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グリモワール×リバース~転生鬼神浪漫譚~  作者: 藍藤 唯
巻之捌『叛逆 神蝕 片眼鏡』
225/267

第二十五話 鎮めの樹海VIII 『男の子』


 ――鎮めの樹海、北部。


 二本の鎗を握りしめた神域の武者と、一人の少女が相対していた。

 先ほどまであった魔素の重力はなりを潜めては居るが、戦いが始まったらすぐさまあの広域魔素停止結界が張られるのだろう。


 話には聞いているから、ユリーカは狼狽えることなく。カトラスを二本その手に握りしめたまま、正面の青年を見据えていた。


「喧嘩、喧嘩ね。喧嘩なんてするほど近い距離に居たっけ」

「今のはどっちかってーと、自分に言った言葉でさぁ。手加減なんざ無意味だったって」

「そ」


 男の子ってわかんないなあ。

 ユリーカはそう一言だけ呟いて、カトラスを構えてテツを見やる。


「来なさい。あたしだって、早くシュテンのこと追いたいんだから」

「はぁ……ぼかぁ確かに今、シュテンを見送りましたが。ちょいと勘違いしてるんじゃあらんせんか?」

「なに?」

「シュテンを見送ったのは、あいつの啖呵が確かに今証拠を見せつけてくれたからだ。ぼかぁ、喝破するつもりが喝破されてしまいました。なんでまあ、シュテンが行くことを認めたんです。ユリーカ嬢が来たから見送った。それだけ見ればお前さんには、二人がかりは分が悪いから譲ったように見えるかもしれませんが」

「……あたしとシュテンの二人がかりでも、相手出来たって?」

「そんなわけで、シュテンには悪いことしますが。ここで倒れて貰います」

「あはは」


 ユリーカ同様に鎗を構えたテツを見て、彼女は無邪気に笑った。


「シュテンとあたしが組んでも勝てる、かぁ。帝国書院って本当にどうしてこうも横暴なんだろ。魔王軍の名が廃るくらいの勢いね。腐っても同じ"帝国"なのかな」

「魔界地下帝国と帝国を一緒にするなぁ、ちょいとそっちの方が横暴な気もしますが」

「そう?」


 思い返すのは、過去から帰ってきたばかりのある日。

 あの時も、シュテンとユリーカを相手に、背中にIの刻まれた魔導司書が大言壮語と共に襲い掛かってきた。


 確かに最後、二人では勝てなかったけれど。

 だからといって易々と倒されてやるつもりはない。


「さ、仕合いましょうか」

「ええ、二本の鎗と――」



――神蝕現象(フェイズスキル)国士無双(ナラビタツモノナシ)】――


「魔導司書の神蝕現象(フェイズスキル)も併せて、お相手します」

「全力ってわけね。良いわ、あたしもこのカトラスで戦うから」


 車輪転装は使えない。魔素が停止されている以上、自分の武器を新たに生み出すのは無理だ。


 なら、既に握っているこの二つの武器だけで。


「車輪ユリーカ」

「テツ・クレハ」


『いざ!!』


 最初にあったのは衝撃だった。


 轟、と膨れ上がるような風圧。カトラスと鎗がただぶつかり合っただけでは、決してこうはならない波濤のような強烈な覇気の応酬。


 これすなわち、初手から撃滅一閃と、それを強引に叩き落としたユリーカの剣技であった。


「ふっ――」


 流石は車輪か、という言葉は飲み込んで。


「はっ――」


 人間の癖にどれだけ重いのよ、という言葉を飲み込んで。


 さらに剣と鎗がぶつかり合う。

 互いに両の手に一本の得物。カトラスと鎗では、リーチの差で鎗が上回る。

 それでも、一度かいくぐりさえすればユリーカが有利を取れる。


 そうさせないテツの鎗術と、是が非でもこじ開けるユリーカの剣舞が荒れ狂う波のように一合二合と交わしていく。


 その速度たるや常人の目には火花しか見えないほど。

 軽いステップと共に繰り出す攻撃のせいで、足元さえも砂埃に隠れて何も見えない。


 やはりというべきか、押されているのはユリーカだった。


「ちっ」

「……そこ」

「ぐぅぅ!!」


 偉天の一閃。一薙ぎに振るわれたそれをカトラスで受ける。

 二撃目。受けたカトラスを狙って青虹の急襲。左のカトラスでそれを叩き落とす。

 その隙に偉天が回転。受けていたカトラスが軽くバランスを崩す。


 テツ――アイゼンハルト・K・ファンギーニの戦い方はシンプルだ。腕の立ちそうな相手と見るや、撃滅一閃で様子を見る。その時点で八割の戦士が敗北するが、受けた相手に対しては基本的に二本の鎗を使った変幻自在のスタイルで以て"突き崩す"。

