第二十三話 やまのみさきIII 『岬での決着、そして』
さながら煙幕のように、周囲一帯を煙が覆いつくしていた。
巻き起こった砂嵐の過ぎ去ったのち。木々をカーテンのように隠してしまったからか、今の視界には薄い黄色の一色しかない。
シュテンの金瞳に映る一面もその例に漏れず、しかし耳に触れる地面を摺るような音がルノアールの無事を知らせてくる。
「まだ息があんのか」
おらよ、とばかりに鬼殺し棒を一閃。
着流しの袖と棒の風圧で吹き飛ばされた黄砂の代わりにはっきりと視えてくる岬の全貌は、およそ先ほどまでの原型をとどめてはいなかった。
流星群でも降り注いだのかというほどにいくつも凹んだクレーター。
岬の先は崩落し、防風林の様相を模していた近場の木々は軒並み倒れてしまっている。
そしてその中心で、緑髪の男は一人地面に倒れ伏していた。
シュテンの鬼神化。
それによる攻撃の濁流は、いともたやすくこの男を飲み込んだのだろう。
語らない聖典による防御も叶わず、自慢の魔導で巻き返すことも叶わず、ただただ鬼神の暴力の前に、ルノアールは為す術もなかった。
「……あり得ない。あり得ない、たった数瞬でぇ……」
「そいつぁテメエの中の道理でだけだ。悪ぃが、鬼神化ってぇのはテメエの知る世界の情報に存在するほど狭い知識のものじゃねえってことだろうよ」
「んっんー……よくない、よくない、よくないなあ……!!」
「よくねえのはテメエだ、何度も言うがな。……そろそろ年貢の納め時だ、ルノアール」
す、と鬼殺し棒が緑髪の男――ルノアールへと向けられた。
このまま振り下ろせば、脳天をかち割る程度容易いことだろう。
聞きたいことは、先ほど聞けた。
ならばこれ以上、この男をのさばらせる理由はない。
「思えば、テメエにはいろんな奴がさんざんに苦労をさせられた。その分も殴りつけてやりてえところだが、俺ってば優しいからな。一撃で処理してやる」
「……よせ、やめろぉ……それは、よくない……!」
「ミネリナにしろ、共和国の首領にしろ、他の連中にしろ、ヴェローチェにしろ、ヤタノちゃんにしろ。テメエのおかげで害を被った奴らは、俺が知ってるだけでもこんなにいる。テメエの目的が何だか知らねえし、外道や邪道の道なき道を踏破するのはかまわねえが、それでも。人の道を踏みにじることだけは、浪漫じゃねえ」
「ワターシには、まだ、やることがある……これだけの犠牲を出したんだ、それで成果が何もないなどと……!」
「成果、成果ねえ」
鬼殺し棒をルノアールにいつでも叩きつけられるよう準備したまま、空いた手で後頭部を掻く。
確かに、ルノアールのくやしさは分かる。
大勢の人を犠牲にして造りだそうとした研究。それが不意に終わるとなれば、今まで散々な目にあった人々はいわゆる"無駄"だ。
成果さえあれば、目的に到達さえできれば、彼らにも意味が生まれる。
「なれば、ワターシは聖域に到る。語らない聖典を己に宿してまで積んできた研究の実を結ばねば、それは大変よくない、よくない。よくないんだ!」
「――正当化するなよ。テメエの外道を」
「なんだと」
ぼう、と鬼殺しに魔導の炎が宿る。
シュテンがただ魔素を通しただけで、長年の相棒はそれに応えた。
魔導具であるからこそ、魔素を経由して力を宿す。
それが、今までルノアールに棒一本で対抗できていた証であり――今からルノアールに処分を下す鉄槌である。
「テメエのやったことはどんな形であれ、他人の浪漫を打ち砕いた凶器でしかねえ。それでテメエのやることに意味が生まれるにせよ、それは他人の道の先にあったものじゃねえ。それが為されたところで、道を失った連中が喜べるようなもんじゃ断じてねえ。だっていうのにテメエはそれをやった。そして」
