第九話 魔王城II 『クレイン・ファーブニル』
――魔王城大橋。
「……っ」
纏まって行動していたメンバーは合計で六人。
棒を振るってナーガの魔族を倒したクレインは、先行する九尾の背中に嫌な気配を感じて足を止めた。
彼の後ろにはリュディウス、ハルナ、グリンドルにジュスタ。息の合った戦い方で魔王城の前まで来られたことは素直に収穫だ。ジュスタが最初に心配していた連携も、この短時間で随分と形になっている。
――馬車でやってこられたのはせいぜい魔界三丁目の入り口付近までだった。
黒馬たちに逃げ帰るように命じたクレインたちは、徒歩行軍を開始してしばらく、道中の魔族をなぎ倒しながらここまでやってきた。
幸いにして数が少なく、周辺も何やらざわついているようでゆっくり侵入することが出来た。魔族側の事情については分からないが、それでも幸運は幸運だった。
そして、辿り着いた魔王城の前。巨大な橋を前にして、ヒイラギが立ち止まったのだ。
「ヒイラギさん?」
「……あの馬鹿、死にかけじゃないの」
表情は青く、そして苛立たし気だ。そっと胸に手を当てて、少し。ふらりと体勢を崩したヒイラギを、慌ててクレインが支えた。
「っとと、大丈夫ですか?」
「平気。あいつに少し魔素を送ってあげただけ。ったく……またどうせ無茶してるのよ。それも、死にかけるほどの」
「シュテンさんが……?」
不安に顔の色を変えるクレインだが、ヒイラギは小さく頭を振る。
問題ないとばかりに魔王城の方を向いた彼女の心中をクレインに推しはかることは出来ないが……それでもあの陽気な鬼神は、クレインたちを魔王城まで送り届けることをヒイラギに命じていた。
主人の命令が絶対、などという神経は彼女は持ち合わせていないだろう。
けれど、世界の命運を賭けてシュテンが頼み事をしているというのに、それを感情で無に帰すようなことも彼女には出来ない。
だから、一刻も早く状況を変えるだけ。
「おいヒイラギ。魔王城内の地図は既にシャノアールから受け取っている。お前は戻っても良いが、どうする?」
「……あんた」
古びて茶ばんだ巻紙を肩に乗せ、リュディウスはヒイラギの後ろから声をかけた。
けれどその言葉にもヒイラギは首を振る。
「ルノアールが何を仕掛けてこようと、魔王さえ倒れれば計画はおじゃんでしょ。なら、さっさとそちらを片づけた方が結果的に助けることになる。それに、あいつしぶといから平気」
「……そうか。そうだな」
納得したように頷くリュディウスはどこか誇らしげだ。
不思議そうに彼を覗き込むハルナは、首を傾げて問いかける。
「なんでリュディがそんな胸張ってるの?」
「ヤツには何等かの魔王を倒す理由があることを、知っていたからだ」
籠手に包まれた腕を組むと、鎖を重ねたような金属音。
魔王城を睨みながらリュディウスが思い返すのは、教国での出来事と、そして船上での邂逅。
『光の神子クレイン・ファーブニルが魔王を倒すその日まで、絶対に敵にはならない』
そう誓った彼の言葉を、リュディウスは忘れていない。
なればこそ彼がクレインを先に行かせ自らが残った666ばんすいどうでの行動には――心配の感情こそあったものの――信頼を抱き、だからこそ放置して突き進んだ。
「ならばヒイラギ。急ぐとしよう。別段疲労も無い現状、もたついて戦いの数を増やす愚を犯す理由はない」
「そうね」
魔王城にかかる大橋には、拍子抜けするほどに罠の類が存在しなかった。
あっさりと走り抜ける中で見つけた多くの魔族の死体死骸は、魔王城と魔界の間の堀の下。
もしかすると、シャノアールやヴェローチェたちが行き掛けになぎ倒したのかもしれないと思いつつ、六人は魔王城内へと入る。
――どこか、荘厳かつおどろおどろしい音楽に、世界が切り替わったような気がした。
「……ここは」
「これが魔王城か。僕も来るのは初めてだが」
ふむ、とグローブの手首部分を締め直しながら周囲を見渡すグリンドル。
壁には至るところに彫り込まれた魔族を讃える意匠。
天井から釣り下がるシャンデリアには謎の生物が取り巻いているような彫刻の仕上がり。
階段の類でさえカーペットの色が名状しがたく、不気味さが張り付けられたようなホールになっていた。
