第十二話 水の町マーミラVI 『墓前に捧げる想いの唄』
「……私が居た頃の帝国は、魔族が虐げられる社会だった。人間様々で、どんなに魔力を持っていようと道具にされるだけ。支配階級として人間が君臨し、魔族は奴隷のように扱われるのが常だったわ」
帝都からマーミラに戻る途中で摘んできた、白く小さな花の束をその墓前に添えながら、ヒイラギは呟いた。
あのあと、また夕方にかけてレーネの廃村にまで帰ってきていた。
夜になるタイミングを待って、一息入れたヒイラギの頼みでマーミラへもう一度訪れることになり。
一応研究院を覗いたけれど、わりとぼろぼろになったあの場所にデジレの姿は無かった。あの野郎どこに行きやがった。
ただ、なんというか。
デジレを血眼になって探すよりも、若干しおれたような印象を受けるヒイラギを放っておけなかったというか。なんというか。
マーミラに行きたいと言い出した理由を聞けば、墓参りが出来なかったからとのことで。俺まで参列するのもなんかあれなので、少し後ろで待つことにして、彼女の墓参りを見守ることになった。
月が、綺麗な夜だなあ。ぴったり半月だ。
「……魔族のその扱いのことは、聞かないな」
「帝国書院は都合の良い歴史しか編纂しないんでしょ。シュテンが言ってたじゃない」
「まあ、そうか」
帝国書院の業をこんなところで聞かされて少し驚いた訳だが、まあやりかねないよなあ連中。というか元帥があれじゃあな……書院はほぼ第一席が掌握しているようなことを聞いていたんだが、元帥にも力がない訳じゃあないのか。元皇帝陛下なら仕方のないことか。
「それで、私も例外ではなくて。捕まって奴隷にされそうになったところを一人の人間に救われた。それが、ガーランド……時の将軍」
ヒイラギはそこまで言って、自らの背後を振り返った。
月光に照らされるその立派な墓石は、黙してただただそこにある。
彼女の銀の尾と相まってその墓石の丘が醸し出す風景は幻想的で、そしてどこか悲しげでもあった。
「結構荒れてたし、隙あらば逃げだそうと思ってたけれど……そんな時あいつはずっとふざけて私にちょっかい出してきた。何度狐火で追い払ったか覚えてないわ」
「羨ましい関係だな」
「あんたのがひっどいっての。……そんな時よ。タロス五世による一つのプロジェクトが始動したのは」
「プロジェクトァ?」
「"第一次帝国魔導研究企画"。その実はタロス五世が無理矢理に集めた魔族たちの持つ魔力を吸い出し、魂と分離させて魔導核を生み出そうというものだった。……魔力は魂に宿るものなんかじゃない。結果として、私のように常時おかしな魔法を放ってしまう魔族が生まれた」
「……それで?」
「他の魔族は殆ど殺されたけど、ガーランドは私を守ってくれた。……でも、守る必要なんてなかった。タロス五世が魅了魔法に引っかかったせいでね」
「なるほど、あとは察した。お前さんが傾国の悪女と呼ばれた理由も」
「……そう」
ひっでえ笑い方しやがって。
振り返ったヒイラギに、なんて声をかければいいのか。
俺には飾った言葉選びなんざ出来ねえけどさ。こう、暗い雰囲気は嫌いというか、好きじゃないんだ。
「いいおやっさんだったんじゃねえか。胸張って、お陰で今を生きていますって報告すりゃいい」
「……うん」
墓前にしゃがみこんだヒイラギは、静かに手を合わせているようだった。
もういくら何でも敵が襲ってきたりはしないだろうが、ヒイラギの墓参りの邪魔をさせない為にも、しばらくの間黙って見張ってましょうかねえ。
夜風が少し冷えるぜ。
久しぶり……なんて、白々しい?
