第四話 ナーサセス港III 『目的の馬鹿は見当たらず』
ジュスタ・ウェルセイアは共和国の出身だ。
魔王が倒されてから二年の間に、あっという間に帝国に併呑されてしまった北西の国。今はもう旧共和国領として帝国に管理されているその国の、辺境の首長の娘として育った。
元々土地柄もあってか裕福な暮らしではなかったが、それでも首長の娘として領の人々には好かれていたし、両親も温かかった。しかしそれとは別に帝国からの圧力と魔王軍の侵攻により民は疲弊し、彼女自身もまた無力ではいられなかった。それゆえに首長である父親から戦いを学び、ダガーとクナイを使いこなすスカウト職としての実力を向上させていった。
とはいえ、たかだか九歳か十歳程度の少女に出来ることなどたかが知れている。そして、それゆえに悲劇を回避することは出来なかった。
魔王が五人の戦士によって倒されたという報があったその後二年。彼女は、全てを失った。
帝国という、巨大軍事国家によって。
「……帝国、書院?」
震えた声が紡いだ言葉は、憎むべき敵の呼称だった。
「共和国を飲みこんだのは、オレ達帝国書院だ。もっといえば、魔導司書だ。テメエの敵だよ。とっとと消えろ」
まるで威圧するように、先ほどよりもずっと濃密な覇気がこの狭い路地に溢れかえる。あの藍紫のオーラこそ噴出している様子はないが、それでも目の前の男はどう考えてもただの人間ではないことくらいジュスタにも分かった。
だから、本能は逃げろと告げていた。
だが。
「っつ……!!」
瞳の裏側が真赤に染まりあがる。
どうしようもないくらいに憎んだ敵が、今目の前に居る。
その事実は、いましがた助けられたことすらも記憶の彼方に吹き飛ぶほどの衝撃を以て彼女の心を揺さぶった。目の前の男がどんなに凄まじい覇気を纏っていようと。どんなに実力差が離れていようと。それでも、彼女は幼く、そして胸に秘めた怒りは本物であった。
だからその行為は反射だった。
「ああああああああああああああああ!!」
「……おいおいマジか。思ったより胆が据わってんなクソガキ……だが」
腰から二本のダガーを引き抜き、至近距離から喉笛を掻き切らんと襲い掛かった。そして、皮膚をダガーが切り裂くかと思われたギリギリのところで、彼女はいつの間にかダガーを両手から手放し、宙を舞っていた。
「……え?」
「復讐しようって奴が、実力差に気付けねえ、なんて笑い話にもならねえ。ガキなら仕方がないかもしれんが、それじゃ生き残れねえよ……。本気で帝国を潰したいと思ってんなら、もっと頭使えクソが」
「あ、ぐ……」
何をされたのか、全く分からなかった。一つだけ理解出来たことがあるとすれば、大薙刀を担いでいた彼の右手は全く動いていないということ。首長の元で鍛え上げられたナイフ術は、彼の左手だけにあっさりと捌かれたことになる。それも、無手で。
無様に地面へと打ちつけられて、二つのダガーは周囲に転がった。
「共和国の忍、か。……確かダガーとクナイ、二つの武器を使い分けて戦うエージェント職だったな」
「な、にを……」
「まだまだ未熟。もっと強ぇ奴が、あの国には多くいた。せっかく逃げる命拾ったんだ。早く失せろ」
「……」
しっし、とまるで犬でも逃がすかのように手を払うデジレ。
ジュスタの攻撃など、一切意に介していないその態度。あまりにも屈辱的でジュスタはさらに頭に血が上った。
だが、懐に忍ばせてあるクナイ程度で倒せる相手とも、確かに思えなかった。周囲に散らばったダガーに視線を落とせば、自らが目の前の男に対してどれほど無力なのかくらい理解できようと言うもの。
「……っ……」
ゆっくりとした動作でダガーを拾う間も、デジレは特に動くこともしなかった。ただただジュスタを見下ろすだけで、なにもしない。
ダガーを回収するだけして、ジュスタは一度だけ小さく頭を下げると、そのまま瞬く間に身を翻し、路地の奥方へと跳躍を繰り返して消えて行った。
「……助けられたとはいえ」
一人になった狭い道で。
デジレは大薙刀を担ぎ直すと、自らも踵を返してふと思う。
「オレがあんくらいの頃は、凹にされた相手……しかも仇に頭下げるなんてことはできなかったな」
