第六話 トゥントの山道 『覇気、その真髄は白米のお供』
まるで覇気を抑え込むことが出来ねえ。
トゥントに至るまでの二日間、晩飯の前にヒイラギに教えられて何度も練習を重ねてみたんだが、中々上手くいかない。ようやくトゥントの山道に入れたは良いが、結局町に入るまでにこのだだ洩れになっているオーラまがいのものをどうにか出来る目途は立っていなかった。
本日も林道の脇に入り、林の開けたところに野宿をかまして焚火中。
適当にとっ捕まえた野兎を焼きながら、覇気とやらを抑え込む練習を開始する。
対面に、切り株に腰かけたヒイラギ。彼女から教えてもらった御蔭で何とか覇気というものが何なのか、ちょっとだけ理解は出来た気はしていた。
「いやなんかこう、理解は出来たんだよ。ただなんか動かせと言われてもな、髪の毛動かせって言われてるような感じでさ、こう、難しいっつか感覚はないというか」
「髪は無くなったら分かるでしょ。そういうところから徐々にやってくのよ」
「無くならねえよやめろよ!!」
なんてこと言うんだこの駄尻尾め。
……とまあそれはともかくとしても、ヒイラギの言うとおり覇気ってもんを髪の毛のようなものだと思えっていうアドバイスには助けられていた。
つまりオーラ……覇気ってのは俺の一部。
目に見えないそれを、まずは実感する必要があった。
垂れ流しにしている、なんて突然言われたところで俺にはどうしようもなかったしな。
ひとまずの修練として、髪はともかく毛に例えられたのはそういう意味では助かった。自らの一部として覇気という存在を認識すること。
そういう意味では何とか第一段階は突破出来たわけだが。
第二段階というか、覇気を実際に動かすところになって完全に詰んでいる。
「あー……上手くいかねえな。感触とかあんの?」
「感触か。そーね、ねちょっとした感じ」
「そうか! あんま触りたくねえな!」
「実感してもらわなきゃ困るんだけど!?」
「なに!? ねちょっとしてんの!? そんなものをお前とかヤタノちゃんとかは体の中に押し込めてんの!? なんかきもいな!」
「あんたが思ってるほどねちょっとしてないわよ!」
「どっちだよ!!」
ええっと……とか、う~ん、とか。
どうにも表現に迷っている様子のヒイラギ。だが何れにしてもねちょっとしてるのはすげえ嫌だな。覇気、なんてカッコいい名前つけて、オーラとまで呼ばれるのにねちょっとしてるのか。
パチパチと焚火の爆ぜる音だけがする中で、ヒイラギが口元に手を当てる。
「なんていうんだろう。スライムとはちょっと違うんだけど……こう、ジャポネの米のおかずで有名なあれみたいな?」
「ジャポネの米のおか――納豆じゃねえか!! 嫌だよ!! なんで俺全身から納豆振りまいてんだよ!!」
「ナットウ、だっけ。あれのねばねばネットみたいになってる部分が一番わかりやすいと思う。覇気っていうのは水みたいにさらさらしてるわけじゃない。だからといってこの辺にある棒みたいに固まったものでもない。だから、手足と同じように操作できるものじゃないのよ」
「ああ、納豆の豆じゃない部分のねばねばね。……ん? 待てよ。そうなると覇気で威圧するっていうのは」
「その全身から放つねばねばで相手を包み込むような感覚というか。周囲に無作為に放つ感じというか。あんたの場合の"垂れ流し"っていうのは、つまりそういうことなのよ」
「なるほどな……」
覇気=納豆のねばねば。
そう表現されてしまうととてつもなく微妙に思えては来るものの、手足と同じように動かそうとしていても無理だったことには納得出来た。納豆だけに。
納豆だけに。
……。
納豆だけに。
「まあつまり、スライムとは似て非なるものっていうお前の言いたいことは理解出来た。どちらかというと液体状というよりは糸引いてる感じのものってことか。そりゃ操作も難しいわ」
「指を振るのと違って、すぐに反応するわけじゃないし。その辺は慣れるしかないのよ。とにかく、感覚として覇気をぴくりとでも動かすところからね」
粘体、というのが一番言い方としては正しいのだろうか。
