第二話 ナーサセス港I 『漕ぐの飽きたがどうしよう』
ぎーこ、ぎーこ、ぎーこ。
「飽きた」
「飽きてもどうしようもないっつってんでしょ!?」
はーい、こちら現場のシュテンです。
うま~くボートを掻っ攫ったところまでは良かったのよ。方位磁針も獲得できたし、とりあえず日持ちする食糧も手に入れた。これで教国のナーサセス港までは滞りなく行けるだろうと。
不安げなヒイラギを乗っけて、オールでばっしゃばっしゃと最初の方はすげえ勢いで漕いでたんだけどさ。なんというか、二日も同じことを続けているとぶっちゃけ飽きるよね。泳いだ時も飽きたんだから、オールも飽きるって分からんかったのかなあの時の俺。
「ていうかあんたはしゃぎ過ぎたせいで二三周くらい同じとこぐるぐる回ってんだからねこのヘタクソ!」
「はっはっは、やっぱり利き手の力が強くなってしまうのは当たり前ですなあ」
「ああもう……まあ今のところは合ってるから進んでちょうだい」
ため息交じりに懐から方位磁針を取り出すヒイラギ。
港町でゲットした時には既に周囲の書陵部の連中に気付かれてな……。それはもう愉快な鬼ごっこだったよ。なんと鬼の俺が逃げる側だったがな!
「方位が合ってても緯度がずれてたら世話ねえな」
「それを言ったところで今はもう何も解決策ないでしょうが!」
「はっはっは」
正面に座ったヒイラギは、腕を組んでやけにぷりぷりと怒っている。いやまあ完全に勢いで飛び出してきたのは確かだが、そんなに怒るなよ。
「で、その捜し物? っていうのは教国にあるの分かってるの?」
「いや、教国の方角ってことしかまだ分かってねえな」
「ふ~ん」
手慣れてきたオール漕ぎをしながら、思う。
ひとまずナーサセス港に降りたとして、あとは珠片の反応を追いながらいつものように動くことになるだろう。残る珠片はあと10個。全て見つけないことには安心など出来ようもない。
とはいえ、俺たちが存在している時点で原作との乖離は少なからずあるだろう。そのあたりの調整ないし確認を急ぐことは、かなり重要な案件としてのしかかっていた。
いつか吸血鬼のフレアリールちゃんにあげたものが一つ。
デジレの野郎に取り込まれたのが一つ。
そして、俺の内部に三つ。
これで三分の一の珠片を見届けたことにはなるが、まだ過半数以上が世界に散らばっている。
「なんか複雑そうな顔してるわねぇ」
「あん? そうか?」
座ったまま、膝の上で頬杖をついたヒイラギ。なんだかぼうっと見つめられて何ともいえないというかなんというか。たまーにこうしてまともな表情すると大人というか、ちゃんと年上っぽく見えるのが不思議だ。駄尻尾の癖に。
しかし、複雑そうな顔か。
複雑ってこたぁ、きっと色々なものが混ざり合ってるんだと思うんだが。
さて、なんだろうな。集めないと、という思いはある。それが若干焦りに繋がっているかもしれないと言われれば、頷けもする。
だが、珠片集めに他の感情があるかどうかと言われると不思議なところだ。
「うーん。集めなきゃって意思はあるんだと思うけど、なんか嬉しそうでもあるというか。旅好きだから?」
「嬉しそう、ねえ」
思い当る節としては、確かにヒイラギの言うとおり旅好きだからという部分はあるんだが。他にも理由あるかな。
もし。もしあるとすれば。
「俺の捜し物は割と世界各地に散らばってるんだが」
「……ああ、教国で終わりでもないのね」
「そうげんなりすんなよ。……んで、俺にとって、世界各地に散らばった捜し物を集めるってのは……そうさなぁ。最高と言っても過言ではないくらいのロマンなんだ」
「……ただの捜し物なのに?」
「分かってねえなあこの駄尻尾は」
「いきなり侮辱しにかかるってどういう了見なんですかねぇ!?」
シャーッと猫さながらの威嚇を始めるヒイラギに、お前キツネだろとツッコミたいところではあるのだが。
彼女に言った通り、捜し物をするのが楽しい自分が居るんだ。
女神に言われたから、という理由ももちろんある。最初はそれだけだったし、これは消極的な理由だ。この世界のパワーバランスが乱れてしまっては物語がろくに進まない可能性もある。
そうすると、下手をすれば世界が滅ぶ。そんなのは御免だ。
魔王を斃せるのはクレインだけだしな。条件揃ってるのがアイツしか居ないし。
でも、もう一つ俺には理由が出来ていたんだ。
それが、ロマン。
自分の強さに余裕が出来てきて、改めて考えてみると。
俺はこんなファンタジーな世界にきて、各地に散らばった大切なアイテムを探す旅に出ることになった。
