第四話 魔王城II 『ミランダ・D・ボルカ』
ちょっと長くなっちゃった。
――魔王城外門前、魔境大橋。
シュテンがハルナと共に魔界六丁目をうろついている頃、シャノアール・ヴィエ・アトモスフィアは一人の吸血皇女と魔王城内で待ち合わせをしていた。
定刻まであと少しといった時間帯。懐中時計を懐に戻し、待ち人を探して軽く周囲を見渡した。
魔界六丁目とは違い、強力な魔素を孕んだ魔族魔人がうろつくこの場所は、ある種ハイソサエティ的な雰囲気を感じさせる一角だ。
目の前に魔界で最も権威を持つ建築物がある以上当然のことではあるのだが、このあたり一帯はいわゆるエリートないしは権力者たちの巣窟と言っても過言ではない。
――魔界三丁目。何百万と存在する魔界の住人の中で、たった数千の魔族のみがこの場所に居を構えることを許される。
"導師"シャノアールともなれば中でも指折りの猛者には違いないし、事実この辺りで彼の顔を知らない者など存在しないのだが……しかしそうであっても彼への魔族の風当たりは少々強かった。
某アイドルのファンコミュニティであればいざ知らず、強者にカテゴライズされる魔族の殆どはシャノアールを疎んでいる。疎むだけで揉め事にならないあたりはシャノアールの辣腕が評価されることであるにせよ、それでも隙をみせればすぐにでも失脚させられるだろうことはひしひしと感じられていた。
だからこそ、シャノアールにとって必要なのは"吸血鬼派"に属している魔族の力添え。
導師シャノアールに信を置く親シャノアール派ではなく、対になるように反シャノアールを掲げる"吸血鬼派"ないしは"魔王派"と呼ばれる派閥の人物。
それが、ミランダ・D・ボルカという少女であった。
ユリーカとの交友こそ吸血鬼派側に知られているものの、彼女の持つ情報は吸血鬼派中枢のものと相違ない。であればこそ貴重な情報源。
「やっほー……寝坊したよー」
そんな彼女が現れたのは、かれこれ待ち合わせ予定時刻から少し経過したタイミングだった。
「ああうん、そんなことだろうと思っていたよ、このボクはね」
「ごめんねー」
眠たげな眼を擦りながら、ミランダはぼやくようにそう言った。
ミネリナ・D・オルバと瓜二つのその顔を怠惰色に染め上げて、橙色のツインテールを靡かせながら彼女は小さく手を合わせた。謝罪のつもりだろうか。
「で、もう行く?」
「レックルスとヴェローチェがそろそろ来る頃だからね。その前にある程度情報共有をしておきたいんだ」
「あー、なる。あの二人に聞かせて良いものかわかんないもんねー」
納得したようにミランダはこくこくと頷く。
小さくやる気なさそうに三本ほど指を立てて、彼女は言った。
「わたしが調べた話だとー、だいたい気になるのは三つかなー。どーも例の妖鬼が探してるあの石を、二つほど魔王は抱えてるみたいだねーってのが一つ。サリエルゲートの座標獄門を使役している払暁の団の魔族は、どーもレックルスの親父っぽいってのが一つ。最後はねー……うーん……」
「大丈夫かい?」
「んぁー、心配しないで。ちょっと何て言っていいか分かんなかっただけ。どうも相手側に堕天使が二人いるんだけど……見たことないんだよねそいつら」
「見たことない堕天使が二人?」
「そーなんだよー」
困ったね、とミランダは目を擦る。
言われてみれば妙な話だった。
堕天使のコミュニティは今も在る。二百年ほど前にあった魔王軍との抗争を生き延び、ある程度共存の可能性を探って、魔界地下帝国に彼らの居場所を作ったのは外ならぬシャノアールだ。
堕天使というのは長命で、子供一人作ることにも慎重になる種族。人口もさほど多くない分、永く生きているシャノアールはこの街に生きる堕天使の全てを把握していると言っても過言ではなかった。そんな彼をして、「見たことのない堕天使が敵に回っている」という情報は寝耳に水だった。
