第十七話 魔界六丁目VI 『レックルス・サリエルゲート』
すみません、死ぬほど難産でした
四天王に就任した時の自分に問いたい。
この状況、予測出来たか? と。
自分は鼻で笑うだろう。あり得るはずがない、そんな"都合のいい"状況。
ユリーカの下で働き、胸襟を開ける仲間が居て、後ろ盾にシャノアール。
何より――サリエルゲート家の闇と正面から向き合える日が来るなどとは。
サリエルゲートの家は由緒正しき魔界の貴族だ。その系統は闇に偏向しており、嫡子レックルス・サリエルゲートはその意味では特異な存在でもあった。
闇魔力を受け継がず、しかし強力な座標獄門の古代呪法をモノにした。
親であるセクエンス・サリエルゲートには、何度虐げられたことか分からない。
座標獄門を使えたからといって、まともに戦えもしない雑兵。
せいぜいが交通機関だ、と鼻で笑われ、実戦で役に立たないと判断される度に大切なものを奪われた。
ある種疎まれ、ある種歓待され、複雑な家庭の中で育ったレックルスを導いたのは――
『みんなーーーー!! 今日は……ううん、今日も来てくれてありがとーーーー!!』
魔界のアイドル、ユリーカ・F・アトモスフィアに相違ない。
彼女が居たから、これからの魔界の在り方を認識出来た。
彼女が居たから、魔族としての貴さを自覚出来た。
彼女が居たから、先の戦いを生き抜くことが出来た。
気が付けば四天王の一角となっていて、気が付けばユリーカの配下となっていて。
思えばここ数年は、レックルスにとっては激動の時間だった。
それも、もう間もなく幕を閉じようとしている。
「このチャンスを逃しはしない。何が何でも食い止める。魔王の野望を」
魔界六丁目上空に開いたゲートに真っ先に反応したのは、周辺に注意を向けていたミネリナ・D・オルバ。レックルスの耳元に響いてくる、声色こそミランダとそっくりの異なる声。
『やぁレックルス。状況はどうだい?』
「お世辞にも芳しいとは言えねえな。シュテンのヤツがやばい」
『……なんだって?』
通信越しにミネリナの怪訝そうな思いが伝わってくる。しかしレックルスにも余裕が無かった。歯噛みしながら、しかしそれが事実だと肯定する。
レックルスは今まで各所を飛び、必要な人材を必要な場所に送る仕事を続けてきた。
その殆どが片付いた現在、レックルスもようやく戦線に復帰できるというもの。
彼が選んだのは当然、上司であるユリーカとその妹ヴェローチェが奮闘する戦場だった。
ミネリナとの通信を繋ぐ彼の表情はあまり良いものとは言えない。
苛立ちを噛み殺したようなオークの形相は苦渋に歪み、それでも彼はまっすぐ前を向いていた。
「鎮めの樹海で遭遇した鬼神と纏めて、別のやべえものともやり合ってる。率直に言って地獄だ」
『ちょ、ちょっと待ちたまえよ!! それを知りながらきみはここに戻ってきたというのかい!?』
通信越しの慌てたミネリナの声。
それはそうだろう。
きわめて冷静、よしんば装っているに過ぎないとしてもだ。
レックルスがシュテンの状況を知りながら置いてきたとするならば、あまりに薄情――否、鬼神シュテンという最大戦力の一角を見殺しにしたも同然の発言のようにさえ聞こえてしまう。
そんなミネリナの抗議の声はしかし、首を振るレックルスの低い声音に殺される。
「――俺如きじゃあいつの足手纏いになるだけだ」
『っ』
「でもまあ安心しろ」
耳の穴をほじりながら、レックルスは口にした。
「俺が役に立たないとしても、頼りになる奴を置いてきたからよ」
『……納得は出来ないけれども、現場判断に関してはきみの言葉を信じることにするよ。ただ、分かってるんだろうね。彼に何かあったら、わたしの相棒が黙ってない』
「恐ろしいこと言いやがるな」
はは、と牙を剥きだしにして笑う。
相棒。というには少し近すぎる関係に見えなくもないが、本人がそういうのだから相棒ということにしておこう。
確かにあの男をけしかけられたら、自分ではとても勝ち目はない。
バーガーが崩れないように頭からケツまで鎗を差し込まれておしまいだ。
「だからバーガー屋じゃねえっつの」
『は?』
「なんでもねえ。大丈夫だ。俺だって、お前らに――シュテンに救われた恩は一度や二度じゃねえよ。調子に乗るからあいつには死んでも言わねえが」
思い返すのは、孤児院での事変。
自分一人ではどうにもならなかった狂化魔族たちを救ったのは、赤と青の閃光だったのだ。手引きしたのはあの馬鹿で、戦ってくれた二人組――もちろん今の通信の相手にも感謝している。
その恩を仇で返せるほど、レックルス・サリエルゲートという男は安くない。
「それより六丁目の状況はどうなってる。随分とひでえ有り様だが」
『ああ、それで言うとちょうどよかった』