まあ、だからと言ってどうこう無い。
教国の人間に目をつけられる前に、さっさと港の宿にまで戻った方がいいだろう。何せ、他国では着用を義務づけられているコートを着ていない状態だったのだ。魔導司書が裏路地で十字軍ともめた、などと知られては面倒であるし、さっさと戻るのが先決だ。
やるべきこともある。
ひとまずナーサセス港でしばらく情報を集め、発見できればよし。情報によって所在が分かれば、そこまで処分しに向かえば良いだけの話だ。
「……クソ妖鬼が」
絶対に許さない。
ふざけた魔族。大事な大事な実験器具たちを完膚無きまでに粉砕したせいで、ただでさえ開発費に困窮していたところを大打撃だ。
おかげで大好きな研究が欠片もできず、こうして外に出る仕事しかできない。
もっともそのお陰で正面から恨みを晴らすことには事欠かないのが幸いか。
久々の海外任務だが、デジレの表情に気負いは一切無い。
ヤタノに揶揄された「シュテンぶっ殺すマン」という名前も、よくよく考えてみれば悪くないのではないだろうかと思えるほどに、今のデジレは本気だった。
「……」
何の気なしに、振り返る。
ヤタノよりは少し年上に見えたとはいえ、まだまだ十かそこらの少女が駆けて行った先。彼女の目的を思えば、修羅の道程度ではすまないだろうことは容易に予測出来るというものだった。
願わくば、最低限の願いを叶えて満足してほしい。
そうでなければ、こうして十年以上仇への恨みを持ち続けて生きねばならないのだから。
「……無理、か。オレに出来ねえことを、他人に押し付けるわけにもいかない」
自嘲げに笑みを浮かべて、デジレはその場を立ち去った。
「その時おばあさんの川上から大きな舟がどんぶらこっこーどんぶらこっこーと流れてきました」
「九尾と妖鬼の乗った舟なんていうとんでもないものが流れてきたせいであの人間気失ってたけどね」
「お婆さんが白目むいて倒れたから本気で焦ったよ俺ぁ」
「私より年下よあのくらい」
「お前何と戦ってんの?」
はーい、こちら現場のシュテンでーっす。
あの後ひたすら舟を漕いでいたら陸地が見えたから、そのまま流れに乗って浜辺に乗り上げました。釣りしてたばあさん気絶したのは申し訳なかったと思う。
この覇気垂れ流しっての、本当にどうにかならんかね。
「で、ここどこよ」
「ナーサセス港、付近だな。どうする、夜に見物行く?」
「あそこってかなり十字軍の警備厳しいし、夜までかがり火焚いてる港町でしょ。むしろ入る理由がないじゃない」
「そりゃそっか」
「それにあんたの探し物はナーサセス港よりも南西でしょ?」
「んー……多分そうだな。もちっと行った先にあるような感じがする」
「トゥントの方かしらね」
「いずれにせよトゥントは抜けることになりそうだ」
ヒイラギは一度教国を訪れたことがあるらしい。訪れたというか半分連れてこられたというか。諸々愚痴ってはいたが、まあそこまで嫌々って訳でもなかったようだから別に触れる必要はないだろう。
ボートは完全に乗り捨てて、ひとまず一路ナーサセス港から南西への道を行く。ここをまっすぐ行けば、トゥントの山道にまで辿り着くことが出来る。そうしたら村を越えてトゥントだ。珠片の反応はどうもトゥントより先にあるが、どっち道山越えは必須なんだから仕方が無い。
「まったく、結局七日もかかってるじゃない」
「はっはっは、食料尽きたら目の前に食材あるから俺は別に焦らなかったよ」
「私!? 非常食私!?」
「腕や足を食おうってんじゃない。無駄にある尻尾のひとつやふたつ平気だろ?」
「んな訳ないでしょうが!! 両手足と同じくらい大事なんだから!」
「そこまで必死になられると、余計に調理したくなるな。まずそうだが」
「何なの!? あんたほんと何なの!? 人のこと食べようとした上にまずそうとか何様なの!?」
「ご主人さま」
「ああそうでしたねちくしょう!! なんでこんなのが主人なんだか……!!」
頭を抱えるヒイラギは平常運転。
帝国を抜けてから、若干元気が増した気がする。うるさいけどいいことだ。うるさいけど。
さて、教国に辿り着いたということでいくつか再確認をしておきたい。
