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グリモワール×リバース~転生鬼神浪漫譚~  作者: 藍藤 唯
巻之漆『妖鬼 聖典 八咫烏』
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第十九話 イブキ山:山麓IV 『ともだち』

 相対するは一対一。

 尚も無表情を貫く、帝国書院書陵部魔導司書第三席ヤタノ・フソウ・アークライトは、かつて姉のような存在であった目の前の少女に対して、番傘を振るう。


 そよ風が、ヒイラギの尖った耳を優しく撫でた。


 彼女はゆっくりと瞳を細めて、周囲を見やる。


 群生していた木々はその殆どが根こそぎ風圧と爆炎によってその生を追われ、戦いの残滓ともいえる陥没した大地が肌を晒して残るのみ。


 ヒイラギの炎で山火事になるようなことは避けられるだろうが、反面その力を十全に扱えるとはいい難い状況。


 ほう、と艶めかしいため息一つ。

 


「分かりました。温情をかけたつもりはなかったのですが……お望み通り、全力で」

「……ええ、かかってきなさい。私だって、そうやすやすと負けないんだから」


――神蝕現象(フェイズスキル)【天照らす摂理の調和】――


 発動した神蝕現象(フェイズスキル)はこの世全ての偶然を司る彼女の権能。


 拡散する彼女の魔素。既にフィールドはヤタノによって支配されたも同然。


 だが、だからと言って何もできずに殺されるようでは、妖狐としての面目が立たない。


「……さようなら」

「まだ早すぎるっての」


――紅蓮獄・火之夜藝速――


 ヒイラギが背後に放出した魔素は一転、火炎の渦から蛇へと変化すると襲い来る脅威を跳ねのけるように踊りうごめく。


 地面から突き出した土槍も、吹き荒れる烈風も、迸る水流も。


 その全てを、彼女は文字通り焼き払う。


「言ったでしょう? 一番早いのは焼くことよ」

「……貴女にとってはそうなのでしょう。灰燼と帰してしまったところを見れば、確かにどうしようもありません。ですが――」


 ヤタノが番傘を横凪ぎに振るった。

 彼女を中心に起こった風渦(ふうか)は、土埃を巻き上げながら唸りをあげる。


「――その魔素、打ち消せばどうということはありません」

「っ……!!」


 次の瞬間、炎の大蛇がはじけ飛んだ。


 思わず背後を見やるヒイラギだが、その刹那が命とりだ。


「何もない大地。一対一。その条件下で、魔導を行使する者にわたしが負ける道理がありません」

「くっ……人を、なめんじゃないわよ!!」


 魔素を打ち消された。

 否、そうではない。


 ヤタノの神蝕現象はあくまで"偶然を引き起こす"という一点。

 他に何もできないし、する必要もない。


 ヒイラギの操る炎は、その魔素は、偶然その時だけ消滅し、その空間座標から散っただけ。


 そしてこの大地。

 引火させ、純粋な炎を生み出せるものなど存在しない。


 であるから。


「己の無力さを悔いて死になさい」

「っ、はっ!!」


 紅蓮でその身を武装するよりも先に、襲い来る森羅万象。

 隆起し陥没した大地は砕け、割れた足元から連なるように現れる杭の乱舞。


 舌打ちしたヒイラギは自らの脚力のみで跳躍。

 突き出す杭を逃れるように宙を舞う彼女を、ただヤタノは静かな瞳で見つめている。


 視界に居る限り、彼女が"偶然"から逃げ切る術はない。


「ふざけんじゃっ……ないってのっ……!!」


 振るう炎で、虚空から現れた紫電を弾く。

 だが、相応以上の火力で放ったそれは紫電と相殺してあっけなく散った。

 ほんの少しの間でも魔素を彼女が放った瞬間、それはあっさりと塵に消える。


 あまりに不利な状況を分かってはいても、ヒイラギの表情から闘志は消えない。


 ヤタノの瞳が細まった。


 同時に現れるは、その身を穿たんと降り注ぐ氷の驟雨。


 見上げた瞬間から雨霰と地面を穿つそれを、ヒイラギは放射出来るほんの少しの炎と己の身一つで駆け抜ける。


「本来私は、ただ後ろに居るだけだっていうのにっ……!!」

「遠距離戦でも構いませんよ」

「その無気力な顔が気に入らないから、ぶん殴りに行ってあげるっつってんの!!」


 地面を蹴った。

 同時に老朽化した家屋のようにぼろぼろと崩れ始める大地。踏ん張りどころを失って踏鞴を踏んだが最後奈落に突き落とされると瞬時に察し、軽く魔素で体勢を制御、ついでバレルロールのように襲い来る雹のようなつらら針を躱して、ヒイラギは炎を纏う。


