第二十七話 女神の聖域 『逆転、その一瞬の呼吸』
――鎮めの樹海内部。決戦場。
「おおう、カオス」
シュテンが辿り着いた時には既に悲惨な状況だった。
クレインたちはルノアールと必死に戦っていて手が離せない状態。
ベネッタとヤタノは倒れ、デジレも瀕死。というかジュスタが絶命寸前な辺り、いくらシュテンと言えど真顔になりかける展開。
そして。
「ぐ、ぉ……!! これが魔族避けの、やつ、か……!!」
脳を直接揺さぶるような頭痛と気分の悪さ、それに伴う、脱力するように奪われる気力。
なるほどこれは、魔族にとっては死ぬほどきつい。
「だがなァ」
敢えて、言おう。
「この程度!! 珠片の痛みと国士無双に比べたら造作もねえ!!」
修羅・煌炎をその拳に灯し、シュテンは勢いよく鬼神に殴りかかった。
「おはよう一号目ぇ覚ませコラだらっしゃあ!!」
『ぐぉおおおおおおおお!!』
「なんだお前その声」
『ぐぉおおおおおおおお!!』
「……ぐぉおおおおおお!」
炎を纏った拳を鬼神に叩きつける。
見た感じ、随分凶悪な面になっては居るがこの男はやはりあの"一号"だ。
シュテンを兄貴と慕い、共に二百年前を駆け抜けた愉快な仲間。
それを操られているとあっちゃあ、許すつもりはなかった。
「って大して面白くねえなこの叫び!!」
『ぐぉあああ!!』
迫りくる斧をひらりと躱し、お返しとばかりに風の鎧に炎の拳を叩き込む。
まるでシュレッダーに手を突っ込むようなものだが、炎と鬼化で強化されたボディはそう簡単に傷つかない。
とはいえ。
「それはテメエも同じことか」
『ぐぉおおお!!』
振り向けば、デジレはジュスタに何等かの処置を施そうとしているところだった。
任せておいて問題なさそうだ。今のシュテンの仕事は、この一号を完全に抑え込むこと。
痛みや脱力など、関係ない。
「鬼神シュテンくん二十四歳!! なめんじゃねえぞコラァ!!」
『ぐぉおおおおおおお!!』
まるで破壊不能オブジェクトだな、とシュテンは一言呟いて拳を構えた。
とはいえ。
しばらくすれば、ユリーカとテツが仲良くおてて繋いで戻ってくるに違いない。
その時こそ、反撃に移る良い機会だ。それまで抑えつけておけば問題ない。
「ってわけでしばらく相手しろや、チート一号」
「――そういうわけにはいかないなあ、鬼神シュテン!!」
「あん? ……ルノアール? 一応言っておくか。貴様、死んだはずでは!」
「残念だったなぁ、とりっ――」
「言わせるか!!」
拳を振るい、斧の柄を受け止め、テツの見様見真似で蹴りを入れつつシュテンは叫ぶ。
「んっんー! それにしても妨害波導の中でよくもまあここまで動く。流石は鬼神だというべきか……だが! この十巻抄を使うとなれば話は別! 神を縛り使役するこの魔導具にかかれば、鬼神シュテンと言えども!!」
「はっ、やってみやがれ!!」
「シュテンさん!?」
「おうクレイン、元気か。大丈夫大丈夫、問題ねえよ。あいつの洗脳とか効いた試しがねえし、グラスパーアイのは弾いたから」
「で、でも」
そうこう言いつつも一号を受け止めるシュテンを見て、ルノアールの魔導を弾きながらクレインは心配そうな顔をする。お前まで暴走されたらたまらない、と言ったところだろうか。
「んっんー! 相変わらず不愉快な妖鬼だぁ……貴様が受けられるかどうか、試してみるといい!!」
「はっ、やれるもんならやってみやがれ!!」
――古代呪法・洗練七法――
十巻抄を媒介としてより強烈になった波動が紫電を伴ってシュテンを襲う。
「はっ、こんなものか、よ……?」
違う。洗脳されたわけではない。
意識ははっきりとルノアールを敵だと言っているし、クレインは味方だし、認識は間違っていない。だが、身体は自由に動かない。というか、徐々に感覚が抜けていく。
これは洗脳などではない。
俺の意識が、どこかに吸い上げられてっ――
「シュテンさん!!」
悲鳴じみたクレインの声が聞こえた気がした。
