第十一話 荷馬車無き街道I 『導師、その片鱗』
ぺらり、ぺらり。
スクロールをめくる手はゆっくりと。
晴天の下、木漏れ日に照らされた太い木の枝に腰掛けて、その少女は書類にのんびりと目を通していた。傍らにはお気に入りのフリルアンブレラを引っかけて、左手に持つお気に入りのマグには町民の振りをして購入したスープを入れて。
空中に浮いたスクロールを、一枚一枚丁寧に読み込んでいた。
山と山の中間にあるトゥントを西に抜けると、そこは上り下りの激しい一つの街道になっている。その名も"荷馬車無き街道"と言い、あまりの起伏に車を引く馬が音をあげそうな箇所であることが由来だった。
飛び出してくる魔獣の数はそんなに多くは無いが、そのかわりと言わんばかりに一匹一匹の厄介さが尋常ではない。回復を担う魔獣や徒党を組む狼型の魔獣、さらにはアンデッドと言った対処のしにくい魔獣までが蔓延るのが、この荷馬車無き街道だった。
そんな物騒な場所の、ちょうどトゥントとメリキドの街の中間付近の街路樹の上で、彼女は悠々自適にスクロールと向き合っていた。
「んー……めんどくさいですねー……」
呟かれた言葉の意味は、それほど深いものではない。
スクロールに書かれた情報は、諜報に長けた魔族からのメッセージ。
聖府首都エーデン、メリキド、トゥント、アリカンタ城。教国北部に位置する都市の現在の状況が、事細かに記されていた。
その中で、彼女がめんどくさいと呟いた理由は三つある。
一つは、招かれざる客の混入。魔王四天王の一人"力のグルフェイル"を下したとされる"光の神子"の一行が、教国に帰ってきているらしい。
とはいえあれは生かしておくメリットも無いので、探す手間が省けた分はラッキーでもあった。
問題は別の異物であった。帝国書院の魔導司書。なにをどう間違って教国を訪れているのかはわからないが、あの集団は一人居るだけで戦力計算を大いに狂わせる。願わくばとっととこの手で排除してしまいたいものであった。
誤算と言えばほかにも。まさかあの妖鬼が本当に教国を訪れているとは思わなかったからだ。もしかすると、パーティーに興味をもってくれたのかもしれないと少しわくわくとした気持ちを抱きながら口元に弧を描く。あまり表情を変えない彼女のことだから、珍しい表情と言えた。
さて、問題二点目。
"車輪"の不在であった。"導師"である彼女と双璧を成す、魔界地下帝国軍のジョーカー。作戦決行間近になって突然「人間界は太陽の光があたしの顔を傷つけるからイヤ」とドタキャンをぶちかましてきたのである。
これにはヴェローチェも目が点であった。せっかく、ちょうど頃合い的に教国を潰しても支障がない状況が整えられたのに、そこに全力を尽くさないとはいかがなものか。
しかし魔王がそれを許可してしまった以上、ヴェローチェからはなにも言うことができなかった。元来ワガママな気性である魔族の集まりだ。強者になればなるほど、自分勝手な行動が多くなる。"車輪"の行動に文句を言えば、普段自分が研究やらなにやらでほっつき歩いていることにも言及されそうで面倒だ。
仕方なしに、軍のトップを任されるしかなかった。
そして、問題の三点目。
これは二点目の延長線上になるのだが、"車輪"が不在となると先述のようにワガママな魔族の手綱を握る存在が居なくなる。ヴェローチェは"導師"だ。基本は個人行動だ。軍の動かし方で"車輪"には遠く及ばない上に、ヴェローチェは人間である。"ワガママな気性の魔族共"の中には、相変わらずヴェローチェのことを低くみる輩が多いのだ。
ヴェローチェとしても不愉快ではあったが、それを正すことに本腰を入れるのは面倒臭いと先延ばしにしていたところ、この始末である。
「四天王が二人来ているとはいえ、この二人も車輪の言うことしか聞きませんしー。シュテン本気で来てくれませんかねー。あの妖鬼なら"車輪"に惑わされることもないでしょうしー」
"力"のシュテン。良い響きだと思うんですけどねー。
そんな風にぼやきながら、ヴェローチェは最後のスクロールに目を通す。傾けていたマグにもうスープは残っておらず、仕方なしにポシェットへと突っ込んだ。
