第五話 ラムの村IV 『無邪気さが怖い』
「あー、なんだ」
翌日の朝は、澄み切った晴天であった。
お天道様に照らされた、確かな温もりを感じる空気の中で。
陽光を反射する後頭部を軽く触れながら、禿頭の壮年男性はバツが悪そうに肩を竦めた。
「助けられて、しまったな。まさか、マジものの鬼神さまだったとは」
「形だけでも敬ってくれるな、頼むから。鬼神だなんだって噂されてたのはまあしゃあねえが、自分から名乗ってる訳じゃねえんだからよ。俺程度の力でどれほどなのかは分からねえけど、おそらくは本物の"鬼神シュテン"さんに申し訳ねえくらいだろうよ」
へらへらと笑いながら、対面に立つ青年は言う。
この村で一番大きな家の前。農民たちは既に仕事のために畑に出ているような時間帯に、見送り人と去り人の二人だけが、どちらも曖昧な笑みを浮かべたまま立ち話に興じていた。
そこかしこで薪を切る音が反響する。
この長閑な農村にもう少し残っていたいと思う気持ちも多少はあったが、それでずるずる居てしまってはそれはまた彼の信じる浪漫というものに反している。
またいつか、遊びに来ればいいさ。
そんな精神で、目の前の男性に別れを告げるところだった。
「とはいってもな。本当に、返しきれない恩だよ」
「一宿一飯の恩返しをしたのはこっちだぜ? そんなに気にすんなよ」
「命救われて気にしねえわけにもいかんだろうが。それも――」
ぐるり、と男は周囲を見渡した。
昨日と変わらぬ、自らが長を務める村の姿がそこにはあった。
「……俺の以外の命も、助けられちまってんだからな」
「俺は俺に出来ることをした。村長は村長に出来ることをした。それでいいじゃねえか」
納得のいかなそうな表情の男――村長は、しばらく口元に手を当ててから。
「なら、ジュリウスの薙刀を――」
「それも無しっつったろ。いくら俺が無手だからってな、お前さんの息子の形見を担ぐような間柄じゃねえ。そうでなくても折れてるしな。俺は俺で、得物は探すさ」
「そう、か。……なら、これくらいはさせてくれ」
「なんだよ」
「――また、何度でも来い。いくらでも泊めてやるし、今度は月の塔への案内くれえはしてやるよ。観光、好きなんだろ?」
「……おう!」
村長の申し出に、にか、と人好きのする笑みを浮かべて。
別れを告げようとする青年――シュテンに、村長はもう一つだけ、と指を立てた。
「……これは、恩返しになるか分からねえんだがよ。言ってなかったことがあってな」
「ああ、娘さんだったか?」
シュテンの問いかけに、村長は頷く。
「そうだ。正直、村の者にも詳しく話していないことだが……お前さんになら、いいだろう。帝国書院書陵部魔導司書第八席……ベネッタという可愛い娘なんだ」
「あっ」
「なんだ、どうした?」
シュテンは何かを察した。
これ言っちゃいけない奴だ、連れの眷属を助けるために威嚇して第十席とセットでボコボコにしたとか言っちゃいけない奴だと。
「帝国は魔族に対する排斥の風潮が強い国だ。あいつに紹介状を書いたから、これを持っていってくれはしないか?」
「え、や、ちょっと待ったタンマ」
「うん?」
ストップ。とシュテンは村長を制する。
危なかった。
ベネッタという名前だけを聞いていたら、下手を打てばシュテン自身忘れていたかもしれないくらいには、しばらく昔の話。半年以上前の、シュテンが旅を始めてから間もない頃。
第五席デジレ・マクレインと研究院にて殺し合いに興じていた際に発覚した眷属の誘拐。
その主犯が第八席と第十席の二人で、シュテンは帝国書院本部に突貫した際に二人を相手に大立ち回りを演じている。
神蝕現象――【大文字一面獄炎色】を使用する、そばかすが印象的な少女。
眷属は確か"オカリナぽいぽい"とか言っていたか。
「……その、紹介状は、果たして受け取ってもらえるか怪しいぞ?」
「そんなことはないだろう。あの子は狂化魔族を嫌うが、狂化される魔族を助けたいとそう心に誓ってこの村を出て行ったんだ。魔族を理由なく攻撃するような子じゃない」
「それが現に――うん?」
攻撃されたし大事な駄尻尾ボコボコにされたんだよなあ、と言いかけて。
その瞬間村長の目の色が変わった。
おお、と大きく見開き、そしてその瞳の方向はシュテンの背後に向いている。
「ちょうど、良かった」
その口から出てきた言葉に、シュテンの頬に冷や汗が走った。
振り向くわけにはいかない。嫌な予感しかしない。
