第十話 リバーサイドステーションI 『エンカウントI』
――王国は南東。ボールズ・ルインズー王都間魔列車停車駅"リバーサイド"。
王国の魔列車には、それぞれ一つずつ停車駅が存在する。
北のローラント、西のツァーリスからくる列車にはマウンテンサイドステーション。
そして、南のボールズ、東のルインズからくる列車には、リバーサイドステーション。
いずれもちょうど街と王都との中間あたりに存在する駅で、それなりに賑わっている街があり、王都と中枢都市への連絡が楽だという理由から定住する人間も少なくない。
とはいえ、単純に魔列車の値段がそう安くないことと、逆に魔列車以外での交通手段が殆ど存在しないことから不便を感じる人間が多いのか、そこそこの規模以上には街が発展しないのも事実であった。
さて、そのリバーサイドステーション。
東の街ルインズから魔列車に乗ってきたクレインたち光の神子一行の目的地は、王都ではなくこのリバーサイドステーション――ないしはここから向かえる鎮めの樹海と呼ばれる大森林であった。
もっと言えば、その中にある旧火山と呼ばれる火山地帯だが。
リバーサイドステーションは東の街ルインズの駅と比べるべくもないほど簡素なプラットホームと駅構内の仕上がりなのだが、それでもそこそこの規模を誇る街だけあって、一つ一つのサイズ感はかなり大きいものだった。
プラットホームは人が五十人以上並んでも平気なほど幅員があるし、駅から街への出口も二十を超え、一つ一つの改札に備え付けられた自動改札は平気で三十を超える。
それでも地方都市より少なめというのだから、魔列車の影響というのは計り知れない。
さて、そのリバーサイドステーションには、普通の乗客が通ることのない出口があった。
べつに、VIP待遇とか駅員用とかそういうことではなく。
"軍用"出口である。
「外の駐屯基地に集合せよ! 急ぎ足!」
男の大きな声と、走り抜ける兵士たちの足音。
ばたばたばたばたと、無言であるはずなのに響く騒音のせいで、クレインは隣のハルナが何を言っているのかすら聞き取れないような状態。
慣れた様子なのはリュディウスただ一人で、その彼は険しい顔をしてその声の主の方へとぐんぐん進んでいく。致し方なしに着いていこうとしても、通行の邪魔にならない歩き方など二人の田舎ものが理解しているはずもなかった。
「ねーねー! いったい何事なのー!?」
「わかんない! けどたぶん王都から来た魔族討伐隊じゃないかな!!」
「豪鬼討伐ってこと!?」
「たぶん!」
数百、数千の人間が隊列を組んで走り抜けていく目の前だと、とてもではないが大声を出さねば言葉は通じない。
せっかく魔列車の乗り心地が良かった話とか、王都への切符はいつ買おうかとか、そういったとりとめのない話をしたかったハルナは既にご機嫌斜めだ。
とはいえ。主目的である旧火山行きの話が既に目の前で動こうとしているのなら、自分の都合で話をしている場合でもない。それは彼女も分かっていた。
さて、あちらはどうなっているかなとクレインがリュディウスの方を窺えば。
雑踏の向こうで、トップらしい男と会話しているのが垣間見える。
「申し訳ありません王子。このような場所で」
「いや、構わない。それより彼らは王都より派遣された旧火山の豪鬼討伐隊ということでいいのか?」
「はっ。しかし一つ問題が発生いたしまして、そちらの対処に先に回ることになりそうです」
「問題?」
「はい。なんでも、南の街ボールズから来た魔列車に魔族が侵入していたとのことで。現在その魔族共はリバーサイドステーションで降りて鎮めの樹海方面に逃走したとのこと。これを先に処分すべきという方向で動いております」
「南からの魔列車……?」
少し考えたが、別に心当たりはない。
鎮めの樹海に向かったというのなら、旧火山への途中でどのみち通ることになるだろう。
そういうことならと一つ頷いたリュディウスは、武官の方に向き直り。
「よし、それでは同行しよう」
