第一話 アイーラ国境橋 『プロローグI』
※纏めて四話投稿されています。ここからお読みください。
第八章を始める前に、ちょいと謝罪をば。
更新時間が空いた癖、さも当然のように七章以前(1~6章)の伏線を回収しにかかります。
一応回想的な感じで補足は入れるつもりですが、ぽかんとしちまったら申し訳ない。
それから、第八章の更新スケジュールを活動報告に掲載しております。宜しくどうぞ。
――帝国は帝都グランシル帝国書院本部書陵部司書長執務室。
あの日、魔導司書新第二席デジレ・マクレインは第一席アスタルテ・ヴェルダナーヴァに呼び出しを受けていた。共和国へ出立命令が出る少し前、第二席に就任してすぐ後のこと。
夜の帳は落ちてもう暗く。煌々と室内を照らす明かりは、腰かけたアスタルテとその向かいに立つデジレの間のデスクにあるカンテラだけ。
まさかこれで帝国書院印で出品する新作ケーキのコンペティションの話でもあるまいと、呼び出された理由を無言でデジレは催促した。
「さて、こんな時間に呼び出してしまって申し訳なかったね。きみも研究院の引継ぎなど諸々、仕事はあるだろうに」
「分かってて呼び出したんだったらとっとと用件を喋れ。仰々しくも蝋封で手紙寄越したんだ、よっぽどのことなんだろクソが」
切り出したアスタルテの呑気な挨拶にも、挨拶がわりの悪態で応対。
そんな彼の態度を予想していたのかそうではないのか、アスタルテは小さく意味ありげな嘆息と一緒にデスクの上に一本の書を取り出した。
くるくると丸められたその紙は、それこそ広げれば会議室に張り出す地図くらいのサイズはあるのではなかろうか。巻かれた上から、ご丁寧に赤いリボンが括り付けられている。
「……で?」
「元はと言えばキミのものだ。開けたまえ」
「……」
無造作にリボンを解く。そのまま床に放り棄てられたことにアスタルテは悲しそうな顔をしたがデジレは一切気にしない。どうせあれだ、ケーキ箱に巻き付けるためのリボンの新作か何かだったのだろう。相手の自慢に付き合っているヒマなどない。
果たして開いたその紙にあったのは、見覚えのある筆跡で書かれた論文であった。
というよりも、以前デジレ自身が執筆した、"超高密度不定形魔素結晶の有用性と、それに伴う危険性について"という表題の、例のアホ妖鬼と取り合いになっている物質について書いたもの。
これを執筆者の自分に見せて、いったい何だというのか。
胡乱げな目でアスタルテを見れば、彼は顔の前で手を組みデジレを見上げて。
「この分野には詳しくないのだが」
「やめろその学会で発表者を突く他分野の権威みてえなノリ」
「これでは確かに人間には取り込めないだろう。だが、かといって、そう。ヤタノのような場合ならば上手くすれば取り込めなくもない……と思うのだがどうだろうか」
「無理だな」
「ほう?」
デジレはそのモノクルを少し位置調整しつつ、アスタルテに目を向ける。
「具体的にテメエが何を考えてるかは知らんが、やめておけ。アレはそもそも"ベース"が人間である時点でアウトだ。天下無双のアイゼンハルト・K・ファンギーニでさえ、あれを吸収した瞬間に爆発四散するだろうよ。だがアスタルテ、テメエなら話は別だ」
「……現人神だからか?」
「そういうことだ。論文にも書いたが、ありゃ"神に近ければ近いほど"数を取り込める。その点、テメエにとっちゃ有益だろうよ。ま、とはいえテメエの場合は逆に"ベース"が現人神なだけで半分は人間だ。二つも取り込んだらその時点で暴走してもおかしくねえ。数値的にはそう……67%弱の可能性で体内の魔素が暴走し死に至る」
「"ベース"が人間でないから、か。……そういうことか」
「……あ?」
なにがどう"そういうことか"なのか。いまいち要領を得ないアスタルテの発言にデジレの片眉が上がる。
「いやなに、大したことではないが。キミを第二席に昇格させたことは間違いではなかったなと思っただけだ」
「はっ、笑わせんな。オレだってこんな風に意味もなく強くなってしまうとは思っていなかった。神秘の珠片、とかなんとか、あのクソ妖鬼は呼んでたか。アレは結局、どこで手に入れられるものなのか……いまだに良く分かってはいない」
「分かった。次の任務があるまで、研究院に戻るといい。詳細はまた連絡しよう」
「そうさせてもらう」
踵を返すデジレは、ひらひらと手を振って扉の前へと戻っていく。
その背中に刻まれた文字はII。
ふと。アスタルテはその背中に声をかけた。
「デジレ」
「あ?」
「――死んでくれるなよ」
「それこそまさかだ。しかし、第二席にテメエがそれを言うのか。お互い、お笑い種だな」