つい昨日もね、本当はここまで来たんだけど。あろうことかまたタロス五世のせいで寸前で連れていかれちゃって。
こうして手を合わせて話す前にお墓の前で愚痴るだけで、終わっちゃったんだ。情けないことにね、封印されてから百年くらい岩の中に閉じこめられてたんだけど、かけられていた術式ですっごく弱くなっちゃって……今はもう、出会った時の半分の強さだってありゃしないの。
それと、タロス五世が絡んでるのは間違いないんだけど、変な組織まで出来ちゃって。ガーランドでも、そいつらに勝てるか分からないわ。
魔族排斥、なんて自分勝手な話を掲げて。
そんな組織があるせいで、今では帝国は一大国家。共和国っていう、新興国家あったでしょう? あれがもうあっさりと飲み込まれちゃったって知った時はちょっと、驚いた。
っていうのが、私がガーランドに出来る"報告"なのかもね。
……それと、言い忘れてたことが一つと、言えなかったことが一つ。それから、言いたいことが一つあるの。
……ありがと。
なんてね。
あんたにお礼を言ったことなんてそう多くはなかったように思う。けど、いつも本当にありがとう。守ってくれたし、助けてくれたし、徐々に徐々に、私はちゃんと"人"になれた。
苦しかったこともあったし、というよりそっちの方が多かったかもしれないけれど。それでも、あんたが性懲りもなくちょっかいかけてきたお陰で、こうして私は生きていられるんだと思う。
本当にありがとう。
手をさしのべてくれてありがとう。温かい日常をくれてありがとう。
守ってくれてありがとう。感情を、喜びをくれてありがとう。
庇ってくれてありがとう。……本当に、ありがとう。
今まで生きてきて、苦しかったけど人で居られた一年間でした。
……ガラじゃないし、本当なら墓前なんかじゃなくてきちんと伝えたかったんだけどね。封印されてる間に死んじゃうから悪いのよ。なんか知らないけどあのちっちゃかった女の子はとんでもない化け物になって生きてるわよ。……本当にあれだけは謎だけど。
それから、言えなかったこと。
言えなかったことは、まあうん、生前にも言えなかったことだから今もスゴく気恥ずかしいし、結果もどっち道見えてたし、今となっては結果もなにも無くなっちゃってるんだけど。
あんたさ、毎度毎度自分のことを"パパ"と呼んでくれ、って鼻息荒く言ってたけど……何ッ度も言うけど私の方が年上なんだからね!?
いや、うんこれは今言いたいことじゃないんだけど。
でもこれをはっきりさせておかないとちゃんと言えないことだから。
……ちょっと緊張するけど。
まあいいかあんた死んでるし。
……地獄の底からでも「ひどい! ひどいよヒイラギちゃん!」って声が聞こえてきそうで頭痛いわ。
なんか、昨日のことのように思い出せてしまうのがちょっと辛いとこね。
それで、なんだけど。
あんたはずっと父親でありたいって思ってたみたいだけど。
……うん。
私、あんたのこと好きだった。
封印される直前に伝えようかとも考えたけれど、ちょっと無理だった。何でだろうね。
あー、なんか言ったらすっきりした。
本当は、これを伝えに来たかったのよね。帝国に残した未練は、タロス五世の横暴がどうなっているのかを見に行きたかったことと、それからあんたに伝えたいことがあったから。
まあ、今の言葉で困惑してるかもしれないけどね。そりゃそうでしょうよ。そんな素振り見せたつもりないもん。
それにあんた好きな人居たでしょ。それくらい知ってるわよ私だって。
ま、そういう諸々のしがらみと、私の弱さもあって伝えられなかったことを今に伝えられて良かったです。
本当なら、これで帝国に未練はなし。さっさとどっか行こうって……思ってたんだけど。
せっかく父親ぶってたあんたにだから、もう一つだけ話していこうと思うのよ。
うん、それが最後の"言いたいこと"。
マーミラに、というか帝国に、次はいつ来られるか分からないし。もしかしたら一生来ないかもしれないから、逆にそういう話も出来て良いのかもしれないわね、なんて自分を正当化するのもありかしら。
そんなに、難しい話じゃないんだけどね。
なんていうか、あんたも相当だったけど。
大好きだったあんた以上に、ふざけた男が一人居てね。
それがもうどうしようもない奴で、まじめな話をしてる時さえおちゃらけようとして。ヒドいと思わない?
でも……たった七日かそこらの付き合いでしかない私のことを、帝国のまっただ中まで助けに来てくれた。相変わらず調子の良いことばかり言って、挙げ句女子トイレに入ってたせいで遅れたなんていう訳の分からないことまで言われて一瞬もう言葉も無かったけど……それでも、いつも通りにふざけながら、助けてくれた。
黙ってればただカッコいいだけで良い話なのに、こんな時にまでオチをつけて。本当にふざけた男よ。あんたに言ってた言葉をまさかほかの奴にここまで使うことになるなんて思わなかった。
……出会った時から、バカな発言しかしないでのらりくらりで。
のんきに敵に囲まれて、それでも微塵も動揺しないで。
殺されかけた私を命張って助けて。その時お礼の意味で一瞬の眷属契約したつもりが、レジストされて逆に眷属にされちゃって……信じられる? 旅の仲間がほしいからなんていう理由でその契約続けたのよ?
