第十七話 イブキ山:山麓II 『性能実験』
フレアリール・ヴァリエは空を見上げた。
かつて夢見た、降り注ぐ太陽のもとに今自分は立っている。
願いが叶ったのは疑いようもなく"主"のおかげで、手に握った鎌を自在に振るえているのもこの山で義母や義姉が居たからこそ。
故に、許せなかった。
この場所をわが物顔で踏み荒らし、義母の殺害を公言するような男など。
「んっんー! よくないよくないよくないなあ! 徹底的に叩き潰してやろう!」
ぶわり、風を纏い飛翔するはルノアール・ヴィエ・アトモスフィア。
その風圧が、なぎ倒された木や妖鬼たちの骸を紙のように吹き飛ばしていく。
「かっこつけには随分とご執心なのね。ハチの巣にしてあげましょうか」
矢のように飛んでくる木の葉や屍の武器を回避しながら、フレアリールはお返しとばかりに死人の血液を操って襲撃をかける。高らかな哄笑を携えて、紅の槍が電光のような速度でルノアールに向けて殺到した。
「……いく」
フレアリールを庇ったのち着地したタリーズは、鎖鞭を軽く振るってルノアールの風圧を受け流す。視界を確保しながら先を睨み、対峙する敵を見逃さないように目を眇めて駆けだした。
「ふふ、ははははは!! 暗愚も極まるといっそ滑稽で素晴らしい!」
死人の血槍が四方八方からルノアールを襲う。
しかし。
攻撃の刹那、彼が高々と手を振り上げた瞬間だ。
魔界地下帝国の日輪のような、黒々とした陽光がルノアールに降り注いだかと思うと。
ルノアールを守護するように濡羽色の氷壁が展開され、その全てをあっさりと"吸い込んだ"。
「っ?」
「んっんー、なるほどなるほどなるほどなあ! キミの術は魔素に反響した劣等種の血液を自在に操ることが出来るというものかあ! 死人に上も下もない。故に今、妖鬼であろうと操れた。……その様子じゃ、ヤタノとワターシには無意味と見たぁ!」
「なにを」
吸収された血槍は、フレアリールが干渉した魔素ごと何処かへと打ち消された。
それがどういうことか理解するよりも先に、ルノアールは彼女の放った攻撃の全てを見抜く。
「先ほどの奇妙な詠唱はそういうことなのかしら。……それでも、貴様程度っ!」
「んっんー! 身の程を知りたまえよキミ。ワターシは今、"語らない聖典"そのものを降臨させているのだからねぇ」
「語らない、聖典っ?」
知ったことかとばかりにフレアリールは魔導を放つ。
四種の魔力球を周囲で回転させ、その中心から波動砲撃をルノアールに向けて打ち込んだ。
が、それもルノアールの周囲で展開された四つの黒々とした盾によって阻まれる。
「なるほどなるほどなるほどなあ! 四元素の魔導球を回転させたのは威力向上のためだけかあ。魔導の心得が甘いと見える。そんな未熟な魔導じゃあ、ワターシに傷一つつけられない!」
「……その壁、魔導の情報でも見えるというの」
忌々しげにフレアリールはルノアールを睨んだ。
悠然と宙にうかぶルノアールは、フレアリールのきつい目線を受けても肩を竦めるのみ。
その周囲に展開された四つの魔力壁の厄介さが目立っているが、今まずいのはルノアール自身が一切の手の内を見せていないことであった。
「ならっ」
通常の魔導も、血を使った吸血皇女の魔導も、幾つも試した。
だが、その全てがその黒によって吸い取られる。
それも。
「わたしから奪った魔素が、どこにも還元されていない?」
「さぁ、どこだろうねぇ」
おどけた様子でルノアールは笑う。
どこまでも馬鹿にしたような態度の男だ。自らの素晴らしき主とは大違いだとフレアリールは舌打ちしつつ、数瞬の間に思考を巡らせる。
魔素の吸収というのは、本来二つの状況が考えられる。
一つは行使した魔導がその瞬間ただの"魔素"へと戻されて、空気中に溶かされてしまうこと。
もう一つは、そのままどこかに還元されて、再利用されてしまうこと。
何れにしてもその魔素には"行き場"があり、そのどちらも厄介には変わりないものなのだが。
ルノアールの使っているこれの場合、文字通り"吸収"されてしまっている。
ルノアールの魔素が増えた様子もなければ、空気中に溶けだした形跡もない。
そんな状況の中で、フレアリールはただただ魔素を削り取られる闘いを続けなくてはならなかった。
こちらのリソースを切っても、ダメージを与えるどころかなんの対価も得られていない。