 受け手に回ったが最後、一瞬のミスを大きくこじ開けられる形で最後には切っ先を眼前に突き付けられるのだ。


 かの先代光の神子でさえ、テツの鎗には一度敗れている原因がそこである。


「っのぉ!」

「おっと」


 しかし、しかしだ。

 魔界随一の武芸者に、その一辺倒は通用しない。


 バランスを崩されたとみるや、黒翼の二枚を使って軽やかに体幹を修正。たった一瞬にも満たない間に状況を立て直す。魔素が使えない、自身の力も弱まっている状況で、己の技術のみを頼りにテツと切り結ぶ。


「そう簡単にっ」


 偉天を弾き、カトラスでなぞるようにテツの懐へと襲い掛かるユリーカの剣技。

 テツの鎗に対しここまで肉薄出来るだけで、世界にいかほど居るだろうか。

 たとえ歴戦の武者であったとしても、一瞬にしてその技術を丸裸にされるのがオチだというのにもかかわらず。この少女は、すぐさま順応して攻勢に出た。


 それは好手だ。テツに打ち勝つならば、自らが攻めに回らなければならない。

 後手に回ればそれ即ち、鎗術に翻弄されて敗北するだけなのだから。


「負けるもんか!」

「……なるほど、一筋縄ではいきませんや」

「っ!?」


 胸元を切り裂かんと突っ込んだカトラスが。


 何故、宙を舞っている?


 おまけに、眼前にはテツの黒足が餓虎のように迫ってきている。


「くう!!」

「あと一本」


 慌てて残ったカトラスを両手で握り、足と鎗二本を同時に捌き切る。


 しかし、からんと落ちたもう一本を拾う時間はない。

 何が起きたのか。混乱に陥りそうな脳内を、すぐさま整理する。


 あの時、確かにテツの両手の鎗が届かない懐に飛び込んだ。カトラスの切っ先は正面の胸をめがけていた。死角があったとすれば、下。


 テツはあの状況下で、切りかかってきたカトラスの柄を、握った手と垂直に蹴り上げることで綺麗にカトラスをすっぽ抜けるように仕向けたのだ。


 そのまま、上げた足を押し付けるようにユリーカを突き放し、二本の鎗と共に強襲した。


「……なんてヤツ」

「練習すれば誰でも出来まさぁ」

「普通は自分に斬りかかってくる剣を防ぐこともなく蹴り上げようなんて思わないから」

「あー……」


 それはまあ、確かに。

 テツは小さく頷くが、そんな下らない話をしている間でさえこの青年に隙はない。


「ま、今後のために武装解除の練習していたってことで一つ」

「今後のため?」

「もう殺しはしない。そう決めてるんでさぁ。少なくとも、ミネリナ嬢と共に生きている間は」

「……そ、か」


 そういえば、テツは一緒に居る少女と、彼女のために今生きているとか。

 ……お揃いのペンダントも持っていたし。

 ……とっても仲がよさそうというか、お互い信頼しあっているような、そんな関係が。


「隙があるのかないのか分からないんで、それやめて貰えません?」

「へ?」

「嫉妬紛いの視線とそのふてくされた表情と、時たま関係ないところで顔赤くするやつ」

「……顔に出やすい自覚はありますよーだ」

「いっそそれで隙だらけのところを鎗でぶん殴れたらそれはそれで結構なんですが」

「凄いこと言うこの英雄」


 唇を尖らせて、ユリーカはテツを睨んだ。


 手にはカトラス一本。車輪転装は使えない。

 相手は二本鎗の名手にして、世界最強の武者。


「流石に分が悪いなー……」

「……今更でしょうが、聞いても?」

「ん?」

「何故、あそこでシュテンを行かせたんで?」

「ああ、そんなこと? 説明するってほどの理由はないけど、良い?」

「ええ、まあ」


 だだ漏れの好意を見れば、まあ色ぼけた理由だったり、この手の少女が持ちがちな乙女脳宜しく「あの人のやりたいことをやらせてあげればいい」というような下らない理由だったりするのかもしれない。