 すぐにかき消される。それは分かっていても、不意をついたように背後から貫く電撃を防ぐにはこれしかない。


――神蝕現象(フェイズスキル)【天照らす摂理の調和】――


 疾駆する飢狼の如く、火炎の弾へと姿を変貌させてヒイラギはヤタノを目指してひたすらに地面を滑走していく。


 が、その悉くを打ち破るようにヤタノの振るった魔導が彼女の炎を塵へと散らす。


「児戯、ですね」

「くっ……!」


 番傘の影から覗く無機質な瞳がそう言った。


『わたし、えっと……ヤタノって言います』

『ヒイラギさん、は、その。とっても好い人なんですね』

『魔族とか、人間とか。そんな区別なく生きていけたらいいなって、わたし思うんです』


 ……ぎり、と。


 ヒイラギは知らず知らずのうちに強く歯を食いしばっていた。


 思い返すのは百年も前の出来事。

 否、封印を施される直前のことであったから、昨日のようにも思い出せる童女の微笑み。


 優しくて、賢くて、まっすぐなあの時の子供が、今運命に蹂躙されて機械のように扱われていることへの怒りか。


 何れにせよ、ヒイラギはかまわず突き進む。

 どんな自然が彼女の敵に回ろうと、どんな森羅万象が襲い掛かってこようと、そんなものはものの数ではない。


天照(あまてらす)


 ヤタノが番傘に魔素を通す。

 同時、駆け巡るように四方八方からヒイラギに試練がぶつけられる。


 疾走する紫電は回避しきれなかった彼女の肩を焼いた。

 渦巻く烈風はよろけた彼女の脇腹を貫いた。

 氷結の驟雨は四肢を深々と抉った。


 とどめとばかりに放った業火の玉は、彼女を押し潰す勢いで墜落した。


「……」


 生半可な魔族なら、あっという間に死んでいるはずのその怒涛の猛攻。

 しかしヤタノは眉一つ動かさず、"敵は生きている"と認識して視線を放さない。


 火だるまになった人影がゆらり、地獄の中で立ち上がる。


「――い、なさいよ……!!」


 ヤタノには、何を言っているのか分からなかった。

 それはそうだろう。結局ヒイラギは殆どの距離を詰められずヤタノの森羅万象に蹂躙された。

 加えていうなれば紅蓮の中で、喉もイカれているに違いない。

 むしろあの状況で声を出せていることの方が不思議で、ヤタノは逆にそこに関心を抱いたと言ってもいいかもしれない。


 ざ、と黒く焦げ付いた足が一歩を踏み出す。

 重心を投げ捨てるようなその歩みは遅く、そして尚且つ不安定だ。


 ヒイラギが、もし"ヤタノと同等のレベル"にまでその勢力を盛り返していたとしても。

 この地獄のような相性差の上ではどうにもならなかった。


 それでも彼女が立ち上がるのは、眷属としての矜持か。それとも、ヤタノという相手への想いからか。


「……なにを」

「――笑いなさいよ」

「……」


 確かに、言葉が聞こえた。


 笑いなさい。


 それがいったい何をどう意味しているのか分からず、困惑にヤタノは首を傾げる。


 何故、この状況で笑わなければならないのか。

 滑稽だと彼女を指させばいいのか。

 自らの全能感に酔えばいいのか。


 ……はて。


 笑うとは、どうやるものだったか。


「……意味が分かりません」


 気づけば番傘を降ろしていた。

 視線の先に居るヒイラギは既に歩ける気力もなく、ただ膝をついてこちらを睨むのみ。

 魔素も殆どを使い切ったのか、攻撃に使えるほどのものは残っていない。


 あとは一撃、ヤタノが叩き込んでやればそれでしまいだ。


 だというのに。


 目の前の少女は、何故逃げないんだろう。


「あんたはっ……」


 睨まれた。


 仇敵を見るようなそれでもなく、恨みを孕んだそれでもなく。

 ただ、言葉の意味を理解しないヤタノを純粋にせめているような、そんな視線。


「あんたは、もっと笑う子だったでしょうがっ……あの駄鬼とへらへらして、私を小馬鹿にして、それでいて嫋やかで……全部忘れているわけない! あんたは……その気持ちを押し潰されて、悔しくないわけ!?」

「意味が分かりません」

「こんのっ……!! やっぱり、一発ぶん殴ってやるんだからっ……!!」


 食いしばった歯。幽鬼のように立ち上がったヒイラギの目から、闘志は未だ消えてはいない。

 ヤタノは素直にそれを"敵対行動"だとみなし、容赦なく魔導を振りかぶる。


天照(あまてらす)

「……っあああああああああああああああああああああ!!」


 落雷。


 それは一瞬の出来事であった。

 番傘を振りかざしたと同時にヒイラギの脳天から降り注いだその雷霆は、彼女の意識を一瞬で消し飛ばすには十分すぎるもの。


 どさり、と地に伏せた彼女を見下ろして、ヤタノはその身体に背を向ける。


 そして、一度だけ振り向くと。


「……意味が、分からないんです。もう、何もかも」


 それだけ言って、姿を消した。

























 一陣の風が吹いた。

 意識を持った樹木たちが、はたと動きを止める。


 古代呪法・月桂霊樹によって使役されていた木々の静止は、術者であるルノアールにとっても予想外のこと。


 山頂へと到る道の中途。

 がんじがらめにされた樹木の幹から解放されたタリーズは、力なく地面に墜落した。


「なんっ……!?」


 何が起きた?