「だとすると……真っ当な堕天使ではないのかもしれないね」
「えー、でもあれは堕天使だよー……」
「ルノアールのことだ。何をしていてもおかしくはない」
「……あー、まあ、それは、うん」
あり得ない話ではないとミランダも同意する。
「しかし、情報ありがとう。いつもながら世話になるね」
「まー、最後かもしれないしねー……もうわたし、むこうに居場所ないと思うしー」
ツインテールをくるくると弄りながらぼやく彼女の頭に、シャノアールはぽんと手を置いた。
「ならいつでもおいで。歓迎するよ、このボクはね!」
「あはは、たのもしー」
心底嬉しそうに彼女は笑った。幸せそうですらあった。けれどどこか諦めていそうでもあった。
ミランダ・D・ボルカという少女は、グラスパーアイ・ドラキュリアの娘にあたる。
娘と言えば聞こえは良いが、その実体は体の良い実験台。吸血鬼派としての立場こそ保障されたが、恨みは募る一方。
ユリーカという唯一の友達が出来なければ、彼女は今頃どうなっていたか分からない。
それだけに破滅主義者で、目的さえ成し遂げられればそれでいいと思っている節があったミランダには、もう生きる目的など存在しない。
捨て身上等で情報を持ち帰ってきた彼女に感謝もあれど、人の親として複雑な心境もシャノアールの中にはあった。
「まー、あれだよ。どのみち今回失敗したらみんな死ぬんだし。そーならないよーに、くらいはわたしも頑張るよ。苦手だけどね、全力とか」
「ミランダ」
「んー?」
「死んでくれと頼むつもりはないからね。このボクはね」
「……んー、かんがえとく」
生きる理由も、もうないしなー。
そうぼやきながら耳を掻く彼女を、シャノアールは寂寥と呆れを混ぜこんだような瞳で見つめていた。
「っと、お揃いですかい」
「どーもー」
レックルスとヴェローチェが合流したのは、ちょうどそんな時だった。
黒い渦が等身大にまで広がって、奥の見えない虚無の中から姿を現す巨体とゴシックロリータ。
二人で並ぶと美女と野獣だな、などと余計なことを考えながら、シャノアールは挨拶ついでに手を挙げた。
「やあ、揃ったね。それじゃあそろそろ行こうか」
「わたくしは構いませんがー……わざわざ全員で行く理由が?」
相も変わらずぽけぽけと口から飛び出る昼行燈。
黒い太陽の元でもフリルアンブレラを手放さない彼女は、極めてのんびりとそう言った。
瞳の奥にも面倒臭そうな色が見え隠れしているが、シャノアールは笑う。
「かといって、事の重要さは理解しているようだね」
「……はぁ。バカ姉をこちらに回しておけば、今頃は屋根の上で優雅に空を眺めることが出来ていたんですけどねー」
「それ楽しいかい?」
ヴェローチェはそっと目を逸らした。
「ヴェローチェの嬢ちゃんはほら、そもそも魔王城が苦手ですから。仕方ないですよ導師」
「確かに人間の身で魔王城に、というのは敷居が高いかもしれないが」
「――そういうことではないんですよー」
「ん?」
「……そういうことではなくて。いやなことを思い出してしまうというだけの話ですー」
「ふむ」
時折、シャノアールにはどうしようもない状況というのはある。
主に自らの被保護者であるヴェローチェとユリーカに関してだ。
今でも忘れない、二百年前の出会い。そこでユリーカが言っていた、自分が死んだ世界線でのヴェローチェ。どうにもその記憶を断片的に覚えている節があるヴェローチェは、きっと何度も寂しい想いをしたことだろう。
それだけは、事情を知らない自分が手を伸ばせるところではない。
レックルスも覚えていないらしい以上、今の彼女に声をかけられるのは同じく時間遡行をしたユリーカか、或いは――
「やはり早急に婚姻の話を」
「かっとび過ぎですー」
「いや、しかし。孫娘のメンタリティを考慮すると、やはり最適解だと思うのだよ、このボクはね!」
「単純にアレを息子に欲しいだけですよねー?」