――帝国と王国を繋ぐ国境の大橋、アイ―ラ国境橋。
その帝国側の関所の前で、佇む一人の青年が居た。
潮風にはためく黒のコート。背に負ったシャープなデザインの大薙刀。
デジレ・マクレイン魔導司書第二席。彼は今、共和国での任務を終え、帝都に戻る途中であったのだが……諜報部からの連絡により、このアイ―ラ国境橋まで内密に来るようにとの命令を受けていた。
そんな彼は今、到着したその国境橋の前で、胸元から下がったペンダントのような懐中時計に対し何事かを呟いている。
「ああ。……そうか、分かった。それで? ……了解した、第一席にはすぐに向かうと伝えておけ。……ああ、宜しく頼む」
懐中時計を懐に仕舞ったデジレは、一つ息を吐いて橋の対岸を見やった。
なるほど、わざわざ帝都を経由させずにここに直接送り出されたのは、そういう理由からか。納得した表情で、一歩を歩きだす。
「で、連絡では何だって?」
と、そんな彼の隣を当たり前のように進む少女の姿があった。
帝国で新調した黒の軽装に身を包んだ彼女は、多少露出は多いが"忍"としての風格あるいでたちとなっている。
――ジュスタ・ウェルセイア。本来、ある妖鬼の知る正史では今頃光の神子たちと共に魔王を討伐する旅をしているはずの、一番年下の少女。
しかし彼女は故あってデジレと共和国に同行し、その先で多くの壁にぶつかり……歯を食いしばって進んできた。
なんとなれば一番大きな"壁"は目の前の青年であったりしたのだが、今では子供じみた視野の狭さも感情的な行動も少なくなり、デジレにも遠慮のない付き合いとなっている。
「……ルノアール・ヴィエ・アトモスフィアの死亡が確認されたらしい」
「あーっと。それで?」
「その代わり、第七席ルノー・R・アテリディアが本性を現し、魔導具"十巻抄"を書院宝物庫から奪取して逃走、そのまま王国に消えたそうだ」
「……ルノーとルノアールに何の関係が?」
「アスタルテのヤツ曰く――第一席曰く、同一存在の分体らしくてな。泳がせておいた甲斐があったと笑っていた。オレたちが任されたのはルノーの討伐。王国に出向き、ルノー及び"払暁の団"と名乗る反社会組織を壊滅させろ、だとさ」
「たち?」
「第三席ヤタノ・フソウ・アークライト、第五席シャクティ・ヴィクムント、第八席ベネッタ・コルティナ、第十席グリンドル・グリフスケイル。オレを含めて魔導司書の半分が駆り出される事態だ。余程のことなんだろうよ」
「ふへー」
頭の後ろで手を組んで、足を投げ出すような呑気な歩き方のまま、ジュスタは大きく息を吐いた。その表情にはありありと不満が浮かんでいる。
「……テメエの気持ちは分かるが」
「あれだけのことされて、ルノアールは死んじゃいました! って聞かされたらそりゃあやるせないよ! シュラーク首長にしたことだって、まだ……」
唇を尖らせるジュスタ。彼女の言いたいことは、分かる。
少し前に共和国で起きた諸々の事件。
彼女はゴルゾン州の忍たちとレイドア州の忍たちの抗争に巻き込まれる形で事件の渦中に居た。
シュラーク首長というのは、オルドラの忍たちを締め上げ、狂化魔族を使った部隊を作り、帝国に復讐しようとしていた男ではあった。
だがそれでも彼は、帝国に弾圧された共和国を復興するために必死で戦っていた。
……結局それも、"共和国は帝国に弾圧されている"という嘘八百をルノアールの精神操作によって信じ込まされていただけではあったにせよ。それでも、ただの悪いヤツだと思って牙を剥いていた身としては、どうしてもシュラーク自身を憎めなくなってしまったのも事実だった。
ジュスタたちオルドラの子供たちも、本当ならルノアールによって殺されるところを、シュラークが狂気に飲まれながらもなんとか国外に"任務"という形で逃がしていた事実を知ったのだ。
そんな背景が明るみになった今、ジュスタは打倒ルノアールのために旅を続けていたと言ってもいい。それが、「死んじゃいました」では腹の虫が収まらない。
「うじうじしてんじゃねえよクソガキ」
「なにおー!」
「分体ってことは、原理はまだよくわからんがルノーもルノアールも同じ人間ってことだ。記憶があるかないかは別にして、まだ生きてる。テメエが文句を言う余地くらい残ってるだろ」
分かったら行くぞ。
そう言ってデジレはつかつかと石畳の広い大橋を進んでいく。
周囲にはちらほらと、石の欄干に寄りかかって水平線を眺める恋人や、犬の散歩に興じる老人などが見える中。ジュスタは今しがたデジレに言われたことを咀嚼して、てててっと彼の隣に並びなおして朗らかに笑った。
「今もしかしてボクのこと励ましてくれた?」
「どこをどうとったらそうなるんだクソガキ」
「あだだだだだ」