――何もない白い空間。
「なんでやねん」
「このタイミングしか呼び出せないんだから仕方ないでしょー!?」
「お前むしろこのタイミングどれだけ大事か分かってんの!? 一歩間違えたら全滅だよ!?」
気づけばシュテンの目の前には、『サーバー増強はよ』と書かれたTシャツ一枚の女神がパワームーブしていた。
つまりはあれだ。
このクソ女神、シュテンの意識に干渉する術式を見てこれ幸いとシュテンを引きずりこんだわけだ。
「てゆかおい、じゃあ俺今どうなってんだよ。動かなくなってんの? ロボみたいに?」
「暴走してるけど」
「死ね!! あれだけかっこつけて俺結局暴走してるみたいじゃん!!」
「みたいじゃなくてしてるけど」
「うるせえくたばれお前のせいじゃこの駄女神が!!」
嘘だろこのクソ女神……と頭を抱えるシュテンを放って、女神クルネーアはしばらくくるくる回っていたが。
しばらくして、シュテンの方に向き直ると。
「落ち着いた?」
「流石にぷっちんするぞ俺も。仲間含めて色々大ピンチなところに呼びつけて迷惑重ねておいて、なにをさも『待ってやった』みてえな面してんの?」
「女神に対して対等だと考えているあんたの方がよほど頭おかしいんだけどね」
で。
「クソみてえなタイミングで呼びつけた理由をとっとと話して俺を帰せ」
「……珠片はまあ、ある程度回収出来ているみたいだから許してあげるけど。……流石にそろそろ言わなきゃダメだと思ったのよ」
「は?」
何をもったいぶってやがる、と靴裏をとんとん苛立ったように叩く。
今こうしている間にも、クレインたちの危機は間近に迫っているに違いない。
そう思えばこそ、戦力が減るどころかあちらに戦力をくれてやってしまっている今の状況は度し難いものがあった。
「払暁の団。連中に珠片を抱えられることだけは避けなきゃいけなかったの」
「そういや連中、必死にここ目指してたな。何もねえつまらんとこなのに」
「当たりがきつい!」
「誰のせいだ誰の」
ったく。
腕組みしたシュテンはそのまま続きを促すように顎を上げる。
クルネーアはしばらくぷるぷるしていたが、あきらめたように口を開いた。
「……女神を邪神として降臨させて服従させて操って未来を思うままにするために決まってるじゃない。三大神に対して『誰も助けてくれなかった』ってねじ曲がった根性で恨みもたれて、うざいったらありゃしない」
「むしろ少しは救いの手とかねえの」
「そんなことしたらみんなに色々しなきゃいけないでしょ。向かう先は誰もかれもが口開けて待ってるだけのディストピアよ」
「……」
言わんとせんことは分かる。
分かるし、そもそもシュテンの魂は完全に異世界からの異物だ。
それも重々承知している。
けれど。
「お前それ女神の存在価値って何?」
「まさか地上の生き物のために私たちが在るとか思ってないでしょうね。……まあでも世界に対して私が持つべき責任は、"滅びないようにすること"よ。1800年前に一度滅びかけてるし、その辺の注意は厳重なの」
「ほーん。まあ別にそれは良いけどよ。……っつーことはあれか。払暁の団に珠片を握られたりしたら洒落にならんくなるってことか?」
「だからこそ、あんたが必要だったのよ」
「は? 俺?」
「そう。あんただけが知ってる知識。それは、攻略本と言っても過言ではない情報の塊。それを上手く利用してくれれば、上手く立ち回れるかもしれないと思った。さしずめ、裏側から追いかけるようにね」
「先の展開を知っていることは、まあ確かに強みだったかもしれねえけどよ」
「それこそ未来視なんて魔導書、いえ聖典の領域。それを抱えてあんたが未来から過去を攻略してくれれば、それで良かったのよ。……あんた、聖典に対する反逆者なんて組織を立ち上げたようだけど」
「おう、それがどうかしたか」
「むしろあんたの存在が、裏側からの攻略本だってこと、知ってた?」
「……はん、面白ぇ」
それが、そもそも俺を使って珠片を集めさせた理由だったってのか?
