第一話 ルナミズ平原 『餞別は旅の花』
「シュテンさん。本当に助かりました」
「ぶっちゃけ俺ってば第三層破壊しつくしただけのような気がしなくもねえけどな」
よく晴れた日。流れる筋雲が目に気持ちよく、午前の陽気に照らされたリンドバルマの街の一角で二人の男が向き合っていた。
一人は妖鬼シュテン。三度笠でその角を隠し、群青色の着流しと乾いた音を立てる下駄を履いたジャポネの民族衣装姿。大きく伸びとともにあくびをするそのやる気のなさを見ても、対面に立つ青年は特に気にした様子もなく微笑んでいた。
「いえ、シュテンさんとヴェローチェさんが居なければきっと今頃は多くのオルドラの忍は粛清されていたでしょうし……それに何より、帝国との間に要らぬ戦争を吹っかけてしまっているところでした。何よりも我らの古き当主であったガラフスと、この町の長であるシュラークについて――まさか精神汚染をかけられていたとは予想外でしたが、それでもこの事変が解決したことについては、お礼を申し上げたく思います」
「固い固い。そんな仰々しくされても、俺はばーっと突っ込んでばーっと突破してそんでもって突き抜けただけだ。凸凸凸って三拍子よ。本当にそれだけで、ガラフスやらシュラークをどうにかすることなんざ出来なかった。……それに、知り合いが迷惑もかけてるしよ」
自嘲気味に、シュテンは笑う。
天下の往来であるからには、彼らの真横を馬車が通り過ぎていったり人々が楽しそうに歩くのを横目にしたりと忙しないのだが、青年と出会った喫茶店である程度礼を受けたにも拘わらずわざわざリンドバルマの出入り口まで送ると押されてしまったのでこんな状況になっていた。
あれから、数日。
機能しなくなってしまった第三層ではあるが、幸いにして死人は殆ど出なかったらしい。というのも特導兵を放つ際にシュラークが避難命令を出していたからだそうだ。
おかげで首都機能の半分である中心部の技術結晶と栄華は失われてしまったものの、民はほぼ無事。これから青年は生き残った"忍"の一人として、大忙しの日々を送ることになるようだ。
まずは第三層の復興。おかげで第一層の貧民にも仕事が出来、ますます繁栄自体はしそうだというから皮肉なものだ。もっとも、城塞としての役割を残す以外にあまり人民の間に格差を設けたくないと彼は言うのだが、果たして帝国の属国となっている現在の共和国でどの程度それが実現するのかは、彼の頑張り次第であろう。
「そういやジュスタやらデジレの野郎はどこに行ったんだろうな」
「ジュスタ姫が居たというのには驚かされましたが……正直、今の共和国に居場所を作るのは難しいでしょう。ガラフスがシュラークと結託して動いていたことは既に周知の事実です。その血族という肩書は、やはり"忍"にとってはかなり重いものなんです」
「親への"孝"だったっけか」
「はい。主への"忠"と親への"孝"。忍にとっての誇りがその部分にある以上、親の犯した失態というのは逆に子々孫々へと伝わってしまうものなんです。ウェルセイアの家などは名家であったから余計に悪評が広まるのも早いでしょう」
青年の言葉に腕を組むシュテン。
忍たちの掟や誇りというものに関してはあまりシュテンも理解はない。
だが彼自身、他人に理解されるされないの別なく浪漫を愛しその道を進んでいるからか、そういうものかと納得することはできた。
とはいえ、それでジュスタはどうするのだろう。
そもそもクレイン達と共に居たはずが何故かあのモノクルハゲと行動していることも謎だ。
その辺りにきっと何かしらの因果が関わっているのだろうことは分かるが、今のシュテンにはどうすることも出来ない。とりあえずそう簡単にデジレがくたばるとも思えず、無手でデジレに挑むのも悪手すぎるので一時保留と脳内会議で相成った。
「じゃあ、そろそろ次の旅に向かうとするわ。ありがとな、ポール」
「いえ、こちらこそ本当にありがとうございました。……ああ、それでなんですが」
背中に背負っていたバッグから、青年――ポールはシュテンの顔ほどの大きさはあろうという瓢箪を取り出した。
「んぉ、そいつは」
