第十三話 ウェンデル高原 『駆ける』
アルファン山脈の中腹にある川で一休みしたシュテンとヒイラギの二人は、その山麓までさっさか下ると一路ウェンデル高原を東方に向けて歩いていた。
向かう先は、花の街コマモイ――もとい、その先の港ケトルブルグである。
山脈を下る時に降り始めた雨は止み、降り注ぐ午前の日光がきらきらと草花を輝かせている。ウェンデル高原の整備されていない街道はあちこちに水たまりが出来ていて、それが太陽に反射して虹を映し出していた。
「……それにしても、あの霊域の中で一夜明けちゃったのね」
「さっき川でもその話したろうが」
「あの時はほら、あんたの着流し乾かすことに夢中だったし」
「お前が盛大に鼻かんでくれやがったせいで洗うハメになったしな!!」
「そうじゃなくても雨降ってきたから! 雨降ってきたから!」
「じゃかあしいわ! 言い訳なんざこれっぽっちも聞く耳持たんからな!」
「言い訳とかじゃないしー! 自然の摂理だしー!」
相変わらず殆ど人通りのないこの高原の道を、ぎゃーぎゃーと騒ぎながら歩く一行。
いつものようにふらふらと重心の定まらない歩き方をするシュテンの隣に、白色の着物の上から群青色の羽織を着た九尾の少女――ヒイラギ。
いっそ懐かしいほどの憎まれ口の応酬に、小さく口元を緩ませていることには、シュテンは気が付いても指摘しようという気にはなれなかった。
それよりも一つ、気になりつつも聞けなかったことがあって。
それは、シュテンの持つ女神の権能――権能というほど大層なものかは分からないが――便宜上珠片センサーと呼んでいるそれが、既に"また"新しくジャポネを指していることについてだった。
そう、つまるところ隣にいる彼女こそ、共和国に居る頃から追ってきていた珠片の持ち主。
「……なあヒイラギ」
「あによ」
「お前、こんくらいのヤバい魔素含んだ結晶知らん?」
こんくらい、と言って親指と人差し指を使ってだいたいのサイズを示す。
するとヒイラギは一瞬きょとんとするも、煩わし気に耳元の髪(キツネ耳なので割と上の方)をわけてから、ぱちくりと目を瞬かせて頷いた。
むしろなんでそれあんたが知ってるの、とばかりに。
「知ってるけど、それがどうかした?」
「あー、うん。そういや言ってなかったよな。俺の旅の目的ってのは浪漫紀行を除けばそいつ探すことなんだよ」
「一割も無いのね」
「よく分かってるな」
感心して頷くシュテン。
じゃなくて。
「いやまあ確かに割合としちゃあ一割もねえんだけどよ、それでもこうお前さんだったから良かったもののありゃ劇物でして」
「……劇物なのは、分かってた。あんたが取り込んだところ目の前で見てるわけだし。けど、ちょっと手っ取り早く強くなりたい理由もあったから奪っちゃったのよねー」
「あ、何方かがもう持っていらっしゃいましたか」
「王国行った時にちょっとね。……んで、これ渡そうにも渡せないんだけど」
「いや、別に在り処が分かればいいや程度だし。お前ならある程度安心できるっつーか。悪用とか、よからんことされてなきゃいいなってのが最優先だしな」
「まあ、これそういう奴よね」
とん、と自身の胸を叩くヒイラギ。
別にだからと言って珠片が出てくるわけではないのだが、それでも彼女の内包魔力の中に珠片の力が存在することを、曖昧ながら感じ取ることが出来た。
「でも、これ二個以上取り込もうとするなんてあんたアホなんじゃないの」
と、彼女は手の平の上に青の魔力を灯しながら呟いた。
その表情は見えないが、確かに踊る純な魔素を見ればそれが珠片のものであることは理解できる。シュテンはその可愛らしく揺らめく魔素を眺めながら顎を撫でた。
きっとヒイラギは、二つ以上の珠片を取り込んだ際に生じる激痛についておおよその見当がついているのだろう。
だから、珠片を回収してまわっているという彼に対しても、そんな感情が芽生えたに違いない。"集めている"というわりには手持ちなど瓢箪以外に何もなさそうだし、以前よりもけた違いに実力を持っているのだ。幾つか取り込んでいたとしてもおかしくはないと踏んでいるのかもしれない。
「あー、まあな。でもこう、痛みに代えても果たしたい責任みてえなもんがあったんだよ」
「責任、ねえ」
ふと、初めて会った頃のヴェローチェの言葉がよみがえる。