「……そういうこと。本当は言うつもりなかったんだけど。珠片をあいつらに持ってかれることだけは防がないといけなかったの」
「……あっそ。早く言えよ駄女神」
「言えるわけないでしょ。はたから見たら、払暁の団が珠片使って私を操りに来るから助けてって言ってるみたいじゃない」
「みたいじゃなくてそうだろうが」
「女神の沽券にかかわるでしょうが!!」
「捨てちまえそんなもん。それを先に聞いてたら、少しはまともに集めてやらねえでもなかったんだぜ?」
「……ふん」
そっぽを向いた女神に、シュテンは一つあくびをすると。
「ま、いいや。お前、これだけ迷惑かけてんだから少しこう、なんかないの?」
「……なんか?」
「例えば、俺ってば今、まともに武器とか持ってねえんだけど。折れたし。最初に着流しの場所教えてくれたみてえに、なんかこう、ヒントくれよヒント」
「ああ、そういうこと」
合点がいったように、クルネーアは思案顔であれこれ考えていたようだが。
しばらくして、分かった、と一言。
「なんだかんだ珠片をこれだけ集めてきてくれたのだし、最後だからちょっと特別ね」
「……最後?」
「私とそう何度も会えるなんて思わないでよ?」
「いや別に会いたいと思ったことねえけど」
「やっぱりやめようかしら」
「わーい女神さまばんざーい!」
額に手を当ててクルネーアは嘆息した。
「……一つ約束してちょうだい」
「あ? なんだ交換条件か」
「女神の掟を破って、あんたに直接施しをあげようって言ってんのよ。それくらい飲みなさい」
「ものによる」
「……ほんっとこいつって……!!」
どうしようもないやつだ。
拳をぷるぷる震わせながら、クルネーアはバカ面を引っ提げた目の前の青年を見やる。
なんというか、最初から最後まで雰囲気の変わらない男だった。
どれだけ珠片やレベルアップで力を重ねても、徹頭徹尾生き方が変わらない。
きっと日本に居た時もそうだったのだろう。クルネーアは、その指をシュテンに突き付けて。
「15個の珠片は最終的に貴方が全部取り込むこと。そのあとでないと、死ぬことは許しません」
「なんで?」
「あんた以外が取り込んでも、最終的には死ぬと同時に吐き出すからよ。あんただけは、それを取り込んだまま還る。それで、このマナのポンプ騒動はおしまい」
「……いいだろ、分かった。取り込んだ連中全員看取ってやるよ」
「そ」
ならいいわ。
「女神クルネーアの名において、妖鬼シュテン――本名〇〇〇〇に銘じます」
「お、ちょ、ちょちょちょちょっと待った。俺の元の名前知ってんの!?」
「……そうね。貴方が死んだ時に教えてあげるわ」
「……そうか。楽しみにしておく」
先ほどまでの悪態はどこへやら。
小さく二人で笑いあったかと思えば、クルネーアは小さく目を閉じて。
足元に浮かび上がる魔法陣。
「――其は断ち切る地の大神。其は浪漫を愛する人の鬼神。其は空に幸成す天の祭神。シュテンの名と共に、貴方の旅路に幸あらんことを。――第一神機、草薙」
勢いよく巻き起こった風。
そして、そこには小さな二本の棒が転がっていた。
「あれ、どっかで見たことあるぞこの棒」
「折られた鬼殺しだしね」
「あんな仰々しいことやっておいて結果がこの折れた棒!?」
「まあいいから手に取りなさい」
「……なんだってんだ」
両手に、棒を二本握る。
「で?」
「もとに重ねてみて」
「あほくせー。ほい」
がちゃこん。
じゃきじゃき、しゃきーん!