 衛星宜しく男の周りをくるくる回る、所詮は付属品に過ぎない女だとしたら。

 だったらまあ、確かに聞くのは野暮だった。女ってのは分からない、くらいの適当な結論を取り付けて、さっさと中身の無い無個性(キャラクター)を再起不能にすればいい。


「あの人がね。誰かを助けに行ったら、最後にはきっと幸せな結末が待ってるから」

「――」


 前言撤回。色ボケとか、そう言った程度の話ではなかった。

 そこにあるのは、ただの信頼。どんな状況かすらまるで分っていないのに、この少女は。


「……そんなことを理由に、シュテンを行かせたんで? このあとどうなるかも知らず、どんな状況が待っているかも知らず、シュテンが行きたいから行かせた、と?」

「そうよ。だってあの人、あたしの村を助けてくれた時と、まるで同じ目をしていたんだもん」


 カトラスを両手に握りながら、テツと向き合って彼女は言う。


「堕天使の村は魔王軍に駆逐されるところだった。相手に洗脳の使い手が居ることも、絶望的な戦力差があることも、――大事な友達が敵対するかもしれないことも、分かってた。けど、そんなこと関係ない。全部道理なんかすっ飛ばして、ぶち壊してハッピーエンドの旗を山頂に突き立ててげらげら笑うのがあの人なんだ」


『いいかよく聞けアスパラガス!! コンティニューはなぁ、あきらめない限り何度でも出来るんだよ!!』

『俺のことを、信じてくれてるヤツが居る。なのに、俺が倒れるわけにいかねえじゃねえか。……そうだろう、お前も!!』

『色んな奴らが色んなところで楽しくやって、目的があって、出会って、別れて。俺の旅を面白いって言ってくれた奴らを、面白くねえことで裏切れると! 俺がそう出来ると思ってんのか、テツ!!』


 ああ、まったくあいつは。あんな無茶苦茶なことを言った挙句、すぐにそれを証明するような子を目の前に置いていくなんて。


 あんまりじゃ、あらんせんか。


「――信じてるんで? シュテンのことを」

「別に? 信じてるとか信じてないとか、そういうのはあんまり考えてない」


 でもね。


「普段くだらないことばかり言ってるあの人が、何かに向けて走り出したら。あたしは背中を守ってあげたいの。魅せられちゃった、あの背中を」


 ――あたしの初恋……あんただったみたい……。


 あの時そう思ったのは、守ってくれた大きな背中。全てを打ち破る強い背中。

 強いとか弱いとか関係ない。悲しいことがあったら全部吹き飛ばす。


「そんな鬼神の浪漫譚を、あたしは見守っていたいんだ」

「……ふぅ」


 ああ、シュテン。きみってヤツは本当に。魔王軍だとか、帝国書院だとか関係なく。

 とんでもない人たらしで、とんでもない理不尽で。


 ほんっと。愉快なヤツだ。


「どうしても通すわけにはいかなかったんです」

「シュテンがそれでも行くことくらい分かってたんじゃない?」

「そりゃあもう。だから止めた。そしたら言うんです。自分は信じちゃいないが、自分のことを信じてくれてるヤツは裏切れない。面白いって言ってくれた人たちを、面白くないことで裏切ることだけは絶対にしないって」