「オルドラ州の特産品なんです。といっても、忍たちが勝手に作っているだけなんですけどね。源流はジャポネにあるそうなので、……見た感じシュテンさんは好きそうだなと」
いつの日か、初めてガラフスに遭遇した日に彼が提げていたものと同じ酒瓢箪。"サカムシ"と呼ばれる生物が中には入っているそうで、そのお陰で延々酒が出てくるのだとか。
しばらく前のことを思い出して、ぽんと手を打つ。
「僕は酒があまり得意ではないので家に置きっぱなしだったのですが……宜しければ受け取っていただけませんか」
「いや、あれめちゃめちゃ美味かったし瓢箪提げるのも中々乙なもんだからありがてえんだけどよ。……いいのか? 割とレアなもんじゃなかったっけ」
「あはは、よくご存じで。まあ、それも渡す理由の一つなんですけどね」
その爽やかな貌を緩ませて、ポールは笑った。照れくさげに鼻を擦りながら、おどけたように言う。
「それはオルドラの"忍"が恩義ある相手に送るものなんです。それを見ればきっと、どこかの見知らぬ忍であれど貴方を無碍にすることはないはずです。オルドラのポールという忍が、貴方という人物を保証する。……もしどこかで別の忍にあった時に何か依頼したいことなどあれば、必ず役に立つはずです」
「で、出たああああ! 友情アイテムきたあああああ!」
「しゅ、シュテンさん?」
受け取った瓢箪を太陽に翳すようにして掲げ、天下の往来で喜びに吼えるシュテン。
きょとんとした様子のポールをよそに、何やら嬉しさをかみしめるようにして瓢箪をくるくる器用に振り回す。
もちろん、そのような奇行にポールの理解が追いつくはずもなく、なだめようと出したは良いが具体的にどうすればいいのか分からない手を泳がせて目を瞬かせるのみ。
しかしながら、喜んでもらえたのなら何よりだと相好を崩した。
「では、受け取ってください」
「ありがとよ!! やー、これあれだわ、それは捨てられません! とか売れません! って出る奴だ! だいじなものボックスに入ってるやつだ! それもただの重要アイテムじゃない、こう、一点もの! 絆を感じさせる一品! そうだよ、これだよこれこそが浪漫だよ!!」
「あ、はは。そこまで喜んでいただけるのなら僕も嬉しいです」
「これが喜ばずに居られるか!」
シュテンはそのままいそいそと腰に瓢箪をくくりつけ、軽く跳んで様子を窺う。
大丈夫そうだと判断すると、満面の笑みを浮かべてサムズアップした。
「よっしゃ、万端だ。ありがとよ、また会おうぜ!」
「はい。このリンドバルマを訪れることがあれば、ぜひあの喫茶店によってくださいね」
「もちろんだ! さんきゅー!」
今度こそ歩き出そう。
リンドバルマの巨大な街門を目指し歩いていくシュテンを、ポールはその姿が見えなくなるまで見送っていた。
共和国での一件は、こうして幕を閉じたのであった。
「あー、やっぱ旅って楽しいなあ!」
共和国からジャポネに向かうルートは、陸路で言えば三本ある。
まず一つが、シュテンが行きに辿ってきたような、"拓き踏み込みたい道"を通過して帝国西部から帝都付近を通り抜けて公国に向かうルート。つまり、南へ下ってから東に向かうルートだ。
二つ目は共和国南東から帝国中部を通過して公国海岸に出るルート。直線距離で言えばこのルートが一番短いが、巨大な山脈を乗り越えなければならない都合上、吹雪などの天候変化も含めると遠回りですらある。ついでにいえば特徴的な街や建築物、或いは自然があるわけではないのでシュテンとしては面白くないことこの上ない。
ということで、シュテンは三本目のルートをたどってジャポネを目指すことにした。
共和国を東に向かい、帝国に入ってから南へと下って公国へという道筋だ。ついでに公国は花の街コマモイに寄って友人に会うのも悪くないかとくらいに考えていた。
瓢箪の酒を一口煽り、楽しげに口元をゆがめる。
やはり要所要所にあるああいったイベントが旅の醍醐味であると、彼は一人頷いていた。
えっちらおっちら歩む道は一本道で、その左右を丘陵なだらかな草原が埋め尽くしている。
ここはルナミズ平原と呼ばれる地で、付近に月の塔と呼ばれる謎の遺跡があるのが有名だ。