「は、は! リュディウス王子が合流してくださるということであれば、士気は何倍にも膨れ上がりましょう!!」
一部始終を観察したクレインは、無言でハルナを見て。
「なんか、軍に同行するみたい」
その言葉は雑踏に掻き消えて、ハルナは聞き取れず首を傾げた。
――王国南東。鎮めの樹海。
夕刻も日没に差し掛かった時間帯。
鎮めの樹海と呼ばれるこの大森林は、"大森林"としてイメージされるような森ほど鬱蒼とした森林ではない。比較的木々の間隔は広く、木の根が足元を脅かすこともない。ちょっと耳を澄ませば川のせせらぎが聞こえ、日中は木漏れ日が旅人を照らすような大自然の良さを集めたような大森林だ。
大森林、樹海、そう呼ばれる理由は比較的単純で、酷く広いという一点に尽きる。
この森はリバーサイドステーションより南方に、それこそボールズに届きかねない距離まで広がっている大森林だ。魔列車は半日かかるような場所を繋ぐというのに、そこがすべて鎮めの樹海と聞けば、おおよその距離は把握できることだろう。
帝国と公国の境にあるハナハナの森の、およそ百二十倍は規模が大きい。
その関係から住む場所を追われた魔族などが好んで逃げ込んできたりもするが、それらは通報が入る度に王都から討伐隊が組まれ、排除されている。
故に、旧火山で突然豪鬼たちの群れが発見されたと聞いた王宮議会はそれこそ寝耳に水だったことだろう。いつから彼らが生息していたのか、一切の情報がなかったのだ。
そして、連絡が入ったかと思えば多くの都市に出没し被害を出しているとくれば、討伐に出ない理由もない。
そういうわけで、今、数百からなる王国は聖竜騎士団の精鋭部隊が、こうしてやってきていたのである。
「しかし、王子殿下が魔列車でご旅行に出ておられるとは」
「まあ、少しな」
聖竜騎士団が鎮めの樹海を進む道中、先頭を二つの馬が闊歩していた。
馬上には王国王子のリュディウスと、この騎士団の団長である男。
当然、突然現れたやんごとなきお方であるリュディウスを先頭に置くことには置くが、団の指揮権は有していない。そういうわけでの、この配置であった。
ちなみに、同盟国の重要人物である光の神子はともかくとして公国のなんかよくわかんない少女の扱いに困った聖竜騎士団だったが、リュディウスの指示で馬を用意させ、クレインとハルナには二人乗りをさせている。ハルナは一人で馬に乗れない。
リュディウスたちから馬一つ分離れた後ろから、クレインとハルナはリュディウスたちの話を聞いていた。
「さて、団長。旧火山に居るという豪鬼たちを討伐しに行く、ということで良かったのか?」
「はい。道中でその南の街からやってきたという魔族を発見し、これを討滅。その後、旧火山に向かう形になります」
「ちなみに、その南から来た魔族というのは……たとえば、そう。着流しの妖鬼ではなかったか?」
「着流しの妖鬼?」
流石にそれはないか、と自分でも考えながら、リュディウスはそんな話を団長に振った。
とはいえ、一度確認しておかなければならない。いかに魔族と何度も相対してきた自分でも、あのレベルの相手と戦うのは――というよりも、あの男と事を構えるのは御免だ。
いくらか世界を回ったが、魔族においてあれほどの手合いはもう殆ど残っていない。
アイゼンハルト・K・ファンギーニやランドルフ・ザナルカンド、アレイア・フォン・ガリューシア。または、アスタルテ・ヴェルダナーヴァやヤタノ・フソウ・アークライト。などといった怪物に、軒並み強者は狩られたといっても過言ではないのだ。
だからこそ、あの妖鬼だったらまずいとリュディウスは思う。
普通に考えて、魔族弾圧の激しい王国に妖鬼がやってくるはずもないのだが。
あの男のことだ、「まれっしゃのりたーい」の一言だけで王国に乗り込んでくる可能性は捨てきれない。
しかし、団長は答える様子がない。まさかと思って彼の方を見ると。
「着流しの妖鬼……確か最近公国の冒険者協会が特級討伐魔族に指定した魔族でしたか。いや、それではありません」
「なんだその情報初耳だが」
「え? 違うのですか?」
