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グリモワール×リバース~転生鬼神浪漫譚~  作者: 藍藤 唯
巻之弐『妖鬼 九尾 魔導司書』
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第三話 レーネの廃村II 『彼の過去、彼女の過去』

 ちらちらと赤く小さな閃光を飛ばす、暖かな焚き火の前で。

 魔獣の肉をもちもち食べるヒイラギの顔を少しの間ぼうっと眺めていた。


 炎に照らされて見える黒耀石のような瞳は綺麗で、その焦点は手元の肉から外れていない。微笑ましいと思う反面、帝国入りしてからどこか思い悩んでいる彼女のことが少し心配な俺だった。


「何よ、じろじろ見て」

「なんつーか……俺も大概だなーと思ってよ」

「はあ?」


 あれだけ詮索はしない詮索はしないっつっても、こう若干暗い顔をされると微妙なカンジだ。バレていないと思っているのか何なのかは知らないが、きょとんとした表情から一転、どこか訝しげなジト目を向けてくる眷属ちゃんにため息が出る。


 地べたに座り込むのは腰が引けたので、そこら辺に生えていた木をぶった切って切り株にして腰掛けている。傍らの鬼殺しも、静かにオレンジ色の光を反射させるのみだ。


「こうやってお前と焚き火を囲むと初対面を思い出すなあ」

「まだ五日も経ってないでしょうが」

「にしては打ち解けたと思うが、どうよ」

「……さ、さあ? あんたがそう思うんだったらそうなんじゃないの?」

「素直じゃねえなお前さん」

「うるっさい」


 ふん、と鼻息も荒くそっぽを向くヒイラギ。

 最初なんか完全に背中を向けられていたし、どうやら上手くいかないことからは顔をそらす習性でもありそうだ。こいつ。


「狐に化けたりしねーの?」

「何よ唐突に……化ける理由がないんだから、しないわ」

「狐と人型には化けられるけど、尻尾は消せないと。お前その九つのおっぽ欠陥品なんじゃねえの?」

「眷属になってから当たり強くない!? ねえあんた眷属になってから当たり強くない!?」


 目をむいてヒイラギが抗議する。

 うん、からかえばこっち向くな。シュテン、覚えた。


 そろそろ焼けたっぽい串焼き肉を手にとって、一本かじる。塩が欲しいところだな。マチルダさんとこにあったら買えるか交渉すりゃよかった。


「そういえばその眷属になった恩恵とかそういうのってないの」

「恩恵……? こうやって相手の生存が分かること、あと魔力供給が出来ること。恩恵というか、出来ることはひとまずそのくらいよ」

「ひとまず?」

「私今かなり弱体化してるから……。もう一度魔力を積んで強くなれば、思念での会話も出来るようになると思うけれど」

「お、楽でいいな。お前が水浴びしてる時に今からそっち行くぜとか言える訳だ」

「何で申告して見にくるわけ!? バカだバカだと思ってたけどやっぱりバカでしょあんた!」

「申告しなきゃいいのか。いいことを聞いた」

「いいわけあるかアホ」

「なんだと駄尻尾」

「その呼び名ほんっっっとうにムカつくんだけど!?」


 うがー! と八重歯をむき出しにして怒るヒイラギちゃん。からかいやすすぎてどうにもこうにも。というか、水浴びから帰ってきてから若干ヒイラギの服装が変わってるんだけど。


「ヒイラギヒイラギ、その服どこのブランド?」

「ぶら……? よくよく考えたら帝国の軍服とか癪だったからちょっといじっただけよ。簡単よ、その着流しもユカタ? に変えてあげよっか?」

「ヤメロォ!」


 なんて恐ろしいことを! 着流しは着流しだから着流しで素敵なのに!

 ……帝国に軍はないんだけど、まあ似たようなもんだしいいか。


 ヒイラギの着ている服は、ベースこそ黒基調の帝国書院の隊服なんだが、改造してなんだかスマートクールに可愛い軍服ワンピースのようなものになっていた。


 尻尾の出る位置も調整されていて素敵です。


「ベレー帽とか似合いそうよね、お前さん」

「……ああ、いいかもね。白のベレーでも合わせてみようかしら」


 思ったことを口にすると、意外とさらっと受け入れられた。割りとこいつ服とか好きなのかもしれないな。


 ……うん、少しは気も紛れたみたいで何よりだ。


「軍靴っぽいブーツとかも似合うかもしれんな」

「なんであんたそんなに女の子の服に詳しいのよ」

「……まあちょっと、昔そういうことをやってみたいなと思ってた時期があってよ」

「……そう」


 げ。

 なんで過去をほじくり返すかな。暗い空気がぶり返しやがったし。

 あんまり前世の話は俺もしたくないんだよね。若干ナイーブになるのは否めないしさ。ほら、電車の事故で死んだってだけあって未練はたらたらな訳よ。もうちょっと頑張りたいこともあったし。

 いや、今生は今生ですげえ楽しいけどね?