「うう……かたっぱしから浄化したい……」
「そんなことしてる時間ないから」
「ジュスタちゃん辛辣……」
杖を両手に握ってぷるぷるしているハルナを、呆れた目で眺めるジュスタは平常運転だ。あの手のおぞましい雰囲気にはある程度耐性があるのかもしれない。
それにしても、とヒイラギはこのメンバーを見渡して思う。
「濃い連中ね」
「待って、それをヒイラギさんに言われるのだけは些か納得がいかない」
「だいたい駄鬼のせいでしょ。私は関係ないわ」
「ええ……?」
クレインは釈然としない表情で誰もいないエントランスホールを眺めた。
道は左右と、階段を上がった正面。
ちらりと隣を見れば、既にリュディウスが地図を開いていた。シャノアールから渡されたというその地図には裏道の類も載っていたはずだが、さて。
「ハルナ、魔素の反応は?」
「大きいのはやっぱり上の方だね。シャノアールさんと魔王がやりあっているというのなら、多分今感じている反応だと思う」
お得意の探知魔導。しばらく目を閉じていたハルナは、杖で上を指し示した。
「となると……いや、この階段を上っても三階以上にはたどり着けない。意味不明な行き止まりがあるだけだ。右から行って一度地下に降りて……そこからなら三階に行ける。なんでこんな手の込んだ形状に」
「侵入者対策じゃないか? 帝国書院も転送システムを実装している」
「なんで誇らしげなんだこの魔導司書」
無駄に出入りし辛いだけだろう。
そう嘆息したリュディウスだったが、地図があって良かった。
それに。
「――魔族が見当たらないな」
「なんかさっき探知したら、外でも何か大きな戦闘が起きているみたい。そっちに魔族はかかりっきりだね」
「よく分からんが好都合だ。シャノアールの策とやらが的中した形かもしれないが」
そうと決まれば。
「なら、さっさと行くわよ」
「分かっている。クレイン」
「ああ、行こう!」
――魔王城最奥、玉座の間。
ようやく最上階に辿り着いたクレインたち一行。
戦闘の類も幾つかあったが、少数とのぶつかり合いに終始したおかげでなんとか疲労の類も少なく済んだ。あとは、魔王と相対するだけ。
玉座の間を目前にした広い廊下で、ふと窓の外に空が見えた。
黒々とした渦を巻く空は、今にも何かが現れそうな不安定な空模様。
本能が、"何かが起こる"と騒ぎ立てるようなソレを一瞥して、クレインはもう一度自らの使命を胸に刻んだ。
魔王を倒し、この世に平和をもたらすと。
玉座の間の扉は打ち砕かれていて、そこら中に岩の残骸が転がっている。
室内からは苛烈な戦闘音。迂闊に顔を出せば即死の可能性もあると、クレインはおそるおそる玉座と廊下を隔てる壁に背を預けた。
「ボクが少し様子を見るよ」
と、ジュスタが先行する。
隠形に長けた彼女であれば、あれほどに苛烈な戦闘の中だ。誰にも気づかれずに立ち回れる可能性が誰よりあった。頷くクレインにジュスタは「任せて」と微笑んで、そしてそっと室内を覗き込んだ。
そして、顔を青くして戻ってきた。
「あそこに突っ込むのって自殺行為じゃない?」
「そうであっても行かなきゃならないよ」
「だよねー……」
行くしかないかと肩を落とした彼女と共に、ゆっくり玉座の間へと足を進める。
そろそろ部屋に顔を出せるくらいに入り口へと近づいた彼らはしかし、そこでふと戦闘音が止んだことに気が付いた。
「――ああ、正解だともドラキュリアの娘。光の神子をかくまったその街を、もはや残しておく理由などあるまい」
「魔王様――いや、魔王。光の神子ならもうあの街には」
「関係が無い」
話し声。
光の神子というワードに一瞬身を固くするクレインだが、話題の本命が自分でないことはすぐに察した。そして、会話の意味を理解するにつれて表情が険しくなっていく。
「誰が、光の神子を処分させるためだと言った。これはお前への罰だよ、シャノアール。魔界六丁目は、今日。――地下帝国の地図から消える」
「そんなことはさせない!!」
「良い口上だ。だからこそ輝く」
魔界六丁目。
突然現れたクレインたちを、あれほど温かく迎えてくれた魔族や人間の愉快な者たちを想起する。
彼らの街が、地図から消える?
あの、人の温かさを再確認させてくれた、あの街を?