それで、本当にくだらない話ばかりを続けながら少しの間の旅をして。妙な出会いもあったけど、それも含めてとても楽しかった。
楽しかったの。
何も考えなくていい、ただ反射で馬鹿なやりとりをしてあやふやな目標に向かってふらふら旅をすることが。スゴく自由で、野良暮らしみたいで……ずっと束縛されていた私にとっては、夢のような旅路だった。
急いで帝都の様子を見よう、としか考えていなかった私を引き留めて、よくあんな暢気な旅をしようとしたものだと思うけど。あの辺も、あのふざけた男の自分勝手っぷりがよく分かるってものよね。
マーミラで、わざわざ墓参りにつきあわせるのも悪いかなと思って。
そこで別れて私はタイミングを計られたみたいに狙われた。
力も弱くて、あっさりやられて。連れ去られて、起きたらタロス五世の前。凄く怖かった。手が震えた。なんでまだ生きてるの、って……聞いていたはずなのに、声を聞くだけで怖かった。
さんざんにいたぶられて……もう、泣き出してしまいたくて。
そこに、あいつが観光にきましたーとかなんとか言ってやってきて。
それだけでもう、ちょっと心臓が締め付けられるような気持ちだったのに。タロス五世の言葉に、凄く余裕そうに。
『百年前はまぁ、百歩譲ってお前さんの物だったかもしれねえが……今は俺のだ』
一言一句、覚えてる。
なんかそれ聞いた時にね。
もう……子供みたいに顔赤くしちゃって……うん。だめだった。
絶対に口には出さないし、あいつの前ではいつも通りを貫くつもりだけど。けど、だめだ。あんなこと言われて、元々からちょっと依存癖のあった私が堕ちちゃわないわけない。
最後にあんたに伝えたいことは……そう。
ちゃんと、今を生きる理由が出来ました、ってことかな。
過去との決別なんて言葉があるけど、私はそんなつもりはなくって。
過去のことを心に留めて、これからを生きて行こうと思う。
だから安心して、眠っていてほしい。いろいろあったけど、過去のことを引きずったりはしない。未練は、今断とうと思ってここに来たから。忘れないわよ? 忘れられるはずもないもの。けど、ひきずったりしない。
……だから、これでお別れ。
今度は、お墓に挨拶にくるね。今日みたいに、生前のあんたに挨拶にくるんじゃなくて、死んだあんただと割り切って来られるようにする。
……引きずらないって、決めたから。
あ、あはは、お別れ、ってちゃんと刻んで向き合うと、ちょっと心が痛いわね。
ほら、私封印される時、まともに挨拶も出来なかったじゃない?
だ、だから、今度こそって、おもった、んだけど……。
土の下に居られた、ら……顔も見られない、じゃない……。
引きずらないし……あんたの死くら、い、受け入れるわよ……分かってるんだから……。
けど……最後にくらい……本当は……会いたかった、なぁ……。
お別れ、なのよね……もう。
せっかくだから、うん。
せっかくだから最後くらい言ってあげるわ。
感謝しなさいよ……!
「……さよなら、パパ」
……なんて。
言って、みたりして……。
「あん? もういいのか?」
「うん、挨拶は済んだからもういいの」
「さよか」
立ち上がって振り返ったら、シュテンはぼうっと夜空を見上げていた。星に思い入れがあるのかと思ったら、別にそんなのじゃなくてただ綺麗だから見てるんだって。景色とか営みとか大好きで、ほんと旅エンジョイ勢よねこいつ。
「……」
「なによじろじろ見て」
「……いや」
何故か背負っていた鬼殺しを近くの木に立てかけて、大きく伸びをすると。そのまま私に背を向けて、また空を見上げだした。
いったい何のつもりなのよ。
「俺はもうちょっと見足りねえかなぁ。ちょっと背中が寒いからさ、その駄尻尾使って温めて……いや、今日は駄尻尾よりもお前に後ろから抱きついてほしいなー」
「はあ? あんた何ふざけたこと――」
ほんとに何のつもりなわけ!?
訳の分からない言葉に怒鳴り返そうとしたその時、首だけ振り返ったシュテンの、やけに真剣な瞳が私と合った。
「……ひでえ顔したまま、死んだ人の墓から帰る気か?」
「なに、よ」
「俺なんかに見られねえ方が良いだろって配慮なんだが」
「……なにそれむかつく」
なによそれ。
なにかっこつけちゃってんのよ。
なにきざなこと言っちゃってんのよ。
似合うとでも思ってんの? 超おもしろいから今のあんた。
「むかつくとは何だ、俺は今満天の星々の下佇むクールガイ――」
「前向け駄鬼」
「――おい聞けよ、ってあぁ? 前?」
訳が分からないと言った表情のシュテンが、体ごと振り返る。
むかつくから、その胸に飛び込んだ。
ふざけんなふざけんな。
着流しなんかぐっちゃぐちゃにしてやる。
背中なんて隠せる場所じゃなくて、正面びしょびしょにしてやる。
「……あー、まあ、お前がいいならそれでいいや」
「今ならッ……ひぐ……今なら耳触る権利を、あげても……いいわ……うぅ……」
「ああはいはい、撫でてやるよ。突然甘えやがって」
「甘えてなんか……」
「すっきりするまで泣いちまえ。明日はからりといつも通り。愉快に素敵な放浪だ。だから、おてんとさまの見てないうちに好きにしな」
「……もう知らないんだから!! 風邪ひけばーか!!」
「馬鹿は風邪ひかねえんだよなあ……」
限界だった。
声をあげて泣いた。
恥も外聞もかなぐり捨てて、今日の全部を押し流す勢いで。
ひたすら、泣きじゃくった。