「………………いや、娘のことを考えて」
「ならユリーカでもわたくしでも良いというあの発言は」
「……………………娘のことは平等に考えているというか」
――古代呪法・混沌冥月――
――第十六攻性魔導・水花名月――
ノータイムでフリルアンブレラから飛び出した黒の奔流が、シャノアールの手を中心に展開した魔法陣に溶けて消えた。
「危ないじゃないか!」
「なんでそんな下等魔導でわたくしの混沌冥月を……」
「年季の差かな!」
煩わしそうに嘆息したヴェローチェは、そのまますたすたと先に大橋へ足を向けた。
「先に行きますー」
「あ、わたしもー」
颯爽と歩いていく彼女の後ろを、ぼんやり今まで傍観していたミランダが続いて。
その背中二つを眺めて、レックルスがぼやいた。
「なんでしょうね、あの脱力系コンビ」
「気張りすぎて疲れるよりはいいかもね」
なにせ、と続けてシャノアールは空を見上げた。
「もうすぐこの世界の終わりと、正面切って戦わなきゃならないんだからさ」
――魔王城最奥、玉座の間。
「"導師"シャノアール・ヴィエ・アトモスフィア様、参内――」
厳かな女声と共に、ゆっくりと巨大な石扉が開かれる。
玉座の間は暗く、しかしぼんやりと光源なき明かりが部屋全体を見通す導になっていた。
玉座まで伸びるレッドカーペットに踏み出せば、柔らかな感触を足裏が返してくる。
前を向けば、敵意や悪意を帯びた視線がシャノアールを突き刺す。
だがこれも慣れたもの。シャノアールはいつもの柔和な笑みを浮かべて、玉座に程近い位置にまで歩みを進め、膝をついた。
習うように、彼の後ろをついてきたヴェローチェとレックルスも付き従う。
「"導師"以下二名、まかりこしましてございます」
「……うむ。顔を上げよ」
「はい」
シャノアールの眼前には、鋭くとがった二本角が特徴的な屈強な男が座していた。
玉座に頬杖、足を組んだ気だるげな姿勢はしかし、絶大な圧を無遠慮に放っている。それが覇気の類であることは容易に理解できたし、何よりその瞬間、魔王が全盛期に近い力を取り戻していることが実感できた。
「しばらくぶりか、シャノアール。顔を見せなんだが、仕事は順調か」
「はい。万事滞りなく」
頷き、見やる。
魔王の瞳は相変わらず読めない。赤く輝く両の目が、ただ静かにシャノアールを射抜く。
しかし、妙にシャノアールの背筋がざわついた。
どうにも普段より周囲に控えている者たちの視線が露骨だ。露悪的ともいえるそのむき出しの悪意は、いつもの嫉妬じみた敵意というには余りにも"強気"だ。
その理由についてまだ理解が及ばないシャノアールだったが、玉座の間の外に控えているミランダから聞いた情報を並べる限りでは、ここまでの彼らの変化に心当たりはない。
強いて言うなれば魔王が完全に力を取り戻したことで"魔王派"そのものが勢いづいている可能性だが、魔王とシャノアールは表向きに敵対しているわけではない。魔王派の主張通りに魔王が踊らされ、シャノアールと敵対するようなことはあまり考えられない。
――と、シャノアールは考えていたが。
次の魔王の一言で全てを察した。
「そうか。それでは――光の神子が魔界に紛れ込んでいるのも、順調ということか」
「はっ……?」
弾かれたように顔を上げる。
魔王の余裕そうな表情はしかし、明確な敵意をシャノアールに向けていた。
――あまりに情報が早過ぎる。
思考に時間を取りたい気持ちでいっぱいだったが、背後のヴェローチェやレックルスからも静かに動揺が伝わってくる。今自分に出来るのは、すぐさま取り繕うことだけ。
まだ、まだバレるわけにはいかない。
「そ、れは誠にございますか」
「誠も何も――」
「父上と光の神子が鎮めの樹海で共闘していたのは周知の事実ですので!!」
ふわりと玉座の真横に現れたのは緑髪の男。
「ルノアール!?」
「いかにもワターシはルノアール! "もう間もなく"導師を継ぐ予定の男でございます」