「あの人らしいね」


 楽し気に。相対しているにもかかわらず、似つかわしくない表情でほんわかと微笑んだ。


「……まあ、通してしまったことは仕方がない。おかげですっきりしました」

「あたしも通してくれるわけじゃないんだ?」

「冗談を。魔族に直撃するあの魔導の前に、何人も強力な魔族を通してたまりますか。ユリーカ嬢が帰ってシュテンくんの帰りを待ってる奥様になるってぇなら、話は別ですが」

「それこそ冗談。さっきも言ったでしょ。待つだけなんて、い・や」


 さいですか。

 ごめんね。


 次の瞬間、もう一度テツの姿が掻き消えた。


 単純な刺突。ユリーカは冷静にカトラスを最小限の動きだけで最速にまで到達させ、勢いよく鎗を打ち払う。同時、突き崩す二鎗目。これもユリーカは軽く弾いた。三、四、五、六、七、八。こんな時、大剣があれば強引に叩き落とすこともできるのだが。

 ないものねだりをしても仕方がない。


 一本に減ったカトラスは、防戦一方だった。

 それでもすぐさま崩されることなく、最適解を出し続ける沈着な対処で全てを捌ききる手腕は流石車輪というべきか。だがそれも、二本の運用を基礎とするカトラス一本ではそう長くない命だった。


 ばきん、と鈍い音とともに、テツの鎗がカトラスの中点を突き穿つ。


「うそっ」

「この状況下で魔素を素体にした武器がよく持ったと思いますが……それまでだ」


 テツがくるりと鎗を回転させると、そのままカトラスは砕け散った。


 得物を失った以上、もう彼女に出来ることはない。

 テツがそう思い、ここで初めて油断した。


「はあああ!!」

「っ!? どこからそんなものを!?」


 逆転の一撃は、しかしテツの眼前を通過するに終わった。

 改めてテツが見れば、彼女の手にはいつの間にか二本の棒が握られている。


「そ、れは」

「きみが蹴り上げたのを見て、地面に転がったものを蹴り上げるくらいならすぐに出来ると思ったの。……だからこの場所に移動してた。もう一本のカトラスを取りにいくと思ったでしょ?」

「……シュテンくんが置いていった、棒……」 

「正解。共同作業なのだ! ……シュテンと二人でも簡単に、なんて言わせないんだから」

「ふぅ……そんな棒二本でぼかぁ戦える相手だと思われてるんだとしたら、心底心外で」

「……得物がないよりマシだから」

「さいですか」


 テツの攻勢が強まる。

 打ち交わされる金属音。


「っ」

「得物としての強みが殴打しかないその棒が二本あったところで、どう捌けば攻撃になるのかは見透かせる」


 一合、二合、三合、四合。

 火花の飛び散る剣戟の嵐。

 明確な劣勢にあってしかし、ユリーカからは一切の闘志が失われていなかった。



「それでも、関係ない。あたし、あの人と一緒に戦いたいだけだからっ!」

「なんつー……」


 今度こそ、勢いよく棒が弾かれた。

 むなしく地面に転がった棒と、幾重にも刻まれた無数の切り傷。致命傷だけは避けているのは、ユリーカのなせる業というべきか。


 だが、結末はそううまくは行かない。


「……これで、仕舞いです」

「……うん、あたしの負け」


 目の前に突き付けられた偉天を眺めながら、ユリーカは小さく呟いた。


「……ねえ、アイゼンハルト」

「なんでしょう」

「シュテンが、向かったとしてさ。足止めのためにあたしはこうして戦ったけど。貴方はどうしてここに居るの?」

「……」

「こんなところで、何してんのって聞いてるんだけど」

「お前さんが行けば、さらにろくなことにならない。そういう理由で」

「……あたしが暴走しようが、貴方ならどうとでも出来るとしても?」

「……」

「あたしが暴走した時の、シュテンの心配でしょ?」

「……ユリーカ嬢」

「……何がアイゼンハルトよ。貴方はもう、テツ。ただのテツでしょ。貴方は、友達が利用されるのが嫌で戦っただけ。……あんたが肩を並べてやれば、それでいいの。嫉妬しちゃうけどさ」