と、そんな時であった。
メリキドの方角から駆けてきたのは、一人の魔族。牛のような顔が特徴的なミノタウロスだ。緑がかった全身に腰布を巻いた、いかにもパワータイプといった風貌の男。背中には大きな斧を背負っており、使い込まれているのか握り部分の布はぼろぼろであった。
「導師、報告するぜぇ。聖府首都エーデンの兵力がだいたい掴めた。んで、もう"秤"のレックルス様はやる気満々でよぉ、早く来いってさぁ」
……これである。
そもそもからして、魔王軍のナンバー3に向けた態度ではない。
軽く頭を下げる様子すらなく、まるで年下の子供相手のような口調。確かにヴェローチェは御歳15、まだまだ子供であることには間違いないのだが、それでも最強に近い部類に居る魔界地下帝国の幹部だ。
まかり間違っても、このような扱いをされる筋合いはない。
だが、一つだけ心あたりがあるとすれば。それは、ヴェローチェが人間だからということだろう。
「それでー、掴めた兵力というのはどのくらいなんでしょうかー」
だからといってヴェローチェもここで咎めない。理由は面倒臭いから。そんなことをしているから無限ループでなめられることになるのだが、なんだかだいたいのことが億劫であった。
だからこそ、研究か放浪か、好きに個人行動をしているのだが。
そのせいで、力量を弁えない魔族が、往々にして存在するのである。対処するのがめんどくさい、とそう割り切ってしまったヴェローチェもヴェローチェであるのだが。
「だからレックルス様が知ってるっての。俺もパシリに使われてタルいから早くいこーぜ。……それとも」
「それとも、なんですかー?」
ぎょろりと、牛顔に埋め込まれた双眸がヴェローチェを見上げる。
先ほどまでの色から、情欲に濁った瞳へと切り替わったその瞬間を見て、ヴェローチェはまたかと嘆息した。
木の枝に腰掛けるヴェローチェを、当然ながらミノタウロスは見上げることになる。ゴシックロリータのモノトーンドレスに身を包んだ彼女だから、当然その乙女の生足が目の前でぷらぷらと揺れているのだ。
上司に色目を使うだけでも許せないというのに、目の前の男はさらに不躾なことを言う。
「そんなにちらちらとスカート揺らして、誘ってんのか? お?」
「……そうですねー、貴方のような汚物ではなく、誘うならさすがに相手を選びますー」
「……あんだと……?」
そんなミノタウロスに対して、ヴェローチェもものぐさながらに容赦がなかった。当然、挑発どころではないその発言に対しミノタウロスは憤る。短絡的な思考しか出来ないとはいえ、それでも魔族でならしてきた実力の持ち主なのだ。目の前の"導師"が己の五分の一も生きていない人間の子供であることを知っているからこそ、色眼鏡で見てしまうのは致し方のないこととも言える。
だが、それは単純に相手の力量を計れていないことと同義であり。同時に、愚策へと乗り出す第一歩となってしまうことを、ミノタウロスは見抜くことが出来なかった。
「……テメエ、人間の癖に鼻につくと思ってたんだよなぁ。人間のメスガキが調子乗ってんじゃねぇぞ!!」
「……」
吠えたと同時に、背中の斧に手をかけて大きく跳躍したミノタウロス。その素早さと言ったら、おそらく並大抵の魔族では対応出来ないことだろう。
目の前の金髪の少女に肉薄し、脳天に向かってその斧を振りおろす。木の枝ごと叩ききってしまえるようなその一撃はしかし、空振りに終わった。
というよりも。
「あ……れ……?」
「捜し物はこれですかー? んー、品質的にはいまいちですねー」
「えっ……?」
いつの間にか、両手にあったはずの感触が無い。跳躍し、宙に浮いたままだったミノタウロスの上からかかる声。反射で見上げれば、自らの斧はつまらなそうな表情の少女に握られていた。
「なんっ……!?」
魔法を使った様子はなかった。
だというのに、なぜ。まさか、単純な徒手格闘で敗北したというのか。ミノタウロスであるこの自分が。
呆然とするミノタウロスに、ちょん、と重圧がかかる。
自らの額に、ヴェローチェのつま先が乗っていた。木の枝から飛び降りたのであろうか。だが、蹴りともいえないようなそんな攻撃で死ぬ自分ではない。