金瞳がルノアールを睨む。
「――お前、懲りずにまたやるだろ」
「っ――」
ルノアールとの因縁は長かった。
それこそ、ミネリナに爆弾を積んだ張本人として存在を知り得てから今まで、長い間。どこぞのモノクルハゲほどではないが、敵対した時間は長い。
故に、ここでの幕切れは、ようやくとも言え、ルノアールという人間がここから退場することに、シュテンは少しの安堵を覚えていた。
「だから、じゃあな」
「――よくない! それはよくないよくないよくないなあ!! ワターシの研究さえ完成すれば、実験に使った人間の数など比べようもないほどの災厄を防ぐことが出来る! そして、ワターシたちの悲願である聖域への到達も――」
「それが価値あるものから価値のないものに落ちたのは、お前自身が人の命の値段を値切ってきたからさ」
「――鬼神、鬼神シュテエエエエエン!! 分かってない! 分かってない! 今ワターシを殺せば、それこそ語らない聖典が――」
精一杯の慟哭を、しかしシュテンは気にも留めない。
振り下ろしは一瞬。
叫ぶ口を顔面もろとも、勢いよく地面に叩き伏せた。
果実がつぶれるような嫌な音がして、周囲を深紅が染め上げる。
「――悪いが、俺にとって価値ある浪漫が、きっと山頂で俺を待ってんだ」
血を払うように、シュテンは鬼殺し棒を一振り。
今までの因縁が、糸のようにあっさりと断ち切れた。
ルノアールが、死んだ。
「……うし、ヒイラギの奴は上手くやってるかな」
ルノアールの死体に背を向けて、鬼殺し棒を肩にかけてシュテンは己と彼女を繋ぐ精神パスに意識を傾ける。軽く息を吐いて目を閉じれば、あっという間に彼女が今どんな状況にあるのか、心身が健康かどうかが分かる。
船でジャポネに乗り込む際にヒイラギが強めた眷属との絆。
これによってお互いの能力のうち少しを借りることが出来るようになっていた。
シュテンは彼女の魔素を軽く使役できるようになっていたし、ヒイラギは鬼族の耐久力を与えられているはず。
故に特に心配はしていなかったのだが。
「っ」
二重の意味で、シュテンは息を呑んだ。
一つは、ヒイラギの精神パスから伝わってくる危機的状況。
そしてもう一つは、背後からの強大な気配。
「ルノアールテメ――」
勢いよく振り向くと同時、烈風のような魔素の奔流が空に向かって放たれていることに気付く。
ルノアールの死体があった場所から、まるで立ち上る間欠泉のように噴き上がるその魔素は、黒々とした歪んだものだった。
「……なんだこれ、墨汁でも沸いたのか」
呑気な台詞とは裏腹に、その表情は硬い。
あらゆる意味で危険な何か。ルノアールの居た場所は既にそのナニカによって侵されており、黒い間欠泉はほどなくしてその不気味な魔素を散らす雨となって降り注ぎ始めた。
黒は一人でに渦を巻き、降り注いだ雨のような黒の粒をありったけ回収すると蛇がとぐろを巻くように空へと昇っていく。
そして、そのまま山頂の方へと向かって飛んで行った。
「おいおい待て待て」
口角をひくつかせ、シュテンは山頂の方角を睨む。
ヒイラギの気配もあちらから。
そして、今の"黒"も同じ方角に向かった。
ヒイラギから感じる危機の信号はおそらくヤタノと戦っているからであろう。
そこにあの黒まで合流したとすれば、何が起こるか分からない。
それ以前に、ヤタノは止めなければならない。せっかくルノアールは倒したのだ。ここでヤタノを救えずに終われば、何のために戦ったのかそれこそ分からなくなってしまう。
……行くか。
不安を押し殺し、シュテンは山頂に向けて疾駆する。