんし、放置させている。……問題は、妖鬼が半霊域をものともせずに戦っていることなんじゃよ……」
「あの、もしかしてその妖鬼ってジャポネの民族衣装に身を包んだ黒い二本角の?」
「容貌に関しては詳しく聞いておらんが……奴も魔王軍か?」
「いえ……どちらかというと、味方かと」
「では、それと戦っている方が魔王軍か?」
「戦ってる方、もしかして大薙刀持った青髪では?」
「そうじゃが……知り合いか?」
「ええっと、カイザルハーンさま」
気づけば、背後でリュディウスが眉間を揉んでいた。ハルナもどこか苦笑いだ。ジュスタに至っては口元をひくつかせている。
知らぬは四神官ばかりなり。
そんな状況の中で、クレインは進み出てカイザルハーンに言った。
「その二人……魔王軍関係なくただ殺し合ってるだけです。止めに行きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「あ、ああ」
あっけに取られたカイザルハーン。
クレインも、見知った二人がなにをしているのかという思いと、若干の焦燥が胸のうちにこみ上げた。
とはいえ、どちらも殺しても死ななそうだとも思える。
いずれにしても、止めに行くまでは決着もつきそうにない。どちらにも死んでほしくない身としては、それが一番賢明かと考えて。
と、その時だった。
盛大に扉が開かれ、兵士が転がり込んできたのは。
「なにごとじゃ?」
穏和に問いかけるはカイザルハーン。しかし、ほかの四神官は慌てた兵士の様子にただならぬものを感じ、注目する。
「大変です!! 魔王軍が……魔王軍がビタル平原西方から現れました!!」