分かる奴には分かるわくわく感がそこにはある。
集めなければ世界の法則が乱れるものを、集める使命を負って旅をする。
それがどんなに、俺のような奴の心をくすぐることか。
まるでRPGの主人公になったような、そんな昂揚感。宛のない旅も悪くはないが、こうして目的をもって……役割を担って冒険する楽しさというのは、やはり俺にとってはそのままロマンの塊なんだ。
もちろん、目的もなく、大して美味しくない芋を食べながら荒野を旅するようなRPGも悪くはない。お尋ね者を狩りながら、賞金稼ぎをして自由気ままに旅するようなゲームというのも楽しかった。
だが、あれはオンリーワンであるから良いんだ。
本来のRPGとは、やはり"竜退治"であるべきなんだ。様々な場所を旅して目的に向かう。何かを集める使命を負う。何かを届けて旅を紡ぐ。世界の崩壊に希望をもたらす。
そういう目的のある旅こそ、俺のようなRPG好きの求める冒険の極致なんだ。
だから、楽しいのかもしれない。嬉しいのかもしれない。
俺が主人公であれるこの旅が。
「言われてみれば、複雑かもな。ロマンを感じつつ、焦燥もある。よく見てんじゃねえか」
「うっさいわね。あんたが分かりやすいだけよ」
「お前もからかいやすいよ」
「別にそういう慣れあいのつもりで言ったんじゃないしそれ褒めてないから!!」
ああもういつもいつも調子狂う……! とふてくされるヒイラギが、水平線の向こうへと視線を飛ばしてしまう。
清々しい青空が、段々とオレンジ色に染まり出していた。
ボートの周囲で波紋を作る水面も、斜陽に反射しててらてらとアクリル絵具が混ざったような輝きを醸している。
周囲に一切の地上は見当たらず、本当に海一色だった。
「広い世界に二人きりだね」
「きしょい」
「きしょい!?」
酷い言われようだ。
おのれ、俺のロマン語録が機能していないだと。
軽い絶望だ。
もっとこう、上手い言い回しがあったのか? きしょいとまで言われたということはこれは女には理解できないロマンなのか? いやでもこう男女の二人きりの場面で男が言っていたぞ? んん? 何がおかしかったんだ。
「……あのね、そういうのはクールな性格の奴が言うからハマるのよ」
「俺フールだぜ?」
「クールっつってんでしょ!? そうよアンタはフールだからダメなのよ!! 自分で分かってんじゃない!!」
「マジか……じゃあ俺はどう言葉を紡げばロマンが良い感じなんだ?」
「あんた何と戦ってんのよ……」
そりゃロマンと戦ってんだよ。
こう、せっかくロマンの話題がさっき出たんだから、ここはロマンあふれる感じに行きたいじゃないか。……いやでも目の前にいんのが駄尻尾だし、どう足掻いてもロマン展開は無理か。
「なんかすっごく失礼なこと考えてない?」
「ヒイラギは観察眼優れてるなと」
「あらありがと」
ぎーこ。ぎーこ。
一瞬の沈黙。
ふと何かに気づいたヒイラギ。
「待った、もしそうだとしたら今やっぱり失礼なこと考えてたんでしょ!」
「相手が駄尻尾じゃロマンは無理だなと諦めたところだ」
「あんたが居る時点で絶望的よ!!」
フカーッ、と威嚇。だから猫かと。お前キツネだろと。
「なに、そんなにカッコいい台詞が吐きたいわけ?」
「なんだよ。ロマン求めてんだよ。今の気分はロマンなんだよ」
「食べ物みたいな言い方して。……でも」
「あん?」
ちょっと目を逸らしたヒイラギの頬は若干赤い。
なんだ、恥ずかしい台詞でも思いついたのか? 盛大にからかってやろうかな。俺おちょくられたばかりだし。
口を押えるように片手を当てて、彼女はぽそぽそと言った。
「……い、''いまは俺のだ''、っていうのはちょっと、うん。まあ、わるくないかなって……思ったりしなくもなかったわ」
「はっはっは誰だよそんなだせえ台詞吐いた奴はよ!!」
「あんたよ!!!!」
「なにぃ!?」
はめられた!!
「ごめんまともに聴いてなかったもっかい言って」
「なんでまともに聴いてないのにだせえとか言えたわけぇ!? あと嫌よ! なんで二回もあんなこと!」
「あんなことっつった! 俺の吐いたセリフらしいのにあんなことっつった!」
「ああもううるっさい!! 黙れ! 黙れ駄鬼!」
「なんだと駄尻尾!」
ぐぎぎ。
睨みあう俺とヒイラギ。
なんだよ俺がカッコいい台詞言ったんなら教えろよ。っつかいつの台詞のことだよ。「ブタは死ね!!」とか? ちげえよこれ俺の台詞じゃねえよ俺こんなド外道じゃねえよなんでこのタイミングで思い出したんだよ。
……ん?