「お前さんは」

「あたしはもう、負けたからしばらく動かないで居てあげる。これで無理やりついて行ったらただのお荷物だし。だから……行きなさいよ」

「……っ。ありがとう」

「ぼろっかすにされてお礼言われても悔しいだけ」


 ゆっくりと、鎗が降ろされた。

 くるりと背を向けたテツは、行くべき場所をしっかりと見定めているようで。

 最後に、声が聞こえた。


「カテジナにも届くかもしれない、良い剣だった」


 それだけ言って、テツは地面を蹴った。

 消え去るようにいなくなってしまった彼が居た場所を、ユリーカはぼんやりと見て。


 ため息交じりに、空を見上げた。


「……慰めになってないわ。男の子って、バカばっかりなんだから」












 ――鎮めの樹海内部。広場周辺。


 地を駆ける四つの影と、その上を走る一つの影。


 前衛の二人が行く先を蹴散らし、援護をしながら中心の青年が次々に指示を出す。

 遠見は木々の間を走る少女に任せ、適宜最後尾を走る少女が細かな回復や援助を行っていた。


「なんだかすごい良いチームだね!」

「……不思議と、バランスが取れているな」

「クレインが範囲攻撃、リュディウスが高火力、バッファー兼デバッファーが居て忍を置くことで穴を埋める。僕がいなくても良いチームだが、少々みんな視野が狭い。しばらくは僕がそのあたりをカバーすることにしよう」

「助かります!」

「――流石は魔導司書と言ったところか」

「いや魔導司書は関係ない。僕だからだ」

「それ自分で言うんだこの人……そういう人だったんだ……」

「魔導司書は団子ばかり食べる子供だったり、少々頭部に不安を抱えたインテリヤクザだったり、帝国フェチだったり、田舎娘だったりトイレちゃんだったり裏切り者だったりと少々幅広くてね。指揮をとれる人間は僕ともう一人くらいしか思いつかない」

「最後の方なんか色々ツッコミが追い付かないから待って欲しい」

「ねえ、そのインテリヤクザってデジレのこと? 串刺しにするよ?」


 やいのやいのと会話しながらも、その手が、その足が、その動作が止まることはない。


 ジュスタの「こっち!」という声に従って駆けることしばらく、とうとう彼らは目的の場所に辿り着いた。


 ――鎮めの樹海内部。荒れ果てた広場。


 クレインたちが到着した時には既に、酷い有り様だった。

 大地は抉れ、土煙が薄く舞い、生命の息吹が途絶えた樹木が山と成す。


 その中央で、おどろおどろしい覇気を垂れ流しにする謎の化け物が居た。

 

 黒い。

 禍々しいまでにどす黒く、渦を巻く穢れた覇気。

 目にしてすぐに、"強大"であることがわかる。

 目にしてすぐに、悪しき者であることがわかる。


 あれは、いったい、なんだ。


「っ、第八席!!」

「ぃ……ぁ……」


 四人が中心の化け物に目を奪われる中、冷静に周囲の状況を確認していたグリンドルは弾かれたように飛び出す。折れた木に背中を預け――否、そうではない。

 おそらくは吹き飛ばされて背中からこの木に殴打。むしろその時に木が折れたのだろう。

 こんな太い幹を持つ大樹が。


「第八席がこんなことに……じゃあ、第三席はっ」


 轟音が鳴り響く。

 直後、風圧。グリンドルは同僚を庇うように丸くなり、顔だけは風圧に抗って下手人の方へと振り向いた。いったい、何が。


「んっんー! いいなあいいなあこれは良い! 魔導を行使することよりも、大地の神と十巻抄の相性が良かったということかァ!!」

「ルノー……?」


 広場の中央から少し離れた空中に、見知った顔があった。

 緑の髪を整えた高貴な振舞いの際立つその男。

 しかし、グリンドルの予想は惜しくも外れていた。アレは元同僚のルノー・R・アテリディアでも、ましてやグリンドル自身も討伐に一役買ったルノアール・ヴィエ・アトモスフィアでもない。十三武錬不敗の巨塔――否、十三武錬無謬の靠立(こうりつ)によって作り出した群体の原典。


 彼の抱えている巻物のような物品こそが、眼前で暴れている化け物を制御する十巻抄であろう。


 化け物はしかし、ただ暴れるのみだった。


 敵がいないのであれば都市に進めばいい。クレインたちが邪魔なのなら、殲滅すればいい。しかしそのどちらでもない。あの鬼神の行動は、しかし一人の童女に集約されていた。


「あっ、あああああああああ!!」

『ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』


 咆哮し、得物の斧で殴りかかる鬼神はまるで嵐だ。周囲を強烈な風の刃で武装し、近づくことさえ許さない。でありながら自らは接近して斧を振るうというシンプルな攻撃に出るせいで、相対する相手はただひたすらに回避を強いられる。斧に当たらずとも、あの男の近くに居るだけで死は免れないようなそんな状況。