「如何にして魔界六丁目を滅ぼすのか。それを長々と説明したうえで起動ボタンへ手を伸ばす。その時に見える恐怖の表情がたまらない、と我は考えていたのだが。ルノアールの奴が面白いことを教えてくれた。なるほど、なるほど。"そんなことはさせない"か」
ああ、そんなことは絶対にさせない。
今すぐにでも魔王を止めて、その野望を阻止する。
それが光の神子に命じられた使命だから。
自らの得物を握り、全員を振り返る。
五人とも、突入に頷いてくれた。
ならば、魔王を止めに――
「何が言いたい」
「落ち着いて。落ち着いて、シャノアール」
「なにを、ミランダ?」
「面白いことを教えてやろう。――魔神降臨の地はここではない」
「なっ、まさか――」
ぴたりと。玉座での会話にクレインの足も止まる。
ようやくクレイン自身も、魔王の悪意に気が付いたのだ。
「お前が裏切ったと聞いた時に、既に術式は起動した」
「――魔界六丁目は今から滅ぶ」
「魔王おおおおおおおおおおおお!!」
その行動は速かった。
地面を蹴り飛ばし、玉座へと突貫する。
光の神子の登場に驚いた風の魔王はしかし、目を少し見開いた程度で微動だにしない。
手を振りかざすだけで張った防御壁で、がむしゃらな攻撃を防ごうとして――
「光の神子がまさか一人で突っ込んでくるとはな。好都合だ、死ね」
右手に宿らせた黒々とした魔導が、クレインを狙って振りかぶられる。
自らの軽挙妄動に後悔するも、もう遅い。仲間たちと一緒に丁寧に突入すれば、こんなことにはならなかったのに。防壁にぶつかったクレインの棒は、火花を散らせるも押し込みきれない。愉快気に魔王の口元が歪む。
死ね、と口元が動いたその瞬間だった。
「はい、マテリアルチャフ」
後ろから飛んできたハルナの魔素攪乱魔導で防御壁が砕かれた。
「なにっ?」
クレインの棒が魔王を殴らんと迫る。
魔王は自らの手に宿った純魔力をクレインにそのまま打ち付けんと振りかぶり、
――神蝕現象【大いなる三元素】――
「その魔素も消させて貰おう」
白の球体が魔王の右手を打った途端、彼の攻撃魔導が消散する。
そして。
「うおおおおおお!!」
クレインの棒を防ごうと傍らの剣を抜いた瞬間、目の前にいつの間にか現れていた大剣に防がれる。
「悪いが、クレインの怒りは受けて貰おうか」
「このっ」
左手から伸びた毒の爪。本来は隠し札であるはずのそれを、今こそ不意打ちに使えると踏んだ魔王は躊躇いなく切った。その爪がクレインの顔を穿つ寸前、天井から吊られたように手が動かなくなる。
「――定命は不転なりて。クレイン一人で飛び出したとでも思った?」
全ての動きを封じられた。クレインの棒が、魔王の頭部に命中する。
「ぐっ」
「――みんなっ、ごめん!」
「本気で怒って、本気で笑えるのがクレインでしょ」
もう分かってるんだから。そうハルナが微笑んだ。
クレインは反動を使ってバックジャンプ。
魔王の周囲を固めていたジュスタ、リュディウス、グリンドルの三人は、警戒を露わに魔王を見据える。鈍痛の響く頭を軽く抑えた魔王は、その赤く染まった瞳で五人を見据えた。
「……いつの間に」
「魔界六丁目を、そんな、見せしめのようにするなんて、絶対に許さない!」
「……なるほど? それで吼えてとびだしてきた、と」
ふ、ふふ。
口元から漏れるように湧き出る笑い。
「ふ、く、くはははははは!! 愚かな! もう起動したと言ったろうが! 不意を打ち、我に本気でトドメを刺すことすらできる光の神子が、このタイミングで目の前に現れるだと? なんという、愚かな」
なあ、シャノアール?
愉悦交じりに問いかけた。
シャノアールは、ミランダと共にこの場を一歩も動いてはいなかった。
魔界六丁目を作ってはや百数十年。あれだけ愛着を持っていた小さな弱い街を、魔王に急襲されたとしたら確かに。ひとたまりもないだろう。
それが分かっていればこそ、クレインは泣きそうな顔でシャノアールを振り向いた。
けれど。
シャノアールは首を振る。
「いいさ、大丈夫。来てくれて助かったよクレインくん」
「シャノアールさん……貴方は、自分の街を守りに行ってください!」
「いいや」
もう一度否定した。
どうして、と困惑するクレインに、シャノアールはサムズアップして笑う。
「さあ戦おうクレインくん。魔王を倒せば、それで全てが片付くはずさ。魔界六丁目に関しては心配しなくていい。あちらには味方が居る。このボクの娘たちがね!!」
「あっ」
「信じているとも。ユリーカも、ヴェローチェも。あの子たちが居れば、六丁目は安心だ。いや、脅威はあるだろう。犠牲も出るだろう。けれど、大丈夫。立ち直れる。潰させはしないさ、このボクと、仲間たちで」
「シャノアールさん……」
「だから勝とう」
「はい!!」
なんだ、早とちりか。
クレインは恥ずかしくなってもう一度魔王に相対した。
シャノアールがショックを受けていると、取返しのつかないことになっていると思ったからこそ、怒りに震えて飛び出したのだ。
でも、シャノアールが元気ならいい。魔界六丁目が無事ならいい。
あとは魔王を倒すだけだ。
「……シャノアール」
「ミランダ、頼む。そういうことに、しておいてくれ」
――さあ、戦おう。
それぞれが武器を構えた。
鼻を鳴らした魔王が立ち上がる。
「良いだろう。光の神子を相手にするのであれば、死すら見据えて戦うしかあるまい。来い、短き命の者どもよ。ああ、そうだ。一つ聞いておかねばならん」
なんだ、とクレインが眉を上げるより先に。
面白そうに魔王は指を立てた。
「これは、先代光の神子――ランドルフ・ザナルカンドにも聞いたのだが。……世界の半分をくれてやると言ったら、味方になるか?」
「お断りだ!!」
「そうか。いや、いい。さあ、始めようか」
クレインが飛び出すのに合わせ、全員が動き出した。
まおう が しょうぶ を しかけてきた !▼
(専用BGM『魔王、其は人類を位牌に刻む者』~GRAND BATTLE~)