「魔王様! このルノアールはとある組織との内通者――信じ切るのはいかがなものかと!」
シャノアールとて、払暁の団と魔王派が通じているのは知っている。
が、"払暁の団"を妨害することが魔王の不利益になることなど知らなかった、という形にすることくらいは容易だ。何せ、その情報は極秘中の極秘であるはず。
であるから、誇らしげなルノアールの登場もシャノアールにとっては予定調和。
「シャノアールよ。貴様は知らなかったかもしれぬが、ルノアールの所属する払暁の団は我々魔王軍と共闘する別動隊に近い組織だ。故に、そこは目を瞑ってやろう」
「は……」
シャノアールは頭を下げる。ここも予定通り。
「だが」
――しかし、想定内なのはここまでだった。
「その光の神子が、我が魔界地下帝国に入るなり迷わず魔界六丁目に居るとなっては、貴様の手腕を疑わざるを得ん」
「なっ――」
どうしてそこまで把握しているのか、と危うく口に出すところで踏みとどまった。
諜報や間者に対する策は万全だったはず。だというのに、何故。
ルノアールの口元が三日月の如く吊り上がる。
「なるほど、そういえば父上には言わずにいた人材がおりましてぇ」
魔王にアイコンタクトを取るルノアール。重々しく頷き許可を出した魔王に代わり、ルノアールが軽く指を鳴らした。その瞬間現れるのは、一対の男女だった。
――堕天使。
すぐに頭にリフレインする、ミランダからもたらされた情報。
見たことのない二人の堕天使。なるほど確かにシャノアールにとっても覚えのない二人だった。
「んっんー! ご紹介しましょう。戦闘人形エウレイ・エウレカです。ワターシの研究の副産物でしてね。魂はかつて世界を巡っていた堕天使を使ったもの。グラスパーアイが唯一成し遂げた成果ともいえます、ええ」
「……グラスパーアイ? 堕天使? ちょっとまて、それは」
全身から汗が噴き出る。世界を巡っていた堕天使を使って作った人形?
確かに堕天使の能力を持ってすれば、遠見の監視も出来ることは出来る。しかし、だからといって――。
「くはははは! なんだあの導師の顔はよぉ!」
「まさか、自らのはかりごとに誰も気づかないと思っていたか」
「思い上がるな、人間めが」
吸血鬼派の者たちを皮切りに、多くのギャラリーがざわめき出す。
堕天使の瞳には力も意志も感じられず、ただそこに佇むのみ。
彼らを順に見やって、シャノアールは魔王に向き直る。
「シャノアールよ。魔神降臨の儀は、もうじき完成する。貴様が何を思って光の神子を招いたのかは知らんが……すでにわれわれの準備は整っているのだ」
「……魔王様」
「この堕天使の形をした人形もその準備の一環。百年近くに渡り、ルノアールが魔素を込め続けてきた魔素のタンクだ。そこに、我が今まで溜めた魔素を使えば、儀式に必要な魔素は事足りる」
じろりと魔王はシャノアールを見据えた。
「――シャノアール。バカな真似は止め、我々と共に世界の夜明けを見ようではないか」
「世界の夜明け、ですか」
「ああ。この世界は、どのみちあと数百年もしたら滅びの時を迎える。それを知らない貴様ではあるまい?」
「……」
その言葉に反応したのは、シャノアールではなくその後ろに黙って控えていた二人であった。
思わず顔をあげ、慌てて下げる。その様子を見た魔王は何かを察した。
「なるほど、誰にも言っていなかったか。魔素の枯渇でこの世界は終焉を迎える。いや、人間の少しは残るだろうが、魔族はことごとく潰えることだろう。そんなのは――貴様とて容認できまい。あれだけ自分の街を愛している貴様ならば」
「それは……」
ヴェローチェも、レックルスも、どういうことかとシャノアールに問い質したい気持ちで溢れていた。しかし、この場で暴挙は許されない。
歯がゆく思いながらも、彼らは見守るしかない。
たとえシャノアールが言葉に窮していたとしても。