『今さらわれてる眷属の為にどれくらいテメーを犠牲に出来るかって話っすよ。難しいこと考えなくていいってことですー』
言ってしまえばそれだけのこと。それが、覚悟というものなのだと、今もシュテンの中には息づいている。
それなりに成長してきたシュテンにとって、最初期にぶち当たった壁であり。そして根本を成す一つの思考だった。
と。表情を落としたまま、ヒイラギがぽつりとこぼすように言った。
「痛みに代えても、だったのね」
「あん?」
「んーん。あんたが気にするようなことじゃないから」
「いや一対一の会話でそれはちょっと酷くね?」
「うるさい駄鬼」
「しかも罵倒が飛んでくるんですか!?」
からかうように舌を出したヒイラギにイラッと来たのでシュテンは尻尾の毛を抜いた。
「いったあああああああ!! ぁにすんのよおおおおおお!!」
「あ、白髪」
「オールホワイト!! ストレスとかじゃねえから!! 張っ倒すわよこの駄鬼め!!」
「驚きの白さ。お前色々あったんだな」
「剛速球で現在進行形ですけどねぇ!?」
がるるるるる、と威嚇宜しく唸るヒイラギ。
流石にもう一本抜くような隙はなかったので毛抜きは断念したシュテンは、酒瓢箪を開けて一口。お茶を濁すような、呼吸を整えるようなその仕草に、ヒイラギは胡乱げな視線を向ける。
「朝からお酒とか信じらんない」
「残念ながらこの程度の酒なら妖鬼にとっちゃ水と変わらんのよなあ」
「そういう問題じゃないんだけど。てゆかどこでそんなお酒仕入れたのよ」
「瓢箪自体は共和国で行きずりの仲間から。こんなかに居るサカムシってえのが延々酒造ってくれんだとさ。便利」
「行きずりの仲間ねえ。……ほんと、私が知らない間に色々あったのね」
ほぅ、とため息交じりにヒイラギは空を見上げた。筋雲がかかる空は見ていて飽きず、晴天ながらにまぶしすぎることもなく。どこか、今のヒイラギの心象とよく似ていた。
「そのお仲間さんとはもう別れたのね」
「そいつに限らず、なんか会っては別れての繰り返し的な感じだな。ヒイラギもそうだけど、本当にいろんな奴と旅したよ」
「ふーん」
シュテンが思い返すだけで、旅の仲間は十本の指でも足りないくらいだ。
ヒイラギに始まり、ユリーカ、一号、オカン、テツ、ミネリナ、クレイン、リュディウス、ハルナ、ジュスタ、フレアリール、ヴェローチェ、ポール、ベネッタ。
厳密に旅とまでは言わなくとも出会った人数はさらにその倍以上は居て、そして本当に色々な経験、楽しみ、浪漫を感じた。
とても愉快な旅路を思い出して、シュテンの頬が緩む。
「残念だけど」
「あん?」
そんな彼の隣で、ヒイラギが小馬鹿にするように眉を寄せて口元を歪めた。邪気を含んだ笑み、というのが一番近いだろうか。
しかしながら、なぜか悪意は感じることもなく。
「もう、一人旅は出来ないから」
「そうっぽいな。じゃあ、きっと俺の物語(RPG)も後半戦なんだろうよ。鬼の軌跡的に考えて」
「何言ってるのか分からないのは相変わらずね」
「そりゃ、初期に仲間になった奴が合流してこんだけ強くなってんだ。こっから離別するとすりゃあ――まあ、あれだから。そんな悲劇的な話は俺的にも困るんで別れは止めておきましょう」
「なにそれ」
先ほどとはうって変わって、困惑したような微笑みを浮かべるヒイラギ。
彼女に肩を竦めることで返すと、段々と人工的な柱の跡や石を埋め込んだ街道跡のようなものが見えてきた前を向く。
もうすぐ、コマモイだ。テツとミネリナが居るかどうかは分からないが。
「コマモイ通過してケトルブルグからジャポネーって感じでいいかねこれは」
「構わないけど、あんた魔導の心得とかあったっけ」
「え、なんで?」
今後の方針を決めようと、シュテンがジャポネに向かうルートを呟くと、ヒイラギが意外そうな目で彼を見た。
"魔導の心得"とか言われている辺りに嫌な予感を禁じ得ない。
「深い意味はないけれど、よくジャポネって分かったなと」
「まあ、オカンも心配だしな。あと、ジャポネの方に新しい珠片がある気配がする。基本的にその気配追って旅してるんだから、今更間違えねえさ」
「え? なんの話?」
「え?」
絶望的な食い違いを感じた。
「待って待て待て待とう待とう。ヒイラギさんヒイラギさん、あんたなんでジャポネに向かおうってのを是としました?」