俺がずるずると垂れ流しにしているらしい覇気というのはどうやら目に見えないだけで世界にはっきりと存在しているものらしい。質量を持っているのかどうかは知らないが、少なくともただの"雰囲気"ってわけではなさそうだ。
「で、その上で"動かし方"ってのをご教授願いたいんだが」
「感覚的に理解は出来たんでしょ? だいたいどのくらいの総量があるかは分かる?」
「いやなんか、増えては世界に溶けてってるような、そんなイメージ」
「垂れ流しになってるんだからそれであってるわ。世界に溶け出す場所が、貴方の覇気の臨界点。結局は貴方の魔力が空気に絡んで溶け合っているのが覇気なんだから、空気中の魔素に昇華してしまえば消えてなくなるわ。どれだけ"貴方の魔力"の力が強いかが分かるのが、覇気なんだから」
「つまり、どうやれば動かせる?」
「覇気として体の外に排出されているそのねばねばしたものに、"自分の魔力"を感じなさい。そうすれば同化したように動かせるように……何れはなるわ。まずは実感すること」
「俺の魔力を感じろ、か」
そもそも俺って奴は魔法の一つも使えない妖鬼なんだが、魔力だけはあるようだ。魔導司書の連中みたいに神蝕現象とか使えたらカッコいいんだろうが、確かあれは異相へのアクセスコードが無いとそもそも行使する資格すらないんだよな。あとは教国法術と魔王軍の古代呪法、あとは公国のサラダボウルか。
公国の魔法なら使える気がしないでもないんだが、教えてくれる相手もいないし今は無理か。
さて、俺の魔力を感じろ、という話だったが。体内にある自分の魔力くらいなら、俺も把握している。全身にくまなく存在しているそれ。細胞に宿った、膨大なエネルギー。
「あんたが今感じてるそれの中で、体外に出てってる奴いるでしょ?」
「ああ、さっきからそれは感じている」
「魔法を使わないあんたにはちょっと難しいかもしれないけど、手繰り寄せるイメージで動かしてみて」
「手繰り寄せる……」
瞳を閉じる。
ヒイラギが今言った"手繰り寄せる"という言葉は妙にしっくりと来た。
そうだよな、ねばねばしたものなんだもんな。引っ張ってみたところで、ゴムみたいに若干伸びるだけで動いてはくれないかもしれない。だが、それは動かせていない訳ではないんだ。一応伸びてはいるけれど、全体が動くまでには多少時間がかかったり、そのまま伸びきってしまっていたり。
それを、全く動いていないのだと思い込んでいたのかもしれない。
ならば、ヒイラギやヤタノちゃんがやっていることは、その外に出た魔力や出ようとした魔力を体内に抑え込むこと。ねばねばした覇気を、引き戻すこと。
手繰り寄せるように、俺の体の中心へ中心へ、ぐんぐんと覇気をひき込んでいく。
「あ、そうそう! できてるできてる!」
「お、……まじか……!」
結構気合が必要なものの、どうやら上手くは行っているらしい。
ガラにもなくぱんぱんと手を打つヒイラギがちょっと可愛いが、割とこの垂れ流しのものを吸い込むというのは力の要る作業だった。
まるで気分は掃除機である。
「うん……収束してる収束してる。魔力の量は誤魔化せないけど、下手に周囲を怯えさせることはないはずよ」
「それは、何よりだ」
「ただ気を抜くとすぐに漏れるからきっちりね。結構大変だけど」
「そう、だな」
満足げに頷くヒイラギ。
良かった、これで何とか町にも入れるのではなかろうか。
安心感からほっと一息ついた瞬間盛大に覇気が漏れて、周囲の木々がざわめいた。
その翌日のことである。
朝からトゥントを目指して山道を登っていた俺の機嫌はすこぶる良かった。
「いやあ、山道を登るというのは楽しいねえ!! こう、腐葉土の道を踏みしめて歩く感じがたまらなく良い! 快晴だけあってぐちゃぐちゃしないし、絶妙なまでに足の感触が柔らかい!! そうは思わないかねヒイラギくん!」
「なにこいつめんどくさい」
「はっはっは、そう言うなヒイラギくん! 何せこれからは街にも遠慮なく入れるのだ! きみはまあ、その無駄に多い尻尾が邪魔かもしれんが……世界を旅する中でやはり町に入れないというのはよろしくない。非常によろしくないと思っていたところだ! これが喜ばずにいられようか!」