「……待て村長。このタイミングでちょうど良かったってえのは、いささか偶然にしても都合がよすぎやしないか? 俺っちとしてはとてつもなく嫌な予感が――」
「噂をすれば、だ。そろそろ帰ってくる頃だと思っていたよ――」
「フラグを重ね掛けするんじゃあない! お前ここ共和国だろ!? ちょっと寄った村の村長と会話して偶然そんなふざけた殺伐とした再会があってたまるかっ!」
「ベネッタ!」
半ば以降シュテンの言葉を一切無視して。
村長は今まで一切見せることのなかった少々だらしないレベルににやけた表情で手を上げる。
ぎぎぎ、とシュテンは首を錆びた蝶番のようにして振り向き――
その先に居たのは、レザーミニスカートと、皮のジャケットを身に纏った"田舎の冒険者"のような雰囲気の少女だった。
頭につけたリボンつきのバンダナカチューシャと、茶髪が風に揺れる。
「ただいまー!」
元気よくたたたーっと駆けてきた少女に、村長は慈愛の籠った声をかける。
「おかえり」
「うん、仕事が片付いたから一度戻ってきたよ。結構頑張ったんだ、あたい。……あれ、お客様っぽい感じ?」
「ビックゥ!」
シュテンの隣にまでやってきた少女の顔を見れば、幾らか以前に見た時よりも邪気が減っているとはいえ間違いなく"あの"殺し合いを演じたはずの第八席。やけに田舎娘のようなその恰好が似合っているが、それは今は関係ない。
「じゃ、じゃあ俺はこれでっ」
「ああああああああああああああ!!」
「うげっ」
逃げようと思った刹那、一瞬だけ三度笠の中の目と彼女の視線が交差した。
同時に彼女の何かに気付いた大声に、村長はきょとんとしつつ彼女を見やる。
対してシュテンの心境はまずいの一言であった。
なんなら、村長を助けた"恩"とやらが軒並み消え去りそうなこの状況。実の娘をボコボコにしました! なんてことが知れたら、さしものシュテンも肩身が狭いなどという度を通り越して逃げ出すしかないかもしれない。
そんなことを思いつつ硬直していたシュテンにしかし、ベネッタは。
「久しぶりっぽいね、シュテンくん! 元気だったっぽいー?」
「――へ?」
そう、朗らかに笑いかけたのだった。
「ったくよ鬼神サマよう、うちの娘と知り合いだったならそう言えよ」
「なはは、しょうがないっぽいよ。共和国領で帝国書院の知り合いが居るなんて迂闊に言えないっぽいし」
「いやまあ、それはそうなんだけどよ」
なんだこれ。シュテンの心境はその一言に尽きた。
気づけば再度村長の邸宅に押し込まれ、昨日の晩に世話になった食卓にもう一度座らされて、隣の少女に白湯を注がれて「ちょっと話すくらいいいっぽいよね?」と無邪気な笑みで言われてしまっては頷くしかない。というか、物凄く怖かった。
こんな風に話す間柄ではないはずだし、好意的な接待を受ける覚えもない。
故にいつ「テメエあの時の恨み――!」となるか分かったものではない。実際攻撃されたらどうにかして回避する自信がないわけではないが、この至近距離であの炎の魔導を使われたらこの着流しでどれだけ凌げるか分からない。
アスタルテに【大文字一面獄炎色】を使用された際に、あれが日輪属性だということは分かっているわけで、その恩恵も考えたらいくらシュテンでも無傷という訳にはいかないだろう。
「シュテンくんに村が助けられたっぽいね。本当に、ありがと」
「え、あ、はいすみません」
「おいおいシュテン、お前ベネッタとどういう関係だそりゃ」
「分かりません勘弁してください」
端的に言って、シュテンは現在この世界に来てから有数の"恐怖"を味わっていた。
威圧や攻撃的なものには耐性があるし、ある程度の理不尽は許容できるシュテンだが、この状況は狂気の類の意味不明さが圧倒的な恐怖を駆り立てている。
なんで殺し合った相手がこんなにこにこして自分に構っているのか。
当然そんなシュテンの心中を知らない村長は挙動不審のシュテンといつも通り快活な自分の娘を交互に見て首をかしげていた。
「え、えっと、ベネッタ第八席。どういう状況でござりやがりますかこれは」
「そんな口調だったっぽい? あたいのことは別にベネッタでいいよ、職務中でもないっぽいし。それよりも、お父ちゃん助けてくれてありがと。お兄ちゃんに続けてお父ちゃんまで死んじゃったらたぶんあたい、耐えられなかったからさ……」
「……そうか、ジュリウスさんはお兄さんだったか」
「うん。魔導とかは使えないけど、強いお兄ちゃんだった。シュテンくんもその辺は似てるっぽい」