なめられたこと、こけにされたことへの怒りでミノタウロスは吠えようとして――
「はい、死にましたー」
「……え?」
――古代呪法・壊天童子――
次の瞬間、自らの体が突然の熱に内部から襲われるような感覚とともに、
ミノタウロスは爆散した。
爆ぜた肉体の反動で、ヴェローチェはさらに跳躍して再度木の枝へと舞い戻った。何事もなかったかのように腰掛けて、一つあくび。
だが、眼下に広がる血しぶきと肉片が、なにが起こったのかを語らずとも教えてくれる。まるで熟れたザクロが落ちたかのようなその飛び散り具合に、しかし臆する者などここにはいない。
ヴェローチェはしばしの休憩ついでに一冊の本でも読もうかとポシェットに手を突っ込んで……ふとメリキドの方へと目をやった。
特に不思議なことがあった訳ではない。来客があったからに他ならなかった。
その人影は、急ぐでもなく自らのペースに合わせて歩みを進めていた。視線はまっすぐにヴェローチェへと向いており、不気味なほどにつり上がった口元は遠くからでもありありと視認出来た。
白い手袋をつけた両手が、ゆっくりと打たれる。
「ぱち、ぱち、ぱち。う~ん、素敵にお怒りなのは結構。でもそれって不作法。導師、なかなかに無粋」
「ブラウレメントですかー。何のご用事でー?」
「何の用事とはご挨拶。どうせミノタウロスは失敗すると推察。だからわざわざ出迎え」
「そーですかー……」
燕尾服のような黒くフォーマルな服装。やたらと丈のあるシルクハットに、もはや裂けているのではないかと言うほどにでかい口。真っ白な肌にペンで線でも書いたかのような瞳は、普段通り不気味に笑っている。
"理"のブラウレメント。魔王四天王の一人にして、"車輪"の崇拝者。
つれてきた二人のうちでも厄介な方が来たことを、ヴェローチェは歓迎していなかった。
「目が笑っていないので恐々。しかしそれでも奔放。相変わらず導師は小娘」
「そーですかー。……なんか、強くなりましたー?」
言い回しが腹立つことに加えてこの男も無礼きわまりないのだが、それ以上に一つ、気になる点があった。一週間ほどだろうか、見ないうちにやたらと覇気の具合が上がっているのである。
それはまるで、短期間でどんどんと力を増すあの妖鬼のようで。
「さすがは小娘でも導師。隠していてもわかるとは慧眼。しかし強くなった以上舐めた態度を取られるのは不快」
「思い上がりも甚だしいですー。その程度の強さになったところでー、わたくしに傷一つ……というか指一本触れられませんよー」
「……へぇ」
なら、やってみようか。
そう言わんばかりに、ブラウレメントは手袋に包まれた右手をゆっくりとヴェローチェの方に向けた。涼しい顔をした目の前の少女は、まるで威圧された風でもない。それがまた不愉快で、今の強化された自分の力を思い知らせてやろうかと思ったその矢先のことだった。
「……トゥントの方から人の気配。だいたい四人の所帯。強さは手頃な塩梅」
「強くなったと豪語するならー、そこらの人間くらいさっくり殺ってきたらどうですかー。…………あ。その四人皆殺しにしてきてくれたら少し対応を考えてあげなくもないですよー」
「まるで誰だかわかったと言わんばかりの言い様。いいでしょう皆殺し。待っていなさい導師」
「スープのお代わり取ってきますかねー。それまでに皆殺しに出来たら良いですよー」
「……舐めるなガキ」
「本音だだ漏れですねー、"理"のくせに」
それ以上の口論は無駄だと判断したか、ブラウレメントはトゥントの方へと向かっていく。もう少し自分の力を誇示しておくべきだったかと若干の後悔を抱きつつ、しかし後悔をしたところでどの道自分がまともに立場を築いている自信がなかったヴェローチェは、小さくため息をこぼすのだった。
「本当にめんどくさいですねー。シュテン、四天王来てくれませんかねー……」
ひゅう、と小さくそよ風がヴェローチェの頬を撫でる。
「やっぱりお給料物足りないのかな……」
ぼそっと漏れた本音は、誰に聞かれることもなく、風に吹かれて小さく消えた。