「なにこいつちょうめんどくさい」
山道と言っても、アルファン山脈のように切り立った崖の脇を進むようなものではない。どちらかといえばハイキングを楽しんでいるような、森の中に開かれた道を歩いている感じだ。
見上げれば雲一つない晴天。
文句のつけようもないほどに過ごしやすい気温と言い、教国の風土の豊かさが分かろうというものだった。
「でもあんた、長時間保ってられないんだから宿に泊まるとか出来ないわよ」
「分かってる! ああ分かってるさ! それでも町に入ることが出来るという喜びは変わらない! いや、やはり難しいことを成し遂げたあとにはこういうご褒美がないと続かないよな!」
「現に今も垂れ流してるのは変わらないんだからね」
「いや、押し込め続けるとかマジで無理。疲労が半端じゃない。よくお前そんなことずっとしてて平気だな」
「それはもう慣れよ」
「慣れれば夢の宿屋で全回復だな!」
「……もう、何なのこいつ」
そりゃあお前。ロマンを追い求める男シュテンさんだよ。
ゲームで知ってる町にきて、そこの宿屋に泊まるなんて、夢のような話じゃあないか。せっかくこの世界に生きてるんだ、ロマンを追い求めようぜロマンを。
まあ、そんな事情を理解してないヒイラギの呆れ顔は変わらないわけだが。
さて、ここで一つ、現在の状況を確認しよう。
ここは、トゥントの街とナーサセス港を繋ぐ街道で、トゥントにほど近い山道の途中だ。おそらく昼ごろにはトゥントに到着できるくらいの距離が、今俺たちとトゥントの間にある。
ヒイラギの御蔭もあって、覇気の扱いを会得したのできっと町にも入れることだろう。教国は割と魔族にも寛容だし。寛容というか、共存してるし。
教国の国教であるクルネーア教は、究極的には"隣人を愛せよ"という教えが根本にある宗教だ。女神クルネーアの導きに従い、出会いに感謝し友を愛し、皆が生きているから自分も生きていられるのだと神に感謝せよ。とまあそんな感じだった気がする。
女神クルネーアってあの褐色の姉ちゃんなんだよな。IIIで出てきた時にはこう、今まで教国を導いてきた女神という印象があったからあんなのが出てきてギャップが凄まじかった記憶がある。
まあ女神のねーちゃんの話はおいといて。
ひとまず、魔族も害を加えない限りは宗教上の理由からか共存しているのがこの教国という国なのだ。というわけで、さすがに覇気を垂れ流しにしながら入るのは憚られていた町や村にも、俺さえ必死で覇気を抑え込めば入れるようになったということ。
ちょこちょこ魔族も町に住んでいるのではなかろうか。
そういうのと会うのも、少し楽しみだったりはする。
まあそんな訳で、町が解禁になった俺たちはこれからトゥントに入ろうと思ってるというわけだ。今までろくに情報収集も出来なかったからな。
今世界がどうなっているのかとか、その辺を把握しておきたい。
いや、クレインくんの動きでだいたいの流れは分かっているんだが、物語に関係ない部分も、この世界に生きているからには必要になってくる。だから自分の足で動きたいというのもあった。
珠片が関係してそうな事件とか、そういう話が聞ければベストだな。
そう簡単にはいかないだろうけど、やはり人に話を聞けるというだけで違うと思うから。
「……ん?」
「何かしらねあれ」
と、鬼殺しを担いで歩いていた俺の視線の先に、妙なものが一つ。
山道のど真ん中に、何やらチラシのようなものが落ちていた。
「ヒイラギを取る為の罠じゃね?」
「なら油揚げでも置いておきなさいよ!」
「油揚げなら引っ掛かるのかよ」
「ちょ、ちょっと考えてあげなくはないかなーとは」
「はっ、所詮獣か」
「うっさい!」
雑談をかましながら、俺とヒイラギはそのチラシの元へ。どっちにしろ通り道なのだ。若干土にまみれたその紙を拾い上げ、ぱんぱんと汚れを払う。
隣から覗き込むヒイラギにも見えやすいようにして文字を読めば。
『この顔に、ピンと来たら帝国書院』
あん?