「……あんた、まさか気づいてなかったの。というか嫌な偶然ね――」
最悪の前置きだなあ、とシュテンはなんだか他人事のように思った。
「――霊域からあいつらが消えるタイミングで、私がジャックかけたじゃない。どこに転移するのか座標割り出すために」
「お前さんそんなことしてたの」
「気づいてるからジャポネ行くって言いだしたんだと思ってたんだけど」
「……ん? ってことはつまり?」
冷や汗が頬を伝った。
見れば、ヒイラギも女の子がしちゃいけないような表情で顔からでろでろ汗を流している。
「え、なんか策でもあるんだと」
「そんなことが出来る奴に見えねえだろ!? え、待て転移!? ってことはあいつら今もうジャポネ……ないしイブキ山着いちゃってる可能性あんの!?」
「どうしよう、しばらく会ってないから変にあんた美化してたかもしれない。イブキ山ではなかったけれど、ネグリ山廃坑近くに飛んだわね」
「さらりと失礼だな駄尻尾!! ぎりっぎり猶予はあるかッ……あ、待て、俺ここにきて盛大に嫌なこと思い出した」
「もうこの際言っちゃって!」
ノリの良い女子大生みたいな言いぐさだが、ヒイラギの顔は真っ青である。
「ルノアールの野郎、消え際になんつってたか覚えてるか?」
「……あっ」
『んっん―! そうなればもうここに用はない! 最後の実験も終わったことだぁ……あとは純粋にヤタノのレベルアップを図るのみ。霊体じゃあ経験値も得られないことだし、さくっといっちゃいますかあ!!』
彼女も思い到ったらしく、軽く足に力を籠める。
「悪いけど、コマモイはもう通過ね。ダッシュで港向かいましょう」
「理解が早くて助かるぜ。……もうあんまし戦えねえとはいえ、オカンは相当な高レベルのはずだ。っつか弱ぇ高レベルとか、餌食でしかねえっ……!」
言うが早いか、二人して勢いよく地面を蹴った。
散策しながらのんびりとジャポネに向かう理由は今なくなった。
駆ける速度は、以前のシュテンともヒイラギとも比較にならない。
本来こんな大陸をふらついていたら冒険者がレイドを組んで討伐するようなレベルの魔族が二人、一気にコマモイの街を抜けていく。
「テツとミネリナにも会いたかったが、仕方ねえ……!!」
「……ミネリナって、この街の?」
「お、なんだ知り合いか!」
「一応、ね!」
たったこれだけの会話を終わらせると同時にコマモイを通過する二人。
一応地面が陥没したり屋根が落ちない程度の配慮はしているが、多少石畳の道に足跡が残るくらいは許容範囲。
「……そのミネリナから、"語らない聖典"についても色々聞いたから」
「あいつもなんか底知れぬ生き字引感あるよな。四歳の癖に」
「四歳なんだ……あんたもまだ二十ちょいだし、最近の魔族は老成してるわね」
「四歳と一緒にすんなよ!!」
「四捨五入したら同じゼロでしょ!」
「十の位で切ってない!?」
流石に身体的成長が終わったかどうかで線引きをしてほしいシュテンであったが、どうにも魔族的には割と些末事らしかった。
それよりも、ミネリナの知識で言う語らない聖典とはいったいどのようなものかは気になっていた。
「オモイカネ神によって作られた魔獣が形を成したもの。叡智を求め叡智を与える情報書庫。ミネリナも"到った"クチみたいね」
「あー、まあアスタルテの野郎に気付かれない偽装が出来るような魔導師だもんなあの吸血皇女……到っててもおかしくねえか。魔素の大半封印されてそれって、戦闘能力がないだけであいつも相応にヤバたんだよなぁ」
「まあ、そもそも語らない聖典に到達するには魔導の力よりも知識が優先されるみたいだし。そこは不思議じゃないのだけれど、それよりも。……ヤタノが差し出したのは"己の魂の情報"で――」
「それは知ってる」
「最後まで聞け。――対価、聞いた?」
「なんで知ってるの」
「ミネリナ、"魔素変換におけるエネルギー放出収縮理論"なんて独自の研究を対価に"これまでの全ての閲覧および取引履歴"を取り出したんだって」
「あの吸血皇女マジぱねえな!?」
「内容は殆ど分からないけれど、何を対価に何を得たかが全部分かったとかで……ヤタノが得たのは」
「……なんだよ」
――太陽の化身、その権能。
「人工の神でも造りだすつもりか、ルノアール」
「さあ。けれど――だとしたら最悪ね」