なはは、と照れくさげに笑う彼女は、その見た目も相まってちょっと活発な村娘にしか見えない。以前、動けないヒイラギの腹を蹴り飛ばしていた"敵"と同一人物とはとても思えない彼女の微笑みにさらに困惑を深くするシュテンだが、まず一番に聞いておきたいことがあった。
簡単に言えば"これどういう状況ですか焼き討ちの準備ですか"という疑問なんだが、どうにもそのまま直接ぶつけられる空気でもない。
村に平和が戻って、娘もおそらくは久々に帰ってきたが故に上機嫌の村長を前に"この前殺し合った仲だよね?"と聞くわけにもいかず。
なんだか一緒に見た映画の感想を探るような感覚で、シュテンは情報を集めようと隣に座るベネッタに問いかけるしかなかった。目の前の村長もにこにことご満悦。なんだこの状況。
「あー、えーっと。前に会ったのはどのくらい前だったっけ?」
「結構前っぽいよね。半年は経ってるっぽい。ヒイラギちゃん助け出した後だから……うん、そのくらいに書院本部で別れたのが最後、っぽい?」
いや聞かれても。
と答えるわけにもいかず。
シュテンの困惑はさらに深まる結果となった。
"ヒイラギちゃん助け出した後"。まるで自分も一緒に助けたかのような口ぶりであるが、あいにくシュテンの記憶ではこの子は悪意に染まった嗤いと共にヒイラギの腹を蹴り飛ばしている。
「そんな別れたなんて穏やかな空気だった記憶はないんだが……」
「大変だったっぽいもんねー。第七席と第十席にヒイラギちゃん殺されかけてたし。第三席から連絡受けてなかったら、あたいも間に合わなかったはずっぽい」
「……第、七席?」
明らかに記憶が食い違う。
「そんな危険なことしていたのかお前ら……俺にとっちゃ天上の出来事だけどよ、くれぐれも怪我しねえでくれよ、ベネッタ」
「大丈夫っぽいー。あの時はシュテンくん凄かったっぽいもん。がーって二人相手に大立ちまわりして、あたいはヒイラギちゃんの脱出手伝うだけで良かったっぽいし」
心配そうに眉根を寄せる村長に、からからとベネッタは快活に笑う。
……ここまで来れば、シュテンもおおよその予想はついていた。
性格が変わっていたことはないが、状況の変化度合で言えば"死んだはずの母親が生きていた"ことのインパクトの方が圧倒的に強い。
意図していたわけではないにせよ、おそらくは『嬉しい! 楽しい! ユリーカちゃんと最後の時間旅行』(提供:ヴェローチェ・ヴィエ・アトモスフィア&レックルス・サリエルゲート)のせいというかお陰に違いない。
脳内で必死に状況を整理しつつ、ちらりと隣を見れば。
暖かい白湯を両手でこくこくと飲む、そばかすの目立つ田舎娘の姿。
「ん、どうしたっぽい?」
「……いや。なんつーかあれだ。俺のしたことは、どう転んだにせよ色々と変えたんだなと。今回は、良かったなと思っただけの話だ」
シュテンの感傷に浸った言葉。ベネッタは、彼を見て目をぱちくりと瞬かせると。
「よくわかんないのはいつものことっぽい」
とあっさりと正面に顔を戻した。
「ちょっと酷くない!?」
「や、前も意味不明なことばっか言ってたっぽいし。あたいを見て一番最初に『初期装備』って言ったのいまだに忘れないっぽいからねあたい。お兄ちゃんに譲って貰った大事な防具なのに、意味わかんないけどやたらむかついたし」
「あ、覚えはないけど俺だったら絶対言うわ。ごめん」
かわのよろいとかわのこてとかわのスカート。
ものの見事に最初の村か町で買えそうな服装だった。
「……あれ? 魔導司書の制服は?」
「シュテンくんの前で着たことあったっぽい? あたい基本この上からコートっぽいけど」
「あ、さいでっか」
改変の影響で着ているものも変わっている、と。
そう脳内で結論付けて、シュテンは腕を組んだ。
そして、一つ踏み込んでみるかと口元に手を当てる。ちょっとばかりリスクは高いが、それでも気になることも幾つかあったことだ。情報を得るに越したことはない。
「……しかし、よくお前さん魔族に対して好意的だったな」
「あれはヒイラギちゃんが不憫過ぎたのもあるっぽいし。けど、やっぱり一番はあれっぽい。第七席とかタロス五世のやり口は、気に食わなかったから」
珍しく"ぽい"を付けずにベネッタはそう言い切った。
第七席。
先ほどもシュテンが引っかかっていたその言葉。
それに対して、ベネッタはさらに続けてこういった。
「――第七席ルノー・R・アテリディア。あいつ、第三席と接触して何か妙なことやってたっぽいから」
第二章キャラ紹介とか見ると「あっ……(察し)」ってなるかもしれない。