「……ま、まあともあれ、その妖鬼ではないんだな」
「ええ。いや、特級に指定されるような魔族を相手取るとしたら、流石に旧火山の片手間というわけにはいきますまい」
少なくとも、あの法外なでたらめさを持つ妖鬼を相手にするのではないと知ってリュディウスはほっと息を吐いた。
「や、しかし王子が陣頭に立ってくれるというのは、やはり気合が入るものですな。我々も目指すところは近衛です。王子に見込みありと思っていただけるかどうかで、進退が決まるというもの。どうかぜひ我々の活躍を見届けていただきたいものです」
「……戦闘については一向にかまわないんだが」
馬に揺られながら、リュディウスはふと思ったことを口にする。
敵対者が妖鬼でないと分かったなら、敵に関しての懸念は一つ減った。
しかしそうなると今度は味方の心配が首をもたげる。
「その魔族をどうするつもりだ?」
「どうすると言いますと?」
「いや、討伐するのかと」
「何をおっしゃいますやら!」
とんでもない! といった様子で団長は首を振った。
そして、当たり前のように続ける。
「魔族の使用法なんて一つじゃないですか」
「お前たち……!」
寒気を感じたリュディウスは、正気なのかと瞠目する。
「まさかとは思うが魔狼部隊のことか……?」
「さようですが……」
「きみたちには、人としての倫理はないのか!」
「……と、申されましても王国の方針ですし。王子様がかようにお怒りになる理由が分かりません」
「なんだと……!?」
ここまで。ここまで、魔狼部隊という悪しき風習は慣例化してしまっていたのか。
自分の知らない間に起きていた王国の事実を前に、リュディウスは一瞬言葉を失う。
つい怒りのままに声を出そうとして、それよりも先に背後からかかる明るい声色。
「ちょおっと待ったぁ!」
「ハルナ、きみ乗馬できないんだから大人しく!」
慌てて馬を静止させようとするクレインと、適当に手綱を叩こうとするハルナのコンビだった。何事かと眉を顰める団長とリュディウスの間に割って入ったクレインの馬。その一瞬で冷静になれたリュディウスが礼を言うべきか迷っていると、ハルナが小声でぼそっと告げる。
「広く薄くだけど、この人たちから魔素の反応。彼らに今何を言っても意味ないよ」
「っ……つまり」
「王都の方で刷り込まれてる可能性があるってこと」
「……」
それは、あまりにやるせない通達だった。
精錬術士のハルナには、読める魔素の流れがあるのだろう。それは今までの旅で証明されていることだ。彼女が王都に向かわねば意味がないというのであれば、そうなのだろう。
しかし、と思う。自分の祖国が、こうして今良いようにされてしまっている悔しさ。
今誰にもぶつけようのない怒りが、リュディウスを苛む。
周囲を見れば、魔族を討伐することに対して"恐怖"や"勇気"といった感情は皆無に等しく。その代わりにあるのは、功名心と魔族に対する軽蔑のみ。
願わくば、その魔族がせめて安らかに眠れるように。
リュディウスはひっそりと剣に誓う。討伐するのなら、この手でその場で。
「いたぞー!」
その時だった。リュディウスたちの後方すぐそこに居た兵士が、南西の方角を指さして叫ぶ。団長の「よし、一歩も動かすな!」という声と同時に射かけられた矢の雨。
統率力があるのだろう、普段から訓練も相当こなしているのだろう、団長の一声と共にその魔族の方へ殺到する騎士たち。
身をひるがえすように団長がリュディウスに声をかけた。
「さあ、我々も参りましょう!」
「あ、ああ」
木々を回避しながら、リュディウスも馬を駆る。
さあ、どんな魔族なのだろうか。いずれにしても、自分がせめて最期をみとる覚悟で、リュディウスは馬と共に騎士たちの頭を追い越していく。
そして、その先で見たのは。
「――あー、来ちゃったかー」
高い、それでいて聞き心地の良いソプラノボイス。
「別に悪さするつもりはなかったんだけど……どうしても、やる?」
背中に三対の黒翼を展開した桃髪の少女が、退屈そうな瞳でこちらを見やっていた。