 ほら、見上げれば前世ではそう簡単には見られなかった、満天の星々。白銀の街道の美しさだって見ることは出来なかったし、そう考えれば悪くないもんよ。前世の記憶が戻ったこと、わりと感謝してるしな。


「……シュテンはさ」

「あん?」

「過去、割り切れた?」

「割り切ろう割り切ろうと思わなくちゃならないほど重い過去は生憎持ち合わせてねーよ……あー、いや」


 と、そこまで言ってふっと脳裏に一つの記憶がよぎる。動きを止めた俺を訝しげに見るヒイラギに視線を合わせて、一瞬躊躇ったが結局言うことにした。


「…………一個だけ、あったわ」

「えっ?」


 考えてみれば、あった。

 今生で一個、すげえ嫌なことが。


 あれは、前世の記憶が戻る前のこと。

 大学生の俺ではない、鬼族の首領として、

 一匹の鬼として受けた、忘れたいのに忘れられない、嫌な過去だ。


「まぁ、いいか。えっとな…………」


 木の幹をくり貫いて作ったお手製の木製コップ。その水面を見つめながら、ヒイラギは小さく俯いた。コップを握る両手はなんだか弱々しく、悩んでいるのがありありと見てとれるところ。


「……俺が昔住んでた山では、自慢じゃねえけど俺が一番強い鬼族だったのよ。んでまあ、大将大将言われてこう、悪くねえ気がしてた」

「……うん」


 ○○大将、って感じの呼び名だった気もすっけど……生憎、こっちの名前も憶えてねえや。


「ところがぎっちょん、鬼族ってのはすこぶる魔法に弱くてなぁ……突如襲ってきた魔王の配下を名乗る連中の、ガイウスって野郎の魔法陣に引っかかった俺は意識を飛ばされてあえなく轟沈。集落に放たれた火の勢いはスゴくてなあ……『大将! 大将!』って叫ぶ子供たちの声は、まあまだ耳に焼き付いてる。その時点で俺とっつかまって何も出来なかったからな」


 思い出したら腹立ってきたな。

 もうちっとガイウスボコボコにしても良かったかもしれん。


「ごめん……私そんな細かく詮索するつもりじゃ」

「まあ聞けよ。……そんな訳で、俺も引きずってる訳じゃねえけど、あの集落に向かう決心だけは今も着いちゃいねえんだ。だから、過去を割り切れたかといえば無理だ。ただ、いつか清算する為にあの山に戻ろうとは思ってんよ」

「……そっか」


 と、変に重く受け止めたのか若干ヒイラギの顔が暗い。

 ……こーなるからあんまり言いたくも考えたくもなかったんだが。


「ってなわけで、お前もいろいろ考えることはあると思うが、思い詰めないことだ。友達だろ?」

「眷属でしょ」

「なんだよ、そこは乗れよ」


 ふう。

 立ち上がって、木っ端を払う。鬼殺しを背負って、ヒイラギに向き直ればまだ考え込んでいるようだった。


 あーあ、結局意図せずして暗い話になっちまった。


「帝都に行くか、俺と一緒に南西にくるか。ま、ゆっくり考えてくれ。何なら少しの間ここに滞在してもいいしな。……じゃ、寝るわ」

「うん……あの」

「なんだよ」

「ごめん」

「気にすんなっての。気にしてもねえから」


 ……さー、寝よ寝よ。あんまり思い出すもんじゃねえな。俺、メンタル強くないし。

 明日からまたお出かけだし、水浴びでもしてから寝るかな。

 っつか、帝国寒ぃな……水浴びつれぇ。


















 たき火の爆ぜる明かりが消えて久しく。

 何匹かの魔獣の骨と、黒く炭化した薪。時折、力尽きた薪が折れて倒れるからんとした空しい音が響く、そんな真夜中のレーネの廃村。その中心である旧広場に、未だ人影がぽつんとあった。


 魔獣たちの活発になるこの時間帯。

 その中にあってその影の周りでは何も起きない、襲いかかる魔獣もいない……となれば必然的に、ひっそりと立つその人影に近寄れない事情があると考えた方が早いのだろう。


 たとえば、魔獣たちがその強さを感知し、触れないようにそっとしている、とか。


 山の中腹にあるこの廃村は、それなりの高度にあることと森の中にあるということが合わさって、空が近くそして綺麗だ。満天の星空のおかげか、どんなに夜の帳が落ちようとも真の宵闇が訪れることはない。


 大きな光、小さな光。輝きに差はあれど、だからこそ無造作にちりばめられた星々は美しさを増しているともいえた。


「……シュテンはぐーすか寝てるし」


 人影には、やけに大きなシルエットが付随していた。星明かりに照らされて、それが彼女の持つ何本もの尾だということが分かる。彼女の視線の先には、一つの廃屋。さらに言うなれば、その屋根の上にある影。煙突に背を預け、大きな斧を傍らに置いて眠る男の姿があった。