内面の焦燥を理解してか、ルノアールの口元が歪む。
「んっんー、いいなあいいなあとてもいい。その敵対した相手の苛立つ表情は格別だあ。……しかしあれだな。ちょっと気持ち良すぎるなあ。本当にあの忌々しい鬼神の部下なのかあ……?」
「なっ……貴様っ!!」
ことが上手く行き過ぎて、もはや疑いすら持つルノアール。
顎を撫でながら小馬鹿にしたように見下げた視線を向けられて、フレアリールの覇気が溢れだす。
「許しません。……死になさい!」
「んっんー、逆鱗に触れたと見えてしまったー。まあ、でも別にどうとでもなる」
フレアリール自身、自分が未熟であることは分かっていた。
でなければシュテンの旅に同行させて貰えただろうし、近距離戦特化で魔導に弱い義母に一撃も入れられないなどということはありえないだろう。
だから大人しく指示に従ったし、我儘を言わずこの山で修行を積んできた。
故に、否、だからこそ、甘くみられるのは許せなかった。
余裕綽綽のあの男の鼻を明かしてやらなければ、自分だけではなくその主まで泥をかぶることになる。
一度目を閉じたフレアリールは、一瞬で最適解を見出すと。
「精製、血風戦馬。固定、波濤。発射、多段吸血」
「んっんー……、ん? あ、拙いなぁ」
鼻をほじっていたルノアールが、すぐに真顔に戻った。
フレアリールが散らした魔素に呼応して集まった"血"の概念を持つ存在が、鎧を纏った馬の形を作り出していく。
その数八頭。風に舞う血臭が、その存在のおぞましさを引き立たせる。
「なるほどなるほどなるほどなあ。魔素を吸い込む"語らない聖典"に対抗するようにそちらも同じく吸血の能力を持たせたと。……ふむ、一瞬でそこに気付く辺りは悪くはないし確かにこの壁じゃあ防げないしそうなるとちょっと面倒くさいしどうしようかなぁ」
「なら死になさい」
仕方がないとばかりにルノアールは"語らない聖典"の防壁を前に出す。
四枚の盾によってどの程度攻撃が遮られるのかはやってみなければ分からない、が。
フレアリールにはその一つ前に策があった。
「今よ、タリーズ」
「……!」
「うんっ?」
防壁四枚が完全にフレアリールを向いたその瞬間。一瞬の隙を見計らって、不意打ちを仕掛けるように鎖が地面を奔ってルノアールを襲撃する。背後からの攻勢に、反応したルノアールが防壁を一枚向けたと同時。
「フレアリールっ」
「分かっていますわ」
防壁を一枚割いた。
そのタイミングに合わせてフレアリールが八頭の戦馬をルノアールに差し向ける。
怒涛の如く襲い掛かるそれらに施された吸血術式は、構成上は"魔導を吸い取る"ことと同じ。
つまり、ルノアールの展開した四枚の盾と相殺できる可能性があるというもの。
「んっんー、鬱陶しいなあ!」
ルノアールとしては、降臨させた語らない聖典を己が使役するための実験程度にしか考えていなかったこの戦い。にも関わらず意外とさらりと防御壁の構造を看破され攻略手順を見出され、ついでに前衛の接近も許してしまった。
思っていたよりも、フレアリールという少女を甘く見ていたらしい。
「よくないよくないよくないなあ!!」
舌打ち一つ、ルノアールは天高く上昇する。
翳した黒き盾のうちの一枚を戦馬に差し向けて様子を見れば。
「語らない聖典だか何だか知らないけれど――」
吸血術式を組み込まれた赤き疾風と正面衝突し、相殺するように弾け飛んだ。
「――わたしの信奉する想いの方が強いようね」
「信奉とまで言うか。あの不愉快な妖鬼なにしてんだぁ……?」
戦闘中だと言うのにも関わらず呆れた顔でルノアールはフレアリールを見やる。
当の彼女は誇りにすら思っているようで、どこか自慢げな表情を崩さない。
そのうちには、おそらく語らない聖典の防御を打ち破った自負もあるのだろう。残る七頭の紅き戦馬が、ルノアールを襲撃する。
しかめ面のルノアールが、残る二枚の防壁を張ろうとしたそのタイミングで背後から金属音。
「……いまっ」
囮に徹していたはずのタリーズの鎖が、蛇のように曲がりくねってルノアールを急襲する。
「っ、堕氷盾はっ?」
「……誘導すれば、よけられる。難しかった」
「むずかしい、程度の難易度じゃないはずなんだよなぁ……!」