ぐわしとこめかみをわしづかみにされて宙に浮く。
先ほどまで自分たちの世界に居たらしき周囲の人々が驚いてこちらを振り向くが、いい加減デジレも気にしない。こいつに容赦などするだけ無駄なのだ。
しばらくして手を離され、ぽてっと地面に落とされたジュスタは自身の痛む頭をもみほぐしながら、ふと気づいた。
あれ、なにげにまだ連れてってくれる感じだ。
「ねえ」
「あんだよクソガキ」
「とりあえず王国入ったらどうすんの?」
「少しはテメエで考えるってことを――」
「だってボク、王国って一回しか入ったことないから地理とか殆ど知らないし。それも王子に何から何まで任せきりでさー。馬車も港からの送迎往復だったし」
「……それもそうか」
デジレは顎を撫でながら自分の中で説明を組み立てたのか、指を一つ立てた。
「王国ってのは、広い割に街は大して多くない。中枢都市と言えるのはいいとこ五つだ」
「あれ? 教国と同じくらい領地あるよね?」
「ああ。……世界地理はちゃんと勉強してるじゃねえか」
「そりゃあもう。誰かさんに少しは知識を尊べクソがー! って図書館に放り込まれましたから」
「その調子で王国についても勉強すりゃ良かったんだがな。……まあいい。教国と同じくらい領土が広い王国だが、両者の最も大きな違いは、国そのものの形だ」
「形……?」
首を傾げたジュスタは、脳内で二つの国の形を思い浮かべる。
ここでシュテンならば、教国は日本の本州、王国は北海道みたいな形とすぐに比喩表現が繰り出せるのだがジュスタだとそうはいかない。
「教国は横に細長くて、王国は菱形に近い?」
「正解だ」
ジュスタはちょっと嬉しくなった。
「そして最も大きな違いは首都にある。教国の聖府首都エーデンは極めて南西に近いところだが、王国の首都である王都デルカールはこの菱形のほぼほぼ中央……ど真ん中だ」
「ふうん。それがどうかしたの? ……あ、そうか。はいデジレ先生!」
「どうした不出来な生徒」
「中央に王都があって、王国には魔列車っていう王国民なら誰でも使える交通手段があるって聞いたことがあります!」
「それで?」
「だから、端っこの方の街と王都を繋いでしまえば、真ん中らへんは発展しなくなると思います!」
「正解だ」
「やった!」
魔列車を知っていたか。
デジレは「及第点だな」と鼻を鳴らして。
「そういうことだ。あの国は独占技術として魔導をエネルギーにした移動手段を開発した。帝国でも真似できないことはないが、あれは規定路線を走らせるため整備にコストがかかる。そういう理由で帝国は道路の整備と魔導で動く馬の要らない馬車を開発しているが……それはそれとして魔列車の乗り心地はなかなか悪くない」
「へー。どうでもいいけど馬の要らない馬車って馬車じゃなくない?」
「確かにどうでもいいが、馬の要らない馬車の正式名称は帝国全土で臣民に募集をかけている。採用されれば帝国書院から50万ガルドの報奨金が出るぞ」
「それボクもチャレンジできるやつ?」
「共和国領だって帝国の一部だ。当然だろう」
「よし、やってみよう」
両拳を握りしめてジュスタは意気込んだ。
そのくらい子供らしい方が、復讐に身をやつしていた時よりもずっと良い……とはデジレも口にするはずがなく。
ジュスタはそのまま少し考えて、デジレに問いかけた。
「馬の要らない馬車のことはひとまずおいといて。ボクたちはとりあえず魔列車が通ってる一番近い街に出て、王都にすぐ向かうのが一番かな?」
「オレはそのつもりだった」
「よっしゃ」
「喜びのバリエーションが無駄に豊富だな」
「こんだけ長い付き合いで、知らなかったの?」
「お前がそんなに喜ぶヤツだってことすら、な」
「そっか。……そうだよね。そりゃそっか」
じゃあ。
「これからはいっぱいだね!」
「だと良いがな」
※プロローグ登場人物紹介※ プロローグの間だけやります。
デジレ・マクレイン(初出:第二章第四話)珠片を巡りシュテンと争う帝国書院の研究者兼魔導司書。使用する神蝕現象は清廉老驥振るう頭椎大刀。第五席から空席だった第二席へ昇格となった。学名:モノクルハゲ
アスタルテ・ヴェルダナーヴァ(初出:第四章第一話)ケーキ作りが趣味の現人神。過激派武装勢力帝国書院書陵部魔導司書のリーダーを務める。敵に容赦がなく、特に妖鬼に厳しい。
ジュスタ・ウェルセイア(初出:第三章第三話)共和国の忍としてレジスタンス活動をしてきた子供。デジレに恩と意地がある。シュテンとデジレの仲良く殺し合いする感じをどうにかして辞めさせたいなあと思わなくもなくもない。目下の目標はルノアールに話を聞くことと、デジレとある人物を引き合わせて謝らせること。