帝国のある第三大陸から海を渡って南西の第一大陸に来た俺たちだが、第一大陸北端のナーサセス港に来た時点でまだ珠片の反応は南西を指したままだ。
となれば、珠片があるのは今話題に出たトゥントの先になるだろう。で、そのトゥントの先がどこかというと、実は教国の首都である"聖府首都エーデン"だ。いや、トゥントとエーデンの間にもいくつか村や町、塔や洞窟はあるんだが、どうにも俺は聖府首都が怪しいんじゃないかと踏んでいる。
というのも、前回帝国書院がそうであったように珠片の確保をしている可能性が高いのだ。共和国を込みで五カ国の魔術レベルを考えた時、教国は帝国・公国に次ぐ三番手だ。珠片に気づき調査を始めるくらいのことがあってもおかしくない。
というわけで、聖府首都エーデンに向かうのが先決だと考えたわけだ。
ただ、そうすると少し気になるのが、グリモワール・ランサーIIの本編。
『これから教国でパーティですのでー』
思い返すのはやる気のないゴスロリツインドリル。
魔王軍首脳部のナンバー3、導師ことヴェローチェ・ヴィエ・アトモスフィア。
彼女の言葉とグリモワールランサーの記憶を符合させると、これから起こるのはおそらく聖府首都防衛戦。四天王の一角が率いる魔界地下帝国軍から、自らの故郷を守りきれというミッションだ。
休憩なしの連戦が続き、その上で四天王とも戦うことになるこのイベント。
そこに珠片が介入したりでもしたら、どうなってしまうかわからない。
「いやまあ、なるようにしかならないんだが……上手く防ぎたいよなあ」
「何が? あんたを追っかけてる奴?」
「ああ、モノクルハゲも居やがるんだった」
「あ、違ったの」
「いや、それもあるなあと暗澹たる気分を味わっている」
第五席の存在は、正直な話この世界で初めて知った。おそらくは方々で活躍したり、それこそ研究院にこもりきりだったのだろう。それをたたき出したのは他ならぬ俺なわけだが。……手持ちのガルドあげても許さないとか言われたら、そりゃどうしようもねえよ。あと珠片返せ。さもなくば殺す。
「今のところ、そのものくるはげ? が来てる様子はないんでしょ?」
「そういやヒイラギは会ってなかったか。あれはやべえぞ」
「う、うん、話を聞いてなんとなくは知ってるけど」
「あれはな、帝国書院でも指折り。この世界に十人と居ない――」
「いや、知ってるわよそれくらい」
「――魔法少女だ」
「マジで!?」
「ああ、俺くらいあるタッパとガタイでふりっふりのドレスに変身するオールバックのモノクルやろ……おえ」
「自分で言ってて気持ち悪くなってるじゃない!」
「いや、思った以上におぞましかった」
「う、うん。……そんなのに追いかけられてるなんて。なんか、一緒にいてあげられなくてごめんね」
「既に離脱する気満々なのお前!? ご主人の危機ぞ!?」
「いや、だって、無理」
「割と本気のまなざしで首振ってるよこいつ!!」
そうか、いざとなったら貴様は俺を見捨てるのか!
「だってそれくらいなら気持ち悪いだけで死なないじゃない。なら平気よ」
「あ、いや、うん、そーだけど」
「なら、さすがに私もきついから離脱くらい許してよ」
「う、うん? あ、これ完全にまずった」
「何が?」
首を傾げるヒイラギに、なんというかなす術が無くなる俺氏。
いやまあ確かにしょうがないかもしれんけど、自業自得って奴かこれは。
「あーっと」
「なによ」
「まあひとまず、奴とエンカウントしたくない理由はヒイラギもわかってくれたはずだ。というわけで、追いつかれたり見つかったりしないように聖府首都に行きましょう。あすこなら多分、魔族も普通に居られるはずだ」
「あんたちゃんと覇気隠す訓練しなさいよ」
「毎日どうにかがんばってんのに出来ねえんだよ!!」
「泣くなし……」
どん引きするヒイラギだが、こればっかりはどうしようもないんだ。
というかヒイラギも尻尾隠せてないくせに。
「まあ、私も覇気は隠してるし、なんだったら教えてあげるわよ」
「え、マジで? 隠してる覇気合わせてもたいしたことなくね?」
「あんた本当に許さないわよ!?」
まあでも、ないよりはましか。
その日の夜から、ヒイラギの覇気操作教室が開かれることになった。