どの顔だ……って。
「ほほー、中々イカス顔だな。うん、頭に生えた二本の黒角がすげえクールだ。髪の長さともマッチしてるし、男前な顔でにゃーの。あと評価すべきポイントとしてはそうだな、着流しの雰囲気が"和"の男っぷりをとても際立たせていて素晴らしい。へー、こいつ中々センスあるなぁ。……しかし、どっかで見たことあるな」
「ねえシュテン、どこからツッコんで欲しいの?」
「は? ツッコミ? あとにしてくれヒイラギ。それでええっと」
「顔でも洗ってくるといいんじゃないの?」
「なんでこのタイミングで洗顔なんだよ。意味わかんねーよ」
何を訳の分かんないことを。
ん? この似顔絵の下にも何か書いてあるな。
『妖鬼 シュテン。この者、帝国書院研究院を破壊し尽くした研究者の敵である。どこかで発見した場合、帝国書院書陵部デジレ・マクレインへご連絡を。報酬10000ガルド』
へー、妖鬼のシュテンって奴をこのデジレさんは探してるのかー。報酬10000ガルドも出すなんて太っ腹だなー。
「……」
「……」
「なあ、ヒイラギ」
「何よ」
「俺が行ったら10000ガルドくれると思う?」
「むしろ神蝕現象くれそうよね」
「ですよねー」
はっはっは。
「俺指名手配されてるううううううううううううううううううう!」
「今更!? ねえ今更!?」
「町入れねえええええええええええええ!!」
「しかも頭抱えるポイントそこなの!?」
恥も外聞も捨てて頭を抱えてしゃがみこんだ。
くっそう、こんなもんがこんなところまで出回ってたら、町に入れるもんも入れねえよ……ていうかこの者~以降の文章完全にお前の私怨じゃねえか。
本部壊されたこと書けよ。研究院のことしか考えてねえじゃん。
と、その時だった。
ぴらり、と音がして、俺の左隣から一枚の紙が差し出される。
ヒイラギは右隣に居るはずだ。
じゃあ、まさか。
俺に人相書きを突きつけて10000ガルドせしめようという奴か!?
思わず勢いよく顔をあげ、ついでに紙を奪い取る。
「誰!?」
今更驚いたように警戒するヒイラギの声。
いやまあ、俺も今隣に居る存在の気配に気づいたから人のこと言えねえけど。
その気配は、俺が顔をあげると同時に、相変わらずどうでもよさげな平坦な瞳とともに呟いた。
「あのー」
手渡された紙は、人相書きとは全く別のもので。
見上げた先に居たそいつは、提げた可愛らしいポシェットをごそごそと漁ってペンを取り出すと俺に差し出した。
「魔王軍通信ですー」
<まおうぐんつーしん vol.4355号>と、俺の握った紙にはそう書かれていた。