「下るなら今のうちだぞ、導師!」
「我らは貴様らの目論見くらいお見通しだ!」
糾弾するような言葉の矢雨が、シャノアールに向けて降り注ぐ。
その全てを受けながら、しかしシャノアールは黙ってしまっていた。
「……魔王様。魔神を降臨させ、人間を滅ぼす。そのおつもりですか」
「いや? 人間どもには利用価値がある。貴様のように有能ならば取り立てよう。もっとも、殆どは家畜であるが。……しかし、皆仲良く死に絶えるよりは遥かに良かろう?」
「……」
「頷けば良し。そうでないならば――」
殺す。
その言葉に嘘もなければ、はったりでもないだろう。今の魔王とここに居る魔族の数があれば、ヴェローチェとレックルスを含めた三人でもじわじわと嬲り殺されてしまう。そういう戦力差だと、シャノアールも理解していた。
そんなシャノアールの背中に、二人分の視線が突き刺さる。
「答えよ、シャノアール」
魔王の言葉。同調するように、魔族たちが吠え立てる。
「魔王様に一度歯向かおうとして、温情を受ける機会を与えられているのだ!」
「素直に光の神子を処分し、戻ってこい!」
「――さあ、さあ!」
「魔王様を裏切るなど、導師の風上にもおけぬ輩め!」
「全て魔王様の手のひらの上だ!!」
その、瞬間だった。
「――手のひらの上かー。果たしてどーだろーねー」
玉座の間、その入り口の扉がはじけ飛んだ。
見張りに立っていた魔族二人の骸が、魔王めがけて飛んでくる。
それをルノアールが防壁で弾き、煩わし気に入り口を見やると。
そこに立っていたのは、一人の吸血皇女。
魔王派、吸血鬼派のはずの、吸血皇女。
――古代呪法・鮮血御手――
玉座の間に沸いて出る、血で構成された手が多くの魔族を地面に引きずりこまんと欲する。
「ミランダ・D・ボルカ!? 何故ここに!!」
「何故も何も、面倒なことになってるから戻ってきたんだよー」
「魔王様の御前で何を無礼な!!」
ふわりと、シャノアールを庇うように立ちふさがったミランダは魔王を見据える。悲鳴を上げて地面に引きずり込まれていく魔界の者共のことなどまるで意に介していない彼女は、ただその奇襲を成功させて呟いた。
「目え覚ましなよシャノアール」
「……いつも眠たげなミランダに目を覚ましてと言われるのは些か」
「その軽口が叩けるなら平気かー」
ぼんやりと彼女は魔王を見据えた。
そして、振り返らぬままに言葉を続ける。
「魔界六丁目が在るのは貴方が居るからだよ。数百年後に世界が滅ぶなんて、対策のしようは幾らでもあるんだよー。だから、見失わないで。貴方が守りたいものをさー」
「ミランダ、きみは」
「――レックルス。三人を六丁目に飛ばしておいてねー」
刹那。ミランダの居た場所が爆ぜた。
「ぐ、ぁ」
バウンドするようにミランダは地面を転がる。シャノアールには、魔王が何かしらの魔導を行使したことだけが分かった。次の瞬間には、魔族たちがミランダ目がけて殺到する。
「魔王派の面汚しが!!」
「殺せ!!」
そして、魔王が吼える。
「他も逃がすな! 再起の機会を与えては面倒だ!」
立ち上がったミランダが、血の刃で並み居る敵をなぎ倒しながら叫ぶ。
「光の神子の居場所が割れてるなら! あんたたちだけが頼りなんだよ! わたしなんて別に要らないんだし、行け!!」
その言葉を聞いて、ヴェローチェはしかし踏みとどまって戦うことを選ぼうとした。シャノアールとて、ミランダ一人残すことを良しとはしなかった。
だから、四人で残っても全滅の未来しか見えないという現実を見据えていたのは、ミランダを除けばレックルスだけだった。
――古代呪法・座標獄門――
「レックルス、あなた何を――」
「よせ! ミランダ一人残しては――」
足元に空いた大穴が、何をさせることもなく二人を飲み込んで消える。
一人残ったレックルスは、戦うミランダを見据えて言った。