 ルノアールは思わずといった具合に声を絞り出した。

 魔素を練り上げ、"語らない聖典"から発動させようとする魔導は悉くが不発に終わる。

 そればかりか今の今まで発動していたそれらも活動を停止し、月桂霊樹も混沌冥月も消滅してしまった。


 そして。


「くっ!?」


 熱風。

 突然吹き荒れた炎の風は、月桂霊樹の元となっていた木々を根こそぎ焼き払った。

 まさか、もう妖鬼の眷属が現れたのか。


 警戒を露わに周囲を見渡せば。

 一番最初に目に入ったのは、宙を舞う白き球体。


「……あれは、異相の」


 見据える。

 単純な魔導ではなく、あれは帝国製の術式、その結晶。

 ルノアールが"神蝕現象"であると看破するのに、それほどの時間はかからない。


 何事かと正面を睨み据えればそこには、一歩間違えれば地面に激突していたであろう妖鬼の少女を抱きかかえる青年と。その傍らに立つ少女の姿。


「うん、間一髪って感じだけれど。でも、魔族の山にわざわざ入る理由、いい加減教えてくれてもいいんじゃないか第八席」

「おともだちのために来たっぽい」

「なるほど、友達か! それならぜひ僕もご紹介に預かりたいね!」


 そばかすの少女が返した呑気な回答に、これまた呑気に青年が笑う。


 およそ戦場に似つかわしくない状況を、ルノアールは眉をひくつかせて見据えていた。


「んっんー……よくないよくないよくないなあ。なんで帝国書院の魔導司書共がこんなところに突然現れているのかなあ……!?」


 帝国書院書陵部魔導司書。

 そう、ルノアールが口にしたように、目の前に居る二人の肩書はまさにそれそのものであった。


 第八席ベネッタ・コルティナ

 第十席グリンドル・グリフスケイル


 突如現れた招かれざる珍客に対し、ルノアールは吐き捨てる。


「帝国書院の憎む魔族共の山に、わざわざ何の用だか分からないが……その妖鬼を助けるということは、ワターシと敵対するということでよろしいのかなあ?」


 神蝕現象は明らかに語らない聖典の古代呪法を妨害した。

 しかし、それは不意を突かれたからにほかならず、そうでなければこのルノアールが使役する術式は、目の前の魔導司書"程度"に潰されるような強度ではない。


 分かっているが故に、片割れの少女を睨みつけた。


 と、彼女はきょとんとしたその瞳を瞬かせて、そのそばかす交じりの頬を掻く。


「あれ? 聞こえてなかったっぽい?」

「……なにをだあ?」

「友達の為に来た。あたい、そう言ったよ?」

「帝国書院の魔導司書。その肩書を持った者が魔族に肩入れすることの意味を分かってそう言っているのかな? よくないよくない、よくないなあ!」

「……うん、そうっぽい。よくないっぽいよね」

「……ん?」


 魔族に肩入れする魔導司書。その意味を分かっているのかとの問いに、意外にも少女は頷いた。

 隣の青年は「友達って魔族のことだったのかい!?」などと今更なことを喚いているが気にしない。


 ベネッタは、どことなく自嘲の笑みを浮かべながら続ける。


「あたいたちは魔導司書で、友達は魔族。だから大っぴらに味方なんて出来ないっぽい。アスタルテさまにも怒られちゃうしね。……でも、あたいは今ともだちの家に遊びに来ただけ。友達の家が危ない状況になったのを抑えただけ。別に、あんたと戦おうなんて思ってないっぽい」

「HA?」

「あたいに出来るのは、それだけっぽい。シュテンくんに見つかっちゃったら、魔族との友好的接触で帝国書院としての体裁は悪いかもしれないけど……別に、ねえ? 今ここには勝手に気絶してる魔族が居るだけっぽいよ?」


 ルノアールは無言。


 帝国書院として敵対するつもりはない、などといけしゃあしゃあと口にするベネッタに対し、ルノアールは忌々し気な視線を向ける。当然彼女はけろりとしていた。


 と。


「第八席」

「ん? ああ、もう来た?」

「ああ」

「ん。時間稼ぎは出来たっぽいね」


 と、隣の青年が何かを感知したように目を眇める。

 ベネッタも何かを察したのか、朗らかに笑うとルノアールに軽く手を振った。


「それじゃ、ばいばい。"第七席のまがい物"。あたいたちはここにいなかった。……ふふ、お父ちゃんを助けてくれた恩、ちょっとだけだけど返したよ」


 なにを、と問いかけるよりも早く、ベネッタとグリンドルは消え去った。


 ついでに、妖鬼の少女の姿も消えた。


 どこに、と思うよりも先に。


 ルノアールの視界の端に映る土煙。


「っち、もうか。よくないなあ!」


 ルノアールはバックステップで回避する。

 その瞬間、大地を割るように飛び込んできた一人の男。


「よくねえのはテメエだだらっしゃあああああああああ!!」


 陽気な妖鬼が憤怒を引っ提げて現れた。



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