「……。……。……。分岐点、か」


 何故だろう。

 帝都には早く行きたいし、行くべきだと考えていた。

 なのに、彼と離れたくないと思う自分も居る。


 南西に行く、と彼は言った。彼女も、南西に行く用は一つある。だがもしそれを受け入れてしまえば、帝都に赴く理由は無くなってしまうような、そんな気もしていた。


「……今日は、楽しかった……な……」


 思わず口から漏れた言葉に、自分自身で驚いた。

 "楽しい"などと感じる余裕があったことにも、実際に素直にその感情を受け入れていることにも。そして、その感情を覚えるほどの何かがあったことにも。


 百年前に封印されて、それからただ起きて寝るだけの生活をずっと繰り返して。怨念が募ることもあったが、それ以上に諦めがついていたというのが本当のところだっただろうか。ああ、きっと自分はこのまま死ぬのだろう、と。封印から解かれることなく、魔力を使い果たして死ぬのだろうと。


 実際、かなり弱体化していた。

 そのことは、石からはたき出されたその直後から分かっていることだった。あと十年も石に閉じこめられていれば、それこそウェンデル高原に居る魔獣にすら敵うかどうか怪しいところにまで力を落としていたところだった。


 だから、外に出られた時はとても複雑な気分だった。

 自由に体を動かせるということは嬉しいことではあったし、石の中でずっと考えていた"出られたらどうするか"ということが実行に移せる。

 けれど、いきなり出くわしたふざけた男に裸を見られるわ、知らないうちにできていた変な組織の奴に凹られるわ、さらには助けてくれた相手を眷属にしようとして術式を跳ね返されるわ。


「……思い返すと、散々ね、これ」


 嘆息。

 情けないったらありゃしない。これが、白面九尾たる自分の姿だろうか。本来ならばもっと畏怖されるべき存在で、あんな風にからかわれたり、謝罪を強要されたり、ましてや一緒に水浴びしようなんて気安く話しかけられるような生物ではないはずだ。


「なのに、どうしてだろ……」


 怒り、憤って然るべき状況にあるはずなのに、だというのに自分の心の中を支配する感情は"楽しい"というものだった。恥ずかしかったり、バカにしたり、されたり、笑ったり、軽く怒ったり。石に閉じこめられるまでの百年間、ここまで純粋に感情を露わにしたことがあっただろうか。


「……一度だけ、あったか」


 思い出すのは、封印される前の一年間。あの思い出は、忘れられようもない。魔族という身でありながら、魅了の呪いを宿した身でありながら、人に恋をした一年間。


 そして、そのせいで、帝国が傾いたといえば……それは、自分のせいなのかもしれないという思いはある。


 シュテンが言っていた、復讐に対する考え方。自分に落ち度があったら踏ん切れないかもしれないと。彼は確かにそう言った。もし自分が持つ呪いを落ち度だと言うのなら、自分に誰かを責める資格はないのかもしれない。


「シュテン……か」


 思えば、彼はどこか似ている。


「私が昔好きだったあの人も……あんなふざけた男だったわね」


 おちゃらけて、セクハラで、どうしようもないのに、かっこよくて。


「きっちり決めるところだけは決めちゃってさ……なんか、ずるい」


 それに。


「……アイツ最後ひどい顔してたし。誤魔化してるつもりなのかは知らないけど」


 不幸なのは自分だけではない。

 そんな額面通りの言葉も、他人事としては知っていたけれど。それでも自分が一番不幸だと思っていた。けれど、シュテンはシュテンで爪痕を心に残している。


 過去を清算するのはまだ怖い。

 彼は、確かにそう言っていた。けれどいつか必ず向き合おうとしている部分はとても眩しく思える。


「……うん、なんか決心ついた」


 一つ、頷いた。

 今の自分があるのは、彼が居たから。なら、過去にも踏ん切りがつくというもの。選択肢の片方を、今彼女は取った。


「南西に……シュテンについて行こう。過去の自分と決別……ってわけじゃないけど、前向きに考えることは出来そうだもの」


 帝都は、復讐の道。南西は、過去を清算する道。


「アイツより先に清算して、私の方がお姉さんであることを思い知らせてやらないと」


 空元気であることは自分でも分かっていた。けれど、シュテンのように少しおちゃらけた考え方でいると、心が少し楽になる気がする。

 影響されてしまったなあと、一人笑みすらこぼれてきた。


「うん……決めた。明日、あいつに言おう。……なんて言おう。しょうがないからついてってあげる……でいいか。うん、勘違いしてほしくないし。一緒に行きたい、ってわけなんかじゃないし」


 すう、すう、と気持ちよさそうな寝息をたてる彼を一瞥し、小さく笑ってから。ヒイラギは、ゆっくりと自分の寝床である近くの廃屋に戻っていった。


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