 ――神蝕現象(フェイズスキル)【大地に恵む慈愛の飽和】――


 しかし、その中にあって。

 彼女は番傘を死に物狂いに振るいながら、戦いにもならない蹂躙を一身に受け続けていた。


「第三席!!」

「ぅううぁあああ!!」


 そう、攻撃はすなわち一撃をもって死に直結する。

 眼前の童女に明確な攻撃手段はもはやない。


 天照らす摂理の調和は失った。残るは原初の"皆を助けたい"という意志が顕現した大地に恵む慈愛の飽和。だがそれで、目の前の敵と戦うことなどできやしない。


 出来ないのなら、確かにやり方はある。

 だが、彼女の隣に誰かが居れば、誰もが止めるであろう方法で。



 迫る。

 嵐が迫る。強靭にして屈強、暴風の鎧まで纏った鬼神が迫る。

 ヤタノはそれを避けない。否、どのみち避けられない。まともに武術を習ったわけでも、身体に恵まれたわけでもない童女が、迫る斧を回避する手段など持つわけがない。


 当然、思い切り、その斧をその身に受ける。

 あっさりと、バターに熱したナイフを刺すがごとくどろりとその肩に斧が突き刺さる。

 苦悶に歪む彼女の表情。しかし、その瞬間"力"が巻き起こる。


――神蝕現象(フェイズスキル)【大地に恵む慈愛の飽和】――


 大地に恵む慈愛の飽和は、受けた傷を癒し、その絶対値分の疲労、精神ダメージを相手に強要する魔導だ。誰かのために、傷つける誰かを滅ぼす。その摂理に従い起こる神の干渉。


 それを、一対一で行えばどうなるか。


 無論、その矮躯に攻撃を受け続けるしかないのだ。


「第三席! 何をしている!! そんなことをすればッ」


 貴女は、せっかく取り戻した心を壊してしまう!!

 声にするよりも早く、グリンドルは自らの神蝕現象(フェイズスキル)を放っていた。


――神蝕現象(フェイズスキル)【大いなる三元素】――


 赤の球体がすぐさま鬼神へと襲い掛かる。勢いよく爆裂したその力はしかし、鬼神に大したダメージは与えられていないようだった。


「くっ……!」


 白の球体はいまいち役に立たない。しかし、この緑の球体があれば己の力は増し続ける。


――神蝕現象(フェイズスキル)【大地に恵む慈愛の飽和】――


「なっ……第三席、聞こえているのか!!」


 だが、鬼神の猛攻は止まらない。

 ヤタノめがけて切り付けられた斧の一閃。無力にもヤタノはその着物をボロ布にしながら、鮮血を舞わせてしかし鬼神を見据え続ける。


 おそらく――グリンドルが察した通りもう殆ど何も聞こえていないに違いない。

 援軍が来るまでか、それともこのままずっと釘付けにするつもりだったかは分からないが。それでも彼女の選択は、きっとベネッタにとどめを刺されないための献身だったに違いない。


 だが、それも今までのこと! 非力かもしれないが、自分たちが来たからには。


 鬼神が斧を振り上げる。

 今度こそヤタノを止めるため、グリンドルが駆けだしたその時だった。


『ぐぉおおおおおおおおお!!』

「……クソが、重い、な」


 ヤタノと鬼神の間に、大薙刀を握って立つ男が一人。


 しとどに垂れ流す鮮血。モノクルは無残に破損しており、コートも下半分が失われてぼろぼろだ。

 しかしそれでもはっきりと見えるIIの文字と、攻撃を防ぎきった健在の大薙刀。


「……デジレ」

「グリンドルのヤツが必死こいてテメエのこと呼んでたぞ。……ああクソ、気が付いたらほぼ詰みじゃねえかこの状況。ごふっ……」

「デジレ、下がりなさい。体内の魔素が足りていません。今、補助を」

「テメエもほぼガス欠だろうが。自分の回復を優先しやがれ」


 鼻で笑って、デジレは大薙刀でもって斧を弾いた。


 デジレの言ったことは事実だった。単身でひたすらに鬼神を抑え込んでいた以上、神蝕現象を連発することでしか戦いはまともに成り立たず。現にヤタノも足元がおぼつかなくなってしまっている。