「俺は、伝令役としてまだ生きなきゃいけないんですわ」
「分かってるよー。わたし一人で十分」
「……」
「だから、行って。あんた居ても足手まといだしー」
「……すみません!!」
レックルスも自らの作ったゲートの中に消滅した。
小さく息を吐いて、ミランダは自らが破壊した大扉の前に立ちふさがる。
「魔王派の主力はここに居るのが殆どだよね。削れるだけ削ってやる。魔界六丁目にはいかせない」
「酷い命の安売りだな、グラスパーアイの娘」
せせら笑うような魔王の一言に、ミランダは微笑みすら返した。
「まー別に、わたしって重要人物ってわけでもないしねー。吸血鬼派に目にもの見せるって目的が叶った以上、そんなに生きる理由もないよー」
ぺろっと舌を出したミランダの発言に、場が凍りついた。
吸血鬼派に目にもの見せる。その言葉が意味するのは恐らく、しばらく前にあった吸血鬼派本拠地を壊滅させた何者かの事件。
「お前だったのかミランダ・D・ボルカアアアアアアアアア!!」
叫ぶ魔族の声もどこ吹く風。吸血鬼に知り合いの一人でもいたのかと白い眼を向けて、彼女は血の刃を撒き散らす。
しかし、どさくさに紛れて魔王を狙ったいくつかの刃は、魔王の眼前で全てが見えない壁に阻まれた。
舌打ちを一つして大人しく何十と居る魔族を片付けようとして――またしても彼女の居る場所が突然爆ぜた。
「あぐっ……!!」
防ぎようのない謎の攻撃。
これだけは真正面から受けてしまうせいで、どう敵を倒そうと、どんなタイミングだろうと大きな隙を晒してしまう。
爆発を受け、弾かれたところで斧の一撃が入りノックダウン。
爆発を受け、吹き飛ばされた先に魔導のトラップを置かれて電撃を浴びる。
爆発を受け、打ちつけられたところで取り囲まれる。
魔王はただ嘲笑うようにミランダを見据えていた。
「んっんー。悲劇のヒロインご愁傷様って感じだなぁ。ぶっちゃけここに居る魔族なんて、戦いには全然使うつもりないのに必死になっちゃってまあ無意味なことを」
ルノアールは欠伸をしながら、ミランダが削られている状況を傍観する。
「こっちとしてもミランダ・D・ボルカなんて端役に興味はないし、端役同士潰し合うのも良い前座の余興かなぁ。んっんー、悪くない、悪くない、悪くないなぁ。ここに酒の一つでもあれば完璧なんだがなぁ」
「ルノアールよ。レックルス・サリエルゲートの座標獄門、追跡はどうなっている」
「六丁目にもどったみたいですなあ」
「ふん、ちょうどいい。嬲り殺してやれ」
「御意に。今度こそあの不愉快な妖鬼に引導を渡してくれる」
ルノアールが軽く手をクラップすると、座標獄門が現れる。
彼がゲートに悠々入っていったのを見送った魔王は、頬杖をついてミランダの様子を楽しげに眺め始めた。もはや、あとはなぶり殺しになるのを傍観するだけでいいとばかりに。
「魔神降臨までの時間を、せいぜい潰させて貰うかな」
ミランダは既に死にかけていた。
それはそうだ。そもそも、彼女は別に魔族の中で図抜けて強いわけではない。
ユリーカにはミランダが束になっても敵わないだろうし、シャノアールやヴェローチェと比べても彼女は数段劣る術者だ。
本人もそれは自覚していて、寝ぼけて聞いていた鎮めの樹海でのシャノアールの作戦会議では、周囲の戦力を見渡して自分の役割をなんとなく把握していた。
それが、捨て駒だった。
シャノアールが聞けば、全力で否定することだろう。
友達に優しいユリーカであれば、羽交い絞めにしてでも止めるに違いない。
けれど、ミランダはある種ステレオタイプの"魔族"であった。
自分の命も勘定に入れて動くことが出来る。甘ちゃんのあのメンバーとは違う。そういう意味で言えば、レックルスだけは今しっかりと戦力判断が出来ていた。
これでいいのだ。
自分はここで果てたとして、だいたいの戦力さえ削れればあとは強力な連中が何とかしてくれる。