ミネリナの明るい声色に、何がだ? と首を傾げるレックルス。
聞いていれば、ヴェローチェがここまで徹底的に六丁目を守ってくれていたこと、ユリーカがそこに参戦してさらに戦況が有利に運んだことまで聞かされた上で、彼女は続けた。
『その優勢が、崩されたんだ』
「あ? ユリーカちゃんとヴェローチェの嬢ちゃんが揃ってるってのに?」
『正面切って戦えばそう時間を食う相手ではないさ。けれど――今は彼女たちだけではないだろう?』
レックルスは、降り立った高い建物から大地を見やる。
まだ街の原型は保っているものの、酷い有り様だった。燃え崩れ、火炎の海に押し流される家屋の群れをはじめとして、魔獣――否、あれはモンスターか。モンスターたちが暴れまわっている。終焉の時を夢想させるような、地獄絵図。
そこには当然、逃げ遅れた人々が居て。
レックルスの視界に、黒の六翼が映った。
ユリーカが、誰かを助けだす。そこに襲い掛かる何者か。堕天使? まさか。と血の気が引く。
『人質同然に町人を使われては、如何に二人とて戦いは不利になる一方だ。そして相手はセクエンス・サリエルゲートと名乗った』
「っ……なるほど。相手の座標獄門使いだ。俺の親父でもある」
『ああ、そうだろうと判断した。レックルス、応援を頼むよ』
「あいよ、任された」
ミネリナとの通信を切り、レックルスは小さく息を吐いた。
座標獄門を使う敵。ずっと敵対していた相手――父親。
セクエンス・サリエルゲート。
おそらくは魔王の命令で、この地獄を生み出した張本人。
「よし。やるか」
レックルスは、ゲートの中へと立ち消えた。
ユリーカ、ヴェローチェの二人は苦戦を強いられていた。
あの"車輪"と、シャノアールの孫娘の二人がかりで、だ。
セクエンスが想像以上に強かった、というわけではない。
エウレカ、エウレイという二人の堕天使の連携が凄まじい、というわけでもない。
ただ、単純に。
あちらは正しく"魔王軍"としての戦いを行った、ということだった。
「ヴェローチェ!!」
血相を変えたユリーカが叫ぶ。
ヴェローチェは軽く旋回、飛んできたセクエンスの魔導――炎弾の雨――を回避しようとして、舌打ち。パゴダ傘を振りかざし、こちらも古代呪法を発動する。
――古代呪法・水花名月――
眩い月の光のような輝きと共に、開かれた大輪の華。
それらが全ての炎弾を受け止めると同時、伝わってくる衝撃でヴェローチェは歯噛みした。
「くっ」
「どうした。この程度受けるまでも、ねえよ」
鼻で笑うセクエンスを半眼で睨み据え、パゴダ傘を振って古代呪法を起動する。
――古代呪法・傀儡分裂――
百近いヴェローチェの分体が現れ、
『くたばりやがってくださいお願いしますー』
やる気の感じられない声の合唱。
――古代呪法・混沌冥月――
黒の奔流が全員からセクエンス目掛けて放たれた。
「おうおう冗談じゃねえ」
――古代呪法・座標獄門――
「っ!?」
幾つものゲートが、混沌冥月の軌道上に現れ、飲み込む。
どこへ、と思うよりも直感が先走った。下を向いた瞬間、民間人大勢の前に現れる"ゲート"の数々。
「くっ」
すぐさま混沌冥月を消し去る。
セクエンスは感心したように笑った。
「ほほー。そうそう、繰り出した魔導を瞬時に消すなんて真似できるやつぁ、いねえよ。そういう意味じゃあ人間も魔族も関係、ねえな。強ぇヤツが強ぇ、それで良いじゃねえの、おい」
「……」
ヴェローチェの攻撃は封じられていた。レックルス・サリエルゲートを上回るゲートの数は、おそらく豊潤な魔素保有量からくるもの。
ヴェローチェとてそうそう魔素が尽きることは無いだろうが、このままではじり貧だ。人質同然に民衆を扱う男を睨み、打開策を探る。
そう膠着状態が続くヴェローチェとセクエンスに対し、ユリーカと二人の堕天使の戦いは激化を極めていた。
「はあああああああああ!!」
エウレイの斧をカトラスで捌きながら、エウレカの二刀流を薙刀で払う。
そのまま強弓で牽制しつつ、相手の連携を崩して大剣で急襲。エウレイの高速機動で回避され、横面を斧で襲われそうになったところを鎗で突いた。
「っ……」
エウレイを吹き飛ばしたところで、ユリーカの表情に少し歪みが走る。
『この二人は、莫大な魔素を抱えた我々にとっての魔素タンクであり、同時に戦闘要員ってぇ、わけよ。堕天使の魔素保有量は他の種族と比べても莫大で、中でもこの二人はユリーカ、お前に追随するくらいには魔素を持って、いやがる』
『お前の両親だぞ!? こいつら!!』
きっと、そうなのだろう。
セクエンスだけならばまだしも、あの悲痛そうなヴェローチェの表情を思い出せば、真実であることくらいユリーカにも分かる。
そして、故人であるということも。