 体力が回復出来たところで、魔素が足りなくなればそれは身体に必要な要素が足りないのと同じこと。欠乏するのが酸素であろうが魔素であろうが死につながる。


 つまるところこの状況は、じり貧の詰みだった。


『ぐぉおおおおおお!!』

「はっ、来な。あいにく、斧の相手は慣れてんだよ」


 薙刀を構えるデジレ。しかし、よろりと足元から崩れる。


「ぐっ……情け、ねえなクソが」

「デジレッ!」


 ――神蝕現象(フェイズスキル)【大地に恵む慈愛の飽和】――


 神蝕現象(フェイズスキル)を使用してデジレと自身の傷を癒し、ヤタノの足もぐらついた。


「だから言っただろうが!!」


 足は何とか動くようになったデジレがヤタノを庇うように立ち、鬼神の攻撃を受け止める。が、当然それは武器を防いだにとどまる。鬼神の纏う暴風までは抑えきれない。


「ぐっ、あああああああああああああ!!」


 踏み込みの一撃。

 ヤタノと共にデジレは弾き飛ばされた。


 もんどり打って地面を何度か跳ね、そうしてようやく落ち着く。

 ふと見れば、ヤタノは既に倒れ伏して沈黙していた。

 ただ死んでいないことだけを祈りつつ、デジレは立ち上がる。


「おおおおおおおおおおおおおおお!!」

『ぐぉおおおおおおおお!!』


 並々ならぬ剣戟の大嵐。

 その全てをしかしデジレは受け、避け、弾き、凌いでいく。


「てめえがその暴風でオレを攻撃するってんならッ……!!」


 残る魔素は殆ど無い。

 ガス欠の状態で、近くにはあと一撃受ければ確実に死ぬであろう同僚がいる。


 ――いつか、己の命を救ってくれた相手が。


「……はっ、最後にテメエを庇ったんだ。これで貸し借りゼロってことでいいな」


 結局、一度も礼は言えなかった相手。


 だが、まあいい。これで守れるのであれば、別に。


 デジレはふらつく脳内でそう自己完結し、大薙刀を振るった。


 ――神蝕現象(フェイズスキル)【清廉老驥振るう頭椎大刀】――


「おおおおおおおおおおおお!!」

『ぐ、おおおおおおおおおおお!!』


 ありったけの魔素を消費し、代わりに相手の魔素をも削る強烈な一刀。


 振るえばあの纏った暴風の鎧すら紙のように切り裂くであろう一撃。


 その一刀を、デジレは全力で"振り切った"。


『ごああああああああああああああああああ!!』


 吼える鬼神から鮮血がほとばしる。

 返り血を軽く拭いつつ、しかしその瞳は油断なく鬼神を見据え――


『ご、あああ……』


 大きくよろけた鬼神は、そのまま背中から倒れていった。


「……ぐっ」


 同時、デジレの方にも限界が訪れる。

 がっくりと膝を着き、荒い息を吐き出して。


「クソが……限界も限界じゃねえか」


 よろけながら、隣でくたばっている童女を抱き起そうとした、その時だった。


『ぐぉ』

「んっんー、鬼神の生命力を舐めるとは、随分だなあ!」

「る、ルノアールッ……!!」


 振り向いた。

 眼前には、既に暴風で武装した鬼神。


 振られるは斧。


 このままヤタノをやられるわけにはいかない。

 なれば、最後は。


 身を挺して庇いだてしようとしたデジレは、だからこそ次に起こったことに理解が出来なかった。



「……なっ」

「きゃあああああああああああああああああああああ!!」


 飛び込んできたのは、少女。


 デジレと鬼神の間に割り込んで、両手を広げて彼を庇った。


 散った生暖かい赤の液体が。


 べっとりとデジレの頬に張り付いた。

 

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