実際グリモワール・ランサーではあまり触れられることが無かった地なのと、あとは少し嫌な予感がしていたために今回は観光を見送るつもりでいるが、機会があればぜひ寄ってみたいと心の中でチェックを入れていた。
「……ふむ、帝国突っ切る感じなのは間違いないか?」
嫌な予感。
シュテンの旅の目的はまず第一に観光だが、だからといって女神に命じられた珠片集めを忘れているわけではない。意図してスルーしていることがある手前どうしようもないのだが、流石に危険性には気づいている。
そして、シュラークの珠片を"確認"した際に次なる在り処として示された場所は、明らかに"移動"していた。つまり、既に何者かによって取り込まれているということだ。
以前ハナハナの森で魔獣と遭遇した際に感じたようなそれではなく、どちらかといえばクラーケンを探していた時のような動き方。間違いなくその取り込んだ生物は魔族であれ魔獣であれ、どこかに定住しているというわけではないだろう。
そして、おそらくジャポネの方へと向かっている。
「……まさかピンポイントに俺の実家に向かってるとは考えにくい、が。こういう時万が一もありそうだしなあ。ヤタノちゃんもどこに行ったか分からんし」
次なる目的もない今、ひとまずは珠片を追いかけることにしよう。
そのあとで、海の反対側にある王国に顔を出してみるのは悪くない。
シュテンは毎度恒例のように今回の旅の目的を確認して、ルナミズ平原をのんびりと歩んでいく。既に時刻はリンドバルマを発ってからしばらく経過しており、もうじき日が沈むころ合いだった。背に受ける西日も悪くなく、進行方向から上空にかけて青から臙脂へと美しいグラデーションが演出されているのもまた素晴らしい。
鼻歌交じりに、しかしそろそろ今晩の宿を考えなければいけないような時間帯に差し掛かって、シュテンはふと足を止めた。
自らが進む先に見える、幾ばくかの小さく揺らめく赤。
「……ルナミズの付近に村。あー……あったな。なんつったっけ、ラムの村だったか?」
ラムだかリムだか、そんな村もあったはずだとシュテンは顎に手を当てながら考える。
「せっかくだ、一晩泊めて貰うとしよう。宿屋の一つくらいあるといいが」
しゅ、と綺麗に覇気を畳んで隠ぺいし、シュテンはそのまま目的地を村に変更して一歩を踏み出す。もはや覇気の操作も慣れたものだ。それを教えてくれた駄尻尾の行方は、いまだに分からないままだが。
「あー……あいつからかうのが恋しい」
もう、半年は会っていないはず。
元気にしていることだけは、胸のうちに繋がった精神パスが伝えてはくれるが、しかし。
「ま、なるようにならぁな」
あっけらかんと。
無事にしているのなら何よりだから、そのうち会うこともあるだろうと考える。
何せ、お互いに人間とはくらべものにならないほどの寿命があるのだ。
数十年もふらついていれば、きっと合流することも可能だろう。
「……寿命、か」
思考を奔らせて、ふと連想できるものがある。
人間にも拘わらず、シュテンよりもはるかに長い時を生きている者たちのことを。
『……ないよ。きみが心配するようなことは、なにも』
『こう見えてわたし、お婆ちゃんなんですよ?』
巨大データベース"語らない聖典"。
"摂理に反する何か"を代償に摂理に反する何かを得られる。
シュテンが"語らない聖典"に対して得ている情報はただそれだけだ。
だが、シャノアールにしろヤタノにしろ、一つだけ間違いが無いのは"何等かを失っていること"。
シャノアール・ヴィエ・アトモスフィアなど、
たった一度の恩を返すために数百年を生きる選択をし、そのために何かを犠牲にしたのだ。
「何が心配するようなことはねえだ、あの野郎」
絶対に、彼自身の口から"代償"が教えられることはないだろう。
それはシュテンとて分かっている。間違いなく、シュテンに気を遣わせるようなことはしない。
なれば、今回。ヤタノがこうして生きていることを、そして瞳が暗く影を落とした理由を暴くのと同時に、シャノアールに関しても全てをはっきりさせる。
そう新たな誓いを胸に、シュテンはようやくたどり着いた。
目の前にある、小さな村。
まずは軽く一晩泊めて貰って、それから色々考えよう。