「何これ」
ヒイラギがそんな言葉を呟いた時、俺もちょうど視線が彼女と同じ方を向いていた。
ちゃぷんちゃぷんと海面を漂う、魚類。いや、あれは魔獣の類か。
イルカに角が生えたような魔獣。死体が浮いているところだった。珍しいほどではないが、やたらと全身に刻まれた裂傷が気になる部分ではあった。
「……ホーンドルフィン?」
「みたいだな。こいつが殺されるなんてよっぽどの敵……ん?」
「どうかしたの?」
付近まで流されてきたのを、ボートからヒイラギが見下ろす。呟かれた魔獣の名は、俺が思っていたものと若干違った。
そして、ついでに妙なことにも気が付く。
というのも。
俺が想像していたのはアサルトフィンという魔獣だった。だが確かに色合いが異なる。ヒイラギの言うとおり、ホーンドルフィンで間違いないだろう。
ホーンドルフィンはアサルトフィンの上位種だ。わりと強い魔獣で、海に棲息する癖して雷系の魔法をリフレクトするというとんでもない初見殺し。
で、何が引っ掛かったかというと。
こいつは本来、教国と帝国を繋ぐ"西の海"ではなく、帝国の東海岸から公国に下るあたりの"中央領海"に居るべき魔獣である。
生態系が崩れているとしか思えないこの状況に、若干嫌な予感がした。
「本来こんなとこに居ねえのよ、コイツ」
「そうなの? ……私はホーンドルフィンしか知らないから分からないけど。てっきりこの辺にも居るのかと」
「この辺りにいるのはその劣化種のアサルトフィンだけだ。ホーンドルフィンは帝国の東の海にしか居ない。……そんなのがこの辺に来るだけでもおかしいのに、こんなずたずたにされているとなると……なんか起きたか?」
「あの傷、人間技じゃなさそうだけど。でも人間技じゃない力を行使する人間を見たあとだから何とも言えないわね」
「まあ、そうだよなあ」
うーむ。
少々考えたいところではあったが、分からんか。
俺達の後方に流れていくホーンドルフィンの死体を眺めながら、ぼけっと違和感を抱えてしばらく海面に思いを馳せていた。
グリモワール×リバース~転生鬼神浪漫譚~
巻之参『妖鬼 教国 光の神子』
ナーサセス港。
教国と帝国を繋ぐ、国に二つしかない港のうちの一つ。
帝国のゲルベリック港とは違い庶民もよく買い物に利用する町ではあるが、こちらもやはりというべきか教国が誇る十字軍の兵士たちが配備されていた。ところどころに見張りに立っている他、巡回警備に回っている兵士の数も少なくないようだ。
煉瓦造りの建物が並び、漁港から水揚げされた鮮魚は多くのテントにそのまま並ぶ。活気溢れる露店街と、十字軍の詰所がある煉瓦の町。この二つが同居した特徴的な街並みが、ナーサセス港という町の存在意義を物語っていた。
さて、そんなナーサセス港の桟橋に、一つの船がちょうど入港していた。
船が船であるからか、桟橋には多くの十字軍の人間の姿が散見される。
船のマークは教国が掲げる白鳥の紋章であったが、乗船している人間は殆どが帝国人であったからだった。
「……着いたか。報告によれば、ゲルベリック港で妖鬼らしき魔族がボートと雑貨を奪い去ったらしいが」
「奪い去ったわけではなく、ガルドは十分過ぎるほど置いていったそうです。ただそもそも魔族がボート等を持っていった事実が問題ではあるのですが」
「……クソが。いや、良い。見送りご苦労だった。あとはオレが一人でやろう」
「はっ! ご武運を!」
船のタラップから降りてくる二つの人影。
片方は見慣れた帝国書院の制服に身を包み、もう片方は黒のコートを纏っていた。敬礼をするなり踵を返す職員らしき少女を見送ったコートの青年は、何やらスクロールのような紙束を握りしめて桟橋へと降り立つ。
「もしゲルベリックから向かうのであれば、このナーサセス以外にないだろう。きりきりその珠片とやらの情報を吐いてもらって、ぶっ殺す。クソが」
大薙刀を背負い、Vの文字が刻まれたコートを靡かせて。
モノクルとオールバックの蒼髪が特徴的な青年デジレ・マクレインは、教国の地に到着した。
全ては、あのふざけた妖鬼をぶっ殺すために。