――薄々、おかしいとは思っていたのだ。
どんなに声を張り上げても、貰った名前を叫んでも、魔族ならば知らない者などいない立場、そしてアイドルとして名を上げても、決して応えてくれることがなかった。
その理由が、その答えが。
とっくに死んでいて、それも彼らの側に管理されていたのだとしたら頷ける。
もしかしたら、いつかの世界線で魔王が「両親が見つかるまで」という約束で魔王軍に付けていたのもきっと、見つけられないだろうと分かっていたから。
酷い裏切りだと小さく毒づく。
確かにユリーカという人材は、得難いものだっただろう。
だからといって、こうまでするか。ここまでして拘束するか。
憎しみが、恨みが、胸の内に火を灯す。
けれど。
エウレカの二刀を打ち払い、エウレイの斧を弾き飛ばし、ユリーカは。
『心が強いのは、あたしが恋する女の子だからだもんっ』
ぎゅっと胸の真ん中を、心を、握った。
灯った昏い炎に、バケツの水をぶっかけるバカを思い浮かべる。
『しまった!! 色だけ変えてキャンプファイヤーするべきだったじゃん! 今の!! うおおおおおお!!』
バカは頭を抱えて蹲った。
「ふふ」
小さく笑みを零す。
「ねえ、パパ。ママ」
エウレカ、エウレイ。共にその表情に色はなく、自らの子と対面しているというのに何一つの感情すら感じ取れない"死んだ"姿。
思えば、殆ど親子の記憶というものは存在しない。
けれどユリーカにとっては無二の、生んでくれた両親だ。
だから、伝える。
出会っていつか、絶対に言いたかったことを。
「ありがと。あたし、こんなに大きくなったよ。好きな人も出来たんだ」
たとえ伝わらなかったとしても、言いたかった。
ぶつけたかった。その感情は自分勝手で、でも子供の我が儘だ。許して欲しい。
「――」
「――」
「……」
一瞬だけ。
時が止まったように思えた。目と目が合って。その先に何かを伝えたり、気づくことは出来なかったけれど。
それでいいと思って、ユリーカは身構える。
エウレイが襲ってきた。斧を振りかぶって。
「はああああ!!」
その斧に、彼女は。"大斧"でもって対抗した。
一閃、エウレイの手から斧が弾かれる。
落ちていく斧を追わせなどしないと、投鎗で牽制――した、時に気づいた。
眼下に映る、逃げ惑う子供たち。
その頭上に降ってくる――斧。
「しまっ」
急降下するユリーカだが、ぎりぎり間に合うか間に合わないか。
「お願い!! 避けて!!!」
そう叫ぶと、同時だった。
子供たちが、ユリーカの視界から消えたのは。
がつん、と地面に斧だけが突き刺さる。
その場にいたはずの子供たちは、消えた。
黒い、渦の中に。
「セクエン――」
しかし振り返っても、セクエンスはこちらを見てすらいない。
ゲートを使ったにしては、不自然だ。
「俺ですよ、ユリーカちゃん」
と、そこには。
小さなゲートを指先で弄びながら笑う巨躯のオークが立っていた。
「レックルス」
「ようやく間に合いました。ユリーカちゃんは戦いに集中を。俺が、今からまるっと民間人を全員避難させます」
「え、あ、うん……いいの?」
いいの?
その短い問いには、幾つかの意味が込められていた。
レックルスも察したのだろう。空を見上げる。
そこには、ヴェローチェと相対する父親の姿。
セクエンス・サリエルゲート。
「そりゃあ、個人的な恨みはあるし、ヤツを止めなきゃ不味いってのはありますが」
そう言いながら、彼はゲートを開いていく。
たとえば、逃げ惑う民衆の足元。必死に走る少年の目の前。そして、空から降ってきたモンスターの軌道上。幾つものゲートがどこに繋がっているのか、ユリーカには分からないけれど。けれど彼なら、皆を救ってくれるはずだ。
「俺、一時期とある孤児院で御守りをやってたじゃないですか」
「……」
「そん時、誓ったんです。子供は守ってやらなきゃなって。クソ親の元で育った身だからってのもありますが、あいつらの未来を、希望ある明日を潰しちゃならねえって思ったんですわ」
まあどれも、ユリーカちゃんに導かれてきたおかげです。
照れ臭そうに頭を掻いて、空のセクエンスを睨み据えるレックルス。
「ヤツのことは頼みます。俺は足手纏いにしかならねえ。いつぞやも帝国書院の第一席相手に、結局は何の手助けにもなれなかった。……いまだって、実力はそう変わらねえ」
だから。
そう、ユリーカを見据えるレックルスに、彼女は満面の笑みで頷いた。
「任せて! あたしの役目はみんなのアイドル。絶対、みんなを笑顔にしてみせる!」
言うや否や、背を向けて。
ユリーカは黒翼を羽ばたかせて飛んでいった。
「はは、頼もしい上司だ」
さあ、自分は自分の仕事をしよう。
上司たちが、全力で戦えるように。