殆ど会話を交わしたこともない者ばかりであったが、ミランダより強いのは明白だった。
しいていえばあの場で自分より弱そうなのは光の神子周辺のメンバーだったが、彼らはチームで戦える強みがある。
であれば、自分は猶更捨て駒でいい。
「吸血皇女が、吐血なんて笑えないねー……」
吹き飛ばされて壁に強かに打ちつけられ、呼吸さえおぼつかなくなってもミランダは軽口を止めようとはしなかった。
徐々に徐々に優勢になっていく現状に、下卑た笑みを浮かべる魔族が増えてくる。まるでリンチだ。けれど時間稼ぎにはなっているこの状況を、決してミランダは悲観的に見てはいない。
むしろ、自分のような雑魚にかまけてくれてラッキーだとさえ思っていた。
自分を甚振れば甚振る時間だけ、ユリーカたちの準備時間が伸びる。
そう信じていたから。
「だから、自分は捨て駒でいい」
「引き立て役、噛ませ犬、上等」
「大した夢も希望も魅力もないやつが、一番最初に消えるべき」
「そうでしょー?」
ゆらりとミランダは立ち上がる。
一方的に殴られようと、意識が続く限り止めはしない。
自分に夢はないけれど。
シャノアールの作った街はそれなりに好きで。
あいつらの一丸となって挑もうとしている目標はそれなりに悪くないと思っていて。
なにより、友達が頑張ってるわけで。
なら、十分。命を捨てるには、十分過ぎる対価が待っている。
強いて言うなら、そう。
『いつでもおいで。歓迎するよ、このボクはね!』
あの手の温かさだけは、妙に惜しい気もするけれど。
言う必要はない。ユリーカの父親であって、自分にはあまり関係のない相手だし。
怠惰な吸血皇女は欲しいものがあっても、手を伸ばして届かないならさっと諦めるのが心情なので。
「さ、最後まで付き合ってもらうよー」
「まだ立ち上がるのか」
「心臓を穿つか、あるいは頭を潰さないとダメだ」
「他はどこに攻撃しても、血の力で塞ぎやがる」
「まあサンドバッグにはちょうどいいか」
「魔王様も楽しんでいるようだしな」
眼前に十数の魔族。結構、削った。削ってやった。
さすがにそろそろ目が霞むし、休んでもいいかな。
あとはまあ、なんとか他の連中がどうにかするでしょう。
怠惰な自分にしては頑張った。端役はそろそろご退場。
「せめてじゃあ、最後の華でも咲かせますかー」
「な、なんだ急に笑いやがって」
「イカれたんじゃねえか?」
「面白ぇ、少し発散しておくか俺たちも」
「ばっか流石に魔王様の御前でそれはねーよ」
好き放題言ってくれる、とミランダは嗤った。
魔王といえど、流石にこれは防げないだろう。
「ねえ、お前らさー。なんで量産型吸血皇女に自爆装置が積めたんだと思う?」
「……は?」
「吸血皇女、ないしは魔族にそんな仕掛けを施すなんて、一発勝負で出来るはずがない。何度も何度も調整した。つまりはまあ。――実験台が居たからに決まってるでしょー」
恨み多き父親、グラスパーアイ・ドラキュリアに、今だけは感謝しなくもないとミランダは思った。
さあ、シャノアールたちと魔王軍と。開幕の花火と行こうじゃないか。
三日月のような笑みとともに、ミランダは中指を突き立てる。
「どかーん」
彼女が笑ったその瞬間。
「させるわけないだろう。このボクがね」
そっと、頭に柔らかな感触が添えられた。
「なっ!?」
振り向けばそこには、一人の男。
「どう、して」
「どいつもこいつも魔族っていうのは、命を軽く思い過ぎなんだ。二百年近く魔王軍に居れば、そのくらい分かるってものさ。きみともそう短い付き合いじゃない」
「レックルスの説得には時間がかかったけれど」
「それでも、ハッピーエンドはみんなでって思っているんだよ。二百年前のあの時から」
彼の脳内には、愉快な妖鬼を始めとしたハッピーエンド至上主義の仲間たち。
「だから、応援が来るまで耐えるよミランダ。でないと、怒るからね。このボクじゃなくてもね」