堕氷盾、とルノアールが呼称した黒き盾。それは今もタリーズを追いかけ続けていた。だが、彼女の速度と鎖鞭を使った偽誘導で、本来の速度を出せていない。
単体ならば雑魚、と見なしていたのが仇になった。
覇気、武器の質、肉体強度、どれを取っても並のレベルを出ない妖鬼だと思っていたが、なるほど技術だけは磨かれているようだと歯噛みして。
「……弟の戻ってくる家は、守る」
「覚悟なさい、道化!」
鎖鞭がルノアールに向けて疾走する。戦馬が怒涛の如く、堕氷盾を打ち砕く。
その中心でルノアールは嘆息して、まるで諦めたように、言った。
「あーあ。堕氷盾の性能実験終了。あと宜しく」
「――そうですか。では消しますね」
戦馬が全て、瞬く間に消滅した。
鎖鞭に偶然雷霆が直撃し、手を放しそびれたタリーズがたまらず地面をもんどり打つ。
「がっ!?」
「タリーズっ!!」
拙い。フレアリールの脳内に舞い踊るその言葉。
先ほどルノアールが行使した堕氷盾とは明らかに違う、魔素を強制解除し自然に還すタイプの消散。魔導の片鱗、残滓すら感じられなかったそれは、普段であれば何等かの"偶然"だろうと一笑に付す程度のもの。
だが、分かっている。
この"偶然"はただの偶然ではなく、明らかに人為的な魔導、それも神域のそれがはたらいていることくらい。
「――天照」
「ちぃっ……!!」
ただ、そこに居た。
彼女は更地になった森の跡に、静謐な空気の中ぼんやりと立っていた。
それだけで、先ほどまでルノアールに善戦していた二人は無様にも地面に堕とされる。
「あ、ぐっ」
"偶然"魔素を散らされて飛翔が不可能になる。バランスを取ろうとしても上手く行かず、もろに大地に打ち付けられた。
「――それでは、さようなら」
呪文詠唱も出来ない。
タリーズに到っては、落雷の影響で動けない。
そんな状況下にあって、今や目の前に立つこの童女は何も感慨を浮かべることすらなく。
ルノアールのように喜悦を表に出すことも、フレアリールのように殺意を露わにすることもなく。あっさりと、機械的に処理されるような感覚に全身の毛が粟立った。
「させて、なるもんですかっ……!!」
飛べない。落下時に打ち付けた肩から先は感覚がない。
それでもまだ、人である以上は立ち上がれる。
一寸前までフレアリールが居た場所に熱線が迸る。それは森がなくなった、可燃物など欠片もないこの地でさえ再度焼き尽くすほどのもの。地面には何かが突き抜けたような半円型の通り道が形成され、血の気が失せる。
あれに当たれば消し飛んでいた。
それを否応にも理解させられて、彼我の実力差を見せつけられて。
しかしそれでも。
「……この山を、シュテンさまが帰ってくるまで守り続けるとわたしは決めているのですから」
不敵な笑みを張り付けて、フレアリールは立ち上がった。
睨み据える先には一人の童女。
気づけばルノアールは消え去っているが、今彼女に背を向けることの無謀さは分かっている。
「タリーズ。起き上がれたらお母さまの元に戻りなさい」
「……フレアリール?」
「いいから。今あの変態男を行かせたらどうなるか、貴女も分かっているのではなくて?」
「っ」
よろり、とタリーズは落雷によって焼け焦げた右手を庇って動き出す。
その背中を庇うように、童女とタリーズの間にフレアリールは立ち塞がった。
「――行かせません」
「それはこちらの台詞だわ」
番傘が、ゆらりとタリーズの方角へ向けられた。
それを理解した瞬間、フレアリールは鎌を投擲して攻撃を阻止していく。
投げた鎌がブーメランのように戻ってきて、それを軽々と掴んでヤタノに突っ込む。
「――では、貴女から」
「"から"? 残念だけれど、わたしで終わりなの」
笑みを張り付けて、内心の震えを抑えながらフレアリールは鎌を振り上げる。
「……」
その時。
俯いたヤタノが、小さく言葉をこぼした。
「……終わらせたいのは、わたしの方です」
「っ!?」
ぎょろり、と顔をあげた彼女の、剥いた昏い瞳。
その不気味さに一瞬フレアリールは硬直する。
そして。
その一瞬が命取り。
「今度こそ、さようなら」
「っ、あ、ああああああああああああ!!」
胸元に突き付けられた、番傘の切っ先。
それが何を意味するのかなど、先ほどの戦いを見ていれば明白そのもので。
凄まじい爆発音が、周囲一帯に鳴り響いた。