「鬼殺しになりよったぁああああああああああ!!」
「はい、柄を折ってー」
「柄を折って――折るの!? せっかくの鬼殺しを!?」
「いいから折れ」
「……」
ぽきりと、先ほどくっつけたところを折った。
がちゃこん。
じゃきじゃき、しゃきーん。
「鎗二本になったああああああああああ!!」
「はい柄をくっつけてー」
「柄をくっつけてー!?」
「うわ目ぇきらっきらしてる。はい軽く振ってー」
「軽く振ってー!!!!」
がちゃこん。
じゃきじゃき、しゃきーん。
「棒になったああああああああああああ!! 刃の部分の質量どうなってんだテメエええええ!!」
「あんたが使ったことのある武器になら、どうとでも変化するようになってるわ。……神々の持つ神機の一つ、第一神機・草薙の魂をその鬼殺しに込めた。真価を発揮したいなら、その名を叫んで斬ればいい」
「おっけー覚えた。なんだお前、最高かよ鬼殺し」
「……これが、あんたに対する最初で最後の施しよ。じゃあ、今度はあんたが死んだ時にでも会いましょう」
「そっか、しばらくお別れか。そう聞くと妙に寂しくなるな」
「神にとっては一瞬よ」
「お前はそうかもしれんが」
「あんたも」
「……大地の神、か。いまいち実感わかねえなあ」
へらへら笑いながら、新生鬼殺しをシュテンは担ぐ。
「……じゃあな、クルネーア」
「ええ、またね」
軽く手を振る女神を最後に、シュテンはす、と意識を失った。
――鎮めの樹海内部。決戦場。
「……あれ?」
「気が付いたか」
ジュスタが目を覚ますと、周囲は変わらず戦場真っただ中だった。
不思議なのは、意識が戻った時に自分が立っていたことと。
その隣に、まったくの無傷でデジレが居ることだ。
「あの、デジレ?」
「どうした? 今は何かを気にしている場合でないことくらい分かるだろう?」
デジレの言う通りだった。
豪鬼が暴れ、ルノアールが魔導を振るう戦場がここだ。
しかし――
「ちょっと今のうちに聞いておきたいんだけど」
「なんだ」
「なんでシュテンが裏切ってるの」
「クソ妖鬼だからだ」
「じゃあ次! そのシュテンと戦ってるのは、あれは――」
「見たことくらいあるだろうが。アイゼンハルトだ」
「じゃあ次。もう一人の鬼神と戦ってるのは?」
「あれは――」
地面を駆ける双槍の元魔導司書。
豪鬼にも勝る勢いで暴走したシュテンの拳を全て二本の鎗で捌ききり、あまつさえ蹴りで以て吹き飛ばす。しかしながらシュテンの体力は無尽蔵。何度となく立ち上がり、その暴風の鎧をまとってアイゼンハルトに突貫する。
「……案の定、じゃあらんせんか」
「おかしいね? シュテンくんの実力ならあの程度の妨害魔素はじけると思ったんだけども」
「そりゃあお宅の解釈でしょうや。……あれには、何人もの友達が犠牲にされた」
そのアイゼンハルトの背後には、一人の男が居た。
まだまだ壮健そうな三十前半ほどの、魔導師。
彼がありとあらゆる魔導で以て豪鬼の方を徹底的に抑え込んでいる。
「さて、後衛任せますぜ」
「シュテンくん以来の素敵な前衛だね、後衛は任せたまえよ、この僕にね!!」
「――シャノアール・ヴィエ・アトモスフィア。魔王軍の導師だ」
「なんか知らないけど味方してくれてるんだね。じゃあクレインたちと合流してルノアールを叩けばいいのかな」
「そういうことになるな。……自分の仕事は分かっているか?」
「言われてみると、なんかすっごく身体が軽いんだけど……ボクが気を失ってから、何かした?」
「オレが何のハーフか忘れたのか? 覚悟の出来ているお前に、祝福を授けたにすぎん」
「……ボクは、じゃあ、つまり」
「ミッドナイト。あのシュラークと同じ、忍の最高峰クラスになっている」
「なんで!? なんで一気に最高クラスなの!? 中級クラスは!?」
「知らん」
「知らんって!?」
もー、と頬を膨らませるジュスタに、先ほどまでの悲壮感はない。
不思議と、デジレにもそんな様子はなさそうで。どことなく雰囲気は落ち着いている。
「デジレは戦いにいかないの?」
「それより、することがあるからな」
「すること?」
小さく、ジュスタは首を傾げた。
この状況ですることなど、他のメンバーへの加勢以外にないだろうに。
そんな彼女に、デジレは軽くモノクルをかけなおすと。
「なに。てめえに、戦い方ってもんを教えてやらねえと。そう思ってな」
そう、穏やかに微笑んだ。




